投稿者「master@QmHP」のアーカイブ

礼を知る

tàimiào(1)měishìwènhuò(2)yuē:“shúwèizōurénzhī(3)zhītàimiàoměishìwèn。”wénzhīyuē:“shì。”

《论语》八佾第三-15

(1)太庙:初代の君主を祀った廟、魯の周公旦の廟
(2)或:ある人
(3)鄹人之子:鄹は孔子の出身地。孔子を馬鹿にした言い方。

素読文:

たいびょうりて、事毎ことごとう。あるひといわく、たれ鄹人すうひとれいるとうか。たいびょうりて、事毎ことごとう。これきていわく、れいれなり。

解釈:

孔子が周公旦の祭祀を執り行った時、事ごとに手順を尋ねた。これを見たある人は、鄹の小倅・孔子は礼を知ると言われているが、祭祀の手順を度々聞いているではないかと嘲った。
孔子は手順ごとに確かめながら進めるのが礼である、と言った。

送迎バス園児取り残し

 沖縄県糸満市の市営バスで16日夕、車内に小学生の児童1人が一時取り残されていたことがわかった。児童は10分後に窓を開けて自力で脱出し無事だった。運転手が確認を怠ったという。市が22日、発表した。
 市によると、児童は16日午後4時12分、予約制の巡回バス「いとちゃんmini」(10人乗り)に乗車。眠って目覚めたときには車内に誰もおらず、携帯電話で母親に連絡した。母親の指示でクラクションを鳴らしたが誰にも気づかれず自力で窓を開けて下車。バスは終点の営業所に停車しており、そこで保護されたという。
 児童の降車地はバスに登録されていたが、運転手は停車せずに通過。午後5時2分ごろ終点についた際も、児童に気づかずに施錠したという。バスを運行する会社から報告を受けた市は20日、保護者に謝罪した。

(朝日新聞 9月23日朝刊より)

 この手の事故が何度も再発している。自分のところでは発生しないと過信しているため、有効な再発防止策がとられていないのだろう。

自分の園では発生していいないので「再発防止」は不要だと考えている自信過剰な人はいないだろう。他所で発生した事故の再発防止は「勉強代」無料で事故防止できるのだから、積極的に再発防止対策を実施すべきだと思う。

何度も同様の事故が発生している原因は「注意する」「ダブルチェックする」など効果が期待できない再発防止対策しかできていないためだ。 

2人でチェックする、など非効率な方法は「忙しければ」おろそかになる。園長先生の事故も発生している。職場の上下関係があれば「園長先生のやったことをチェックする」というのは若手の先生には心理的負担になるかも知れない。

ムダな手間をかけずに、簡単にできる方法を考えるべきだろう。
今回のように「子供にスマホを持たせておく」というのは家族ができる再発防止対策だ。しかし事故の責任は幼稚園側にある。バスの運行で対策を考えるべきだ。

運転を終了しバスに鍵をかける前に、運転手又は添乗員が一番後ろの席まで行かねばならないような仕組みを考える。

例えばバスの扉を閉めるための鍵をエンジンをかける鍵と別にする。その鍵は最後列に置いておく。バスの通路を目を瞑って最後列までゆく運転手はいないだろう。子供が寝てしまっていても目に入るはずだ。

運転手が休みで園長先生が送迎バスを運転。外出中に園長先生宛に電話があり、園に到着時に若手先生が折り返し電話の伝言を伝え、園長先生は残っている子供のチェックをせずに自室に向かう。閉めずに走っていった園長先生のために若手先生は扉を丁寧にバスの扉を閉めてしまう。こんなことがありそうだ。

運転手が到着後、別の人間が扉に鍵をかけるときもバスの最後列まで行かねばならないようにしておく、それを知らない職員はバスの扉に鍵をかけることができない。こんな手順を実装しておけば、手順を知らない運転手が運転しても事故は起きないはずだ。

通常は鍵のかけ忘れの事故の方が多いだろう。鍵をかけてしまったため事故が発止するという珍しい事例は、即再発防止をそれぞれの現場で考えた方が良かろう。


このコラムは、2022年9月28日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1351号に掲載した記事です。

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周は郁郁として文なるかな

yuē:“zhōujiànèrdài(1)(2)wén(3)zāicóngzhōu。”

《论语》八佾-第三-14

(1)二代:夏・殷の二王朝
(2)郁郁乎:文化が栄えている様子
(3)文:文化が美しく盛んなこと

素読文:
いわく:“しゅうだいかんがみて、郁郁いくいくとしてぶんなるかな。われしゅうしたがわん。”

解釈:
子曰く“周の王朝は、いん二代の王朝の諸制度を参考にして、文化を繁栄させた。私は周の文化に従いたい”

孔子は周公旦の治世を理想と考えていたようです。

います如く祭る

zài(1)shénshénzài(2)yuē:“(3)。”

《论语》八佾第三-12

(1)祭如在:先祖を祭る時はそこに先祖がいるように祭る
(2)祭神如神:神を祭る時はそこに神がいるように祭る
(3)不与祭,如不祭:祭るに参加しなければ祭った気がしない

素読文:
まつることいますがごとくす。かみまつるにはかみいますがごとくす。いわく、われまつりにあずからざれば、まつらざるがごとし。

解釈:
先祖を祭る時はそこに先祖がいるように、神を祭る時はそこに神がいるように祭る。孔子曰く“祭りに参加しなければ祭る気がしない。”

先祖や神を祭る時は、そこに神や先祖がいるように祭らねばならない。
前節では「祀る」という字を使っていますが、この節では「祭る」の字を使っています。
どのように使い分けているのでしょうか?

禘の説を問う

huò(1)wèn(2)zhīshuōyuē:“zhīzhīshuō(3)zhězhītiānxiàshì(4)zhū。”zhǐzhǎng(5)

《论语》八佾第三-11

(1)或:ある人
(2):神と祖先を祀る儀式
(3)说:意味
(4)示:見せる
(5)指其掌:掌を指差す。容易である

素読文:
あるひとていせつう。いわく:“らざるなり。せつものてんけるや、これここしめすがごときか、と。”たなごころせり。

解釈:
ある人が禘の祭祀のことを尋ねた。孔子曰く「私は知らない。禘の祭祀のことを理解する者が治める国が安泰であることは、手のひらを指差すように明らかであろう」

前章で孔子は魯の国の禘の祭祀は見るに値しないと言っていますが、禘の祭祀の本当の意義を理解している者が世をとうちすれ

禘の儀式

yuē:“(1)guàn(2)érwǎngzhěguānzhī。”

《论语》八佾篇第三-10

(1)禘:神と祖先を祀る儀式
(2)灌:酒を地に注ぎ神を招く

素読文:
いわく:“ていすでかんしてよりのちは、われこれみるほっせず。”

解釈:
孔子曰く“ていの祭は酒を地にそそぐ降神式の後は、見る気がしない。”

この節を読むだけでは、なぜ孔子が禘の儀式を見るに値しないと言っているのか不明ですが、魯の先帝と古代の神が同列に扱われているのが礼に反すると考えていたのでしょうか。

古代の礼

yuē:“xià(1)néngyánzhī(2)zhēng(3)yīn(4)néngyánzhīsòng(5)zhēngwénxiànnéngzhēngzhī。”

《论语》八佾篇第三-9

(1)夏:中国最古の王朝。
(2)杞:周の武王が夏の子孫を封じた国。
(3)徵:証明する。「征」の字を使う例もある。
(4)殷:中国古代の王朝。
(5)宋:春秋戦国時代の国。

素読文:
いわく、れいわれよくこれえども、ちょうするにらざるなり。いんれいわれこれえども、そうちょうするにらざるなり。文献ぶんけんらざるがゆえなり。らばすなわわれこれちょうせん。

解釈:
孔子曰く:“私はよく夏の礼制について話すことがあるが、夏の後継国・杞に十分な文献が残っていない。私はしばしば殷の礼制について話すことがあるが、殷の後継国・宋に十分な文献が残っていない。
それらがあれば、私が言っていることが正しいと証明されるはずだ。

文献が残っていないことを、当時の礼はこうであっただろうと孔子は推測したのでしょうか?

子夏と詩を語る

xiàwènyuē:“qiǎoxiào(1)qiàn(2)měi(3)pàn(4)(5)wéixuàn(6)wèi(7)?”
yuē:“huìshìhòu(8)。”
yuē:“hòu(9)
yuē:“zhěshāng(10)shǐyánshī(11)。”

《论语》八佾第三-8

(1)巧笑:愛らしく笑う
(2)倩兮:口もとが可愛い
(3)美目:美しい目元
(4)盼:黒目と白目がくっきりしている
(5)素:胡粉(白色顔料)で下地を塗る
(6)绚:綾模様をつける
(7)何谓也:どういう意味でしょう
(8)绘事后素:絵を描くときは白を後にする
(9)礼后乎?:礼は最後の仕上げなりや
(10)起予者商也:私の言わんとするところをいうのは商(子夏なり)
(11)始可与言诗已矣:君となら詩を語り合える

素読文:

子夏しかいていわく、こうしょうせんたり、もくはんたり、もっあやすとは、なんいいぞや。いわく、ことのちにす。いわく、れいのちなるか。いわく、われおこものしょうなり。はじめてともうべきのみ。

解釈:

子夏が孔子に問う“愛らしく笑い、口元が可愛い、目元が美しく、瞳がぱっちり、化粧をすれば愛らしいとはどんな意味でしょう。”
孔子曰く“絵を描くときは、最後の仕上げに胡粉をかける、というようなことだ”
子夏曰く“礼は人生最後の仕上げという意味でしょうか?”
孔子曰く“商(子夏)よ、君には私も教えられる。それでこそ共に詩を語り合えるというものだ”

流行歌のような詩を子夏はうわべだけでなく、人生教訓と解釈。孔子が感心して、共に詩を語り合える、と褒めた。褒められて子夏はどう答えたかはは書かれていませんが、師匠から褒められて嬉しかったでしょうね。

ムダ取り

 生産改善の仕事をするときは、まずモノの流れを見えるようにする。そして作業のムダ取りに多くの時間を割いている。機械化による人員削減を考えておられる工場でも同じだ。
作業改善をせずに機械化してしまえば、ムダも一緒に機械化してしまうことになる。

ボトルネックになっている作業のムダ、ムラ、ムリを省く。モノの置き方、手の動かし方を最適にすれば、2秒3秒とサイクルタイムが短くなる。小さな改善だが、これをすることにより、一緒に改善活動をしているメンバーがこつを飲み込むのを目的にしている。この小さな改善は、現場が継続して行かなければならない仕事だからだ。コンサルの仕事が終わった後でも、改善を継続するためには、現場の改善力をつけなければならない。

各工程のサイクルタイムがタクトタイムに対して余裕が出てきたら、工程間で作業の組み換えをして、作業員を抜いてゆく。省人化により改善の効果が加速してくる。この段階で半自動化を検討すると、効果は更に加速する。

4人で分担していた作業を、半自動機でナガラ化し3人減らしたこともある。
前段で、工程の流れをすっきりさせ、作業のムダ取りをしなければ、うまくは行かなかっただろう。

意外にも、日々生産をしている人たちには気が付かない様だ。
仕掛品を置く棚の場所を変えただけで、十数%生産効率が上がったこともある。毎日仕事をしていると、その場所が当たり前になってしまい、動かすと言う発想が出てこないのだろう。

コツは簡単だ、作業を見ていてムダな動作をやめればよいのだ。
まとめて作ったほうが得だと言う考えも捨てた方が良い。取り置きのムダが発生する。
治工具の交換が発生するので、まとめて作ったほうが得だと、安易に考えない。
どうすれば治工具の交換が早くなるか。
どうすれば治工具を交換しなくてすむか。
と言う考え方をすれば、改善ができる。


このコラムは、2011年3月7日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第195号に掲載した記事です。

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正論は暴力になりうる

 コロナ禍の閉塞感に感じたことはいくつもある。それらの共通点を見つけるとすると「正論は暴力になりうる」ということではなかろうか?
「自粛要請」という名を借りた飲食店の酒類提供自粛、夜間営業自粛これらの「要請」により売り上げ減少により経営破綻した人、収入をたたれた人、など多くの困窮者が出ただろう。また夜間働く人々は深夜食堂の営業自粛により、空腹難民となったことだろう。

「コロナの拡散防止」の正論のもとに科学的根拠の薄い要請は社会的暴力と言えるだろう。市民同士でも根拠のないデマが正論の元に拡散し暴力となる。

「〇〇すべき」もしくは「〇〇すべきでない」という文言には注意が必要だ。

これは社会問題だけではない。
我々の仕事の中にも、暴力とは言えないかも知れないが、根拠のない常識がまかり通っていることはないだろうか?

代々伝わっている「べからず集」の中には、陳腐化したまま厳守されているモノも有るだろう。これらを家訓の如く信じ込んでいると、時代の流れに取り残される。深刻な被害がなくともなますを吹いて食べる様な無駄に気がつかなくなる。

若者、よそ者、馬鹿者が世の中に変化を起こすというが、常識を超えた改革をもたらすのは、正論に立ち向かう勇者だろう。


このコラムは、2021年12月17日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1229号に掲載した記事です。

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