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温・良・恭・倹・譲

qín(1)wèngòngyuē:“zhìshìbāng(2)wénzhèngqiúzhī(3)zhī(4)?”
gòngyuē:“wēnliánggōngjiǎnràngzhīzhīqiúzhīzhūrénzhīqiúzhī。”

《论语》学而第一-10

(1)子禽:姓は陳、名はこう。子禽はあざな。子貢の弟子
(2)是邦:どの国でも
(3)求之與:孔子の方から求めたのか
(4)抑與之與:それとも君主たちから持ちかけられたのか

素読文:
きんこういていわく、“ふうくにいたるや、かならまつりごとく。これもとめたるか、抑々そもそもこれあたえたるか。”
こういわく、“ふうおんりょうきょうけんじょうもっこれたり。ふうこれもとむるや、ひとこれもとむるにことなるか。”

解釈:
子禽は子貢に尋ねた“孔子先生はどこの国に行かれても、必ずその国のまつりごとについて尋ねられますが、それは先方から問われるのでしょうか?それとも孔子先生から話されるのでしょうか?”
子貢はこう答えた。先生は温・良・恭・倹・譲の徳を備えられているので自然にそう言う質問を受けるのだと思う。
先生は政に関わることを望んでおられるが、他の人とは違って権力や官位を得ることに興味を持っておられるのではない。

役職や地位にこだわれば、正しい政はできないと孔子は考えていたのでしょう。

義礼親

yǒuyuē:“xìnjìnyángōngjìnyuǎnchǐyīnshīqīnzōng。”

《论语》学而第一-13

素読文:
ゆういわく:“しんちかければ、げんむべきなり。きょうれいちかければ、じょくとおざかる。ることしんうしなわざれば、またたっとぶべきなり。”

解釈:
有子曰く:“約束が義に叶っておれば、それは実行されるだろう。恭しく振る舞うことが礼に叶っていれば、恥辱を受けることはない。親しくする人を間違わねば、その人を尊敬できる。”

人との交わりは義礼親が大切ということでしょう。

和而礼節

yǒu(1)yuē:“zhīyòng(2)wéiguìxiānwángzhīdàowéiměixiǎoyóuzhīyǒusuǒxíngzhīérjiézhīxíng。”

《论语》学而篇第一-12

(1)有子:姓はゆう、名はじゃくあざなは子有。
(2)用:施行する。

素読文:
ゆういわく:“れいようたっとしとす。先王せんおうみちも、これしょうだいこれるも、おこなわれざるところり。りてするも、れいもっこれせっせざれば、おこなうべからざるなり。”

解釈:
有子曰く:“礼は和を尊いものとしなければならない。古代の王も和を美徳とした。しかし大事も小事も和だけではうまくゆかね。和を知って和するも、礼をもって節度を保つべきだ。

孔子は、君子は和而不同であるべきだと言っています。有子は『和而礼節』を追加しています。

学のある人とは

xiàyuē:“xiánxián(1)(2)shìnéngjiéshìjūnnéngzhìshēnpéngyǒujiāoyánéryǒuxìnsuīyuēwèixuéwèizhīxué。”

《论语》学而第一-7

(1)贤贤:賢者を尊重する。
(2)色:換える、もしくは軽視する。

素読文:
子夏しかいわく、“けんけんとしていろえ、父母ふぼつかえてはちからつくし、きみつかえいたし、朋友ほうゆうまじわり、いてしんらば、いままなばずといういえも、われかならこれまなびたりといわん。”

解釈:
子夏曰く:“美女を慕うより賢者を慕い、父母には一生懸命尽くし、命がけで君主に仕える、友人と交わっては信義に違わない。そんな人は世間で無学と言われようが、私は識者だと考える。”

真の識者とは高学歴者・知識人ではなく、父母に尽くし、君主を命がけで支え、友人との付き合いに信義を忘れない。
こういう人を「学」のある人だと、孔子の弟子たちは考えていたのでしょう。

三省

zēng(1)yuē:“sānxǐng(2)shēnwèirénmóuérzhōngpéngyǒujiāoérxìnchuán(3)?”

《论语》学而第一-4

(1)曾子:孔子の弟子。姓はそう、名はしんあざな子輿しよ
(2)三省:三点を反省をする

素読文:

そういわく:“われたびかえりみる。ひとためはかりてちゅうならざるか。朋友ほうゆうまじわりてしんならざるか。ならわざるをつたうるか。”

解釈:

毎日自分は三つのことを反省する。一:今日1日人のために全力で働いたか。二:友人との交流に信義を尽くしたか。三:生半可に学んだことを人に伝えていないか。

『三省』は生半可な覚悟ではできません。

三省堂書店は論語のこの一節から「不忠」「不信」「不習」の三つを省みるという創業者の思いがこもっているそうです。

三年改むる無しは孝

yuēzàiguānzhìguānxíngsānniángǎizhīdàowèixiào

《论语》学而第一-11

素読文:

いわく:“ちちいませばこころざしちちぼっすればおこないをる。三年さんねんちちみちあらたむることなきは、こううべし。”

解釈:
父親が在世中はその志をよく理解し、父亡き後はそのしきたりを継ぐ。三年間そのしきたりを改めず喪に服せば孝行者と言えるだろう。

中国語の論語の書籍を見ると「父在观其志」の「其」は子のことだとあります。つまり父親が健在の間は、子があれこれ意思決定するのではなく父親の志を見るのみである、という解釈のようです。

三年改めざるは孝

yuē:“sānniángǎizhīdàowèixiào。”

《论语》里仁第四-20

素読文:
いわく、三年さんねんちちみちあらたむることきは、こううべし。

解釈:
この節は、学而第一-11と同じです。

人に知られざるを憂えず

yuē:“huànrénzhīzhīhuànzhīrén

《论语》学而第一-16

素読文:
いわく:“ひとおのれらざるをうれえず、ひとらざるをうれうるなり。”

解釈:
世間に認められないことを憂えず、世の人々の能力を知らないことを憂う。

憲問第十四-35で孔子は自分の能力が治世に活かされないのを嘆いて「我を知るは天のみか」と言っています。さすがの孔子も晩年には少し愚痴っぽくなったのでしょうか。

君子は学を好む

yuē:“jūnshíqiúbǎoqiúānmǐn(1)shì(2)érshènyánjiù(3)yǒudào(4)érzhèng(5)yānwèihàoxué。”

《论语》学而第一-14

(1)敏:素早く行う
(2)事:なすべき事
(3)就:ついて
(4)有道:学識、道徳のある人
(5)正:正してもらう

素読文:
子曰わく:“君子はしょくくことをもとむる無く、きょやすきを求むる無し。ことびんにしてげんつつしみ、有道ゆうどういてただす。がくこのむとうべきのみ。”

解釈:
君子たるもの飽食を求めず、安住を求めない。行動は俊敏だが、巧言を慎む。
有徳者の指導を得て、自らの言動を正す。こういう者が学を好むといえる。

過ちては改むるに憚ること勿れ

yuējūnzhòng(1)wēi(2)xué(3)zhǔzhōngxìnyǒuzhě(4)guòdàn(5)gǎi

《论语》学而第一-8

(1)重:重々しい
(2)威:威厳
(3)固:頑固、かたくな
(4)不如己者:自分より劣る者
(5)惮:はばかる

素読文:
子曰く:“君子おもからざればすなわちあらず。まなべばすなわならず。忠信ちゅうしんしゅとし、おのれかざる者を友とすること無かれ。あやまちてはすなわあらたむるにはばかることなかれ。”

解釈:
子曰わく:“君子たるもの軽々しくては威厳が保てない。学べば物事に捕らわれることはない。忠義を第一とし、自分より劣る者を友とすべきではない。過ちを自ら正すことに躊躇してはならない。”

小人はこれと反対。軽々しい振る舞いからは威厳は感じられない。学ばないから世間の流言飛語、噂話に捕らわれ右往左往する。小人同士群れ集い、自らの過ちは隠蔽する。