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学を好む弟子

āigōngwèn:“shúwéihàoxué?”
kǒngduìyuē:“yǒuyánhuízhěhàoxuéqiānèrguòxìngduǎnmìngjīnwèiwénhàoxuézhě。”

《论语》雍也第六-2

素読文:

哀公あいこうう、ていたれがくこのむとす。こうこたえいわく、顔回がんかいなるものり、がくこのむ。いかりうつさず、あやまちをふたたびせず。こう短命たんめいにしてせり。いますなわし。いまがくこのものきかざるなり。

解釈:
哀公が孔子に尋ねた:“門人中で誰が一番学問が好きかな”
孔子答えて曰く:“顔回という者があり、たいへん学問が好きでした。怒りをうつさず、過ちをくりかえさない、顔回はそれができた。しかし、不幸にして短命で亡くなり、この世を去りました。顔回なきあとには、残念ながら、ほんとうに学問が好きだといえるほどの者はおりません」

中庸の徳

yuē:“zhōngyōngzhīwéizhìmínxiǎnjiǔ。”

《论语》雍也第六-29

素読文:

いわく、“ちゅうようとくるや、それいたれるかな。たみすくなきことひさし。”

解釈:

孔子曰く「中庸こそは完全至高の徳だ。それが民の間に行なわれなくなって久しい」
中庸とは偏りのないこと。お上の政策も民の暮らしも中庸であることが至上である、と孔子は考えている様です。
現代では中庸は凡庸と捉えることが多い様に思います。

孔子、南子にまみゆ

jiànnán(1)yuèshǐ(2)zhīyuē:“suǒfǒuzhětiānyànzhītiānyànzhī。”

《论语》雍也第六-28

(1)>南子:衛霊公の婦人。品行に問題があったとされる。
(2)矢:誓う

素読文:

なんまみゆ。子路しろよろこばず。ふうこれちかいていわく、“しからざるところあらば、てんれをてん。てんこれを厭ん。”

解釈:

孔子が衛の南子にあったことを子路が嬉しく思わなかった。孔子は誓って曰く“もし自分にやましいことがあれば、天が放っておかないだろう”

衛霊光の婦人であるからには、とかくの噂があっても礼は尽くさねばならないだろう。剛直な子路が南子に挨拶したことを咎めると、孔子は「もし私の行為が間違っていれば、お前に言われるまでもなく天が罰するはずだと、軽く交わした。というシーンなのでしょう。

觚ならず

yuē:“(1)zāizāi”。

《论语》雍也第六-25

(1)觚:かどのある酒杯。容量は当時の二升(約0.4リットル)であったという。

素読文:

いわく“ならず。ならんや、ならんや。”

解釈:

觚は普段使いの酒器ではなく、祭礼などに使うものだったのでしょう。孔子は祭礼に角のない酒器が使われているのを見て嘆いた、ということでしょうか。
論語には「形式」を重んじる言葉がいくつか出てきます。過度に型式を重んじると、進歩が阻害されると、凡人は愚考しております。

学びの道とは

yuē:“jūnxuéwényuēzhīpàn。”

《论语》雍也篇第六-25

素読文:

いわく、“くんひろぶんまなび、これやくするにれいもってせば、またもっそむかざるべきか。”

解釈:

子曰く“君子はひろく書籍を学んで知見をゆたかにするだけでなく、礼に従って実践しその知見を自分のものになければならない。それを実践できてはじめて学問の道にそむかないといえる。”

多くの書籍を読んでいても、書籍から得た知識を実践できなければ識者とは言えない、ということでしょう。

君子は騙せるか

zǎiwènyuē:“rénzhěsuīgàozhīyuējǐngyǒurén yāncóngzhī?”
yuē:“wéiránjūnshìxiànwǎng。”

《论语》雍也篇第六-24

素読文:

さいいていわく、仁者じんしゃこれげてせいひとりとうといえども、これしたがわん。
いわく、なんれぞしからんや。くんかしむきなり。おとしいからざるなり。あざむきなり。からざるなり。

解釈:

宰我が「仁者は、もしも井戸の中に人がおちたと言えば、すぐに井戸に飛び込んで助けるでしょうか」と孔子に尋ねた。
孔子曰く「どうしてそんなことをするだろうか。君子はだまされて井戸まで行くかもしれない。しかし、陥れることはできない。人情に訴えてあざむくことはできても、正しい判断力は失わないだろう」

知とは何か

fánchíwènzhìyuē:“mínzhījìngguǐshénéryuǎnzhīwèizhì。”
wènrényuē:“rénzhěxiānnánérhòuhuòwèirén。”

《论语》雍也篇第六-22

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素読文:

はんう。
いわく、たみつとめ、しんけいしてこれとおざく。し。
じんう。いわく、仁者じんしゃかたきをさきにしてるをのちにす。じんし。

解釈:
樊遅が孔子に“知”とは何かを問う。
孔子は「正義を務め、神仏に対しては敬意は持つが、一定の距離を持つのを知という」と答えた。
樊遅はさらに“仁”とは何かを問う。
孔子は「仁者は困難なことを先にし、理を得るのを後にする」

正直であれ

yuē:“rénzhīshēngzhíwǎng(1)zhīshēngxìngérmiǎn。”

《论语》雍也篇六-19

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(1)罔:ない

素読文:

いわく、“ひとくるやなおし。これみしてくるや、さいわいにしてまぬかる。”

解釈:

孔子曰く“人間とは、本来、正直に生れついている。それを無視して生きていられるのは、たまたま天罰を免れているに過ぎないのだ”

正直であれ。さもなくばいつかは天罰が降る。と言う意味でしょう。

文質彬彬

yuē:“zhì(1)shèngwén(2)(3)wénshèngzhìshǐ(4)wénzhìbīnbīn(5)ránhòujūn。”

《论语》雍也篇第六-16

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(1)质:生まれつきの資質
(2)文:教養による形式的な美しさ
(3)野:田舎臭い
(4)史:文書を管理する役人(形式的で心がない)
(5)彬彬:見た目も内容も整っていること

素読文:

いわく、“しつぶんてばすなわなり。ぶんしつてばすなわなり。文質ぶんしつ彬彬ひんぴんとして、しかのちくんなり。”

解釈:

孔子曰く“気立が良くても、教養がなければ野人。教養があっても、気立が良くなければ実務者以上にはなれぬ。教養と気立が揃って君子となる。”

人の通る道

yuē:“shuínéngchūyóuyóudào。”

《论语》雍也篇第六-15

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素読文:
いわく、たれづるにらざらん。なんみちることきや。

解釈:

孔子曰く:“外に出るのに戸口を通らないものはない。しかし、どうして人々は、人間が世に出るのに必ず通らなければならないこの道を通ろうとしないだろう”

孔子は処世の道を守らない愚者を嘆いたのでしょう。もちろん農民など教育を受けていない貧民のことではないでしょう。それなりの地位にある者が正しい「道」を歩んでいない、と嘆いています。現代でも、政治家、大企業の経営者など人の道を踏み外している者を数えたら切りがありません。