子曰:“温故而知新,可以为师矣。”
《论语》为政第二-11
素読文:
子曰く、故きを温ねて新しきを知れば、以て師為るべし。
解釈:
孔子曰く:“過去から学び新しい知見を得る、そのような姿勢を持てば師たりうる。”
新しい技術や学問に目が行きがちですが、それらは古い知見に支えられたものです。新しいものに飛びつくだけでなく、古い知見を基礎として持っていなければならない、と解釈しました。
子曰:“温故而知新,可以为师矣。”
《论语》为政第二-11
素読文:
子曰く、故きを温ねて新しきを知れば、以て師為るべし。
解釈:
孔子曰く:“過去から学び新しい知見を得る、そのような姿勢を持てば師たりうる。”
新しい技術や学問に目が行きがちですが、それらは古い知見に支えられたものです。新しいものに飛びつくだけでなく、古い知見を基礎として持っていなければならない、と解釈しました。
子曰:“视其所以,观其所由,察其所安;人焉廋哉!人焉廋哉!”
《论语》为政第二-10
素読文:
子曰く:“其の以うる所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉んぞ廋さんや!人焉んぞ廋さんや!”
解釈:
孔子曰く:“人の値打ちはその人の行動、その理由、満足する到達点を見れば明らかになる”
逆の言い方をすれば、口ばかりの人、行いの動機が不純な人、中途半端な所で辞めてしまう人は見ればすぐにわかる、ということでしょう。
子夏问孝,子曰:“色难(1)。有事,弟子(2)服其劳,有酒食,先生(3)馔(4),曾是以为孝乎?”
《论语》为政篇第二-8
(1)色难:色は顔色のこと。父母の顔色から想いを理解して仕えるのは難しい。
(2)弟子:年少者
(3)先生:年長者
(4)馔:食事をすすめる
素読文:
子夏、孝を問う。
子曰く:“色難し。事有れば、弟子其の労に服し、酒食有ば、先生に饌す。曾ち是を以て孝と為さんや。”
解釈:
子夏が孝を問うた。
孔子曰く:“仕えるときの態度が大切だ。仕事があれば年少者が率先して手伝う。酒食はまず年長者に飲食してもらう。形だけでなく孝の気持ちを込めなければならない。”
子游问孝,子曰:“今之孝者,是谓能养。至于犬马,皆能有养;不敬,何以别乎。”
《论语》为政第二-7
素読文:
子游、孝を問う。子曰く:“今の孝は、是れ能く養なうを謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うこと有り。敬せずんば何を以て別たんや。”
解釈:
子游が孝とは何かを孔子に問うた。
孔子曰く:“最近では、親を養うことが孝だと言われている。しかし犬や馬でも養っている。これを孝とは言わぬ。尊敬の念がなければ孝とは言えない。”
樊迟御
樊迟曰:“何谓也?”子曰:“生,事之以礼;死,葬之以礼,祭之以礼。”
《论语》为政第二-5
(1)孟懿子:魯の家老。孟孫氏。懿は諡(死後に贈る称号)
(2)违:礼を踏み外すこと
(3)樊迟御:樊迟(孔子の弟子。姓は樊、名は須、字は子迟)が御者をする。
素読文:
孟懿子、孝を問う。子曰く:“違うこと無かれ、と。”
樊遅御たり。子之に告て曰く:“孟孫、孝を我に問う。我対えて曰く、違うこと無かれ、と。樊遲曰く:“何の謂ぞや”と。子曰く:“生きては之に事うるに礼を以てし、死しては之を葬むるに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす、と。”
解釈:
孟懿子が『孝』とは何かを尋ねた。
帰るときに、孔子は御者をしている弟子の樊遅に、孟懿子が孝の道を私にたずねたので、私は「はずれないようにしなさい」と教えたと話して聞かせた。樊遅はどういう意味かと尋ねた。
「はずれない」とは親が生きているうちは礼を尽くし、死しては礼を持って葬り、礼を持って祀ることだ。つまり「礼を外さずになさい」という意味だ。
《论语》为政第二-4
(1)踰:踏み外す。
(2)矩:道理、規範
素読文:
子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従いて、矩を踰えず。
解釈:
孔子曰く:“我は15歳で学問に志した。30歳で自分の立ち位置を定めた。40歳で進む道に惑いはなくなった。50歳で天命を知ることができた。60歳で人から言われたことに反駁することは無くなった。70歳にして思い通りに行動しても世の理りに反することは無くなった。
論語の中でも日本人にもポピュラーな一節だと思います。
日本では6歳で小学校に上がりますが、15歳で学問に志すと言っています。中国古代では15歳で『小学』に入り18歳で『大学』に入るとあります。「十有五にして学に志す」と言うのは高校生レベルの「学」のようです。
論語のこの節が元になり、節目の年齢に名前がついています。
志学(15歳)、而立(30歳)、不惑(40歳)、知命(50歳)、耳順(60歳)、従心(70歳)
残念ながら80歳以上には名前がありません。孔子が生きていた頃には80歳まで生きる人は居なかったのでしょう。
《论语》为政第二-3
(1)格:格ると読む時は「なついて来る」と訳す。格しと読む時は「正しくなる」と訳す。格ると読む時は「善に至る」と訳す。
素読文:
子曰く:“之を道くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免かれて恥無し。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且格し。”
解釈:
孔子曰く:“法律だけで民を導き、刑罰で秩序を維持しようとすると、民は法の網目を避けそれを恥じることもない。徳を持って民を導き、礼によって秩序を整えれば、民は恥を知り正しい行いをする。”
世界中が孔子の教えを守れば私たちの世界は平和で豊かになるはずです。
残念ながら、指導者に徳も礼もない国があり、争いごとが絶えません。
子曰:“诗三百(1),一言以蔽(2)之,曰:思无邪。”
《论语》为政第二章-2
(1)诗三百:全305篇からなる中国最古の詩篇。儒教の経典である経書の一つに数えられる。
(2)蔽:覆い尽くす。(詩経全体を)まとめると
素読文:
子曰く:“詩三百、一言以て之を蔽えば、曰く、思い邪無し。”
解釈:
孔子曰く:“詩経約三百編を一言で言うなら「思い邪念なし」だ”
子曰:“由(1),诲(2)汝知之乎。知之为知之,不知为不知,是知也。”
《论语》为政第二-17
(1)由:姓は仲、名は由。字は子路
(2)诲:教え諭すこと
素読文:
子曰く:“由、女に之を知るを誨えんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。”
解釈:
孔子曰く:“由や、お前に知るを教えよう。知ることを知るとし、知らざることを知らざるとする。これが知るということだ”
ソクラテスは「無知の知」と言っています。洋の東西を問わず古の哲人は同じようなことを考えていたようです。
子禽(1)问于子贡曰:“夫子至于是邦(2)也,必闻其政;求之與(3),抑與之與(4)?”
子贡曰:“夫子温、良、恭、俭、让以得之;夫子之求之也,其诸异乎人之求之與。”《论语》学而第一-10
(1)子禽:姓は陳、名は亢。子禽は字。子貢の弟子
(2)是邦:どの国でも
(3)求之與:孔子の方から求めたのか
(4)抑與之與:それとも君主たちから持ちかけられたのか
素読文:
子禽、子貢に問いて曰く、“夫子の是の邦に至るや、必ず其の政を聞く。之を求めたるか、抑々之を与えたるか。”
子貢曰く、“夫子は温・良・恭・倹・譲、以て之を得たり。夫子の之を求むるや、其れ諸れ人の之を求むるに異なるか。”
解釈:
子禽は子貢に尋ねた“孔子先生はどこの国に行かれても、必ずその国の政について尋ねられますが、それは先方から問われるのでしょうか?それとも孔子先生から話されるのでしょうか?”
子貢はこう答えた。先生は温・良・恭・倹・譲の徳を備えられているので自然にそう言う質問を受けるのだと思う。
先生は政に関わることを望んでおられるが、他の人とは違って権力や官位を得ることに興味を持っておられるのではない。
役職や地位にこだわれば、正しい政はできないと孔子は考えていたのでしょう。