中国文化・中国語」カテゴリーアーカイブ

文質彬彬

yuē:“zhì(1)shèngwén(2)(3)wénshèngzhìshǐ(4)wénzhìbīnbīn(5)ránhòujūn。”

《论语》雍也篇第六-16

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(1)质:生まれつきの資質
(2)文:教養による形式的な美しさ
(3)野:田舎臭い
(4)史:文書を管理する役人(形式的で心がない)
(5)彬彬:見た目も内容も整っていること

素読文:

いわく、“しつぶんてばすなわなり。ぶんしつてばすなわなり。文質ぶんしつ彬彬ひんぴんとして、しかのちくんなり。”

解釈:

孔子曰く“気立が良くても、教養がなければ野人。教養があっても、気立が良くなければ実務者以上にはなれぬ。教養と気立が揃って君子となる。”

人の通る道

yuē:“shuínéngchūyóuyóudào。”

《论语》雍也篇第六-15

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素読文:
いわく、たれづるにらざらん。なんみちることきや。

解釈:

孔子曰く:“外に出るのに戸口を通らないものはない。しかし、どうして人々は、人間が世に出るのに必ず通らなければならないこの道を通ろうとしないだろう”

孔子は処世の道を守らない愚者を嘆いたのでしょう。もちろん農民など教育を受けていない貧民のことではないでしょう。それなりの地位にある者が正しい「道」を歩んでいない、と嘆いています。現代でも、政治家、大企業の経営者など人の道を踏み外している者を数えたら切りがありません。

世渡りは口先と見た目

yuē:“yǒuzhùtuó(1)zhīnìng(2)éryǒusòngzhāo(3)zhīměinánmiǎnjīnzhīshì。”

《论语》雍也第六-14

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(1)祝鮀:衛の大夫。名は鮀、あざなは子魚。祝は、宗廟の祭祀の官。霊公に仕え、雄弁であったといわれている。
(2)佞:弁舌がたくみである。「おもねる」の意ではない。
(3)宋朝:宋の公子、名はちょう。美男子であったという。

素読文:

いわく、しゅくねいらずして、そうちょうるは、かたいかないままぬかれんこと。

解釈:

孔子曰く:“祝鮀の様に弁が立ち、宋朝の様に美男でないとこの世には務まらないらしい”
孔子は、口先のうまい者、見た目が良い者でなければ治世は務まらないと嘆いたのでしょう。
いつの世も「本質」は評価されずとも、世の中を渡っていける人がいる様です。

継続努力

rǎnqiúyuē:“fēiyuèzhīdàoyuē:“zhězhōngdàoérfèijīnhuà。”

《论语》雍也第六-12

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素読文:

ぜんきゅういわく:“みちよろこばざるにあらず。ちからたらざるなり。”
いわく:“ちかららざるものは、中道ちゅうどうにしてはいす。いまなんじかぎれり。”

解釈:
ぜんきゅういわく:“孔子の説かれる道に心をひかれないのではありません。ただ、私の理解力が足りないのです。”
孔子曰く“力が足りない者は、途中で諦めてしまう。今のお前はそれだ。”

論語の中には何度素読しても理解できない節があります。途中で諦めずに努力継続せよ、と言う教えと理解しました。

賢なるかな顔回

yuē:“xiánzāihuídānshí(1)piáo(2)yǐnzàilòuxiàng(3)rénkānyōuhuígǎixiánzāihuí。”

《论语》雍也篇第六-9

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(1)一箪食:一杯の飯
(2)一瓢:一碗の汁
(3)陋巷:狭い路地裏

素読文:
いわく、けんなるかなかいや。一簞いったんいっぴょういん陋巷ろうこうり。ひとうれいにえず。かいたのしみをあらためず。けんなるかなかいや。

解釈:
孔子は回(顔回)を賢者と讃えています。一膳飯に一杯酒で、粗末な住居に生活していれば、普通の人ならば落ち込んでしまうところ、回は生活苦は気にせず、ただ道を極めることを楽しみ、道にひたりきっている。

顔回は孔子が最も愛した弟子と言われています。31歳年少の最愛の弟子に先立たれ、悲嘆に暮れたことでしょう

子、伯牛を見舞う

niú(1)yǒu(2)wènzhīyǒu(3) zhíshǒuyuē:“wángzhīmìngrénéryǒurénéryǒu。”

《论语》雍也第六章-10

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(1)伯牛:姓はぜん。名は耕。あざなは伯牛、冉牛とも呼ばれる。孔門十哲のひとり。魯の人。徳行とっこうにすぐれていた。
(2)疾:病。当時は不治の病であったハンセン氏病(癩病)
(3)牖:窓

素読文:
はくぎゅうやまいり。これう。まどよりりて、わく、これからん。めいなるかな、ひとにしてやまいるや、ひとにしてやまいあるや。

解釈:
はくぎゅうらいを病んで危篤におちいった。孔子は伯牛を見舞われ、窓越しに伯牛の手をとり、いわれた。「惜しい人がなくなる。これも天命だろう。それにしても、この人にこの業病ごうびょうがあろうとは。この人にこの業病があろうとは」

ハンセン氏病は当時不治の病と考えられていました。孔子は窓越しに手を握っています。ハンセン氏病は中国でも近代になるまでは伝染性の業病と考えられていました。病室まで行かなかったのはそのためでしょう。

仲弓よ騂牛たれ

wèizhònggōng(1)yuē:“niú(2)zhīxīng(3)qiějiǎosuīyòngshānchuānshě(2)zhū。”

《论语》雍也第六-6

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(1)仲弓:姓はぜん。名はよう仲弓はあざな
(2)犁牛:農耕用の牛。黒と黄色のまだら模様。
(3)骍:生贄にする牛。赤い毛色。

素読文:

仲弓ちゅうきゅういていわく:“ぎゅうも、あかくしてつのあらば、もちうることなからんとほっすといえども、山川さんせんこれてんや。”

解釈:
孔子は仲弓についてこう言われた:“農耕用の牛の子であっても、赤くて角があれば、神に供える牛として使うことができよう。”

あからさまに言えば、家柄の良くない仲弓であっても能力さえあれば、それなりの地位につけるだろう。という意味でしょうか。孔子の時代には「実力」より「血筋」が優先されていたのでしょう。
あるいは孔子は、何かにつけ自分の家筋を気にして消極的な態度を取る仲弓の背中を押そうとしたのでしょうか。

仲弓南面せよ

yuē:“yōng(1)使shǐnánmiàn(2)。”

《论语》雍也第六-1

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(1)雍:姓はぜん、名はようあざな仲弓ちゅうきゅう
(2)南面:君主に位に就く事。

素読文:
いわく:“よう南面なんめんせしむべし。”

解釈:

孔子曰く:“雍は君主の風格がある。君主の位に就くことができよう。”

賢者・孔子は国を治めることはありませんでした。仲弓に期待していた様です。

忠信ありて学を好む

yuē:“shíshìzhī(1)yǒuzhōngxìnqiū(2)zhěyānqiūzhīhàoxué。”

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(1)十室之邑:十戸ほどの小さな村
(2)丘:孔子の名

素読文:

いわく:“十室じっしつゆうかならずちゅうしんきゅうのごときものらん。きゅうがくこのむにしかざるなり。”

解釈:

孔子曰く:“十戸ほどの村なら、自分程度の忠信の者は必ずいるだろう。しかし私ほど学を好む者はない”

学を好み忠信なき輩は、害あるのみ。忠信ありて学を好まざる者は進歩なし。ということでしょうか。

過ちを自ら責める

yuē:“wèijiànnéngjiànguòérnèisòngzhě。”

《《论语》公冶长第五-27

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素読文:

いわく:“んぬるかな。われいまあやまちて、うちみずからせむものざるなり。”

解釈:

孔子曰く:“ひどい世の中になってしまったものだ。過ちを自ら見つけ自らを責める者を見なくなってしまった”

孔子の時代から、言い訳で問題を隠す者がいたようです。