投稿者「master@QmHP」のアーカイブ

雅言

suǒyán(1)shīshūzhíjiēyán

《论语》述而篇第七-18

(1)雅言:古代に使われた共通言語

素読文:
げんするところは、しょれいるもみなげんなり。

解釈:
孔子が毎日語られることは、詩・書・執礼の三つである。この三つだけは実際毎日語られる。

老いの至るを知らざる

gōngwènkǒngduì
yuē:“yuēwéirénfènwàngshíwàngyōuzhīlǎozhījiāngzhìyúněr。”

《论语》述而篇第七-19

素読文:

しょうこうこう子路しろう。子路しろこたえず。いわく、なんじなんわざる、ひとりや、いきどおりをはっしてしょくわすれ、たのしみてもっうれいをわすれ、いのまさいたらんとするをらざるのみ、と。

五十にして学ぶ

yuē:“jiāshùniánshíxuéguò。”

《论语》述而篇第七-17

素読文:

いわく、われ数年すうねんくわえ、じゅうにしてもっえきまなばば、もったいかるし。

解釈:

孔子曰く:“我に数年寿命を与え、50歳になって易を学べば、大禍なき者となるだろう”

孔子が何歳の時に言った言葉かはわかりませんが、50歳になって易を学べば、大禍なき者になるだろう、と言っています。これは自分自身について言った言葉ではなく、周りの弟子たちに言った言葉の様に思います。多分弟子たちはまだ50歳になておらず、歳をとってからでも学ぶことは重要であり、学ぶべきだと教えたのではないかと愚考します。

衛の内紛

rǎnyǒuyuē:“wèiwèijūn?”
gòngyuēnuòjiāngwènzhīyuēshūrén
yuēzhīxiánrén。”
yuē<:“yuàn?”
yuē:“qiúrénérrényòuyuàn。”
chūyuē“:wèi。”

《论语》述而第七-14

素読文:

冉有ぜんゆういわく:“ふうえいきみたすけんか。”
こういわく、“だくわれまさこれわんとす。”
りていわく、“はくしゅくせい何人なんぴとぞや。”いわく、“いにしえ賢人けんじんなり。”いわく、“うらみたるか。”いわく、“じんもとめてじんたり。 またなにをかうらみん。”
いでいわく、”ふうたすけざるなり。”

解釈:

冉有ぜんゆう曰く“孔子はえいの君を援けられるだろうか”
子貢が曰く“私が聞いてみよう”
子貢は孔子の室へや行きたずねた。“はく・叔しゅくせいはどういう人でしょう”
孔子は答えた「古代の賢人だ」
子貢「二人は自分たちのやったことを、あとでくやんだのでしょうか」
孔子「仁を求めて仁を行なうことができたのだから、なんのくやむところがあろう」
子貢は孔子の部屋から戻り、冉有にいった。「師は衛の君をお援けにはならない」

孔子一行が衞の国に滞在していた頃、衛の父子の関係が悪化していた。戦争になる気配がありそれを心配した弟子たちを子貢が代表して孔子に尋ねた。
孔子は、父子はそれぞれに仁に従って行動しただけだから恨みはないだろうと、戦争にはならないと考えていた様だ。

衛の国王が、不倫の妻を殺したことで、その息子が国外に逃亡。
孔子一行が滞在中にそんなゴタゴタがあり、弟子たちが浮き足だったのでしょう。

飯疏食飮水

yuē:“fànshūshíyǐnshuǐgōngérzhěnzhīzàizhōngérqiěguìyún。”

《论语》述而篇第七-16

素読文:

いわく、疏食そしくらみずのみひじげてこれまくらとす。たのしみうちり。不義ふぎにしてたっときは、われおいうんごとし。

解釈:

孔子曰く“粗食を水で飲み込み、ひじを枕にして寝るような貧しい境涯でも、そのなかに楽しみはある。不義によって得た富や位は、私にとっては浮雲のようなものだ”

伯夷叔齐は賢人なり

rǎnyǒuyuē:“wèiwèijūn
gòngyuēnuòjiāngwènzhīyuēshūrén
yuēzhīxiánrén
yuēyuàn
yuēqiúrénérrényòuyuànchūyuē:“wèi。”

《论语》述而篇第七-15

素読文:

冉有ぜんゆういわく、ふうえいきみたすけんか。こういわく、だくわれまさこれわんとす。りていわく、はくしゅくせい何人なんぴとぞや。いわく、いにしえ賢人けんじんなり。いわく、うらみたるか。いわく、じんもとめてじんたり。またなにをかうらみん。いでいわく、ふうたすけざるなり。

解釈:

冉有ぜんゆう曰く“師(孔子)はえいの君を援けられるだろうか”
子貢曰く“私が師にたずねてみよう”
子貢は孔子の部屋へゆきずねた。
はくしゅく斉せいはどういう人でしょう」
孔子曰く「古代の賢人だ」
子貢「二人は自分たちのやったことを、あとでくやんだのでしょうか」
孔子曰く「仁を求めて仁を行なうことができたのだから、なんのくやむところがあろう」
子貢は孔子の部屋から戻り、冉有にいった「師は衛の君を援けないだろう」

食を忘れて楽を聞く

zàiwénsháo(1)sānyuèzhīròuwèiyuē:“wéiyuèzhīzhì。”

《论语》述而篇第七-13

(1)韶:舜が作ったといわれる古典音楽。

素読文:

せいりてしょうく。三月さんげつにくあじらず。いわく、“はからざりき、がくつくることのここいたらんとは。”

解釈:

孔子はせいに滞在中、しょうをきかれた。そして三月の間それを楽しんで、肉の味もわからないほどだった。
孔子曰く“これほどすばらしい音楽があろうとは、思いもかけなかった”

慎むべきは斎、戦、疾

zhīsuǒshènzhāi(1)zhàn

《论语》述而篇第七-12

(1)齐:物忌み、祭祀の前に斎戒沐浴し、心を整えること。

素読文:

つつしところは、さいせんしつ

解釈:

孔子が慎んで対処したのは、斎戒さいかいと、戦争と、病気の場合であった。
幸にして、現代の日本ではあまり気にしなくてよさそうですが、隣国では『战』『疾』に不安がありそうです。

我が好むところに従う

yuē:“érqiúsuīzhíbiānzhīshì(1)wéizhīqiúcóngsuǒhào 。”

《论语》述而篇第七-11

(1)执鞭之士:行列の先頭の露払い役、卑しい仕事の例え

素読文:

いわく、とみにしてもとくんば、執鞭しつべんいえども、われこれさん。もとべからずんば、このところしたがわん。

解釈:

子曰く:“もし富が、人として進んで求むべきものならば、私はそれを得るために、喜んで行列の露払いでもやろう。だが、それが求むべきものでないなら、私は自分の好む道に従って人生を過ごしたい”

仕事に富貧貴賎はない、与えられた仕事ならば、露払いでもやる。しかしそれが求める仕事でなければ、自分で好む仕事をしたい。孔子は弟子と共に、仕官すべき君主を探す旅に出ますが、結局孔子の眼鏡に叶う君主は見つけられなかったということでしょう。

子三軍を率いれば

wèiyányuānyuēyòngzhīxíngshězhīcángwéiěryǒushìyuēxíngsānjūn(1)shuí

yuēbào(2)píng(3)érhuǐzhě

línshìérhàomóuérchéngzhě

《论语》述而-第七-10

(1)三軍:大国の持つ37,500人の軍隊
(2)暴虎:暴れる虎と素手で戦うこと
(3)冯河:大河を歩いて渡る。(2)(3)共に命知らずの行動

素読文:

顔淵がんえんいていわく、これもちうればすなわおこない、これつればすなわかくる。われなんじとのみるかな。子路しろいわく、三軍さんぐんらば、すなわたれともにせん。いわく、ぼうひょうし、してものは、われともにせざるなり。かならずやことのぞみておそれ、はかりごとこのみてさんものなり。

解釈:

孔子は顔淵に“任官することがあれば仕事をするが、声がかからねば静かに過ごすだけだ。それができるのは君と私くらいのものだろう”
横で聞いていた子路が“師が大軍を任されることになったら誰と戦いますか”と聞いた。
孔子答えて曰く「暴れる虎と素手で戦ったり、大河を歩いて渡ろうとする様な蛮勇・無謀な者とは一緒に戦えない」

勇猛果敢であることは必要でしょうが、蛮勇無策では兵卒をまとめ勝利に導くことはできないでしょう。
残念ながら、孔子も顔淵も大軍を率いる機会には恵まれませんでした。