子曰:“德之不修,学之不讲,闻义不能徙,不善不能改,是吾忧也。”
《论语》述而七-3
素読文:
子曰く、徳の修まらざる、学の講ぜざる、義を聞きて徙る能わざる、不善の改むる能わざる、是吾憂いなり。
解釈:
孔子曰く「修徳の未熟なこと、学の不徹底なこと、正義と知ってただちに実践にうつり得ないこと、不善の行いを改めることができないこと。これらがいつも私の気がかりとなっていることだ」
《论语》述而七-3
素読文:
子曰く、徳の修まらざる、学の講ぜざる、義を聞きて徙る能わざる、不善の改むる能わざる、是吾憂いなり。
解釈:
孔子曰く「修徳の未熟なこと、学の不徹底なこと、正義と知ってただちに実践にうつり得ないこと、不善の行いを改めることができないこと。これらがいつも私の気がかりとなっていることだ」
《论语》雍也第六-2
素読文:
哀公問う、弟子、孰か学を好むと為す。孔子対て曰く、顔回なる者有り、学を好む。怒を遷さず、過ちを弐びせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞ざるなり。
解釈:
哀公が孔子に尋ねた:“門人中で誰が一番学問が好きかな”
孔子答えて曰く:“顔回という者があり、たいへん学問が好きでした。怒りをうつさず、過ちをくりかえさない、顔回はそれができた。しかし、不幸にして短命で亡くなり、この世を去りました。顔回なきあとには、残念ながら、ほんとうに学問が好きだといえるほどの者はおりません」
子曰:“中庸之为德也,其至矣乎。民鲜久矣。”
《论语》雍也第六-29
素読文:
子曰く、“中庸の徳為るや、其至れるかな。民鮮なきこと久し。”
解釈:
孔子曰く「中庸こそは完全至高の徳だ。それが民の間に行なわれなくなって久しい」
中庸とは偏りのないこと。お上の政策も民の暮らしも中庸であることが至上である、と孔子は考えている様です。
現代では中庸は凡庸と捉えることが多い様に思います。
子见南子(1),子路不悦。夫子矢(2)之曰:“予所否者,天厌之、天厌之。”
《论语》雍也第六-28
(1)>南子:衛霊公の婦人。品行に問題があったとされる。
(2)矢:誓う
素読文:
子:南子に見ゆ。子路説こばず。夫子之に矢いて曰く、“予が否らざる所あらば、天之れを厭てん。天之を厭すん。”
解釈:
孔子が衛の南子にあったことを子路が嬉しく思わなかった。孔子は誓って曰く“もし自分にやましいことがあれば、天が放っておかないだろう”
衛霊光の婦人であるからには、とかくの噂があっても礼は尽くさねばならないだろう。剛直な子路が南子に挨拶したことを咎めると、孔子は「もし私の行為が間違っていれば、お前に言われるまでもなく天が罰するはずだと、軽く交わした。というシーンなのでしょう。
《论语》雍也第六-25
(1)觚:角のある酒杯。容量は当時の二升(約0.4リットル)であったという。
素読文:
子曰く“觚、觚ならず。觚ならんや、觚ならんや。”
解釈:
觚は普段使いの酒器ではなく、祭礼などに使うものだったのでしょう。孔子は祭礼に角のない酒器が使われているのを見て嘆いた、ということでしょうか。
論語には「形式」を重んじる言葉がいくつか出てきます。過度に型式を重んじると、進歩が阻害されると、凡人は愚考しております。
《论语》雍也篇第六-25
素読文:
子曰く、“君子は博く文を学び、之を約するに礼を以てせば、亦以て畔かざる可か。”
解釈:
子曰く“君子はひろく書籍を学んで知見をゆたかにするだけでなく、礼に従って実践しその知見を自分のものになければならない。それを実践できてはじめて学問の道にそむかないといえる。”
多くの書籍を読んでいても、書籍から得た知識を実践できなければ識者とは言えない、ということでしょう。
宰我问曰:“仁者虽告之曰,井有人焉,其从之也?”
子曰:“何为其然也。君子可逝也,不可陷也;可欺不可罔也。”《论语》雍也篇第六-24
素読文:
宰我、問いて曰く、仁者は之に告げて井に人有りと曰うと雖も、其れ之に従わん。
子曰く、何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きなり。陥る可からざるなり。欺く可きなり。罔う可からざるなり。
解釈:
宰我が「仁者は、もしも井戸の中に人がおちたと言えば、すぐに井戸に飛び込んで助けるでしょうか」と孔子に尋ねた。
孔子曰く「どうしてそんなことをするだろうか。君子はだまされて井戸まで行くかもしれない。しかし、陥れることはできない。人情に訴えてあざむくことはできても、正しい判断力は失わないだろう」
樊迟问知。子曰:“务民之义,敬鬼神而远之,可谓知矣。”
问仁,曰:“仁者先难而后获,可谓仁矣。”《论语》雍也篇第六-22
素読文:
樊遅、知を問う。
子曰く、民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく。知と謂う可し。
仁を問う。曰く、仁者は難きを先にして獲るを後にす。仁と謂う可し。
解釈:
樊遅が孔子に“知”とは何かを問う。
孔子は「正義を務め、神仏に対しては敬意は持つが、一定の距離を持つのを知という」と答えた。
樊遅はさらに“仁”とは何かを問う。
孔子は「仁者は困難なことを先にし、理を得るのを後にする」
子曰:“智者乐水、仁者乐山;智者动,仁者静;智者乐,仁者寿。
《论语》雍也篇第六-21
素読文:
子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静なり。知者は楽しみ、仁者は寿し。
解釈:
子曰く:“知者は水に歓びを見出し、仁者は山に歓びを見出す。知者は活動的であり、仁者は静寂である。知者は変化を楽しみ、仁者は永遠のなかに安住する”
知者は変化を追求し、仁者は変わらぬものを好む、という解釈でしょうか。
子曰:“人之生也直,罔(1)之生也幸而免。”
《论语》雍也篇六-19
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(1)罔:ない
素読文:
子曰く、“人の生くるや直し。之を罔みして生くるや、幸にして免る。”
解釈:
孔子曰く“人間とは、本来、正直に生れついている。それを無視して生きていられるのは、たまたま天罰を免れているに過ぎないのだ”
正直であれ。さもなくばいつかは天罰が降る。と言う意味でしょう。