今日は中国出張中の元同僚と久々に食事をしました。
今日は湖南省料理(湘菜)を食べに行きました。四川料理(川菜)は麻辣ですが、湘菜はひたすら辛い。
一口食べてはビールを飲み、二口食べては汗が吹き出て、三口で汗を拭き拭き食べます。この辛さが病みつきになってしまいます。
今日食べた料理。
手前が魚頭、魚のお頭に、これでもかと言うばかり赤唐辛子がかかっています。右手奥が過橋牛白葉、牛の内臓です。左手奥は菜芯。
干鍋手撕鶏。湯気のたつ鶏鍋、これがまた辛い。思い出しただけでまた口水が。
三人でこれだけ食べて、ビールも飲んで108元なり。幸せです。
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300年ぶり?
中国語の発音で難しいもののひとつに「そり舌音」と言うものがあります。日本語にはこの音が無いので、なかなか正確にこの音を出すのが難しいのです。
しかし台湾の人や中国の南部の人はあまり「そり舌」を使いません。
私はラジオ講座で覚えた「そり舌音」を正確に発音するように心がけていたのですが、まじめに発音してもなかなか通じません。むしろ何気取ってるの?見たいな反応が返ってきます。
吃飯も「ちーファン」では無く「ツーファン」と言わないとなかなか通じません。
さらに中国語には四声と言うのがあって、四声が違うと全く違う意味になってしまい全然通じなくなります。
長らくあっていない人に「3.4年あっていませんね」と言うつもりが「30年あっていませんね」と言ってしまい爆笑されたことがあります。
すなわち四(si4)と言わなければならないところを十(shi2)といってしまったわけです。
そり舌音と四声を同時に間違えてしまったわけです。
それ以来長らくあっていない人には、めんどくさいので300年ぶりですねということにしています。
実は台湾の人たちの間でも、十四と言うのを四十と聞き違えることは時々あるようです。
突然の水害
私の住んでいる広東省東莞市石龍のあたりは、排水設備が脆弱な為雨がたくさん降るとすぐに水溜りがそこここにできてしまいます。
8月19日に雷を伴った大雨が降りここいらも1mほど冠水しました。冠水したところに車がエンコしていたり、腰まで冠水しているところなどがありそこいらじゅうが大渋滞になります。
中国の車はスパークプラグの高圧ケーブルが水にかぶると、簡単に絶縁不良となり動かなくなるのだと言っていました。
結局その夜はアパートに戻るのを断念しなければなりませんでした。
あれから一週間経ちましたが、まだ水害の爪あとが見られます。各商店がぬれてしまった商品を道端に持ち出して乾かしています。
ねじや継電器など、ぬれると品質に影響が出そうなものも堂々と干してあります。
こういうものはちょっと買う気がしません。
店の前に歩道ばかりか車道まで盛大に並べてある中で、お茶屋さんだけは何も干していません。さすがにお茶の葉が干してあると、誰も買う気がしないので、きっと誰知らぬところにもっていって干していくのだろうと噂しています(笑)
なぜかティッシュペーパの箱が大量に干してあったりします。
謎です。
バイクもマフラーから水が入ったり、電気系統がいかれたりで、バイク修理店の前は修理を待っているバイクで一杯でした。一週間たった今でもまだ修理待ちのバイクが並んでいます。水害で唯一儲かっているのがバイク修理屋さんのようです。
設備のメンテナンス
製造現場でのエンジニアの設備メンテナンスに疑問を持つ局面がしばしばあります。
例えば、ラインで半田槽のスプレーフラクサの動作が緩慢になっているのを見つけました。このような状態は作業者やリーダが気がついているはずなのですが、なかなか声として上がってきません(これについては別の機会に改めて書きます)。
すぐ半田槽のメンテナンス担当のエンジニアを呼び、状況を見せる。すると彼は、ひょいっとスプレーフラクサの駆動用の空気圧をあげて終わりです。問題点に対して原因を追究すると言う姿勢がほとんど見られません。これは中国だけの話ではないかもしれません。最近の日本でもこのような局面はないでしょうか?
メンテナンスをしているエンジニアにしてみれば、フラクサのノズルの動きが遅いので、空気圧を上げて早く動くようにした。彼にしてみれば、ちゃんと因果関係の整った道理なのでしょう。しかしなぜ遅いのか?昨日まで同じ空気圧で早く動いていたはずです。これが本当の因果関係です。ここをきちんと追求しないで、空気圧だけあげるのは原因に蓋をして対策だけするようなものです。後日また同じ問題が発生し、ついには空気圧をあげきってしまいます。
要はノズルの駆動部分にフラックスが付着してきて動作が遅くなっていると言うことを、見抜けないまま空気圧だけをあげると、フラックスがますます付着してこてこてになってしまいます。空気圧などあげないで、洗浄してやれば、何事もないわけです。
非常に簡単な実例を示しましたが、現場で起こっていることはもう少し複雑です。ラインにいるエンジニアやリーダにOJTで教える絶好の機会です。ここで現場で教えるだけではなく、これを後日もう一度机上で教えるのです。このように暗黙智→形式智の変換を通してやることにより、知識の共有ができると思います。場合によっては作業標準に落とし込むこともできるでしょう。
知識の共有
「誰のせい?」と同じく中国人リーダのちょっと変なところです。
私は工場にいる間はほとんど、現場にいるようにしています。ラインにいるリーダたちにOJTで私の知識や知恵を伝えたいと思っているからです。
ラインを見ていて何か問題があると、すぐにリーダを呼んで何がいけないのか、どうしなければいけないのかを教えています。座って抽象的な勉強をするより、現場的で実践的なことを教えられます。
しかし問題は、せっかく教えても他のリーダには伝わっていないのです。実際に問題が起こった場所でそのラインのリーダを呼んで教えているので、他のラインのリーダには直接教えていません。彼らも朝昼晩ミーティングをしているので、今日はどんなことを教えてもらったくらいは共有すればよいのにと思うのですが、なかなかうまく行きません。
多分彼らの思考回路はこうなっているのだろうと思っています。
せっかく林先生(私のことです)が私にだけ教えてくれたのだから、他の人には教えられない。
みんなにも教えてしまっては、私の価値(相対的な価値)が下がる。
多分こんなところだろうと思っています。
彼らも非常に熱心にいろいろ聴いてくるのです、そういう意欲はある。しかしそれが全て「私」の為なのですね。
これもひとつの文化的な差異なのだろうと思います。しかしこれは尊重して放って置いてはだめです。
一人の暗黙智が形式智に変わり、みんながそれを共有し各自の暗黙智に落としこむ、さらにそれが昇華して組織の形式智・暗黙智にならないといけません。そうしなければ、優秀なリーダが辞めるたびにまた一からやり直しです。
個人とともに組織が成長しなければならないことをきちんと理解してもらわないといけません。これは話をしただけではだめです。人事評価制度がそうなっていないと誰も信用しません。
例えば優勝を争うような強い野球チームは、ベテランが若手に一生懸命教える。ベテランは出場機会が少なくても、チームがきちんと評価してくれているのを知っているので、何も恐れず自分の持っているものを若手に伝えます。そして時々いい場面で出てきて、渋い仕事をする。
一方弱いチームはその逆です。ベテランは自分が評価してもらう為に、出場機会ばかり追い求める。若手はなかなかチャンスが回ってこない。こういうチームは一時期強くてもすぐだめになる。強さを保とうと思うと次から次へと優秀な選手を連れてこないといけません。
誰のせい?
中国の工場で指導をしていると、中国人のリーダ達の物の考え方の違いを思い知らされる局面がたくさんあります。
例えば、こんなことがありました。
工程で作業員がミスをしたのを見つけました。そのままその製品を目で追いながら順に工程を歩いてゆくと、不良として見つけなければならない検査員が見逃してしまいました。
この事例を元に、リーダたちのOJTをしようと思いすぐに製造、品証、生産技の担当リーダを呼びました。この事例を基に改善をさせようとしたのです。私が見てきたことを伝え、早速みんなの意見を聞きました。
しかしここでの議論は、
製造リーダ:私はちゃんと作業者に教えてある。作業者がちゃんとできないのは作業指導書がちゃんとできていないからだ。IPQC(工程内検査員)だって見逃してるし。
品証リーダ:検査で見つけてもらおうなんて甘い(正論ではあるが)、ちゃんと正しい作業をしてもらわなくては困る。
生産技リーダ:試作製造のときに上がった作業手順書の改善点は全て反映した。
などなど、まずは自分は悪くないと言う話を、延々続けます。こちらの意図は、誰が悪いと言うことを言いたいのではなく、同様な問題が再発しないようにどうしたらよいのかを話し合いたいわけです。
初めの頃はこのやり取りに我慢ができなくて、「昨日のことはどうでもいい。あしたの話をしているのだ。」とよく大きな声を出したものです。
しかしこのごろでは、まず自分が悪くはないと言うことを主張するのが彼らの仕事だ、と言うことに気がつきました。だからじっと我慢をして、喧々諤々が終わった後に、「じゃどうしたらいい?」と聞けるようになりました。
中国の人たちは我々日本人と違って、まず自分は悪くないと主張しなければならない3000年の歴史的文化を背景に持っています(ちょっと大げさか)
文化的な違いはちゃんと尊重しなければなりません。
ただし環境的な違いによる習慣はちゃんと指導してあげれば直るはずです。
例えば、そこいらじゅうにつばを吐く、食べかす(ひまわりの種)を撒き散らす。などは何度も何度も教えれば時間がかかっても直るはずです。これは彼女たちが、農村で育ったので、そのような行為に対し誰も行儀が悪いと叱る人がいなかったからそういう習慣になっているだけです。都会の若い女性はそんなことはしないと教えてやれば、彼女たちだってシティガールにはあこがれているので止めるようになります。
春がない!?
中国では今年は春がないと言います。そんなはずはないだろう、毎年春夏秋冬はあるじゃないかと言っても、今年はないのだと言います。春がない年は、縁起が悪いので結婚とか出産は避けるのだそうです。
よくよく話を聞いてみると、今年は立春(2月4日)が春節(2月9日)より前にあったので、今年(春節以降)は春がないと言うことになるのだそうです。われわれの暦から行くとなんだか信じられませんが、そういうことなのだそうです。
なるほど春節前には、結婚式が続けてあったのはこのためだったのですね。たくさん紅包(ご祝儀のこと)を包まねばなりませんでした。
私の中国の友人も田舎で結婚式があったのですが、3日間連続でお祝いだそうです。想像しただけでも疲れますね。最初の日は新郎新婦の友達が集まってどんちゃん騒ぎ。次の日はそれぞれ新郎側、新婦側で前祝みたいなことをして、親戚友達一同新婦を連れて新郎の家に行く。3日目にようやくホンチャンの婚礼式だそうです。テレビなどで紹介される農村の結婚式そのままですね。
ところで、結婚式のほうはちゃんとスケジュールどおり行くのでよいのですが、出産のほうはそうは行きません。私の友人などは2月2日時点で、もうすぐ生まれそうだと言っておりましたが、その後どうなったのだろう。まぁ年を越して生まれても、それなりに何かしら縁起のいいことを言って、めでたいことにしてしまうのでしょうね。
忘年会
日本ではもう年が明けてしまっていますが、中国では農暦が基準なので春節までは年末です。このところいろんな業者さんから忘年会のご招待を受けています。
こちらでは忘年会のことを「尾牙会」と言うようです。私の中国語の辞書にはこの単語は出てきません。多分台湾でこういうのだと思います。
「除夕」(大晦日のこと)前15日を「尾牙」と言います。「牙」と言うのは歳の意味を代表しているのだそうです。歳の終わりだから「尾牙」と言うわけです。子供は歳を重ねるごとに歯(中国語では「牙」です)が増えてゆくだろう?と説明してくれました。なるほど最後は歳をとるたびに1本ずつなくなってゆくわけね。
こちらの忘年会は生半可な気持ちで参加すると大変な目にあいます。「白酒」(日本のシロザケではありません)の乾杯攻撃が待っています。最初のオードブルの皿が揃うのも待てずに乾杯が始まり、最後のご飯ものとか饅頭が出てくるころには完全に潰れてしまっています。先日は風邪気味なのに断りきれなくて「尾牙会」に参加してえらい目にあいました。
中国ビジネス成功の秘訣は、日ごろの体調管理です(笑)