論語」タグアーカイブ

君子に三畏あり 天命、大人、聖者の言

kǒngyuē:“jūnyǒusānwèi(1)wèitiānmìng(2)wèirén(3)wèishèngrénzhīyán(4)xiǎorénzhītiānmìngérwèixiá(5)rén(6)shèngrénzhīyán。”

《论语》季氏第十六章-8

(1)畏:おそれ敬う
(2)天命:天から与えられた使命
(3)大人:高い地位にある人、徳のある人
(4)圣人之言:聖人の言葉
(5)狎:なれなれしくする
(6)侮:あなどる

素読文:
こうわく:“くんさんあり。天命てんめいおそれ、大人たいじんおそれ、聖人せいじんげんおそる。しょうじん天命てんめいらずしておそれざるなり。大人たいじんれ、聖人せいじんげんあなどる。

解釈:
子曰く:“君子には三つのおそれがある。天命を畏れ、目上の者を畏れ、聖人の言葉を畏れる。小人は天命を知らずそれを畏れない。そして目上の者になれなれしくし、聖人の言葉をあなどる。

「畏れる」というのは恐怖により消極的になる、という意味ではないと思っています。「おそれ尊ぶ」という意味と考えれば、天命にも、大人にも、聖人の言葉にも積極的に考えることができるはずです。

小知と大受

yuē:“jūnxiǎozhī(1)érshòu(2)xiǎorénshòuérxiǎozhī。”

《论语》卫灵公篇第十五-34

(1)小知:小事を行う。
(2)大受:責任ある仕事を任せる。

素読文:
わく:“くんしょうせしむべからずして、大受たいじゅせしむべきなり。しょうじん大受たいじゅせしむべからずして、しょうせしむべきなり。”

解釈:
子曰く:“君子には細々した小事を任せるべきではない。責任ある大事を任せるべきだ。小人には大事を任せてはいけない。小事を任せるべきだ。”

君子ならば小事もそつなくこなすことができるだろう。しかし君子に小事を任せてはいけない。
小人には責任ある大事をこなすことはできないかもしれない。しかし小人でも小事をそつなくこなすことはできる。

孔子が言っているのは「君子たる部下に責任ある仕事を任せ、小人の部下には細々した仕事を任せよ」ということではないと思う。
組織内で、職位の低い者に小事ばかり任していれば、いつまで経っても成長しない。上司たる者、失敗の責任を取る覚悟で、大事を任せ部下の成長を促すべきだろう。肝心なことは、君子を目指す部下に大事を与えて育てる、小人のままでいる部下に成長を目指す心を持たせることだ。

君子は自責で考え、小人は他責で考える

yuē:“jūnqiúzhūxiǎorénqiúzhūrén。”

《论语》卫灵公第十五-21

素読文:
わく:“くんこれおのれもとめ、しょうじんこれひともとむ。”

解釈:
君子は何事も自責で考え、小人は何事も他責で考える。
自責で考えるから解決方法が見つかる。他責で考えれば解決方法はなく、己の不運を嘆くだけとなる。

例えば会社の経営がうまくゆかないのは不景気のせい(他責)だと考える経営者(小人)は、自分では景気を改善することはできず、不景気を呪うのみである。
会社の経営がうまくいかないのは、自分の経営方法が悪いから(自責)だと考える経営者(君子)は、経営方法を改善する努力により経営を立て直すことができる。

窮して濫れず

zàichén(1)juéliáng(2)cóngzhěbìng(3)néngxīng(4)yùn(5)jiànyuē:“jūnyǒu?” yuē:“jūn(6)qióng(7)xiǎorénqiónglàn。”

《论语》卫灵公第十五-2

(1)陈:国名。河南省にあった小国。
(2)绝粮:食料が絶える。
(3)病:飢えて疲れ果てる。
(4)莫能兴:立ちあがることができない。
(5)愠:いかる。
(6)固:もとより、元々。
(7)穷:窮する。行き詰まる。

素読文:
ちんりてりょうつ。じゅうしゃみて、つことし。子路しろいかりてまみえてわく:“くんきゅうすることるか。” わく:“くんもとよりきゅうす。しょうじんきゅうすればここみだる。”

解釈:
卫灵公第十五-1で衛の霊公が戦陣について孔子に尋ねている。孔子は戦争が始まると考え、衛の国を逃れる。
陳の国に逃げ延びたあたりで、食料がつき弟子たちも空腹で起き上がることもできなくなった。
子路が憤慨して孔子に問う。「君子も窮することがあるでしょうか」
孔子は答えて曰く「君子とて窮することはある。しかし小人は窮した上に取り乱す」

小人は窮すれば濫れる。君子は窮しても濫れない。

君子は上達、小人は下達

yuē:“jūnshàng(1)xiǎorénxià(2)。”

《论语》宪问第十四-23

(1)上达:深遠な問題を理解できる。
(2)下达:つまらぬこと、身近な問題に通じる。

素読文:
わく:“くんじょうたつし、しょうじんたつす。”

解釈:
子曰く:“君子は上へ上へと進み、小人は下へ下へと進む”

君子たらんと欲するものは、常に己を高めようと精進しなければならない。小人の如く下世話な世事に関わっている暇はない。

小人に仁者なし

yuē:“jūnérrénzhěyǒuwèiyǒuxiǎorénérrénzhě。”

《论语》宪问第十四-6

素読文:
わく:“くんにしてじんなるものらんか。いましょうじんにしてじんなるものらざるなり。

解釈:
子曰く:“君子は仁を志すが、時として不仁な行いをする者もある。しかし小人は仁を志してはいないので皆仁者ではない。”

本物の仁者は一年365日、一日24時間ずっと仁者だと思います。君子たる者一年365日一日24時間仁者であることを目指すべきかと思いますが、時として不仁な考えが心をよぎることもあるでしょう。しかし君子であるべき地位にあっても、私利私欲に囚われ不仁な行いをする者は、小人となります。

君子は泰にして驕らず

yuē:“jūntài(1)érjiāo(2)xiǎorénjiāoértài。”

《论语》子路第十三-26

(1)泰:落ち着きがある。余裕がある。
(2)骄:驕り高ぶる。威張る。

素読文:
わく:“くんたいにしてきょうならず。しょうじんきょうにしてたいならず。

解釈:
子曰く:“君子は泰然としており驕らない。小人は驕り高ぶるが、泰然としたところがない。”

日本では「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」と言います。
充実した稲穂はその重みで垂れ下がる。中身がスカスカの稲穂はまっすぐ空に向かって立っています。

君子に仕えるか、小人に仕えるか

yuē:“jūnshì(1)érnányuè(2)yuèzhīdàoyuè使shǐrénzhī(3)xiǎorénnánshìéryuèyuèzhīsuīdàoyuè使shǐrénqiúbèiyān。”

《论语》子路第十三-25

(1)易事:仕事を共にする。
(2)说:yuèと同じ意味。よろこばせる。
(3)器:才能

素読文:
子曰わく:“君子はつかやすくしてよろこばせがたきなり。これよろこばすにみちもってせざれば、よろこばざるなり。そのひと使つかうにおよびてや、これにす。しょうじんつかがたくしてよろこばせやすきなり。これよろこばすにみちもってせずといえども、よろこぶなり。ひと使つかうにおよびてや、そなわるをもとむ。”

解釈:
子曰く:“君子は仕えやすいが、機嫌はとりにくい。機嫌をとろうとしても、こちらが道にかなっていないと悦ばない。しかし人を使う時には、それぞれの器量に応じて使う。小人は、仕えにくいが機嫌はとりやすい。こちらが道にかなわなくても、機嫌をとろうと思えばわけなくできる。しかし人を使う時には、すべてに完全を求めて無理な要求をする。”

君子たるもの部下の力量を見極め、適切な者に仕事を任せなければなりません。
部下の力量を見誤り、無理な仕事を任せる。そして失敗すれば部下の責任として切り捨てる。こういう人が小人です。

士たる者は如何に振る舞うべきか

gòngwènyuēwèizhīshì(1)
yuēxíngyǒuchǐ使shǐfāngjūnmìngwèishì
yuēgǎnwèn
yuēzōngchēngxiàoyānxiāngdǎngchēngyān
yuēgǎnwèn其次qícì
yuēyánxìnxíngguǒ(2)kēngkēng(3)ránxiǎorénzāiwéi
yuējīnzhīcóngzhèngzhě
yuēdòushāozhīrén(4)suàn

《论语》子路第十三-20

(1)士:周代の身分制度では士は貴族層の最下層。
(2)果:果断,坚决。断固として
(3)硁硁:石を叩く音、ここでは頭が硬い人を指す。
(4)斗筲之人:筲は竹で作った水桶。ここでは器量の小さい人物を指す。

素読文:
こう問いて曰わく:“何如いかなればこれうべきか。”
子曰わく:“おのれおこなうにはじり。ほう使つかいして君命くんめいはずかしめざるを、士とうべし。”
曰わく:“あえの次を問う。”
曰わく:“宗族そうぞくこうしょうし、きょうとうていを称す。”
曰わく:“敢て其の次を問う。”
曰わく:“言うことかならしんおこなうこと必ず硜硜然こうこうぜんとして小人なるかな。そもそももって次とすべし。”
曰わく:“今のまつりごとしたがう者は何如いかん。”
子曰わく:“ああそうひとなんかぞうるにらんや。”

解釈:
子貢問いて曰く「士たる者どのように振る舞うべきでしょうか?」
孔子曰く「己の行動について恥を知り、外に出ては君主を辱めない。このような人物であれば士といってよかろう。」
子貢曰く「その下はいかがでしょうか?」
孔子曰く「親族から孝行者と褒められ、近隣の者から年長者を敬うと評判されるような者だろう。」
子貢曰く「さらにその下は?」
孔子曰く「口に出したことは必ず守る。行動は断固として成し遂げる。このような者は頭が固く小人と言えるが、その次くらいの価値はある。」
子貢曰く「まつりごとに携わる者はいかがでしょうか?」
孔子曰く「ああ、だめ。小さなますほどの器量しかなく、勘定に入れるほどでもない。」

いつの世も為政者の評価は低いものですね(笑)

樊遅 農を学ばんと請う

fánchí(1)qǐngxuéjià(2)
yuē:“lǎonóng
qǐngxuéwéi(3)
yuē:“lǎo。”
fánchíchū
yuē:“xiǎorénzāifánshànghàomíngǎnjìngshànghàomíngǎnshànghàoxìnmíngǎnyòngqíngshìfāngzhīmínqiǎng(4)érzhìyānyòngjià。”

《论语》子路第十三-4

(1)樊迟:孔子の弟子。姓ははん、名はしゅあざなは子遅
(2)稼:穀物を植える
(3)圃:畑
(4)襁:子供を背負うカゴ

素読文:
はんまなばんとう。
子曰わく:“われ老農ろうのうかず。
つくることをまなばんとう。
曰わく:“吾はろうに如かず。
樊遅ず。
子曰わく:“しょうじんなるかなはんしゅや。かみれいこのめば、すなわたみあえけいせざるし。かみこのめば、すなわたみあえふくせざるし。かみしんこのめば、すなわたみあえじょうもちいざるし。くのごとくならば、すなわほうたみの子を襁負きょうふしていたらん。いずくんぞもちいん。

解釈:
樊遅は穀物栽培について教えを請うた。
子曰く「私は穀物農家にはかなわない」
樊遅は野菜の栽培について教えを請うた。
子曰く「私は野菜農家にはかなわない」
樊遅は退出する。
孔子曰く「樊遅は小人だ。上に立つ者が礼を重んずれば、民は上に立つ者を敬する。上に立つ者が義を重んじれば、民は上に立つ者に服する。上に立つ者が信を重んすれば、民は情を重んずる。もしそうなれば、民は四方から子を背負って集まってくるだろう。為政者に農業の知識など必要ない。

国を治める者にとって重要なのは、殖産興業の知識や技術よりも「礼」「義」「信」だ、ということです。