中国文化・中国語」カテゴリーアーカイブ

君子は騙せるか

zǎiwènyuē:“rénzhěsuīgàozhīyuējǐngyǒurén yāncóngzhī?”
yuē:“wéiránjūnshìxiànwǎng。”

《论语》雍也篇第六-24

素読文:

さいいていわく、仁者じんしゃこれげてせいひとりとうといえども、これしたがわん。
いわく、なんれぞしからんや。くんかしむきなり。おとしいからざるなり。あざむきなり。からざるなり。

解釈:

宰我が「仁者は、もしも井戸の中に人がおちたと言えば、すぐに井戸に飛び込んで助けるでしょうか」と孔子に尋ねた。
孔子曰く「どうしてそんなことをするだろうか。君子はだまされて井戸まで行くかもしれない。しかし、陥れることはできない。人情に訴えてあざむくことはできても、正しい判断力は失わないだろう」

知とは何か

fánchíwènzhìyuē:“mínzhījìngguǐshénéryuǎnzhīwèizhì。”
wènrényuē:“rénzhěxiānnánérhòuhuòwèirén。”

《论语》雍也篇第六-22

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素読文:

はんう。
いわく、たみつとめ、しんけいしてこれとおざく。し。
じんう。いわく、仁者じんしゃかたきをさきにしてるをのちにす。じんし。

解釈:
樊遅が孔子に“知”とは何かを問う。
孔子は「正義を務め、神仏に対しては敬意は持つが、一定の距離を持つのを知という」と答えた。
樊遅はさらに“仁”とは何かを問う。
孔子は「仁者は困難なことを先にし、理を得るのを後にする」

知者は変化の法則を求め、仁者は変わらぬ真理を求める

yuē:“zhìzhěshuǐrénzhěshānzhìzhědòngrénzhějìngzhìzhěrénzhě寿shòu

《论语》雍也篇第六-21

素読文:

いわく、しゃみずたのしみ、仁者じんしゃやまたのしむ。しゃうごき、仁者じんしゃしずかなり。しゃたのしみ、仁者じんしゃ寿いのちながし。

解釈:

子曰く:“知者は水に歓びを見出し、仁者は山に歓びを見出す。知者は活動的であり、仁者は静寂である。知者は変化を楽しみ、仁者は永遠のなかに安住する”

知者は変化を追求し、仁者は変わらぬものを好む、という解釈でしょうか。

正直であれ

yuē:“rénzhīshēngzhíwǎng(1)zhīshēngxìngérmiǎn。”

《论语》雍也篇六-19

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(1)罔:ない

素読文:

いわく、“ひとくるやなおし。これみしてくるや、さいわいにしてまぬかる。”

解釈:

孔子曰く“人間とは、本来、正直に生れついている。それを無視して生きていられるのは、たまたま天罰を免れているに過ぎないのだ”

正直であれ。さもなくばいつかは天罰が降る。と言う意味でしょう。

文質彬彬

yuē:“zhì(1)shèngwén(2)(3)wénshèngzhìshǐ(4)wénzhìbīnbīn(5)ránhòujūn。”

《论语》雍也篇第六-16

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(1)质:生まれつきの資質
(2)文:教養による形式的な美しさ
(3)野:田舎臭い
(4)史:文書を管理する役人(形式的で心がない)
(5)彬彬:見た目も内容も整っていること

素読文:

いわく、“しつぶんてばすなわなり。ぶんしつてばすなわなり。文質ぶんしつ彬彬ひんぴんとして、しかのちくんなり。”

解釈:

孔子曰く“気立が良くても、教養がなければ野人。教養があっても、気立が良くなければ実務者以上にはなれぬ。教養と気立が揃って君子となる。”

人の通る道

yuē:“shuínéngchūyóuyóudào。”

《论语》雍也篇第六-15

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素読文:
いわく、たれづるにらざらん。なんみちることきや。

解釈:

孔子曰く:“外に出るのに戸口を通らないものはない。しかし、どうして人々は、人間が世に出るのに必ず通らなければならないこの道を通ろうとしないだろう”

孔子は処世の道を守らない愚者を嘆いたのでしょう。もちろん農民など教育を受けていない貧民のことではないでしょう。それなりの地位にある者が正しい「道」を歩んでいない、と嘆いています。現代でも、政治家、大企業の経営者など人の道を踏み外している者を数えたら切りがありません。

世渡りは口先と見た目

yuē:“yǒuzhùtuó(1)zhīnìng(2)éryǒusòngzhāo(3)zhīměinánmiǎnjīnzhīshì。”

《论语》雍也第六-14

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(1)祝鮀:衛の大夫。名は鮀、あざなは子魚。祝は、宗廟の祭祀の官。霊公に仕え、雄弁であったといわれている。
(2)佞:弁舌がたくみである。「おもねる」の意ではない。
(3)宋朝:宋の公子、名はちょう。美男子であったという。

素読文:

いわく、しゅくねいらずして、そうちょうるは、かたいかないままぬかれんこと。

解釈:

孔子曰く:“祝鮀の様に弁が立ち、宋朝の様に美男でないとこの世には務まらないらしい”
孔子は、口先のうまい者、見た目が良い者でなければ治世は務まらないと嘆いたのでしょう。
いつの世も「本質」は評価されずとも、世の中を渡っていける人がいる様です。

継続努力

rǎnqiúyuē:“fēiyuèzhīdàoyuē:“zhězhōngdàoérfèijīnhuà。”

《论语》雍也第六-12

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素読文:

ぜんきゅういわく:“みちよろこばざるにあらず。ちからたらざるなり。”
いわく:“ちかららざるものは、中道ちゅうどうにしてはいす。いまなんじかぎれり。”

解釈:
ぜんきゅういわく:“孔子の説かれる道に心をひかれないのではありません。ただ、私の理解力が足りないのです。”
孔子曰く“力が足りない者は、途中で諦めてしまう。今のお前はそれだ。”

論語の中には何度素読しても理解できない節があります。途中で諦めずに努力継続せよ、と言う教えと理解しました。

賢なるかな顔回

yuē:“xiánzāihuídānshí(1)piáo(2)yǐnzàilòuxiàng(3)rénkānyōuhuígǎixiánzāihuí。”

《论语》雍也篇第六-9

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(1)一箪食:一杯の飯
(2)一瓢:一碗の汁
(3)陋巷:狭い路地裏

素読文:
いわく、けんなるかなかいや。一簞いったんいっぴょういん陋巷ろうこうり。ひとうれいにえず。かいたのしみをあらためず。けんなるかなかいや。

解釈:
孔子は回(顔回)を賢者と讃えています。一膳飯に一杯酒で、粗末な住居に生活していれば、普通の人ならば落ち込んでしまうところ、回は生活苦は気にせず、ただ道を極めることを楽しみ、道にひたりきっている。

顔回は孔子が最も愛した弟子と言われています。31歳年少の最愛の弟子に先立たれ、悲嘆に暮れたことでしょう

子、伯牛を見舞う

niú(1)yǒu(2)wènzhīyǒu(3) zhíshǒuyuē:“wángzhīmìngrénéryǒurénéryǒu。”

《论语》雍也第六章-10

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(1)伯牛:姓はぜん。名は耕。あざなは伯牛、冉牛とも呼ばれる。孔門十哲のひとり。魯の人。徳行とっこうにすぐれていた。
(2)疾:病。当時は不治の病であったハンセン氏病(癩病)
(3)牖:窓

素読文:
はくぎゅうやまいり。これう。まどよりりて、わく、これからん。めいなるかな、ひとにしてやまいるや、ひとにしてやまいあるや。

解釈:
はくぎゅうらいを病んで危篤におちいった。孔子は伯牛を見舞われ、窓越しに伯牛の手をとり、いわれた。「惜しい人がなくなる。これも天命だろう。それにしても、この人にこの業病ごうびょうがあろうとは。この人にこの業病があろうとは」

ハンセン氏病は当時不治の病と考えられていました。孔子は窓越しに手を握っています。ハンセン氏病は中国でも近代になるまでは伝染性の業病と考えられていました。病室まで行かなかったのはそのためでしょう。