投稿者「master@QmHP」のアーカイブ

後悔と反省

 失敗には「後悔」と「反省」がつきものだ。
失敗してしまったことに後悔する。
失敗を反省し再発防止をする。

似ているようだが、時制とベクトルが異なる
「後悔」は過去を後悔しておりベクトルは過去に向く。
「反省」は過去の失敗を現在反省しており、ベクトルは未来に向く。

過去の失敗を後悔しても意味はない。
過去の失敗は反省し、未来のために再発防止を考える。

失敗を後悔していても明るい未来は来ない。反省するから未来の失敗を未然に防ぐことができる。失敗を後悔する無駄を止め、失敗を反省し原因を分析。それにより再発を防ぐ。

後悔して(いるフリをして)暗い顔をしていても意味はない。
反省して明るい未来を目指したい。


このコラムは、2022年9月14日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第第1345号に掲載した記事です。

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未来予測



 そろそろ年度末となり今期の業績見込み、来年度の業績予測をされている
と思う。
これを未来予測と位置付けると、科学空想小説(SF)と関連付ける
ことができるかも知れない。
ロボットが活躍する未来を築いたロボット工学の
元祖といえば「ロボット三原則」を提唱した小説家アイザック・アシモフを
上げることができるだろう。
「ロボット三原則」は1957年に発表されている。

アシモフは1950年代の実績からロボット社会を予測したのだろうか?

1950年代後半にようやくテレビ(白黒)洗濯機(脱水機能なし)冷蔵庫が
普及し始めた頃だ。こんな時代から未来を予測してロボットを考えたはずは
ない。アシモフはロボットが活躍する未来を予測したのではなく、可能性を
見出したと考えたほうがよさそうだ。



一方、業績予測は実績を積み上げて来季の業績を予測する。
ただの言葉遊びのように思われるかも知れないが、業績予測は今までの積み
上げしかできない。しかし「業績の可能性」と考えれば過去の実績を考慮する
必要は無くなる。可能性を追求すれば予測より遥かに楽しい未来が描けると
思うが如何だろう。


このコラムは、2022年4月11日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第第1248号に掲載した記事です。

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賢者に倣う

yuē:“jiànxiányānjiànxiànérnèixǐng。”

《论语》里仁第四-17

素読文:
いわく:“けんてはひとしからんことをおもい、けんてはうちみずかかえりみるなり。”

解釈:
孔子曰く:“賢者を見たら、自分もそうありたいと願うが良い、不賢者を見たら、自分も同様ではないかと内省するが良い。”

まずは賢者と不賢者を見分ける能力が必要ですね。

原理・原則は忠恕のみ

yuē:“shēn(1)dàoguànzhī。”
zēngyuē:“wéi(2)。”
chūménrénwènyuēwèi?”
zēngyuē:“dàozhōngshù(3)ér。”

《论语》里仁篇第四-15

(1)参:曾子の名。あざなは子輿
(2)唯:目上に対して肯定の意を伝える答え。
(3)忠恕:真心と思いやり

素読文:

いわく:“しんや、わがみちいつもっこれつらぬく。”そういわく、“。”
づ。門人もんじんいていわく“なんいいぞや。”
そういわく“ふうみちは、ちゅうじょのみ。”

解釈:

孔子はそうに対し、「しんよ、私がきかつおこなみちは、たった一つの原理だ。」と言われた。
曾子は「はい」と答えた。ほかの門人たちには何の事かわからず、孔子が退席したのち、曾子に向かって、孔子の言葉の意味を尋ねた。曾子答えて曰く「孔子の道は一言で言えばちゅうじょ(誠実と思いやり)のみである。」

位なきを憂えず、なすべきを求む

yuē:“huànwèihuànsuǒhuànzhīqiúwéizhī。”

《论语》里仁第四-14

素読文:

いわく、“くらいきをうれえず、所以ゆえんうれう。おのれなきうれえず、らるべきすをもとむるなり。”

解釈:
地位のなきを憂うより、自分にそれだけの資格があるかどうかを憂うがいい。自分が世間に認められなことを憂うより、認められるだけの価値のある人間になるように努力するがいい。

ともすれば職位を求めてしまうが、職位にふさわしい人間になるよう努力すべきだ、という意味でしょう。行動が変わるよう努力すれば、自然と職位や給料は上がるものです。

礼譲を尽くす

yuē:“néngràng(1)wéi(2)guóyǒu(3)néngràngwéiguó(4)?”

《论语》里仁篇第四-13

(1)礼让:礼を尽くし謙った態度をとる。
(2)为:治める。
(3)何有:何の難しいことがあろう。
(4)如礼何:制度が叶っていても役には立たない。

素読文:

いわく:“れいじょうもっくにおさめんか、なにらん。れいじょうもっくにおさめずんば、れい如何いかんせん。”

解釈:

孔子曰く“礼を尽くし譲り合う気持ちで国を治めれば、何事もなかろう。礼と譲り合う気持ちがなければ何のなめの礼だろう。”

利己は恨み多し

yuē:“fǎngérxíngduōyuàn。”

《论语》里仁第四-12

素読文:

いわく:“りておこなえば、うらおおし。”

解釈:

己の利で行動すれば人から恨まれることが多くなる。

寛容、敬意、哀悼

yuē:“shàng(1)kuānwéijìnglínsāngāiguānzhīzāi(2)。”

《论语》八佾第三-26

(1)居上:人の上に立つ
(2)何以观之哉:何の見所もない

素読文:

いわく:“かみかんならず、れいしてけいせず、のぞんでかなしまずんば、われなにもってかこれんや。”

解釈:

孔子曰く“人の上に立って寛容でなく、礼を行なうのに敬意なく、葬儀にて悲しい気持になれない人間は、見込みがない。”

人の上に立つものほど寛容、敬意、哀悼の情が必要だということと理解しました。

道を志す者の心得

yuē:“shìzhìdàoérchǐèèshízhěwèi。”

《论语》里仁第四-9

素読文:

いわく:“みちこころざして、あくあくしょくはずものは、いまともはかるにらざるなり。”

解釈:

子曰く:“いやしくも道に志すものが、粗衣粗食を恥じるようでは、話相手とするに足りない。”

道を志すからには、貧乏してはいけない。という意味ではありません。
道を志すからには、貧乏を恥じて恥てはならない。清貧であれという意味です。

しかし道を修めた者が、良い働き口を得て物心共に豊かである、というのが理想の社会かと考えます。

問題と答え

 「勝者はいつも答えを出そうとする。敗者はいつも問題点しか出さない」友人が紹介してくれた言葉だ。

文句ばかり言って行動を起こさない人は「敗者」と呼ばれてもやむを得ない。
問題に対して答え(解決方法)を見つけようとする人は「勝者」に一歩近づく。その上で解決行動を取らねば「勝者」にはなれない。

しかし問題点を出す人が必ずしも敗者とは言えないだろう。
問題点に気が付かない人は、解決行動には至らない。問題点を言って終わりにしたとき「敗者」が決定する。

したがって「問題点を出す」と「答えを出そうとする」は勝者の一連の行動と考えた方が良さそうだ。真の勝者は問題点を見つけ、その解決方法を考え、解決する、と言う一連の行動を取れる人と考えた方が良かろう。

もちろん人には得手・不得手がある。問題点しか出さない人も、解決方法を考える人、解決行動を起こす人とチームになれば「勝者」になることができる。
組織の中で敗者と勝者の色分けをするより、それぞれの力を発揮する「場」を作ることを考えた方が組織が活性化するはずだ。


このコラムは、2022年4月29日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1286号に掲載した記事です。

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