究極のモノ造り


 メールマガジン82号で「究極のモノ造り」の事例をご紹介した。

この記事に対してZ様からメッセージをいただいた。

 「究極のものづくり」の例って、正直中々浮かびません。ただひとつ言えることは、技術者は自分の分野で「究極を語ってはならない」と言うことです。
「究極」とは、もうそこまでと言うことです。自身がそれを語りだしたら、もう限界が見えてきた、成長できなくなってしまうということではないでしょうか。究極を語ることが許されるとしたら、それは第一線を退かれた大先輩だけではないでしょうか。「究極」とは、追い、求め続けるもの、目指し続けるものです。と、また屁理屈を言ってすみせん。

Z様,いつもご投稿ありがとうございます.

Z様のご意見は屁理屈ではない。
私は「究極を目指すモノ造り」こそ「究極のモノ造り」だと思っている。

こんな例を紹介したい。

伊勢神宮の建て替えに使われた和釘は、木材の中に節があってもそれをよけて中に進むそうである。こういう和釘が1300年も前から使われている。こういう和釘は「究極のモノ」と言っても差し支えはないだろう。

私が考えている「究極のモノ造り」は、こういう技術を代々1300年も伝えるということだ。

実はこの和釘を作ってきた伊勢の船大工は、途絶えてしまっている。現代にこの和釘を蘇らせたのは、新潟・三条の鍛冶屋さんだ。彼らは「三条鍛冶道場」を作ってこのモノ造りの技術を次の1000年後に伝えようとしている。

82号でお伝えした、新しい市場を創出する、新しい付加価値を創造するのも「究極のモノ造り」であるが、この和釘のように古い日本のモノ造りの技術を代々伝えて行くのも「究極のモノ造り」と言えるだろう。

たかが釘。設計技術的にはローテクかもしれないが、モノ造り技術的にはハイテクだ。こういう技術こそ、日本国内で守ってゆかなければならない技術だと思う。

こちら「究極のモノ造り」もご参照いただきたい。


このコラムは、2009年2月13日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第83号に掲載した記事を修正・加筆しました。

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