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君子の儒、小人の儒

wèixià(1)yuē:“(2)wéijūn(3)wéixiǎorén。”

《论语》雍也第六-13

(1)子夏:孔門十哲の一人。姓はぼくあざなは子夏
(2)女:汝
(3)儒:学問のある者

素読文:
子夏しかいてわく:“なんじ、君子のじゅれ、小人のじゅかれ。”

解釈:
君子の儒とは、天下国家への貢献、他者への貢献を志すことであり、小人の儒とは、己の満足のためであり、他者への貢献とはならない。

何ぞ仁を事とせん

gòngyuēyǒushīmínérnéngzhòngwèirén
yuēshìrénshèngyáoshùn(1)yóubìngzhū(2)rénzhěérrénérrénnéngjìn(3)wèirénzhīfāng

《论语》雍也第六-30

(1)尧、舜:中国古代の伝説の帝王。儒家にとって『榜样』(お手本)とすべき聖人と言われている。
(2)诸:『之于』の合わせ文字。「これ」と読む。
(3)近取譬:身近なところで自分自身の事として考えること。

素読文:
こう曰わく:“ひろたみほどこして、しゅうすくうもの有らば、何如いかん。仁とうべきか。”
子曰わく:“なんぞ仁をこととせん。かならずせいか。堯舜ぎょうしゅんそれこれを病めり。れ仁者はおのれたんとほっして人を立て、己たっせんと欲して人を達す。ちかたとえを取る。じんほうと謂うべきのみ。”

解釈:
子貢曰く“もし広く民に施しをし、民衆を救う者があれば仁者と言えるでしょうか”
孔子曰く“それができれば仁者どころではない、聖人といえよう。堯帝や舜帝のような聖天子ですら心を悩ましたものだ。仁者は自分が身を立てたいと思えば人の身を立て、自分が達成したいと思えば、人を達成させる。ただそれだけの事を日々実践するのが仁の道というものだ。”

功成り名を遂げる人は立派な人です。仁者とも言えるでしょう。さらに自分だけではなく周りの人をも功成り名を遂げさせる人は、仁者どころか聖者と言えるでしょう。

三月仁に違わず

yuēhuíxīnsānyuè(1)wéirényuè(2)zhìyānér

《论语》雍也第六-7

(1)三月:長い時間
(2)日月:短い時間

素読文:
子曰わく:“かいや、その三月さんげつ仁にたがわず。そのすなわち日に月にいたるのみ。”
解釈:
顔回は長らく仁徳を保つことができる。しかしその他の者たちは短い間、仁徳を発揮するのみだ。

孔子は顔回(顔淵)を高くかっていました。その他の弟子たちに対してお前たちも顔回のように仁徳を発揮せよ、とハッパをかけている場面と考えることができそうです。

しかし下村湖人はこれを、「顔回よ、三月の間、心が仁の原理を離れなければ、その他の衆徳は日に月に進んでくるものだ。」と解釈しています。
仁徳から離れずにいることができれば、その他のことは短期間に習得できるものだ、と顔回に語っている場面になります。

知者は水、仁者は山

yuēzhì(1)zhěshuǐrénzhěshānzhìzhědòngrénzhějìngzhìzhěrénzhě寿shòu

《论语》雍也第六-23

(1)知:zhìに同じ。

素読文:
子曰く:“知者は水を楽しむ。仁者は山を楽しむ。知者は動く。仁者は静かなり。知者は楽しむ。仁者は寿いのちながし。”

解釈:
知者は水に歓びを見出し、仁者は山に歓びを見出す。知者は活動的であり、仁者は静寂である。知者は変化を楽しみ、仁者は永遠のなかに安住する。

知者は、水の流れ、動、変化を好む。
仁者は、山、静寂、変わらぬ永遠を愛する。
つまり知者はその知恵で世の中を改善することに喜びを見出す。一方仁者は世の中の真理に目を向けそれを守ろうとする。と解釈しました。

賢なるかな回也

子曰:“贤哉回也,一箪食,一瓢饮,在陋巷,人不堪其忧,回也不改其乐。贤哉回也。”

《论语》雍也第六-十一

huíは孔子の弟子・yánhuíの事。颜渊yányuānとも呼ばれる。
dān:竹でできた飯を盛る器
piko:柄杓
陋巷lòuxiàng:路地裏のあばら家、顔回の住まい。

素読文:
子曰く、けんなるかなかいや。一箪いったん一瓢いっぴょういん陋巷ろうこうり。人はれいにたえず。回や其のたのしみをあらためず。賢なるかな回や。

解釈:
顔回はなんという賢者だろう。一膳の飯を食べ、一杯の水を飲むだけ。あばら家に住まいしておれば、たいていの者は堪えられないだろう。顔回は学問を究める楽しみを変えない。顔回はなんという賢者だろう。

子貢が顔淵は一を聞いて十を知る才人ですと褒めたとご紹介しました。
一を聞いて十を知る

師匠である孔子も顔淵にはかなわないと言っています。
今週ご紹介するのは、その孔子が顔淵を褒めて言った言葉です。
貧しい暮らしを一向に苦にする様子もなく、研鑽を積む姿は求道者と言っても良さそうです。孔子は顔淵のそういう学問を究める姿勢を愛していたのでしょう。