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君子は憂えず惧れず

niúwènjūn
yuē:“jūnyōu。”
yuē:“yōuwèizhījūn”。
yuē:“nèixǐngjiùyōu。”

《论语》颜渊篇第十二-4

素読文:
司馬しばぎゅうくんう。
わく:“くんうれえずおそれず。”
わく:“うれえずおそれず、こここれくんうか。”
わく:“うちかえりみてやましからずんば、なにをかうれなにをかおそれん。”

解釈:
司馬牛が孔子に君子とは何かを問う。
孔子曰く、君子はくよくよ悩まず、何事も惧れない。
司馬牛が重ねて問う、くよくよ悩まず、何事も惧れなければ、君子と言えるでしょうか。
孔子曰く、自己を省みて疚しいことがなければ、何を憂い何を惧れることがあろうか。

君子たる者心に疚しいところがないので、何事も憂えず、何事も惧れない、ということでしょう。

君子の徳、小人の徳

kāng(1)wènzhèngkǒngyuē:“shādào(2)jiùyǒudào(3)?”

kǒngduìyuē:“wéizhèngyānyòngshāshànérmínshànjūnzhīfēngxiǎorénzhīcǎocǎoshàngzhīfēngyǎn”。

《论语》颜渊第十二-19

(1)季康子:国の三人の家老の一人。姓は季孫、名は肥、康はおくりな
(2)无道:道徳に外れた者。無法者。
(3)有道:道徳のある者。道を守る者。

素読文:
こうまつりごとこういてわく、どうころして、もっ有道ゆうどうかば、何如いかん。孔子こたえて曰わく、まつりごとすに、いずくんぞさつもちいん。ぜんほっすればたみぜんなり。君子のとくかぜなり、しょうじんとくくさなり。草これに風をくわうればかならす。

解釈:
季康子は孔子に政治について尋ねた。“無道な者を殺し、有道な者を助ける政策はいかがか”
孔子答えて曰く。“政治を行うのに人を殺す必要などない。あなたが善を望めば、民は自ずと善に向かう。君子の徳は風、小人の徳は草なり。風が吹けば草はその方向になびくものだ。”

親は子供が不道徳なことをすれば叱ります。しかし親が不道徳であれば、子供は親の行いを真似ます。最も良い躾けは、親自らが道徳を守ることでしょう。為政者(君子)と小人(民)の間でも同じことです。
君子の徳は風、小人の徳は草、言い得て妙です。人の上に立つ者は、他人に良い影響を与える風とならねばなりません。

君子は人を助け、小人は人を妬む

yuējūnchéngrénzhīměichéngrénzhīèxiǎorénfǎnshì

《论语》颜渊第十二章-16

素読文:
子曰わく:“君子は人のし、人のあくさず。小人はこれはんす。”

解釈:
君子は人の美点を賞賛し助長するが、人の欠点には触れない。小人はその逆である。

君子は自ら自己の美点を伸ばし、欠点を抑えようとしているので、他人に対しても同じ態度でいられる。
しかし小人は他人の美点を妬む心があり、他人の欠点をあげつらう傾向を持つ。
君子は基準を自己の中に持っているが、小人は自己の基準がないために他人と比較をして妬んだり優越感を持ったりするのでしょう。

不仁者を遠ざける

fánchí(1)wènrényuēàirénwènzhìyuēzhīrénfánchíwèi(2)yuēzhí(3)cuòzhūwǎng(4)néng使shǐwǎngzhězhí(5)fánchí退tuìjiànxià(6)yuēxiāng(7)jiànérwènzhìyuēzhícuòzhūwǎngnéng使shǐwǎngzhězhíwèi
xiàyuēzāiyánshùn(8)yǒutiānxiàxuǎnzhònggāotáo(9)rénzhěyuǎntāng(10)yǒutiānxiàxuànzhòngyǐn(11)rénzhěyuǎn

《论语》颜渊第十二-22

(1)樊迟:孔子の弟子。はんあざなは子遅。
(2)未达:まだよく理解できなかった。
(3)举直:正直な人を登用する。
(4)错诸枉:正直な人をよこしまな人(枉)の上に置く(错)
(5)使枉者直:よこしまな人を正直者に変える。
(6)子夏:子門十哲の一人。姓は卜、名は商。字は子夏
(7)乡:さきほど。
(8)舜:中国神話に登場する君主。
(9)皋陶:舜帝の臣。法を制定し司法長官となる。皐陶が法を司るようになると悪人が減ったという。
(10)汤:湯王。殷王朝初代の王。
(11)伊尹:湯王の臣。夏の桀王を打倒。殷建国の名臣と言われる。

素読文:
はん仁を問う。子曰わく:人を愛す。知を問う。子曰わく:人を知る。
樊遅いまたっせず。子曰わく:なおきをげてこれまがれるにき、まがれるものをしてなおからしむ。
はん退しりぞき、子夏しかを見て曰わく:さきわれふうまみえて知を問うに、子曰わく、なおきをげてこれまがれるにき、まがれるものをしてなおからしむ、と。なんいぞや。
子夏しか曰わく:めるかなげんや。しゅんてんたもち、しゅうよりえらんで皐陶こうようぐれば、仁者じんしゃとおざかる。とうてんたもち、しゅうよりえらんでいんぐれば、じんしゃとおざかれり。

解釈:
樊遅が仁の意義をたずねた。子曰く:“人を愛することだ”
樊遅がさらに知の意義をたずねた。子曰く:“人を知ることだ”
樊遅はまだよく理解できなかった。子曰く:“正直な人を挙用して、よこしまな人の上におくと、よこしまな人も自然に正直になるものだ。”
樊遅は室を出て、子夏を見るとすぐ尋ねた。“さきほど、夫子に、知について尋ねました。夫子は、まっすぐな人を挙用して、まがった人の上におくと、まがった者も自然に正しくなる、といわれましたが、これはどういう意味でしょうか。”
子夏曰く;“含蓄の深いお言葉だ。昔、舜帝が天下を治めた時、衆人の中から賢人皐陶こうようを登用し宰相に任じたら、不仁者がすがたをひそめたのだ。また殷のとう王が天下を治めた時、衆人の中から賢人いんを登用して宰相に任じたら、不仁者がすがたをひそめたのだ。”

国を治めるためには主君が仁,直でなければならないが、それに使える家臣も仁、直でなければ民衆を治めることはできない。国でなくても組織でも同様でしょう。

聞は達に如かず

zhāngwènshìwèizhī(1)
yuēzāiěrsuǒwèizhě
zhāngduìyuēzàibāngwénzàijiāwén
yuēshìwén(2)fēizhězhìzhíérhàocháyánérguānxiàrén(3)zàibāngzàijiāwénzhěrénérxíngwéizhīzàibāngwénzàijiāwén

《论语》颜渊第十二-20

(1)达:通达、熟達する。
(2)闻:有名望、名声が広まる。
(3)下人:对人谦恭有礼、礼儀正しく謙虚である。

素読文:
ちょうう。何如いかなるをこここれたつうべきか。
わく、なんぞや。なんじ所謂いわゆるたつとは。
子張こたえてわく、くにりてもかならこえ、いえに在りても必らず聞こゆ。
子曰わく、ぶんなり。たつあらざるなり。れ達なる者は、しっちょくにしてこのみ、げんさっしていろはかりてもって人にくだる。くにりても必ずたっし、家に在りても必ず達す。れ聞なる者は、いろじんりて、おこないはたがい、これりてうたがわず。邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。

解釈:
子張が孔子に問う“士として「達」の境地とはどういうことでしょう。”
孔子が問う“「達」とはどういうものだと思う?”
子張答えて曰く“公的にも、私的にも名声を得ることだと思います”
孔子曰く“それは「名聞」であって「達」ではない。「達」なる者は実直にして正義を愛し、人言に惑わず、顔色に騙されず、人に対して礼をわきまえ謙虚である。公的にも、私的にも熟達しているということだ。「名聞」だけの者は、表面上仁を装っておれば公私とも取り繕うことができようが、それは断じて「達」ではない”

「士」を学者、読書人、知識分子、立志の人と解釈している例がありました。本稿では、志の高い人という意味で「士」と表記しました。

仲弓仁を問う

zhònggōng(1)wènrényuē:“chūménjiànbīn(2)使shǐmínchéng(3)suǒshīrénzàibāngyuànzàijiāyuàn。”
zhònggōngyuē:“yōng(4)suīmǐn(5)qǐngshì。”

《论语》 颜渊第十二-2

(1)仲弓:孔子十哲の一人。姓はぜん名はよう
(2)大宾:君主を訪問した隣国の賓客。
(3)大祭:君主の宮廷で行われる祭祀。
(4)雍:仲弓のこと。
(5)不敏:愚か者。自分を謙遜していう言葉。

素読文:
ちゅうきゅうじんを問う。
子曰わく;“もんいでてはたいひんを見るがごとくし、たみ使つかうにはたいさいくるがごとくす。おのれほっせざるところは、人にほどこすことなかれ。くにりてもうらく、いえりてもうらし、と。”
ちゅうきゅう曰わく:“ようびんなりといえども、こうこととせん、と。”

解釈:
仲弓仁を問う。
子曰く:“社会に出て人と交わる時には、地位の高下を問わず、貴賓にまみえるように敬虔であること。人民に仕事を課す時には、神仏を祭る時のように、かしこまること。自分が人にされたくないことを、人に対して行なってはならない。もしそれだけのことができたら、国に仕えても、家にあっても、人から怨みを買うことはない。”
仲弓曰く:“至らぬ者ですが、この教えを一生守って行きます。”

“己所不欲。勿施於人(己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。)”は《论语 卫灵公第十五-24》で子贡も言っています。

友を以って仁を輔く

zēngyuē:“jūnwénhuìyǒuyǒurén。”

《论语》颜渊第十二-24

素読文:
そうわく、君子はぶんもって友とかいし、友をもって仁をたすく。

解釈:
曾子曰く:君子は教養を以って友と会し共に仁の徳を磨き合うものだ。

子貢仁を為すを問うでは自分を磨くためには仁者を友とせよと孔子が子貢に言っています。「友を以って仁を輔く」とは、共に仁を磨き合うという意味と理解しました。
一緒に酒を飲んであれこれ些事を語り合う朋友も大切であり、ありがたいものです。
しかし互いに切磋琢磨し合うような朋友も必要です。

顔淵仁を問う

孔子の一番弟子顔淵も「仁」とは何かを問うています。

yányuānwènrényuē:“wéiréntiānxiàguīrényānwéirényóuéryóurénzāi?”yányuānyuē:“qǐngwèn。”yuē:“fēishìfēitīngfēiyánfēidòng。”yányuānyuē:“huísuīmǐnqǐngshì。”

《论语》颜渊第十二-1

素読文:
顔淵がんえん、仁を問う。
子曰わく、おのれれいかえるを仁とす。一日いちじつ己に克ちて礼に復れば、天下仁にす。仁を為すは己にる。しこうして人に由らんや。
顔淵曰わく、う、もくを問わん。
子曰わく、
礼にあらざればることなかれ、
礼に非ざればくこと勿れ、
礼に非ざればうこと勿れ、
礼に非ざればうごくこと勿れ。
顔淵曰わく、かい不敏ふびんなりといえども、請う、こととせん。

解釈:
顔淵が仁とは何か問うた。
孔子曰く:
己に打ち勝ち、礼を踏まえて行動をする。これを仁と言う。
一日でも己に打ち勝ち礼を踏まえて行動をすれば、万民は仁を習うようになる。仁を実践するということは自分自身が実践しようと思えば出来る物である。
顔淵、その方法を問う。
孔子曰く:
礼を踏まえていなければ、視ないことだ。
礼を踏まえていなければ、聴かないことだ。
礼を踏まえていなければ、言わないことだ。
礼を踏まえていなければ、動かないことだ。
顔淵答えて曰く:
私に出来るかどうか分からないが、この言葉を私の人生の指針として行きたい。

孔子が非礼勿視,非礼勿聴,非礼勿言,非礼勿動。と言っている『礼』は礼儀、儀礼と解釈すると意味がよくわかりません。調和とか秩序と解釈すると判りやすいと思います。
『復礼』すなわち利己を捨て調和・秩序のとれた社会になれば、相手を重んじ礼儀も儀礼もよくなるでしょう。

为仁由己,而由人乎哉?
仁を為すは己による。他人に由るモノではない。言い訳無用、実践あるのみ、と理解しました。

賢なるかな回也

子曰:“贤哉回也,一箪食,一瓢饮,在陋巷,人不堪其忧,回也不改其乐。贤哉回也。”

《论语》雍也第六-十一

huíは孔子の弟子・yánhuíの事。颜渊yányuānとも呼ばれる。
dān:竹でできた飯を盛る器
piko:柄杓
陋巷lòuxiàng:路地裏のあばら家、顔回の住まい。

素読文:
子曰く、けんなるかなかいや。一箪いったん一瓢いっぴょういん陋巷ろうこうり。人はれいにたえず。回や其のたのしみをあらためず。賢なるかな回や。

解釈:
顔回はなんという賢者だろう。一膳の飯を食べ、一杯の水を飲むだけ。あばら家に住まいしておれば、たいていの者は堪えられないだろう。顔回は学問を究める楽しみを変えない。顔回はなんという賢者だろう。

子貢が顔淵は一を聞いて十を知る才人ですと褒めたとご紹介しました。
一を聞いて十を知る

師匠である孔子も顔淵にはかなわないと言っています。
今週ご紹介するのは、その孔子が顔淵を褒めて言った言葉です。
貧しい暮らしを一向に苦にする様子もなく、研鑽を積む姿は求道者と言っても良さそうです。孔子は顔淵のそういう学問を究める姿勢を愛していたのでしょう。

一を聞いて十を知る

子谓子贡曰:“女与也孰愈?”对曰:“赐也何敢望回?回也问一以知十,赐也问一知二。”子曰:“弗如也!吾与女弗如也。”

《论语》公冶长5.9

は汝の意味。
huíは孔子の弟子・yánhuíの事。
は子贡の本名(姓・端木、名・賜)から

素読文:
子、こういてわく、なんじかいいずれかまされる。こたえて曰わく、や、何ぞあえて回を望まん。回や一を聞きてもって十を知る。賜や一を聞きて以て二を知る。子曰わく、かざるなり。われと女と如かざるなり。

解釈:
孔子が子貢しこうに尋ねました、
「お前と顔回がんかいとどちらが優れているか?」
子貢は、
「私など彼にとても及びません。彼は一を聞いて十を知る事が出来ますが、私は一を聞いて二を知るくらいがせいぜいです。」
と答え、孔子は、
「そのとおり、私もとても顔回には及ばない。私たちはとても彼には及ばないのだ。」
とおっしゃった。

「一を聞いて十を知る」聡明な人を称してこう言います。日本原来の言葉と思っていましたが、原典は論語です。

孔子一番の弟子・顔回(字名は子淵、別名顔淵)は、どちらかというと清貧にして学研の徒という感じです。顔回の求道の姿勢を孔子は高く評価していた様です。しかし孔子より先に夭折してしまう。
孔子は『顏淵死。子曰。噫。天喪予。天喪予。』(先進11.8)と嘆いています。

対する子貢は、弁が立ち高い職に就いています。
この孔子との問答でも、顔回は一を聞いて十を知ると讃えながら「自分は一を聞いて二を知ることができる」としっかりアピールしています。