子曰:“以约(1)失(2)之者,鲜(3)矣。”
《论语》里仁第四-24
(1)约:控えめにする。
(2)失:失敗する。
(3)鲜:少ない、ほとんどない。
素読文:
子曰く:“約を以て之を失う者は鮮なし。”
解釈:
孔子曰く:“控えめにして居れば間違いはない。”
高度成長期の頃は「積極性」がもてはやされ、多くの人々が背中を押されていました。
「約」は必ずしも「消極性」と同義ではないと思いますが、「世情に惑わされない」と解釈したいと思います。
《论语》里仁第四-24
(1)约:控えめにする。
(2)失:失敗する。
(3)鲜:少ない、ほとんどない。
素読文:
子曰く:“約を以て之を失う者は鮮なし。”
解釈:
孔子曰く:“控えめにして居れば間違いはない。”
高度成長期の頃は「積極性」がもてはやされ、多くの人々が背中を押されていました。
「約」は必ずしも「消極性」と同義ではないと思いますが、「世情に惑わされない」と解釈したいと思います。
《论语》里仁篇第四-22
(1)古者言之不出:昔の人は軽々しくものを言わなかった
(2)逮:及ぶ
素読文:
子曰く:“古者、言の出さざるは、躬の逮ばざるを恥ずればなり。”
解釈:
子曰く:“古人はかるがるしく物を言わなかった、それは実行がともなわないのを恥じたからだ。”
受け売り、知ったかぶりは軽率に見えるものです。情報が溢れている現代では、容易にそれらしいことを言える様になります。慎まねばなりません。
《论语》里仁第四-21
素読文:
子曰く、“父母の年は、知らざるべからざるなり。一には則ち以て喜び、一には則ち以って懼る。”
解釈:
父母の歳は忘れてはならない。その理由は、歳を重ねることを喜ぶため、そして歳を重ねることを懼れるため。
私にはすでに歳を数えるべき親は亡くなってしまいましたが、20歳年上の義兄があります。久しぶりに電話でもしてみようと思います。
《论语》里仁第四-17
素読文:
子曰く:“賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり。”
解釈:
孔子曰く:“賢者を見たら、自分もそうありたいと願うが良い、不賢者を見たら、自分も同様ではないかと内省するが良い。”
まずは賢者と不賢者を見分ける能力が必要ですね。
《论语》里仁篇第四-15
(1)参:曾子の名。字は子輿
(2)唯:目上に対して肯定の意を伝える答え。
(3)忠恕:真心と思いやり
素読文:
子曰く:“参や、吾道は一以て之を貫ぬく。”曾子曰く、“唯。”
子出づ。門人問いて曰く“何の謂ぞや。”
曾子曰く“夫子の道は、忠恕のみ。”
解釈:
孔子は曾子に対し、「参よ、私が説きかつ行う道は、たった一つの原理だ。」と言われた。
曾子は「はい」と答えた。外の門人たちには何の事かわからず、孔子が退席したのち、曾子に向かって、孔子の言葉の意味を尋ねた。曾子答えて曰く「孔子の道は一言で言えば忠恕(誠実と思いやり)のみである。」
子曰:“不患无位,患所以立。不患莫己知,求为可知也。”
《论语》里仁第四-14
素読文:
子曰く、“位無きを患えず、立つ所以を患う。己を知る莫を患えず、知らる可を為すを求むるなり。”
解釈:
地位のなきを憂うより、自分にそれだけの資格があるかどうかを憂うがいい。自分が世間に認められなことを憂うより、認められるだけの価値のある人間になるように努力するがいい。
ともすれば職位を求めてしまうが、職位にふさわしい人間になるよう努力すべきだ、という意味でしょう。行動が変わるよう努力すれば、自然と職位や給料は上がるものです。
《论语》里仁篇第四-13
(1)礼让:礼を尽くし謙った態度をとる。
(2)为:治める。
(3)何有:何の難しいことがあろう。
(4)如礼何:制度が叶っていても役には立たない。
素読文:
子曰く:“能く礼譲を以て国を為めんか、何か有らん。能く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何せん。”
解釈:
孔子曰く“礼を尽くし譲り合う気持ちで国を治めれば、何事もなかろう。礼と譲り合う気持ちがなければ何のなめの礼だろう。”
《论语》里仁第四-12
素読文:
子曰く:“利に放りて行なえば、怨み多し。”
解釈:
己の利で行動すれば人から恨まれることが多くなる。
《论语》里仁第四-9
素読文:
子曰く:“士、道に志して、悪衣悪食を恥る者は、未だ与に議るに足らざるなり。”
解釈:
子曰く:“いやしくも道に志すものが、粗衣粗食を恥じるようでは、話相手とするに足りない。”
道を志すからには、貧乏してはいけない。という意味ではありません。
道を志すからには、貧乏を恥じて恥てはならない。清貧であれという意味です。
しかし道を修めた者が、良い働き口を得て物心共に豊かである、というのが理想の社会かと考えます。
子曰:“朝闻道,夕死可矣。”
《论语》里仁第四-6
素読文:
子曰く:“朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。”
解釈:
朝に真理を悟れば、夕べに死んでも構わない。
『道』とは人智を超えた全宇宙の真理とでもいえばいいでしょうか。
この節を逆に解釈すると、私のような凡人は一生かかっても『道』を聞くことはできず、死ぬことができない、となってしまいます。