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続・言葉の定義

 先週のコラム「言葉の定義」について書いた。
今週は、もう1件言葉の定義の事例をご紹介したい。

私の友人は、深センに営業所を開設するために上海から深センに赴任して来た。
当時毎月開催していた勉強会にご参加いただき、それ以来密度の濃い交流をさせていただいている。

深センに赴任して、オフィスを開設し、日本人を含む社員を採用。しかしほどなく、全員が退職してしまった。途方に暮れた友人は、私たちの共通の師匠である原田則夫師に相談に行った。

一通り経緯を説明。「それは大変だったなぁ」と言葉をかけていただけると期待していたが、一言「それは君が悪い」と言われたそうだ。仕事の定義をきちんとしていないから、辞めてしまうのだと指導されたそうだ。

それ以来友人は、仕事の定義をし始めた。毎日1件、パワーポイント1頁にまとめる事を自分に課した。
「顧客クレーム」「顧客クレーム対応」など言葉を一つずつ定義して行った。
ある程度まとまった所で、再び原田師に会い指導を受けた。

後日、原田師は私に、あいつはモノになるよ、とそっと話してくれた(笑)
原田師の予言通り、深セン営業所(全員中国人)は彼がいなくても回る様になり、無事上海に帰任した。その後、会社から出資を受け新規ビジネスを起業している。

当時友人とは「言葉の定義」が先か「企業文化」が先かで議論した事がある。
私はまず企業文化を整えるべきだと主張した。しかし今考えれば、言葉の定義が文化を創るのだから、友人の主張の方が正しかった。

特に私たちの様に、異文化環境で仕事をしている者は言葉の定義を明確にする事が重要だ。バベルの塔は、人々が違う言葉を事で崩壊したと言われている。一つの企業で定義の違う言葉が使われ始めると、企業文化は崩壊を始める。


このコラムは、2016年7月18日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第485号に掲載した記事に加筆しました。

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続・力一杯と手一杯

 先週のコラム「力一杯と手一杯」にお二人の読者様からメッセージをいただいた。

雑感の「ライバル」も良かったと思っているが、こちらにはメッセージはなかった(笑)

※I様のメッセージ
僕は部下には『50%が自分の仕事・50%が部下の教育』と教えています。部下の教育に一番いいのは権限委譲じゃぁないでしょうか。
つまり『(部下)ツンモパン』→『(上司)リャンパン』です(笑)

僕のリャンパンは立派な教育だと思っているので。

いい上司とは、なんでもいう事を聞いてくれるいつでも助けてくれる人の事ではなくて、突き放すけど見守ってくれる人のような気がします。

この製造部長さんは、不安なんでしょうね。忙しくないと上司から評価されないのではないかと。
忙しさ=仕事ができる人の条件と思っているのかもしれない。
確かに自分でやってしまうのが楽なんですよね。

まずは、その考え方を変えてあげないと一生変わんないですね。

僕がこの製造部長にアドバイスするなら、
「あなたのやるべきことは、業務遂行ではなく業務で結果を出すことだ。」と言うかもしれない。「そのために人を育てチームとして最高の結果を出すことがあなたの仕事だ」とも。

だから我が社は部長への評価は、結果(目標と業績)という項目を60%も割り当てているんです。

それから、自分の仕事50%は職責が上がればどんどん内容が変化してきます。班長は今日の仕事でいいのですが、係長から部長に成るにしたがって明日への仕事のウエイトがどんどん増えていく仕組みにしてます。

因みに、僕の『50%自分の仕事』ウエイトは、すべて明日への仕事100%です。
だから今忙しい(笑)

I様は中国で工場を経営されている方だ。

文中の『(部下)ツンモパン』→『(上司)リャンパン』を解説しておくと、
部下が『怎么办』(zěn me bàn)どうしたら良いですか?と尋ねてたら上司は『凉拌』(liáng bàn)と答えておけと言う意味だ。
『涼拌』は元々冷菜の意味だが、『怎么办』と語呂を合わせて、「分からない」とか「さぁ」と言う意味で使う。手取り足取り教えるのが良い上司ではなく、突き放して自分で考えさせるのが良い上司と言う事だ。

彼の経営目標の中に、従業員を「考える軍団」にすると言う項目が去年から入っている。

※Y様のメッセージ
 いつもメルマガありがとうござます。
 ”力一杯と手一杯”にはグサッときました。実のところ自分自身が日々、手一杯のくせに今回このようなテーマでしたので、余裕をみせかける意味でメッセージさせていただきます(笑

いいテーマでしたので、さっそく中国人部下にも伝えようと思い、「力一杯と手いっぱい」を中国語訳を自分で調べると『全面発力と満手』。
ん~なんだかしっくりくるようなこないような・・・。
さらに英語だと・・・。日本語はやっぱりいいですね。

Y様も中国の工場にご勤務の方だ。中国人部下に直接中国語で伝えたいと言うお気持ちと、早速実行に移す所は見習いたい。

私も「力一杯」と「手一杯」の中国語訳を考えてみた。
『拼命工作』と『忙着工作』
『努力工作』と『忙手工作』

語呂を考えて○○工作となる様にしてみたが、やはり頭が日本語脳になっているのだろう(笑)中国語では上手く語呂合わせが出来ない。

正直に告白すると、前職時代私自身が「忙しい」=「充実」と言う大いなる勘違いをしていた。「手一杯」状態になっていないと不安を感じる始末(笑)先週のコラムでご紹介した携帯を耳に当てて工場内を走り回っている部長さんが他人事の様に思えない。

今指導しているこの工場では、材料や中間在庫を溜め込んで安心している董事長の心が変化して来ている。
私がいない間、改善推進リーダ(経営企画部長)が微信に上げてくる現箸写真を見ると、徐々に成果が出始めている。
くだんの製造部長さんも「手一杯病」から救ってあげられそうだ。


このコラムは、2016年6月13日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第480号に掲載した記事に加筆しました。

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力一杯と手一杯

 「力一杯」と「手一杯」は一字しか違わないが、その意味には雲泥の差がある。

日々の仕事に力一杯取り組む事は必要だが、日々の仕事で手一杯になってはいけない。職位の高い人ほど、手一杯にならない様にするべきだ。

現場の作業員が手一杯になっている。班長、組長も一緒になって手一杯では困る。班長、組長は今日の作業だけではなく、1ヶ月2ヶ月後を見越した改善をしなければならない。更に上の職位になれば、半年後、1年後を考え改善や人財の育成をしなければならない。

日々の仕事に手一杯で取り組んでいると、忙しさと充実感を勘違いする。毎日仕事に力一杯取り組んでいると勘違いする。携帯電話に出ながら、製造現場をあちこち歩き回る。一日に会議がいくつも入っている。ようやく現場の残業が終わって自分のデスクに戻って、今日も力一杯働いたと息をつく様では、製造部長の仕事を力一杯しているとは言えない。

あなたはこの製造部長にどんなアドバイスをするだろうか?

「改善」「人財育成」などの重要だが急がない仕事は、往々にして忙しさを理由に先延ばしする事になる。そのため忙しさはいつまでたっても解決しない。
「重要だが急がない仕事」は計画を立てて実行するのが鉄則だ。ただ計画を立てても同じ事になる。今日出来る目標を決めて朝イチで、まず一歩をやる。先延ばし断固拒否だ(笑)


このコラムは、2016年6月6日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第479号に掲載した記事に加筆しました。

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まず信頼する事

 「まず信頼すること」松下幸之助の言葉だ。
松下幸之助が親族3人で自宅で電球ソケットの生産を始めた時に、2名の従業員を雇った。新たに雇った従業員に電球ソケットの材料のつくり方を教えた。誰でも手に入る材料を混ぜているだけだ。他に漏らせば、競争相手がふえる。それでも身内ではない従業員に教えている。

まず従業員を信頼する事。人は自分を信頼してくれている人を騙したりしない、と松下幸之助は言っている。

出典:「人生心得帖」松下幸之助著

従業員を信頼すれば、それに応えてくれる。
従業員が悪い事をすると心配すれば、その通りになる。

マクグレガーのX理論、Y理論が一般に知られる様になったのは、1960年刊行の“The Human Side of Enterprise”(邦題「企業の人間的側面」ダグラス・マクレガー著)による。

松下が電球ソケットを作り始めたのは、1917年だ。心理学者より40年も早く人の本質に気がついていたと言っても良かろう。

未だに従業員を信じる事が出来ない経営者を何人も知っている。

有る日系の工場では、中国人従業員の管理を全て香港人幹部に任せていた。彼らの工場の出入り口には、従業員が製品を不正に持ち出さない様に常に保安係を配置している。この工場は従業員の規律が乱れており、中国人幹部クラスも日本人幹部の言う事を聞かなかった。

別の日系工場は、日本から持ち込んだ生産設備をコピーされるのを恐れ、設備の図面を中国工場にはいっさい置いていない。

電子部品を作っている中国企業は、材料の混合比を秘密にしており、作業要領書にも混合比率は書いていない。材料の製造工程も二つに分け、二人の作業員が混合した物を混ぜ合わせて完成させる、と言う徹底ぶりだった。実はこの工場の経営者は、日本の工場に勤め、材料比率を盗んで来た。そのため自分の従業員も信じる事が出来なかったのだろう。


このコラムは、2017年7月10日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第536号に掲載した記事に加筆しました。

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産業構造の転換期

 日経新聞で二つのニュースが目を引いた。
一つは、三菱重工のMRJ公開。二つ目は、Jディスプレイの深谷工場閉鎖だ。

日本の産業は、大手メーカで成り立っている訳ではなく、全体の95%を占める中堅中小企業も重要な役割を果たしている。

中堅中小企業を含む「日本丸」が産業界の変遷を乗り越えて航海を続けている。つまり、繊維、家庭電気製品、情報応用製品、自動車、航空機と時代と共に、産業を牽引する業界が変遷して来た。

二つのニュースがこの変遷を象徴している様に感じた。
この変遷に淘汰されるもの、生き残るもの、様々なドラマが続いている。

我が世を謳歌した繊維業界は、大部分を開発途上国に生産を奪われている。日本の独壇場だったメモリーも液晶も、台湾、韓国に取って代わられた。うかうかしていると、自動車産業も中国にテイクオーバーされるかもしれない。

しかし繊維メーカは、素材メーカとして建築材料や航空機材料を供給している。メモリーで負けても、その半導体微細加工技術は液晶パネルに活かされ、次にまたその技術が活かされる製品が出て来るだろう。

中堅中小企業も、家電、事務機器、自動車と、顧客を変えつつ生き残って来た。自動車分野、航空機分野の下請けに参入する中堅中小企業が増えて来るだろう。

しかし良く考えると、変遷の影で、がら空きとなった業界が有るはずだ。例えばカラー液晶パネルの大型化に伴い、モノクロの小型液晶パネルの生産を継続する企業はほとんど無くなった。しかし一眼レフカメラのファインダー標示など、まだ小型液晶パネルが必要な製品は残っている。

市場規模は小さくても、競合がいない。
ひょっとすると、大変旨味のある仕事なのかもしれない。

時代が変化しているときはチャンスだと良く言う。変化に乗ることができれば、チャンスが広がる。しかしあえて変化に取り残された部分に注目すると、違うチャンスが見えるかもしれない。


このコラムは、2014年10月20日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第394号に掲載した記事に加筆しました。

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高品質の日本米、官民で輸出障壁越えろ

 

「使っているコメを分けてくれませんか」

 シンガポールの名門ホテル、シャングリラに店を構える懐石料理店「なだ万」の料理長、石塚隆也(42)は客からよくこんな注文を受ける。なだ万が同国や香港で使うのは農機メーカー、クボタから仕入れたコメだ。
(以下略)
全文

(日本経済新聞電子版より)

 海外に住んでいると、日本米の美味さが身にしみて分かる。

この記事によると、精米した後にコンテナに積載して輸出するので、日本米と言えど味は劣化する。赤道直下のシンガポールでは、コンテナ内の温度は60℃を超える。
クボタはこれを解決するために、シンガポールに精米所を設け、日本から玄米でコンテナ輸送をしている。

中国では、日本米の輸入規制が有る。以前試しに少量日本米を輸入した際は、国内産の数倍の単価でも、飛ぶ様に売れた。中国に輸入する米は、中国検疫当局が認定した精米所で精米しなければならない。現在日本国内には一カ所しかなく、認可の申請を出しても、検疫官が来てくれないそうだ。

クボタと同じ方法を採用すれば、中国国内で精米出来、味の劣化だけではなく、非関税障壁も突破出来そうな気がする。

何事も諦めなければ、突破口が見つかるモノだ。

「神子原米」と言う能登羽咋市のブランド米が有る。これも諦めなかった一人の市役所職員が作り上げたブランド米だ。

故郷の羽咋市で住職をする高野誠鮮氏は、市役所の臨時職員として仕事をしていた。そして「限界集落」神子原村の活性化プロジェクトを担当する。「限界集落」と言うのは人口の半数以上が65歳を超える集落をさす。いわば、放っておけば近いうちに消滅してしまう、絶滅危惧村落と言う意味だ。当時、村で最年少の人は50歳だったと言う。このまま行けば、新しく子供が生まれる可能性は、ほぼゼロだ。

まず村の経済基盤を確立しようとした。当時は一戸当りの平均収入は年間90万円にも満たない状態だった。村の生産物と言えば米しかない。棚田で栽培される米はコシヒカリであり、天然のわき水がある、一日の寒暖の差が大きい事などにより、味は評判だ。しかし農協経由で出荷する米は「石川米」として扱われる。農協に出荷せずにブランド米として販売しようと農家に説得するが、賛同者はわずか3戸。全体で5、60戸ある農家の95%からは賛同が得られなかった。

ちゃんと売れる様になったら、皆で会社を興してブランド米として販売する事を約束して、高野氏自身がマーケティングをした。

神子原米をブランディングするために、誰かに食べてもらおうと考えた。「神子原米」にこじつけて米国大統領(当時はブッシュ)とローマ法王に手紙を書いた。ブッシュからは何の返事もなかったが、バチカン市国大使館から電話が来た。ローマ法王に神子原米を献上することができた。

これが有名になり、2年目はあっという間に完売となる。
売り切れ後も、問い合わせの電話が鳴り止まない。東京から電話をして来たと言う女性に「既に売り切れですが、東京の有名デパートならばまだ在庫が有るかも知れません」と高野氏は答える。そして数日後東京のデパートから、神子原米を取り扱わせてくれと電話が入る。高野氏のマーケティングマジックで、どんどん販路が広がって行った。

その後酒も造ろうと考え、外国人が、日本酒に対する感想をブログなどに書き込んでいるのを、ネットで集め分析する。「ワインのような」「フルーティ」と言うキーワドに着目し、日本酒をワイン酵母で作ってしまう。能登は杜氏が多くいて、ワイン酵母で清酒を作るなんて到底認められるモノではなかろうが、それをチャレンジしてしまう。

高野氏は、国内での販売促進のために、ローマ法王や欧米人の酒に対するイメージを使った。「マーケットに聞け」と良く言うが、国内マーケットに販売するために、世界のブランドを作ろうとしたのが、高野氏の戦略だったと推測している。

中小企業にブランドを作る資金などない、と諦めてはいけない。
高野氏の手元に有ったのは、羽咋市の地域振興予算60万円だけだ。高野氏には自らのアイディアと情熱以外に使える物はなかったはずだ。

ただ、高野氏はこのプロジェクトを担当する際に上司への稟議はしない、事後報告を市長にすればよい、と言う約束を取り付けている。事なかれ主義の同僚、上司に足を引っ張られないポジションを予め確保した。

金はなくとも、情熱とアイディアがあれば何とかなる。
そして革新に着いて来れない旧守派に足をとられない仕掛けを用意しておく。こんな所が、不可能を可能にするコツだろうか。

高野誠鮮著
「ローマ法王に米を食べさせた男」


このコラムは、2014年10月20日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第394号に掲載した記事に加筆しました。

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マニュアル人間

 先週のコラム「無印良品のムジグラム」を読んだ読者様から、「マニュアルも良いけど、マニュアル通りにしか仕事ができない従業員は余り価値がないよね」「マニュアル通りに仕事をさせると、やらされ感が高くなりモチベーションが上がらないと思う」と言う意見をいただいた。

もっともなご意見だと思う。
例えばウチの近所に欧州系のスーパーマーケットが有る。買い物のレシートをサービスカウンターに持って行くと、正式発票を発行してくれる。私は月末にまとめて発票を発行してもらっている。
どういう理由からなのかは分からないが、レシート3枚で発票1枚を発行してくれる。いつものベテランの職員だと問題はないのだが、新人とおぼしき職員が対応してくれるときは、毎回何らかの摩擦が有る(笑)先月は4枚のレシートを持って行った。新人職員曰く「4枚目のレシートは、3枚揃うまで発票は発行出来ません」当然これは間違いで、1枚でも発票を発行しなければならない。
どういうマニュアルで仕事をしているのか不明だが「How to」だけ教えるから、こういう残念な結果となる。マニュアル仕事にはありがちだが、マニュアルになぜそうしなければならないのか「Why」を追加する事で解消出来るはずだ。

マニュアルは、決められた最低基準を共有するモノだ。マニュアル通りに仕事が出来て、その仕事に就いて良いと言うレベルになる。更にパフォーマンスを上げるためには、マニュアルを越えた仕事ができなければならない。

マニュアル仕事でモチベーションが下がるというのも、一面の真実だろう。
無印良品の松井会長は、現場の意見をマニュアルに反映する事で、現場のモチベーションを維持しようとしている。しかし全ての職員が、マニュアルの改訂に関わる事が出来る訳ではなかろう。自分の意見が採用されなかったと言うネガティブな感情を持つ人も出て来よう。

私は、モチベーションはマニュアルの有無とは関係が無いと考えている。

東京ディズニーランドは職員の90%が学生アルバイトであり、毎年30%が入れ替わる。この様な職場では、きちんとしたマニュアルがなければ運営出来ないだろう。マニュアルに従って、仕事をしていてもゲストに感動を与えるようなすばらしい仕事ができる。

例えば、レストランのウェイトレスはマニュアルにより、お子様ランチは9歳以下のお子様にだけ提供する、と言う事は知っている。しかしお子様ランチを注文する夫婦の話を聞き、お子様ランチを提供し深い感動を与えている。(この話しを知らない方は、「ディズニーランド、お子様ランチ」でネットを検索していただきたい。その前にハンカチかティッシュを準備される事をお勧めする・笑)

マニュアル通りに仕事をしていたのでは、こういう感動をゲストに与える事は不可能だ。ディズニーランドと言う組織の風土・文化が、ゲストに感動を与えようと言うモチベーションを高めるのだろう。これはマニュアルの有無とは無関係だ。


このコラムは、2014年10月20日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第394号に掲載した記事に加筆しました。

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マズロー第六段階欲求

 先週末は第八期品質道場の最終回「品質意識向上」を開催した。
人の意識・意欲はどの様なメカニズムで動くのか?社会学者や心理学者の実験・研究を紐解き、それを組織の品質意識向上にどう役立てるのか?というテーマで勉強した。

20世紀にはあらゆる角度で人のモチベーションに関する研究が行われその成果が発表されている。しかしその研究成果が十分経営に生かされていないと常々感じている。

例えば「マズローの段階欲求説」は人の欲求を五段階に分け、下位の欲求が満たされると、上位の欲求を望む様になる、という理論だ。
五段階の欲求は以下の様になっている。
第一段階:生理的欲求
第二段階:安全欲求
第三段階:社会的欲求
第四段階:尊厳欲求
第五段階:自己実現欲求

中国人従業員のほとんどは、第一段階、第二段階の生理的欲求、安全欲求を満たしている。それでもなお、金銭が労働に対する主要因であると考えている経営者が多くおられる様に感じる。

ほとんどの従業員は、社会的欲求(所属している組織や集団に守られていると感じることができる)、尊厳欲求(仲間や組織が自分を承認していると感じる)を満たしている、または望んでいる段階だと思う。
その上で「自己実現」を目指すことになる。

というのがマズローの段階欲求説だ。
従って、金銭的なインセンティブよりは、より挑戦的な仕事を達成し仲間や上司から賞賛されることの方がモチベーションが上がるはずだ。

ところで「自己実現」を果たしてしまった人は、どこに行くのだろう?
もう死んでもいいという境地になるのだろうか(笑)
達観してしまえば、もうこの世には未練はないのかもしれない、と小人の私は考えていた(苦笑)

マズローは五段階欲求説を発表後、晩年に第六段階の欲求を発表している。
実は恥ずかしながら最近知った。

その第六段階の欲求は「自己超越欲求」と言われている。
自己実現の次は自己超越というとなんだか当たり前の様に思えるが、自己超越とは「利己」を超えて「利他」の境地に至るということだ。

自己実現までの段階はすべて「自分」が中心だ。自己生存欲求、自己成長欲求、自己実現欲求。自己が他人や社会・組織との関係で自己実現するまでの欲求で五段階は終わっている。

その先は他人の利益「利他」を目指す、というのは私たち仏教徒(葬式の時にだけ仏教徒になる潜在的仏教徒を含む)にとってとてもわかりやすい。

つまり自己実現を果たした人は、世のため人のために貢献することを欲求する。
自己超越欲求とは、社会貢献欲求と言い換えてもいいだろう。これには終わりはない。自己実現を果たした後も永遠に続く欲求だ。これなら何歳まででも生きられる(笑)


このコラムは、2018年5月7日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第663号に掲載した記事に加筆しました。

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検査不正

スバルは28日、自動車の性能を出荷前に確かめる検査での不正が、ブレーキやステアリング(ハンドル)をめぐって新たに見つかったと発表した。これまでの不正は排ガスや燃費で判明していた。車メーカーではさまざまな検査不正が相次ぐが、安全性能での不正発覚はスバルが初めて。

(朝日新聞より)

社外弁護士による調査で新たに分かったことは以下の2点だ。

  • フットブレーキの制動力を検査しなければならないのに、サイドブレーキを併用して検査した。
  • ハンドルの操舵角が検査規格に入らないので、タイヤや車体を押して検査合格となるようにした。

私は日本自動車業界の品質を信頼していた。しかし業界の闇は深いようだ。

新たな検査不正発覚でスバル中村社長が謝罪会見を行っている。
会見の中で「再検査のためのリコールは行わない」と明言している。その根拠として以下のように説明している。

  1. 道路運送車両法の保安基準には違反しておらず安全性能には問題ない。
  2. ブレーキなどの性能は、「全数検査」の後に別途行う「抜き取り検査」で確認している。

スバルという会社は品質管理、品質保証とは何かを理解しているだろうか?
出荷時の性能が市場で使用される期間変わらないことはあり得ない。そのため保安基準より厳しい出荷基準を設定しているのではないか?
抜き取り検査とは、工程内検査を含む品質管理が正しく行われていることを確認するための品質保証行為だ。工程内の全数検査で不正検査が行われていたのに抜き取り検査で品質をどう保証するというのだろうか?

なぜこのような不正が横行するのか、もっと冷静に分析をしなければならない。

  • ブレーキ制動力の検査規格は、保安基準より厳しく設定されており安全上の問題はないと製造現場が判断している。
  • 制動力検査不合格となるとタイヤを外しブレーキ部品の再調整が必要となり製造現場が混乱する。
  • 操舵角の精度に対する工程能力が不足しており、検査後の調整が常態化していた。
  • 最大操舵角の足りなくても事故に至ることはない、という認識が現場にある。

などの背景があったのではなかろうか?
だから検査不正をしても良いというわけではない。検査をごまかすのではなく、社内検査基準が厳しすぎるのであれば、適正な検査基準に変更すべきだ。または設計改善・工程改善により工程能力を改善すべきだ。

完成車メーカは、下請け業者に納品品質不良を0ppmせよと指導していると聞く。
車や人の安全を守るという自動車業界の理念と理解している。高邁な理念は、この様な不祥事により完成車メーカの下請けいじめに堕落する。


このコラムは、2018年10月3日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第727号に掲載した記事に加筆しました。

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大型クレーン車横転

 先週の失敗から学ぶで「神戸製鋼所データ改ざん」を考えてみたが、今週も神戸製鋼所グループ企業の事故事例だ。

「神戸製鋼でクレーン倒れる 1人死亡、3人けが」

 26日午後4時ごろ、兵庫県高砂市荒井町新浜2丁目の神戸製鋼所高砂製作所で、作業員から「クレーンが倒れ、けが人がでている」と高砂市消防本部に119番通報があった。
(中略)
 倒れたのは、神戸製鋼所の関連会社「コベルコ建機」(本社・東京)が製造した移動式大型クレーン。同社が敷地内にある試験場に持ち込んで性能のテストをしていたところ、クレーンが折れて倒れ、近くにあった建物の一部も壊したという。

(朝日新聞より)

 他のニュースも併せて考えると、事故は以下のように発生したようだ。
クレーンはアームを伸ばすと長さは最大約200メートル。最大つり上げ能力は1,250トンあり、事故時は性能テストを行っており、約130トンの重りを下げて旋回していた。2名の作業員が事故に巻き込まれ死亡している。

事故原因はまだ判明していないが、アームが根元から折れ複数箇所でバラバラになっていたようだ。クレーンアームの材料強度が不足していた、設計強度が足りたかった、製造過程のミス、の可能性が考えられる。

該当のコベルコ建機は以前、
クレーン・フォークリフトの分解整備を無認証の工場で行う。
クレーン・フォークリフトの技能講習を時間短縮して実施。
という不正が見つかり、監督官庁から指導・処分が行われたこともある。

先週のメルマガでは、神戸製鋼所のデータ改ざんは「川上企業のおごり」だと論じたが、コベルコ建材は同じ神戸製鋼グループではあるが川上産業ではない。しかし大きな企業グループの一員であるという傲りが有ったのではなかろうか?
「誇り」と「傲り」は一音違うだけであり、表と裏のような関係だ。企業文化根底に「誇り」があるのと「傲り」があるのでは、全く違ってしまう。

ちょうど池井戸潤「空飛ぶタイヤ」を読んでおり、このニュースを見てそんな感想を持った。


このコラムは、2018年8月1日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第700号に掲載した記事に加筆しました。

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