子曰:“君子疾(1)没世(2)而名不称(3)焉。”
《论语》卫灵公第十五-20
(1)疾:恥じる
(2)没世:死んだ後
(3)不称:自分の名が世間に評判にならない
素読文:
子曰く:“君子は世を没するまで、名の称せられざるを疾む。”
解釈:
孔子曰く:“君子は死んだ後に、自分の名が称賛されないのを恐れる。”
君子たるもの仁を尽くし、道を極め徳を積むことが本懐です。名前が称賛されることは、結果であって目的ではありません。
子曰:“君子疾(1)没世(2)而名不称(3)焉。”
《论语》卫灵公第十五-20
(1)疾:恥じる
(2)没世:死んだ後
(3)不称:自分の名が世間に評判にならない
素読文:
子曰く:“君子は世を没するまで、名の称せられざるを疾む。”
解釈:
孔子曰く:“君子は死んだ後に、自分の名が称賛されないのを恐れる。”
君子たるもの仁を尽くし、道を極め徳を積むことが本懐です。名前が称賛されることは、結果であって目的ではありません。
子曰:“君子病(1)无能焉,不病人之不己知也。”
《论语》卫灵公第十五-19
(1)病:気に病む、心配する。
素読文:
子曰く、君子は能無きを病う。人の己を知らざるを病えざるなり。
解釈:
君子たるものは自らが無能であることを憂う。しかし人から認めてもらえないことには憂えない。
子曰:君子义以为质(1),礼以行之,孙(2)以出之,信(3)以成之,君子哉。
《论语》卫灵公第十五章-18
(1)质:本質
(2)孙:謙遜
(3)信:信義
素読文:
子曰く:“君子は義以て質と為し、礼以て之を行ない、遜以て之を出し、信以て之を成す。君子なるかな。”
解釈:
子曰く:“道義をもって本質とし、礼儀に従って行動し、謙虚に発言し、信義を以て成し遂げる。これでこそ君子と言える。”
子曰:“直哉史鱼(1)。邦有道如矢(2),邦无道如矢。君子哉,蘧伯玉(3)。邦有道则仕(4),邦无道则可卷而怀之(5)。”
《论语》卫灵公第十五-7
(1)史鱼:衛の大夫。名は鰌。字は子魚
(2)如矢:矢のようにまっすぐな性格。
(3)蘧伯玉:衛の大夫。姓は蘧。名は瑗。伯玉は字。
(4)仕:士官する。
(5)卷而怀之:才能を隠し世に出ない。
素読文:
子曰く、直なるかな史魚。邦に道有れば矢のごとく、邦に道無きも
解釈:
孔子曰く:“史魚は真っ直ぐな性格だ。世間に道が有っても無くても矢のように真っ直ぐでいられる。蘧伯玉は君子だ。世間に道があれば世に出て士官する。世間に道がなければ才能を隠し世に出ない。”
ここでいう「道」は道路ではなく道徳とか道理のことと理解しました。
しかし邦に道無くば、出て世を正すのが本物の君子ではないでしょうか。
子路问君子。子曰:“修己以敬。” 曰:“如斯而已乎?” 曰:“修己以安人(1)。” 曰:“如斯而已乎?” 曰:“修己以安百姓(2)。修己以安百姓,尧(3)舜(4)其犹病诸?”
《论语》宪问篇第十四-42
(1)安人:上層の人を安心させる。
(2)安百姓:庶民を安心させる。
(3)尧:中得五帝时代(紀元前3077年〜紀元前2029年)第四代皇帝。
(4)舜:中得五帝时代第五代皇帝。
素読文:
子路君子を問う。 子曰く:“己を脩めて以て敬す。” 曰く:“斯のごときのみか。” 曰く:“己を脩めて以て人を安んず。” 曰く:“斯のごときのみか。” 曰く:“己を脩めて以て百姓を安んず。己を脩めて以て百姓を安んずるは、堯舜も其猶諸を病めり。”
解釈:
子路が君子の道をたずねた。
孔子曰く:“慎みをもって修養することだ”
子路問う:“それだけでしょうか”
孔子曰く:“己を修養して人を安んずることだ”
子路問う:“それだけでしょうか”
孔子曰く:“己を修養して天下の民を安んずることだ。天下万民を安んずるのは、堯や舜のような聖天子も心をなやまされたのだ”
堯や舜の時代はどうだったのかわかりませんが、己を脩めた人も立場が変わると民を安んじるよりは、己を安んじることに熱心になるようです。
南宫适(1)问于孔子曰:“羿(2)善射,奡(3)荡舟(4),俱不得其死然。禹稷(5)躬稼而有天下。” 夫子不答。南宫适出。
子曰:”君子哉!若人。 尚德哉!若人。”《论语》宪问第十四-5
(1)南宫适:南宫适,又の名を南宫子。西周の賢者。孔子七十二賢の一人と言う説もあり。
(2)羿:中国神話に登場する弓の名手
(3)奡:古代の伝説の力持ち。
(4)荡舟:手で船を揺りうごかす。奡の百人力を形容する言葉。
(5)禹稷:禹は夏朝開国の君子。治水により農業の振興を図った。稷は周朝の始祖。穀物の生産を振興した。
素読文:
南宮适、孔子に問いて曰く:“羿は射を善くし、奡は舟を盪かす。倶に其の死の然るを得ず。禹・稷は躬から稼して天下を有つと。”
夫子答えず。南宮适出ず。子曰く:“君子なるかな若き人、徳を尚ぶかな若き人。”
解釈:
南宮适が孔子に問うて曰く:“羿は弓の名手であり、奡は大船をゆり動かすほどの大力だが、いずれも非業の最期をとげました。しかるに、禹と稷とはみずから耕作に従事して、ついに天子の位にのぼりました。これについての先生のご感想を承りたいと存じます”
孔子はは答えなかった。南宮适がその場を去ったのち曰く:“あのような人こそ、まことの君子だ。あのような人こそ、まことに徳を尊ぶ人だ”
孔子は直接本人を褒めず、身辺の弟子に「あいつはすごい」と影で褒めて当人に間接的に伝わることを期待していたのでしょうか。
子曰:君子耻其言而过其行。
《论语》宪问第十四-27
素読文:
子曰く:“君子は其の言の其の行ないに過ぐるを恥ず。”
解釈:
子曰く:“君子は口ばかりで行動しないのを恥ず。”
孔子は為政-13で“先行其言,而后从之”行動が先で言葉は後だ、と言ってます。行動が言葉以下であれば、何をか言わんやです。
棘子成(1)曰:“君子质而已矣,何以文为?”
子贡曰:“惜乎,夫子(2)之说君子也,驷不及舌(3)。文犹质也,质犹文也,虎豹之鞹(4),犹犬羊之鞹。”《论语》颜渊第十二-8
(1)棘子成:衛国の大夫
(2) 夫子:大夫以上の人に対する尊称
(3)驷不及舌:一度口に出したことは取り返しがつかない。舌から出た言葉は驷(四頭立ての馬車)でも追いつかない。
(4)鞟:鞣し革
素読文:
棘子成曰く、君子は質のみ。何ぞ文を以て為さんと。子貢曰く、惜しいかな、夫子の君子を説くや。駟も舌に及ばず。文は猶お質のごとく、質は猶お文のごときなり。虎豹の鞟は猶お犬羊の鞟のごとし。
解釈:
衛国の大夫・棘子成曰く「君子として重要なのは内面的な質である。外面的な見かけや作法は重要ではない」
これを聞いた子貢は「残念ながら、あなたの意見には同意しかねる。内面は外見に表われ、外見は内面に影響する。虎や豹の毛皮も鞣してしまえば犬や羊の毛皮と同じになってしまう」と諫めた。
礼儀作法の「型」を極めれば、その人の内面が磨かれる。武道の「型」を極めれば何事も恐れぬ胆力を得る。
逆も然り。
子曰:“不在其位,不谋其政。”曾子曰:“君子思不出其位。”
《论语》宪问第十四-26
素読文:
子曰く:“其の位に在らざれば、其の政を謀らず。”
曾子曰く:“君子は思うこと其の位より出でず。”
解釈:
子曰く:“その地位にないものは、その職務について口を出すべきではない。”
曾子曰く:“君子は自らの本分を超えたことを考えない。”
仕事上の処世術では「自分の職位より一つ二つ上の立場から考えて行動せよ」と言います。しかしこれは自分より上位職の行動に口を挟むということではありません。
司马牛(1)忧曰:“人皆有兄弟,我独亡。”
子夏曰:“商(2)闻之矣,死生有命,富贵在天。君子敬而无失,与人恭而有礼,四海之内,皆兄弟也。君子何患乎无兄弟也。”《论语》颜渊第十二-5
(1)司马牛:孔子の弟子。姓は司馬。名は耕または犁。字は子牛。かつて孔子を殺そうとした桓魋の弟。
(2)商:子夏の名
素読文:
司馬牛憂えて曰く:“人は皆兄弟有り、我に独り亡し。”
子夏曰く:“商之を聞く。死生命有り。富貴天に在り。君子敬して失なう無く、人と与わるに恭しくして礼有らば、四海の内、皆兄弟なり。君子何ぞ兄弟無きを患えんや。”
解釈:
司馬牛が憂えて言う「誰にも兄弟があるのに、私だけにはない」
子夏が慰めて言う「私は死生や富貴は天命だときいている。君子として、敬する気持ちを忘れず、恭しく礼を尽くせば、四海のいたるところに兄弟は見出せるではないか。君子たるもの肉親の兄弟に縁のうすいのを憂う必要があろうか」
実の兄が孔子を殺そうとしたことを負い目に思っていた司馬牛に対して、子夏は血の繋がりだけが兄弟ではない。同じ志を持つものも兄弟として接すれば良いのだと慰めたのでしょう。