月別アーカイブ: 2018年6月

福知山線脱線事故

時事通信社

 JR西日本・福知山線脱線事故が発生したのは2007年4月25日。丸11年の先週いくつかの報道を目にした。

4月11日に配信したメルマガ第652号「組織事故」で福知山線脱線事故は組織事故の一つだったとご紹介した。

運輸安全委員会は、福知山線脱線事故の調査報告書を発行している。
全261ページ+別添資料の膨大な報告書だ。

簡単にまとめると以下のようになる。

原因:
 本件運転士のブレーキ使用が遅れたため、本件列車が半径304mの右曲線に制限速度70km/hを大幅に超える約116km/hで進入し、1両目が左へ転倒する様に脱線し、続いて2両目から5両目が脱線したことによるものと推定される。

以上の原因は、脱線に至る物理的原因だ。運転士のブレーキ操作が遅れた誘引があるはずだ。

誘引:
 事故発生前に伊丹駅で停止位置を通過してしまい、車掌が非常ブレーキをかけ停止位置に後退して停車している。運転士はこのミスを内緒にしておいて欲しいと車掌に車内電話で頼んでいる。
本件運転士は2004年6月に片町線下狛駅で所定停止位置行き過ぎ事故で13日間の「日勤教育」を受けている。日勤教育とは、重大インシデント、規約違反、ヒヤリハット事象を起こした者が受ける教育で数日から一月以上続くケースもある。懲罰的な要素が強い教育指導だ。本件運転士は日勤教育を避ける事に気をとらわれブレーキをかけるのが遅れている。
日勤教育には、事故またはヒヤリハットが発生した原因を分析する事が含まれているというが、本件運転士の日勤教育の記録を見ると指導官との指導問答、感想文のような本人レポートしか残っていない。

この脱線事故を組織事故としたのはここにある。
日勤教育を受けている間は、同僚運転士の目にさらされる事になる。
教育指導というより、数日間も説教を聞かされているだけ。
これではヒヤリハットや失敗を隠蔽する風習が組織にはびこり、ヒヤリハット事例で問題の未然防止どころか再発防止さえおぼつかなくなる。

ヒヤリハットや失敗を責任追及すれば、問題は隠蔽され必ず再発する。
ヒヤリハットや失敗を共有すれば、発生原因を分析し再発対策が可能となる。

失敗を称賛する必要はないが、失敗を学びに変え、再発対策、未然対策を称賛する組織文化を持つべきだと思う。

永田町の役人、旧国鉄、旧財閥系企業など古い因習があり、変わる事が難しいとは思うが、変わらねば恐竜やマンモスの様に死滅してしまうだろう。


このコラムは、2018年5月2日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第661号に掲載した記事です。

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工場の匠を引き出す設計

 Tech-On!に連載されたGT-Rの開発ストーリィが最終回を迎えた.

無から新たにモノを作り出す.その過程にはいくつも感動がある.
この連載にも,私の心にぐっとくるところがたくさんあった.

連載コラムの中にあった「工場の匠を引き出す設計」という考え方を紹介したい.

GT-Rは以前のスカイライン派生車種としての位置づけを離れ,独自の車として開発された.
トランスアクスルレイアウト,デュアルクラッチ搭載のトランスミッション等,走ることに特化した車としてデザインされている.

通常量産車は,工場での生産性を考慮して設計される.
つまり工場での造りやすさに配慮し,公差を大きくしたロバスト設計をする.しかし走行性能に妥協を許さず,組み立て精度±0.5mmを要求したのだ.

顧客が感じる価値「走る楽しさ」を実現するためには,コストをかける.従来の同一規格大量生産の考え方とは方向性が異なる.

そこには工場への信頼があった.
GT-Rを従来にない突出した車とするために,工場の「匠」的要素を盛り込む設計をした.工場の潜在能力を引き出す.工場で働く人々の能力を信じ,それを極限まで生かすことが,設計者の使命であり,本来のモノ造りの姿だ.

コモディティ化した車を量産することは,売り上げの確保に貢献するだろう.売り上げが確保できれば,雇用も守れる.しかし価格競争から自由ではいられない.常にコストダウンの努力が強いられる.
モノを造れば造るほど貧乏になる.

しかし顧客の価値観に基準をおいた製品は,高額であっても顧客が喜んで購入する.ランボルギーニと言う会社は年間1,600台の車しか販売していないが,売り上げは348億円だ.高品質高付加価値の製品を少量だけ造る.

薄利大量生産のモノ造りは,設備投資に大きな資本が必要となり,損益分岐点が高くなる.景気の変動によりあっという間に赤字転落することになる.

GT-Rは量産車スカイラインのラインで混合生産されている.従って,2分のタクトタイムで生産しなければならない.この要求にきっちり応えたのが,工場の匠の力だ.


このコラムは、2012年6月4日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第260号に掲載した記事です。

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犬から学ぶ

 私は食べ物に関しては,好き嫌いが全くない.唯一食べられないのは犬の肉だ.美味しくないから食べない訳ではない.騙されれば食べてしまうだろう.しかし犬の肉を食べた事を一生後悔することになると思う.私にとって,犬の肉を食べるという事は,人の肉を食べる事と同じだ.許されない行為なのだ.

生まれる前から犬と一緒だった.記憶にはないが,犬と一緒に縁側に座っている赤ん坊の頃に撮影した写真がある.それ以来私たち家族は,ずっと犬と一緒に生活してきた.

犬死,犬のように働く,○○のイヌなどなど,犬は不名誉な例え方をされる事が多いが,昔「犬に学ぶ仕事術」という本を読んで,得心したことがある.犬は何事にも興味を持ち,楽しんでいる,という著者の見解はすごく納得出来る.つまり犬のように働くというのは,楽しんで働くという事だ.

単身赴任の身では,犬を飼う事は出来ない.よその犬を見て楽しんでいる.オフスから見える中庭には,いろんな犬が散歩に来る.
その中の一頭の小型犬は,外に出してもらうと,一目散に走る.ただただ走る事が楽しくてしょうがないという風情で,爽快に走る.その走る姿を見ている私まで楽しくなる.

こんな風に仕事ができたらと思う.部下の誰かが,こんな風に仕事ができたら最高だが,まずは自分が楽しむ事だろう.自分が仕事を楽しんでいる姿を見て部下が楽しそうだと思ってくれたら,部下も変わるはずだ.眉間にしわを寄せて仕事をしていたのでは,誰も真似したいとは思わない.

最近昼休みに食事に出ると,散歩中のゴールデンレトリーバとよく出会う.彼女は,飼い主の言葉がわかるようだ.飼い主が歩道橋の階段を上がれ,と言うと一目散に駆け上がり,飼い主を歩道橋の上から見下ろしている.降りてこい,というとまた一目散に駆け下りて来る.
信頼関係があるから,言葉を越えたコミュニケーションでお互いの気持ちを理解し合っているのだろう.

犬と人間の間にも信頼関係が出来る.同じ人間同士ならば,話す言語が違っても信頼し合えるはずだ.

この一人と一頭の散歩には,もう一頭連れがいる.まだ生まれて2,3ヶ月の子犬だ.この子は,車の通行が激しい商店街をちょろちょろと歩き回る.ハラハラして立ち止まって見ていると,ゴールデンレトリーバが,さっと寄って来て子犬を歩道の方に導く.子犬をあやしながら,帰り道の方向に導いて行く.飼い主はその二頭を見ながら後ろからゆっくり付いて行く.

ゴールデンレトリーバと子犬は母子ではない.しかし彼女には,子犬を守るという意識がしっかりあるようだ.

しばし立ち止まって,犬たちを見ているだけで,いろんな事を教えられる.


このコラムは、2012年9月24日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第276号に掲載した記事に修正・加筆したものです。

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常識の壁を越える

 工程を改善するためには,「ダラリ」をなくせば良い.
「ダラリ」というの「ムダ・ムラ・ムリ」のことだ.「ダラリ」をなくせば,生産性だけではなく,品質も良くなるはずだ.

最近訪問した工場で,現場リーダが熱融着剥れ不具合の撲滅に手を焼いている工程を見せていただいた.

1本の材料を冶具にセットし,その端面を熱融着し輪にすると言う工程だ.

冶具は上開きになっており,1本の材料の両端をセット,端面を突き合わせて過熱する構造になっている.
驚いたことに,作業者は冶具の上蓋を開かずに横のスリットから差し込んでセットしている.上蓋は正しくセットされているか確認するために開かれるだけだ.

どう考えてもこの作業にはムリがある.
材料の断面と同じ形をした冶具のスリットから材料を差し込むという作業は簡単には行かず,時間がかかっている.また上蓋を開けて確認しても材料の両端面が正しく突き当たっていないので,何度もやり直しが発生する.
端面が正しく突き当たっていない状態で熱融着作業をすれば,融着部が容易に剥れてしまうだろう.

冶具の上蓋を開けて材料をセットすれば,簡単なはずだ.ナゼ,冶具の上蓋を開けてセットしないのか?と聞いても合理的な回答はない.とにかくだめと言われている様だ.

たぶん元々上蓋を開き材料をセットする手順だったのだが,何らかの不良対策か何かで,横から差し込んだら偶然改善された.その手順の効果を検証しないまま,対策として採用されてしまったのだろう.

論理的な整合性がない「常識」が存在すると,とにかくだめ,としかならない.これが不具合発生の主要因であったりすると,改善は不可能となる.原理に合わない「常識」は疑ってかかるべきだ.
自分たちで造ってしまった「常識」を超えることは,実は意外に難しい.

我々のような外部の人間から見ると,ナゼそんな「非常識」なことをしているのだろうかと思うことでも,気が付かなくなってしまう.

この「常識」を超えるコツは,現象とメカニズムを切り口に不具合の原因を分析する.その分析過程が原理に照らして正しいかどうかを,ステップごとに検証しながら進めることだ.

このような方法で,大元の物理法則(原理)に照らし合わせて考えるようにすれば,馴染みのない技術分野であっても,的を射た分析が出来るものである.

まずはだめな理由をはっきりさせ,その理由を取り除いてゆくことが改善だ.


このコラムは、2010年8月30日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第168号に掲載した記事に加筆したものです。

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亢竜の悔い

 「亢竜(こうりょう)の悔い」とは、天に昇りつめた竜は後は下がるだけなので悔いを感じる、という意味だ。栄える者は必ず衰える、盛者必衰の理だ。

では悔いを持たぬ様に天に昇りつめる努力を放棄すれば良いのだろうか?
あるがままの今を受け入れる。そんな禅的な世界観を持てば悔いはないだろう。
しかし現代の企業経営とは相容れないモノがある。
年度目標を毎年達成し続ける。毎年増収・増益を継続する。
変化する経営環境の中で、達成し続けるのは困難だ。達成出来る目標にすり替えれば、悔いの代わりに後ろめたさを感じるだろう。

目標だけを追求する限りこのようなジレンマを感じるだろう。
目標の手前にあるべき目的を明確にすることが解決策だと思っている。
目的とは何か。自社の存在意義と言い換えると分かりやすいかも知れない。

例えば企業経営の目的が「従業員の物心両面の幸せを追求する」であるとする。
この場合「給与」「福利厚生」「労働時間」などに具体的な目標が発生するかも知れない。しかしこの目標を達成しても、「従業員の物心両面の幸せを追求する」という目的は存在可能だ。こう考えれば、亢竜の悔いはない。

違う例を考えよう。
改善活動は不具合が存在する事により成り立つ、というパラドックスを内在している。つまり改善活動を継続すれば亢竜の悔いが発生することになる。
不具合がないのだから、皆で楽しく暮らせば良いではないか、このような考えが、盛者必衰の理を招く(笑)

QCC活動でも、あらかた問題点を解決してしまうと、亢竜の悔いが発生する。
それでも活動を継続しようとすると、どんどんつまらないテーマを考え、活動が形骸化する。QCC推進事務局から年間活動件数のノルマなどが課せられると、この傾向は加速する。

QCC活動の本来の目的「メンバーの成長を通して業績に貢献する」にフォーカスすれば、問題点の解決だけでは無くなる。新しい業務への挑戦、飛躍的な品質レベルの達成など、ありたい姿の実現がテーマになりうる。企業が成長する限りテーマは無くならない。
従来の問題解決型の活動とは違い、ありたい姿を実現すると言う課題達成型の活動となる。

また市場や顧客の要求が変化すれば、製品・サービスも変化せねばならない。
何を、どのように変化するかが活動のテーマとなる。

改善活動には「亢竜の悔い」はない。


このコラムは、2017年3月13日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第519号に掲載した記事です。

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ある経営者の急逝

 このメルマガにたびたび登場する原田則夫氏が12月12日に急逝された.
12月いっぱいで引退し日本に帰る予定であった.さぞかし無念であったろうと思うが,穏やかな死に顔で旅立たれた.

一晩原田師の棺に付き添い考えてみた.
きっと彼はすべてのことを成し遂げ満足感のうちに逝かれたのだと思う.倒産寸前のSOLID社を超優良工場に再生されたのも大きな業績だが,本当の成果は「原田式経営哲学」を通して育てた人財だ.

中国に来られて16年,「原田式経営哲学」により育成,啓蒙された中国人,日本人は4万人に達する.

SOLIDの職員や,以前の会社の部下たちを見ていて,これらの人財を残す仕掛けと仕組みが「原田式経営哲学」の本質だと実感する.

これらの原田チルドレンたちは,これからそれぞれの場で活躍し中国の発展を担う優秀な人財を輩出し続けるだろう.

下の経営者は金を残す.
並の経営者は金儲けの仕組みを残す.
上の経営者は人財を残す.

多くの経営者が「下」と「並」の間をウロウロしているのではないだろうか.

原田師の経営理念は

「素質の高い人を集め仕事を通して人を育て高効率・高品質・高報酬を目標に明るく自由闊達な環境下でお互いが感謝の心を持ち夢と自主性に満ちた理想工場を作る」

である.

私も「原田経営哲学」を受け継ぐ者として「理想工場」の実現を目指してゆこうと決意している.


このコラムは、2009年12月21日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第131号に掲載した記事に加筆したものです。

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リーダの育て方,工場の育て方

 先週の雑感「ある工場経営者の引退」について,読者様からメッセージをいただいた.

※G様のメッセージ
 「リーダーは育てられたが,工場は育てられなかった」
 この主題、理解できます。

インドネシアに工場を立ち上げた時は,すばらしい工場を立ち上げられたと自負していた.当初鍛え上げた作業員たちは,改善意欲が高く,「不適合」に敏感な立派なリーダに育った.

当時は生産委託先で問題があるたびに「インドネシア工場を見習え」と発破をかけていた.実際にインドネシアまで工場見学に行かせたこともある.

しかし「継続」ができて初めて工場を育てたといえるだろう.
優秀なリーダがやめてゆくたびに少しずつ工場の力は落ちていった.リーダたちは自らのキャリアアップのために,どんどん転職してゆく.当時はリーダの離職をどうしたら止められるかと考えていた.

しかし解決方法はそこにはなかった.

育てたリーダの能力(暗黙智)を組織の形式智に置き換える.組織の形式智を次々と新しいリーダに受け継がせるための仕組みと仕掛けを導入しなければならない.そしてその仕組みと仕掛けがうまく回る企業文化を構築する.それができて初めて「継続する」という課題が解決できる.

5年前に原田氏に出会ってそれが分かった.
前職時代にこれが分かっていれば,きっとインドネシア工場の経営をさせてくれと上司に願い出ていたと思う.

初めて原田氏の工場を訪問した日の夜,ホテルに戻り長文のメールを元同僚に送った.
現在インドネシア工場は,より高付加価値・高品質の製品を生産し,日本の工場に供給している.元同僚たちが立派にインドネシア工場を再生してくれた.


このコラムは、2009年12月14日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第130号に掲載した記事に加筆したものです。

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ある工場経営者の引退

 私には中国工場経営者として尊敬している方がある.
このメルマガにもどきどき登場するSOLID社の原田則夫氏である.その原田氏が今年いっぱいで引退し日本に帰られることになった.

2005年1月に初めて工場を訪問して以来,何度か工場を再訪している.そのたびに新しい気付きがあり,自分なりに「原田式経営哲学」を勉強してきた.自ら考えることを自分に課すために,極力工場訪問は控えていた.

しかし,私の気付きの宝庫「ワンダーランド原田SOLID」が後僅かでなくなってしまうと分かると,居ても立ってもいられなくなり最近は毎週のように工場に訪問している.

初めて原田氏と出会ったとき,私には大きな悩みがあった.
前職時代に自社の生産工場をインドネシアに立ち上げた.このとき仲間と一緒に立ち上げをサポートし大変すばらしい工場を作ることができた.自分にとって自慢の工場だった.
しかし時が経ち,一人,二人と当初育てたリーダが辞めて行くごとに工場の力が落ちていった.
当時の悩みは「我々にはリーダーは育てられたが,工場は育てられなかった」ということだった.

そんな折,原田氏の講演を日本で聞き,すぐに中国の工場を訪問した.
そこには私の悩みの答えがすべてあった.

先週も工場を訪問してきた.
いまだに訪問のたびに手帳にメモが増える.
「原田式経営哲学」を受け継ぐ者として,少しでも多くを頭の奥に焼き付けたいと思っている.

このメールマガジン配信後の12月12日に原田師の訃報を聞くことになるとは、想像すら出来なかった。
師匠の帰国後身近に教えを請うことができなくなると言う焦りがあったと思う。しかし現実はもう教えを請うことはできない。


このコラムは、2009年12月7日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第129号に掲載した記事に加筆したものです。

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慢性不良

 繰り返し発生する不良を「慢性不良」と呼んでいる.
設備のチョコ停,製品の外観不良,原因不明のIC不良,などなど.色々対策を打て見ても,再び発生する.形を変えて発生する.こういう厄介な不良だ.

人に例えれば,慢性病と言う事だろう.
病膏肓に入る.
「疾,為む可からざるなり.膏(こう)の上,肓(こう)の下に在り.之を攻むるも可ならず.之に達せんとするも及ばず.薬も至らず.為む可からざるなり」
「膏」と言うのは,心臓の下辺り.
「肓」は,横隔膜の上辺り.
体の奥深くで,針も届かず,薬も効かない場所と言われている.ここに病因があると,治療の方法がないという意味だ.

慢性不良も同様だ.
膏肓にある原因に対策をせずに,病状(現象)に対処療法を施しているから,本当に治癒しない.病因が残っているので,再び病状が出て来る.

例えば,設備の加工原点がしばしばずれてしまう.原因を調べると,位置出しのネジが緩んで,原点がずれる.対策を「ネジの増し締め」とする.

ネジが緩むのが原因だから,増し締めをする.

論理的に見えるが,「ネジが緩む」は原因ではなく「現象」だ.従って「ネジの増し締め」は対処療法にしかなっていない.つまり「熱がある」と言う病状に対し解熱剤を与える,と言う対処療法になっている.

「ネジが緩む」原因を見つけなくてはならない.
この原因が膏肓に隠れている限り,不具合は改善されず,再発する.

ネジが緩むのは,ネジの締結力より強い力が,軸回転方向に加わるからだ.この力を特定し,その力が発生する原因を見つけて,対策すれば良いのだ.

論理的な思考力と,現場・現物を観察する眼力があれば,膏肓に入った病を治癒する名医となれる.


このコラムは、2013年3月25日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第302号に掲載した記事に加筆したものです。

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