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難きを為す

yóu(1)yuē:“yǒuzhāng(2)wéinánnéngránérwèirén。”

《论语》子张第十九-15

(1)子游:孔門十哲のひとり。姓は言、名は偃、呉の人
(2)张:孔子の弟子、子張のこと。姓は顓孫せんそん、名は師。孔門十哲には入っていないが論語にはしばしば登場する。

素読文:
ゆうわく:“ともちょうや、くしがたきをす。しかれどもいまじんならず。”

解釈:
子游曰く:“我が友子張は、困難な事をやり遂げることができるが、まだ仁者とは言えない。”

議論のありそうな言葉です。
人に出来ない能力(例えば金儲けの商才)があるからといっても仁者であるとは言えません。
でも、朝エレベータで一緒になった名前も知らぬ隣人に「おはようございます」と声をかけることは「難きこと」であり仁の第一歩と言えるかもしれません。

博学、篤志、切問、近思

xiàyuē:“xuéérzhì(1)qièwèn(2)érjìnrénzàizhōng。”

《论语》子张第十九-6

(1)笃志:志,意为“识”,此为强记之义。
(2)切问:问与切身有关的问题。

素読文:
曰わく、ひろく学びてあつこころざし、せつに問いてちかく思う。仁そのうちり。

解釈:
ひろく学んで見聞をゆたかにし、理想を追求して一心不乱になり、疑問が生じたら切実に師友の教えを求め、すべてを自分の実践上の事として工夫するならば、最高の徳たる仁は自然にその中から発展するであろう。

篤志を「理想を追求し一心不乱」と訳しています。日本語では「困っている人や気の毒な人への思いやり。社会のためになる事業・運動などに熱心で、協力を惜しまないこと。」という意味です。ただ一心不乱にというだけではなく、世のため人のためという意味が込められている様に思います。
ただ知識としての博学ではなく、理想に燃え、身近な問題として考え、行動する。そういうところに「仁」が生まれると理解しました。

大辞林(第三版)より