投稿者「master@QmHP」のアーカイブ

武王に善なし

wèisháo(1)jìnměi(2)yòujìnshàn(3)wèi(4)jìnměiwèijìnshàn

《论语》八佾篇第三-25

(1)韶:舜が作った楽曲。
(2)美:外面的な美
(3)善:道徳的な善
(4)武:周の武王が作った楽曲

素読文:

しょうう、つくせり、またぜんつくせり。う、つくせり、いまぜんつくさざるなり。

解釈:
孔子は舜が作った楽曲・韶を「美しく、善がある」と評した。
武王が作った楽曲を「形式的には美しいが善がない」と評した。

舜は堯から禅譲によって君主となった。一方武王は殷の紂王を武力で滅ぼして帝位についた。この差が「美」と「善」の評価になったようです。

流出防止と再発防止

 顧客に不良品が流出した場合、当然改善対策を要求される。
この時注意しなければならないのは、流出対策と再発対策の違いだ。流出対策とは不良品が顧客(次工程)に流出しない様にする対策だ。一方再発対策は不良が再発しない様にする対策となる。

検査工程で不良を検出できないのであれば検査方法を変更するなり改善が必要となる。しかし「ダブルチェック」「検査員の再指導」などの対策は、あまり効果を期待できないだろう。

流出防止より再発防止の方が効果は高いはずだ。検査ではなく作業そのものを改善、もしくは設計を変更し不良が発生しない様にする。

検査で不良を除去するという考え方は、検査を完璧にするという課題を解決しなければならない。しかし不良を作らない(作業方法または設計を改善)様にすれば、流出防止は不要となるはずだ。


このコラムは、2022年3月23日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1270号に掲載した記事です。

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孔子演奏について語る

tàishī(1)yuèyuē:“yuèzhī(2)shǐzuò(3)(4)zòng(5)zhīchún(6)jiǎo(7)(8)chéng(9)。”

《论语》八佾篇第三-23

(1)大师:楽団長
(2)可知也:知ることができる
(3)始作:演奏を始めるとき
(4)翕如:多くの楽器が一斉に鳴る様子
(5)纵如:放つ
(6)纯如:調和のとれたさま
(7)皦如:明らかなさま
(8)绎如:続いて絶えないさま
(9)成:完成する

素読文:

たいがくかたりていわく:“がくるべきなり。はじおこすにきゅうじょたり。これはなちてじゅんじょたり。きょうじょたり。繹如えきじょたり。もっる。”

解釈:

孔子が魯の楽隊長に音楽について語った。
音楽には一定の決まりがあり、難しいことではない。
演奏の開始時には多くの楽器が一斉に鳴るようにする。
そして楽器の音色が調和されつつも、一つ一つの音色を際立たせつつ演奏が途絶えないようにする。このようにして指揮者、演奏者、聴衆が一体となることで、演奏が完結する。

管仲

yuē:“guǎnzhòng(1)zhī(2)xiǎozāi。”
huòyuē:“guǎnzhòngjiǎn(3)。”
yuē:“guǎnshìyǒusānguī(4)guānshì(5)shè(6)yānjiǎnránguǎnzhòngzhī?”
yuē:“bāngjūnshùménguǎnshìshùménbāngjūnwéiliǎngjūnzhīhǎoyǒufǎndiàn(7)guǎnshìyǒufǎndiànguǎnshìérzhīshúzhī。”

《论语》八佾第三-22

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(1)管仲:せいの宰相。姓は管。あざなは仲
(2)器:人の器の大きさ
(3)俭:倹約
(4)三归:三つの邸宅
(5)官事:家臣の仕事
(6)不摄:兼務をしない
(7)反坫:祝宴で盃を置く台

素読文:

いわく、かんちゅううつわしょうなるかな。あるひといわく、かんちゅうけんなるか。いわく、かんさんり。かんことかねず。いずくんぞけんなるをん。しからばすなわかんちゅうれいれるか。いわく、邦君ほうくんじゅしてもんふさぐ。かんじゅしてもんふさぐ。邦君ほうくんりょうくんよしみをすに、反坫はんてんあり。かん反坫はんてんり。かんにしてれいらば、たれれいらざらん。

解釈:

孔子曰く:“管仲は人物が小さい”
ある人が訪ねた“それは管仲はつましいという意味ですか?”
孔子曰く:“つましいとは言えまい。三帰台さんきだいというぜいたくな高台を作り、また、家臣をたくさん雇い、それぞれに兼任をさせなかった”
“では管仲は礼を心得て、例の様式に従ったのでしょうか?”
“そうとは言えまい。門内に塀を立てて目かくしにするのは諸侯の邸宅のきまりだが、管仲も大夫の身分でそれを立てた。また、酒宴に反坫はんてんを用いるのは諸侯同士の親睦の場合だが、管仲もまたそれをつかった。それで礼を心得ているといえるなら、誰でも礼を心得ているだろう”

孔子の管仲評価はかなり低かったようです。

ロシアとウクライナ

 タイトルから珍しく政治的な話かと期待(?)された方も有るかも知れない。
しかしヒトラー下のドイツとロシアの独ソ戦争を、女性狙撃兵たちの体験から語る小説「同志少女よ、敵を撃て」の中にある一節をご紹介したい。

「ナチスドイツはウクライナを奴隷化するために戦った。ソ連は目的のためにウクライナを奴隷化した」

小説中でウクライナ出身の少女狙撃兵が語った言葉だ。

著者の逢坂冬馬氏は本作「同志少女よ、敵を撃て」でアガサ・クリスティー賞大賞を受賞し作家デビューしている。本作は2021年11月の出版なので、現在報道されているロシアのウクライナ侵攻とは無関係だろう。

しかし本作でウクライナ出身の少女に語らせた「ナチスドイツはウクライナを奴隷化するために戦った。ソ連は目的のためにウクライナを奴隷化した」という一節は今のウクライナの状況を言い当てているのではなかろうか?


このコラムは、2022年5月2日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1287号に掲載した記事です。

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哀公問う

āigōng(1)wènshèzǎi(2)zǎiduìyuēxiàhòushì(3)sōngyīnrén(4)bǎizhōurén(5)yuē使shǐmínzhànwénzhīyuēchéngshì(6)shuōsuìshì(7)jiànwǎng(8)jiù

《论语》八佾第三-21

(1)哀公:魯の国の君主
(2)宰我:姓は宰、名は予、あざなは子我
(3)夏后氏:夏王朝
(4)殷人:殷王朝
(5)周人:周王朝
(6)成事:出来てしまったこと
(7)遂事:済んでしまったこと
(8)既往:過ぎ去ったこと

素読文:

哀公あいこうしゃさいう。さいこたえていわく、こうまつもってし、殷人いんひとはくもってし、しゅうひとくりもってす。いわく、たみをして戦栗せんりつせしむ。これきていわく、せいかず、すいいさめず、おうとがめず。

解釈:

哀公あいこうさいに社の神木についてたずねた。
宰我答えて曰く「夏の時代には松を植えた。殷の時代には柏を植えた。周の時代からは、栗を植えることになったが、それは人民を戦慄せんりつさせるという意味です」
孔子はこれを聞いて曰く「できてしまったことは、いっても仕方がない。やってしまったことは、いさめても仕方がない。過ぎてしまったことは、とがめても仕方がない」

あれこれと、罰を与えることで人々を治めることはできないと孔子は言いたかったのでしょうか。

猫の言語能力

 猫は自分の名前を認識しているか?そんな疑問を研究し、発表した研究者がある。上智大学の心理学者・齋藤慈子准教授だ。

ナショナルジオグラフィックの記事:
「ネコは自分の名前を聞き分ける、上智大ほか研究」

斎藤准教授によると
ネコには

  • 人のジェスチャーを理解する。
  • 隠してある食べ物を見つける。
  • 飼い主の声を聞き分ける。
  • 自分を見て名前を呼ぶ人に食べ物をねだったりする。

などの能力があるそうだ。こういう事実を実験で確かめている。

これらの研究成果は猫を飼っている人にとっては既知の事実だろう。
しかし米オークランド大学の認知心理学者ジェニファー・フォンク氏は「本当に素晴らしい研究です」と称賛しているそうだ。

この研究は人類に貢献しているのだろうか?そんな批判的な声もあるだろう。しかし、愛猫家の趣味の様に見える研究成果にも意味はあると思う。

「猫が自分の名前を理解している」という結果だけを見れば、あまり意味はない。愛猫家にとっては既成事実だ。しかしそれを学術的な実験によって確かめたことに意味があるのだと思う。

何らかの障害で言葉を失った人とのコミュニケーションや、言語を持たぬ動物・植物から様々な経験や知識を引き出すことに応用できるかもしれない。

千年杉から昔話を聞く。考えただけでワクワクする。


このコラムは、2022年5月6日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1289号に掲載した記事です。

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リードタイムの短縮

 先週の「ニュースから」にご感想をいただいた。

☆gok45様
 現状が、とても分かりやすい内容です。

記事の最後に書いたリードタイムに関してもう少し説明を加えたいと思う。

リードタイムというのは、受注してから納入するまでの時間のことを言うが、今日は材料を投入してから出荷までの「製造リードタイム」について考える。実際の作業にかかる時間を「手番(テバン)」という。正味の作業時間の事だ。

リードタイムが手番の10倍近くになってしまっている工場が、意外に多い。
これは中間に手待ちや停滞がそこいらじゅうに入るから正味作業時間の何倍も時間がかかって製品が完成するわけだ。

規格製品を大量に作っている場合は、このリードタイムはあまり気にならなかった。つまり毎日どんどん作って出荷してゆけば、リードタイムが長いのは最初の出荷のときにしか気にならない。(経営的には部品調達から売上回収までの時間がかかるので資金繰り的には不利になる)

しかし規格製品がどんどん売れるという前提がなければ、同じ物を毎日作ることなどできない。今はまさに同一規格製品が売れない時代である。

日々変化する消費者の要求に合わせてモノ造りをする場合は、リードタイムの長さは致命傷だ。お客様が今日欲しい物を今日作る。これが究極の姿だ。
先週の例では、リードタイムを極限まで短縮すれば、吊るしのスーツではなくイージーオーダーのスーツを受注できる。当然吊るしのスーツよりはイージーオーダーのスーツの方が高く売れる。
ビジネススタイルまで変えられる。

ではどうすれば、リードタイムが短くできるのか。
リードタイムが短くできない工場は、どこで時間がかかっているのか見えていない事が多い。まずは工程の流れを看える化する。
看える化ができれば、どこを改善すれば良いか分かる。リードタイムの短縮はできたも同じだ。

今までお手伝いして来た工場でも、

  • リードタイム24時間かかっていたのが4時間になった。
  • リードタイム10日かかっていたのが1日になった。

という事例もある。


このコラムは、2009年4月27日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第95号に掲載した記事です。

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やる気を出せ

 部下がぼんやりしていてやる気が感じられない。自分自身もやる気が出ない時がある。そもそも「やる気とは何か」という問いに明確に答えられない。そんなモヤモヤした状態で考えてみた。

脳科学者の池谷裕二氏はこう言っている。「やり始めないと、やる気は出ない。脳の側座核が活動するとやる気が出るが、側座核は何かをやり始めないと活動しない」つまり「やる気を出そう」と念じてもやる気は出ない。まず始めることでやる気が出る、ということのようだ。

例えばジムに行こうと思っても、なかなか準備ができない。グズグズしている内に時間が経ち「今日は休みにしよう」となる。私の場合は、帰宅して部屋の扉を閉めると、運動着と靴が入っているスポーツバックが目に入る。給水器の横にあるボトルを手に取り水を入れる。ここまでの動作ができればそのままバックと水筒を手にジムに行くことができる。当然ジムに着けば着替えて運動することになる。

つまり池谷氏の言う「やり始めないとやる気は出ない」を準備済みのバックを見ることでトリガが働き、水筒を準備しジムに行くと言う行動が側坐核を刺激する、と言うメカニズムのようだ。

読みたい本を目に入るところに置いておく。こんな簡単なことで読書量が増えたりするようだ。少なくとも本屋にゆけば本が買いたくなる。買えば読みたくなる。行動のトリガで読書習慣が身につく。

つまりやる気を出そうと努力するより、一歩前に出る行動がやる気を出す秘訣と言うことのようだ。


このコラムは、2022年10月24日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1359号に掲載した記事です。

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関雎の詩

yuē:“guān(1)éryín(2)āiérshāng(3)。”

《论语》八佾第三-20

(1)关雎:詩経の最初の詩。夫婦が仲良く礼儀正しい事を言っている。
(2)淫:耽溺する。
(3)伤:悲しみに心や体を病む。

素読文:

いわく:“関雎かんしょたのしみていんせず、かなしみてやぶらず。”

解釈:

孔子曰く:“関雎の詩は楽しみて耽溺していない、哀しみて折れていない”

以下は关雎の詩原文です。

『周南·关雎』
关关雎鸠,在河之洲。窈窕淑女,君子好逑。
参差荇菜,左右流之。窈窕淑女,寤寐求之。
求之不得,寤寐思服。悠哉悠哉,辗转反侧。
参差荇菜,左右采之。窈窕淑女,琴瑟友之。
参差荇菜,左右芼之。窈窕淑女,钟鼓乐之。