続・管仲仁者なりしか


gòngyuē:“guǎnzhòngfēirénzhěhuángōngshāgōngjiūnéngyòuxiàngzhī。”
yuē:“guǎnzhòngxiànghuángōngzhūhóukuāngtiānxiàmíndàojīnshòuwēi(1)guǎnzhòngzuǒrèn(2)ruòzhīwéiliàng(3)jīng(4)gōuérzhīzhī(5)。”

《论语》宪问第十四-17

(1)微:ない。
(2)被发左衽:髪を振り乱し、左前に着物を着る。夷狄の風習に染まること。
(3)谅:つまらぬことを守って取るに足らない信頼を得ること。
(4)自经:首を吊って自殺すること。
(5)渎:溝渠。排水路。

素読文:
こうわく:“かんちゅうは仁者にあらざるか。かんこうこうきゅうを殺すに、死するあたわず。またこれたすく。”
子曰わく:“管仲かんこうたすけて、しょこうたらしめ、天下をいっきょうす。たみいまいたるまでそのく。管仲なかりせば、われそれはつこうむり、えりひだりにせん。ひっひっまことすや、みずか溝瀆こうとくくびれてこれを知るものきがごとくならんや。”

解釈:

子貢曰く:“管仲は仁者とは言えないでしょう。桓公が公子糾を殺した時に公子糾に殉じて死ぬこともせず、主殺しの桓公に仕えてその政を補佐したではないですか。”
孔子曰く:“管仲が桓公を補佐し諸侯の覇者たらしめ天下を統一安定したからこそ、今日まで民はその恩恵を受けているのだ。もし管仲がいなければ夷狄の侵略を受け、我々は夷狄の風俗に染まり髪を振り乱し、着物を左前に着ていただろう。匹夫匹婦がつまらぬ義理人情にこだわり首をくくってドブの中で死んでいくのとは違うのだ。”

《宪问第十四-16》の続きです。

管仲仁者なりしか

子貢も子路と同様に、公子糾に仕えていた管仲が、公子糾を殺した桓公に仕えたことを非難しています。
しかし孔子は、管仲が誰に仕えていようが天下統一安定の実績を評価しています。そのため外敵である夷狄から中華を守ることができた。主と共に殉死する、主殺しに対して離反する、このような行為は巷の凡人達がつまらな義理人情にこだわり心中するようなものだと一刀両断しています。それより天下国家を考えて行動せよ、ということでしょう。