子与人歌而善,必使反之,而后和之。
《论语》述而篇第七-31
素読文:
子、人と歌いて善ければ、必ず之を返さしめて、而る後に之に和わす。
解釈
孔子は誰かと歌をうたわれる場合、相手が善き歌い手だと、必ずその相手にくりかえし歌わせてから、合唱された。
子与人歌而善,必使反之,而后和之。
《论语》述而篇第七-31
素読文:
子、人と歌いて善ければ、必ず之を返さしめて、而る後に之に和わす。
解釈
孔子は誰かと歌をうたわれる場合、相手が善き歌い手だと、必ずその相手にくりかえし歌わせてから、合唱された。
子曰。:天生德于予。桓魋(1)其如予何。
《论语》述而篇第七-22
(1)桓魋:宋の大夫、向魋。司馬(軍務大臣)の位にあった。宋に来た孔子を殺そうとした。司馬牛の兄。
素読文:
子曰く、天、徳を予に生ぜり。桓魋其予を如何せん。
解釈:
宋の大夫、向魋。司馬(軍務大臣)の位にあった。宋に来た孔子を殺そうとした。
孔子曰く:“私は天に徳を授かった身だ。桓魋などが私をどうにもできるものではない”
《论语》论语述而篇第七-26
素読文:
子、釣して綱せず。弋して宿を射ず。
解釈:
釣りをする時は網を使って一網打尽にすることはしない。
矢を射て鳥をとられることはあったが、鳥を巣ごと一網打尽に捕らえることはなかった。
子曰:“三人行,必有我师焉。择其善者而从之,其不善者而改之。”
《论语》述而第七-22
素読文:
子曰く、“三人行えば、必ず我が師有り。其の善き者を択びて之に従い、其の善からざる者にして之を改たむ。”
解釈:
三人で世を渡れば、各々二人の師を持つことになる。善い道づれは手本になるし、悪い道づれは、己を改める刺戟になる。
師とは優れた点を自己に真似るだけではなく、師の欠点を自己に改める対象である。という孔子の教えと理解しました。
子所雅言(1),诗书执礼,皆雅言也。
《论语》述而篇第七-18
(1)雅言:古代に使われた共通言語
素読文:
子の雅言する所は、詩・書。礼を執るも皆雅言なり。
解釈:
孔子が毎日語られることは、詩・書・執礼の三つである。この三つだけは実際毎日語られる。
叶公问孔子于子路。子路不对。
子曰:“汝奚不曰,其为人也,发愤忘食,乐以忘忧 ,不知老之将至云尔。”《论语》述而篇第七-19
素読文:
葉公、孔子を子路に問う。子路こたえず。子曰く、女奚ぞ曰わざる、其の人と為りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ、と。
《论语》述而第七-14
素読文:
冉有曰く:“夫子は衛の君を為けんか。”
子貢曰く、“諾。吾将に之を問わんとす。”
入りて曰く、“伯夷・叔斉は何人ぞや。”曰く、“古の賢人なり。”曰く、“怨みたるか。”曰く、“仁を求めて仁を得たり。 又何をか怨みん。”
出て曰く、”夫子は為けざるなり。”
解釈:
冉有曰く“孔子は衛の君を援けられるだろうか”
子貢が曰く“私が聞いてみよう”
子貢は孔子の室へや行きたずねた。“伯夷・叔斉はどういう人でしょう”
孔子は答えた「古代の賢人だ」
子貢「二人は自分たちのやったことを、あとでくやんだのでしょうか」
孔子「仁を求めて仁を行なうことができたのだから、なんのくやむところがあろう」
子貢は孔子の部屋から戻り、冉有にいった。「師は衛の君をお援けにはならない」
孔子一行が衞の国に滞在していた頃、衛の父子の関係が悪化していた。戦争になる気配がありそれを心配した弟子たちを子貢が代表して孔子に尋ねた。
孔子は、父子はそれぞれに仁に従って行動しただけだから恨みはないだろうと、戦争にはならないと考えていた様だ。
衛の国王が、不倫の妻を殺したことで、その息子が国外に逃亡。
孔子一行が滞在中にそんなゴタゴタがあり、弟子たちが浮き足だったのでしょう。
子食于有丧者之侧,未尝饱也。
《论语》述而篇第七-9
素読文:
子、喪有者の側に食すれば、未だ嘗て飽ざるなり。子、是の日に於て哭すれば、則ち歌わず。
解釈:
孔子は、喪中の人と同席して食事をされるときには、腹一ぱい食べることはなかった。孔子は、人の死を弔われた日には、歌をうたわなかった。
現代で、精進落としをおかわりして腹一杯食べる人は見たことがありません。故人が好きだった歌を歌うことはあっても、楽しげに歌を歌うことはないでしょう。