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仁に親しむ

yuē:“xìaochūjǐnérxìnfànàizhòngérqīnrénxíngyǒuxuéwén。”

《论语》学而第一-6

素読文:
子曰わく:“ていりてはすなわこうでてはすなわていつつしみてしんあり、ひろしゅうあいしてじんしたしみ、おこないてりょくらば、すなわもっぶんまなべ。”

解釈:
年少時は家庭にあり父母に孝を尽くし、世間に出ては年長者に従順であることが大切である。言動を慎み、信義を守り、広く衆人を愛し、仁徳のある人と親しむのが良い。そして余力があれば、古典を学ぶことを志すのが良い。

弟子を弟子でしと解釈するとそのあとの意味がわからなくなります。弟子ていしと読み、年少者と考えるのが良さそうです。文とは、詩、書、礼、楽などの中国古典のことを指す様です。

巧言令色仁鮮なし

yuē:“qiǎoyánlìangxiǎnrén。”

《论语》学而第一-3

巧言:huāyǎnqiǎo
令色:tǎohǎodebiǎoqíng

素読文:
子曰く、こうげんれいしょくすくなしじん

解釈:
子曰く:言葉巧みに取り入りご機嫌をとる様な者は「仁」が少ない。

「仁」は論語の中では最高の徳として位置付けれています。
学而第一-2『孝悌也者,其為仁之本与?』と合わせると、
『孝悌』を務める者が仁者である。
『巧言令色』は仁者ではない。
ということになります。

徐々に仁者の実態が見えてきました。

※本項は阳货第十七-17と重複しています。

仁者孝悌を務む

有子曰:“其为人也孝悌而好犯上者,鲜矣。不好犯上而好作乱者,未之有也。君子务本,本立而道生。孝悌也者,其为仁之本与?”

《论语》学而第一-2

有子:本名は有若。孔子の弟子です。論語に登場する回数は少ないですが、名前に「子」が付いているので、高弟の一人でしょう。

素読文:
有子曰わく:その人とりやこうていにして、かみおかすをこのむ者はすくなし。上を犯すことを好まずして、らんすを好む者はいまこれらざるなり。君子はもとつとむ。本立ちて道しょうず。孝悌なる者は、それじんすの本たるか。

解釈:
有子曰く:人柄が親思いで兄弟思いならば、目上の人に楯突く様なことを好む者は少ない。目上の人に楯突くことを好まない者であれば、世の中を乱す事を好む者はまずない。君子は本をしっかり努める。本がしっかりしていれば、人として生きる道がはっきりする。親を思い、兄弟を思うことが仁の本である。

義侠人の進む道を「仁義」といいます。「仁」は人の進むべき道と解釈すればいいでしょう。

人知らずして慍らず

子曰:“学而时习之,不亦说乎?有朋自远方来,不亦乐乎?人不知而不愠,不亦君子乎?”

《论语》学而第一-1

yuèshuōではなくyuè(楽しむ)の意味
yùn:憤る

素読文:
子曰く:学びて時にこれならう、またよろこばしからずや。ともえんぽうより来る有り、亦楽しからずや。人知らずしていからず、亦君子ならざるや。

解釈:
子曰く:学んで時にこれを復習する、学んだことが身につく。喜ばしいことではないか。心からの友人が遠方より訪ねてくる。楽しいことではないか。人に認められなくても憂えない。君子と言えるだろう。

論語の最初の一節です。
一般的には『shí』は『ànshíwēn』時にこれを復習する、という意味に解釈されます。個人的には「学びて時にこれを実践する」と解釈しています。

日本語でも朋あり遠方より来る。亦楽しからずや。とよく言いますが、最後の人知らずして慍らず、亦君子ならざるや。を味わい深く感じます。
人に認められようと大言壮語するより、ひたすら己の道を求めて研鑽する求道心を持ちたいものです。

【追補】
『有朋自遠方来』を「朋遠方より来る有り」と訳しました。
Google検索をして見ると、日本では「朋有り遠方より来る」と訳す方が多い様です。
個人的には「朋がある」ことより「朋が遠方から来る」ことの方が楽しいと思うので「朋遠方より来る有り」と訳しました。

また検索中に、「学んで時に之を習う」と「人知らずして慍らず」の間に「朋遠方より来る有り」と異質なモノが挟まってるのに疑問を持つ意見を発見しました。
その方は
「学んで時に之を習う」のは「朋が遠方より来て語り合う」ことと同じくらい楽しいものだ。
と解釈されていました。こちらの方が腑に落ちます。