子曰:“我未见好(1)仁者,恶不仁者。好仁者无以尚之。恶不仁者,其为仁矣,不使不仁者加乎其身。有能一日用其力于仁矣乎,我未见力不足者。盖(2)有之矣,我未之见也。”
《论语》里仁第四-6
(2)盖:あるいは
素読文:
子曰わく:“我未だ仁を好む者、不仁を悪む者を見ず。仁を好む者は、以て之に尚うる無し。不仁を悪む者は、其仁を為さん。不仁者をして其身に加えしめず。能一日も其力を仁に用うること有らんか。我未だ力の足らざる者を見ず。蓋し之有らん。我未だ之を見ざるなり。”
解釈:
子曰く「私はこれまで、真に仁を好む者、真に不仁を憎む者を見たことがない。真に仁を好む者は自然に仁を行なう者で、まったく申し分がない。不仁を憎む者も、つとめて仁を行なうし、また決して不仁者の悪影響をうけることがない。その日その日を仁にはげめばいいのだ。たった一日の辛抱さえできない者はいだろう。私はまだ、それさえもできないような者を見たことがない。」
仁者になるためには、小さな徳を毎日、毎日積み重ねれば良い、ということですね。
対処療法
先週指導先の生産現場で作業員がペンチの柄で製品をたたいているのを発見した.理由を聞いてみると金属製のケース上下を組み合わせると隙間ができてしまうので修正しているという.
まずはペンチの柄でたたくのを止めさせ,小さなプラスチックハンマーを持ってこさせた.
今回初めて量産試作する製品だ.ナゼ隙間ができるのか聞いても要領を得ない.
現物を見ると,金属ケースの加工が図面どおりでなく隙間ができているようだ.図面を持ってきて調べてみろといってもなかなか図面は出てこない.
そのうち品証の責任者が来て,このくらいの隙間ならばOKと判断して帰ってしまった.この工場では品証の役割は良品・不良品の判定だけのようだ.本来であれば,品証は図面と現物を見て現物がきちんと加工できているのか,設計は正しいのか判定しなければならない.その上で次回の生産からどう対応するか決定する.それが品証の役割のはずだ.
現在加工している製品をどうするか,どのレベルで良品と判断するかはたんなる「対処療法」でしかない.対処療法だけでは次回からの本格量産でも作業員は製品を叩き続けなければならない.これでは生産性を阻害するばかりではなく,新たな不良を作りこむことになる.
特に今回は量産試作なのだから,生産開始から設計,生産技,品証が合同で品質,加工性,作業性などについてきちんと現場でレビューをすべきだ.そうでなければ量産が開始された後も品質・生産性が改善されることなく生産を継続しなければならない.
この工場には,品質保証のあり方,商品化フェーズに合わせて何をすべきかなど初歩から叩き込まなければ,進歩はなさそうだ.
このコラムは、2009年7月20日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第107号に掲載した記事を修正・加筆したものです。
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ユニクロ、女児向けジーンズ6万5000本を回収
ファーストリテが子供用ジーンズ6万5000本を自主回収、内側の金具の一部が突起
[東京 13日 ロイター] ファーストリテイリング傘下で国内ユニクロ事業を担うユニクロ(山口県山口市)は13日、全国のユニクロやインターネット通販で販売した女児向けジーンズの一部商品約6万5000本を自主回収すると発表した。内側の金具の一部が突起した商品があり、着用時に皮膚を傷付ける可能性があるという。
回収するのは「KIDS(GIRLS)ストレッチスリムストレートジーンズ」。販売済みの商品から2件、在庫から9件の不具合が見付かっている。
2008年9月末にもユニクロは回収事故を発生させている.このときは起毛ブラシの折れた金属破片が製品に混入している事が分かり,市場回収をした.
販売済みの16,184点から1件クレームが発生した時点で,倉庫在庫63,189点を総点検し16件の不良を見つけている.
品質保証の実務をした事がある人間にとっては,ユニクロは良く努力をしていると分かる.
しかし市場回収は最善の策ではない.
消費者はそのような努力に対して無関心である.新聞告知や回収作業にいくら金がかかっていようが関係ない.また回収だ,という事実のみである.
回収対象品を購入しなかった顧客までが,やはり中国製は…とネガティブな印象を持つ深刻な問題だ.
最善の策は,工程の中で不良を作りこまないことだ.
問題となった「内側金具の突起」の原因工程リベット打ち作業の治工具,作業方法を工夫して不良を発生させない.治工具の日常点検・メンテナンスを徹底する.
また針やブラシなどが折れたときは,作業が継続できないような仕組みを作りこむ.
折れた針は徹底的に回収する.
針などは金属検知装置で検査可能だが,ジッパー,ホックなど商品に初めから金属が付いていることの方が多いだろう.探知機には感度を調整する機能があるが厳しすぎると全てNG,ゆるすぎると折れ針が混入していてもOKとなってしまう.
何度やってもNGとなると検査員は,装置の技術員を呼んで調整しなおしてもらう.
ありがちだが,技術員はひょいと感度を調整して終わり.これでは何のために検査をしているのか分からない.OKサンプルと故意に折れ針を混入させたNGサンプルを使ってきちんと感度調整をすべきである.
こういうやり方は電子部品・製品の検査では当たり前のようにやる.
しかし衣類の場合は,これでも検査は不完全になるだろう.
例えば金属ジッパーの横に小さな折れ針があったとしたら検出は不可能だ.
従って基本どおり,工程内で折れ針が混入しないことを保証するしかない.
このコラムは、2008年11月17日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第63号に掲載した記事を修正・加筆したものです。
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戦う品証
会社員時代の最後の職位は、品質保証部長だった。実は子供の頃から設計の仕事がしたくて電子工学を勉強し、就職をした。品質管理、品質保証の仕事をするぐらいならば、会社を辞して転職しようと考えていた。
しかしある日突然、担当役員の前で事業部長が「明日から林に品質保証部を担当させます」と宣言。何も聞かされていなかったので我が耳を疑った(笑)社内ベンチャーのような小事業部で、ちょっと変わった製品の開発をしていた。その製品が工程内で不良となり、役員に報告が遅れた為大目玉を食らっている最中の事業部長発言だった。
志通り会社を辞めようかとも思ったが、住宅ローンを抱え、守らねばならない家族もあったので、唯々諾々と事業部長の突然の辞令に従うことになった。しかしやってみると、品質保証の仕事が面白い。自分の天職とすら思える。転職せずに天職を得た(笑)
品質保証部門を任され部門のスローガンを「戦う品証」とした。
部外の同僚は「品質クレームを言ってくる顧客と戦う」と考えていたようだ。しかしそうではない。「守り」に対する「攻め」なのだ。
問題が起きてから火消しをするのが「守り」であるとすれば、問題が起きる前に手を打つのが「攻め」だ。守りの戦いではなく、攻めの戦いをしようという発想で「戦う品証」と言う看板を掲げた。
設計や製造の失敗事例から未然防止を考える、と言う発想を事業部内に定着させた。
設計技術者だった頃から、周辺装置を担当しOEMメーカの工場に出入りをし、不具合の再発防止対策をすることが多かった。その経験で信頼性技術が磨かれた。もし自分が一流の回路設計者であれば、周辺装置の仕事は回ってこなかった。
二流の回路設計能力、突然の辞令という不幸、不運があるから天職を得て今の仕事につながっている。
「失敗から学ぶ」と言うより「不運をチャンスに転じる」と言うことだろうか。
このコラムは、2018年5月16日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第667号に掲載した記事に修正・追記しました。
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品質不良のアフターフォロー
以前一緒に仕事をした台湾人から久し振りにSkypeでチャットの呼び出しがあった.
生産委託工場の品証部経理をしていた人で,お互い職場が変わっても時々連絡をくれる.
中国語でのチャットは正直疲れるのだが(笑)昔一緒に仕事をしていた人から連絡がもらえるのは楽しいものだ.
今彼は蘇州方面にある,医療器具メーカの品証経理をしている.今回の報告は客先からの不良クレームの件であった.
OEMユーザに出荷した新製品第一ロットの製品の主銘版ラベルの貼り方向が間違っている,というクレームだ.
ちょうど国慶節休暇の最中であったが,彼は休暇中どこにも行くあてがなかったので(笑)即バスと電車を乗り継いで顧客の工場に出向いた.
顧客側はすぐ来てくれるとは考えていなかったようで,休暇中の訪問を大歓迎してくれた.
彼は叱られると覚悟をしていったのが,嬉しい肩透かしであった.
しかも帰りには,次のロットからシェアを上げてもらえる,という約束をもらって帰ってきた.
営業がいくら頑張ってももらえなかったシェアをいとも簡単にもらえた.
そんな事を嬉しそうに話してくれた.
しかし喜んでばかりはいられない.
原因の特定と再発防止が必要である.例によって「作業者に注意します」という報告書を書くつもりだったようだが(苦笑)事情を聞いてみると,最初の仕様決めのときに問題があったようだ.
OEMユーザの図面にはラベルの方向が明示してなかった.
彼には受注時に,顧客仕様が製品設計に十分な情報が揃っているかどうかもレビューするようにアドバイスした.
顧客不良に対するアフターフォロー(後始末)も大事だが,不良を発生させないビフォアフォロー(前始末)はもっと重要だ.
以前開発のエンジニアをしていた時に,新製品に某OEMメーカのCRTディスプレイを採用した事がある.
採用決定後OEMメーカの品証部から最終完成品を見せてくれと申し入れがあった.OEMメーカの品証エンジニアは我々の製品をチェックし,高電圧(25kV)のアノードキャップから25mm以内に金属筐体があるので設計変更をしてくれと申し入れてきた.
アノードキャップは絶縁体でできており,アノード電極(25kV)がむき出しになっているわけではない.従って筐体を設計変更する必要はないと感じたが,OEMメーカの心意気に感心した私は,すぐにメカ設計チームに設計変更を要求した.
こういうのが本当の品質保証活動だと思うのだ.
このコラムは、2008年11月3日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第59号に掲載した記事です。
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データは現場・現物で見る
不良の低減とか生産性の改善をする場合,データは重要な鍵になる.しかしデータから見えてくることだけでは改善はできない.
例えば工程間の作業バランスを改善するために,各工程の作業時間を測定し机上で検討してもあまり良いアイディアは出ない.
つまり計測した作業時間データは,今の作業方法によるデータでありそれをいくらひねっていても大きな改善にはならない.
作業時間と仕上がり数量から平均作業時間を求めても何も分からない.このデータからは,作業者ごとの作業時間のばらつき,作業者間の作業時間のばらつきは見えてこない.
作業現場を良く観察することにより改善するポイントが分かる.着眼点はばらつきだ.
理論的な作業時間分析どおりに作業ができていることはあまり無い.作業時間のばらつきから無駄な動作が見えてくる.作業者間のばらつきから,習熟度に依存してしまう作業や,細かな作業方法の違いによる効率の差が見えてくる.
これらは現場でしか分からない改善ポイントだ.
不良統計データも現場・現物で見直す.同じ不良現象の中に,別の原因が含まれている事がある.
例えば異物や傷による外観不良は統計データだけでは,改善ポイントは見えない.現場・現物を見ることにより初めてどこで,どうして異物や傷が発生しているかがわかる.
データを取る事が無駄というわけでは無い.悪さ加減を知る,改善効果を測定するためにもデータは必要だ.改善に役に立たないデータの収集や加工はやめる.その時間があれば現場に出かけるほうが効果が高い.
このコラムは、2009年7月20日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第107号に掲載した記事です。
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孟武伯問う
孟武伯(1)问:“ 子路仁乎?” 子曰:“不知也”。又问。 子曰:“由(2)也,千乘之国(3),可使治其赋(4)也,不知其仁也”。
“求(5)也何如?” 子曰:“求也,千室之邑(6),百乘之家(7),可使为之宰(8)也,不知其仁也。”
“赤(9)也何如?” 子曰:“赤也,束带(10)立于朝(11),可使与宾客(12)言也,不知其仁也” 。《论语》公冶长第五-8
(2)由:孔子の弟子。姓は仲、名は由。字は子路。
(3)千乘之国:兵車を千台持っている規模の諸侯の国。
(4)赋:兵
(5)求:孔子の弟子。冉有、名は求。字は子有。
(6)千室之邑:数千戸程度の町
(7)百乘之家:兵車を100台くらい持っている卿大夫の家
(8)宰:卿大夫の家の長官
(9)赤:孔子の弟子。姓は公西、名は赤、字は子華。
(10)束带:礼服に締める帯。朝廷で礼服を着用すること。
(11)朝:朝廷
(12)宾客:外国の賓客
素読文:
孟武伯問う:「子路は仁なるか。」子曰わく:「知らざるなり。」又問う。子曰わく:「由や、千乗の国、其賦を治めしむべきなり。其仁を知らざるなり。」
「求や何如。」子曰わく:「求や、千室の邑、百乗の家、之が宰たらしむべきなり。其仁を知らざるなり。」
「赤や何如。」子曰わく:「赤や、束帯して朝に立ち、賓客と言わしむべきなり。其仁を知らざるなり。」
解釈:
孟武伯が問う「子路は仁者でしょうか?」孔子曰く「子路が仁者かどうかはわからない」再び問う。孔子曰く「子路は、千乗の国の軍を治めることはできよう。しかし仁者かどうかはわからない。」
「では子有は仁者でしょうか?」「子有は千戸の邑(町)の代官や百乗の家の宰相を務めることができよう。しかし仁者かどうかはわからない。」
「では子華は仁者でしょうか?」「子華は式服を着け、宮廷で外国の賓客と話し合うことはできよう。しかし仁者かどうかはわからない。」
論語の中で孔子はしばしば人物評を口にしています。この節では子路、子有、子華の3人の弟子が仁者であるかどうかを問われ、答えています。3人の弟子の順位をつけるとすれば、子路:千乗の国の総裁。子有:百乗の町の総裁。子華:朝廷の官吏。ということでしょうか?しかし3人とも仁者であるかどうかはわからない、と答えています。当然3人とも孔子の高弟なので仁者であると考えても良いでしょう。
人には仕事の向き不向きがありそれぞれに能力を発揮する職位がある。しかし仁者かどうかを決定するのはその人の職位によるものではない。孔子はこういうことを孟武伯に伝えたかったのではないでしょうか?