中国文化・中国語」カテゴリーアーカイブ

父母在せば

yuē:“zàiyuǎnyóuyóuyǒufāng(1)。”

《论语》里仁第四-19

(1)方:方向、行き先

素読文:

いわく、父母ふぼいませば、とおあそばず。あそぶにかならほうり。

解釈:

孔子曰く:“父母が健在のうちは遠くには行かない。出かける時には必ず行先を明らかにする。”

現代では孔子の教えを守ることは難しいでしょう。
年少の頃は、町内の公園より遠いところに行ったことはありません。
しかし大学入学と同時に親元を離れ、以来ずっと離れたところで暮らしていました。
この言葉は、孔子が少年に語った言葉ではないはずです。
離れていても、言葉は交わせる。帰ろうと思えばすぐに帰れる。孔子が生きていた時代には不可能だったことです。

三年改むる無しは孝

yuēzàiguānzhìguānxíngsānniángǎizhīdàowèixiào

《论语》学而第一-11

素読文:

いわく:“ちちいませばこころざしちちぼっすればおこないをる。三年さんねんちちみちあらたむることなきは、こううべし。”

解釈:
父親が在世中はその志をよく理解し、父亡き後はそのしきたりを継ぐ。三年間そのしきたりを改めず喪に服せば孝行者と言えるだろう。

中国語の論語の書籍を見ると「父在观其志」の「其」は子のことだとあります。つまり父親が健在の間は、子があれこれ意思決定するのではなく父親の志を見るのみである、という解釈のようです。

三年改めざるは孝

yuē:“sānniángǎizhīdàowèixiào。”

《论语》里仁第四-20

素読文:
いわく、三年さんねんちちみちあらたむることきは、こううべし。

解釈:
この節は、学而第一-11と同じです。

人物評

gòngfāngrén(1)yuēxiánzāi(2)xiá

《论语》宪问第十四-29

(1)方人:人を評論する
(2)赐也贤乎哉:赐(子貢)も賢いものだなぁ。疑問語気。

素読文:
こうひとたくらぶ。いわく:“けんなるかな。われすなわいとまあらず。”

解釈:
孔子は子貢の人物評をからかって偉くなったものだと言ったのでしょう。しかし孔子自身も人物評をしばしばしています。子貢は孔子に「お前は器だ」と言われています。孔子は「君子は器であってはならない」と言っています。格調の高い瑚琏の器と言われてもがっかりしたでしょう。

貧して恨まず、富みて奢らず

yuēpínéryuànnánérjiāo

《论语》宪问第十四-10

素読文:
いわく:“ひんにしてうらむこときはかたく、みておごることきはやすし。”

解釈:
子曰く:“貧乏でも恨みがましくならないことは難しい。しかし富んで奢らないのはたやすいことだ。”

父母に仕えて幾諫す

yuēshìjiàn(1)jiànzhìcóngyòujìngwéiláoéryuàn

《论语》里仁第四-18

(1)几谏:遠回しに諌める

素読文:
いわく:“父母ふぼつかえてはかんす。こころざししたがわざるをては、またけいしてたがわず、ろうしてうらみず。”

解釈:
父母に過ちがあれば、遠回しに諌める。それに従わない様であれば、敬愛の念を尽くし諌める。つらくとも父母を恨んではならない。

人の寿命が伸びて親世代が記憶や認知に問題が出てくる。孔子の時代とは全く違う状況ですが、親を諌めなければならない機会が増えているのではないでしょうか?

孝なるかな閔子騫

yuē:“xiàozāimǐnqiān(1)rénjiàn(2)kūn(3)zhīyán 。”

《论语》先进第十一-5

(1)闵子骞:性はびんあざけん
(2)间:文句をつける
(3)昆:兄

素読文:
いわく、こうなるかなびんけんひと父母ふぼ昆弟こんていげんかんせず。

解釈:
孔子曰く:“閔子騫は孝行者だ。親兄弟が閔子騫を褒めても誰も咎めない。”

親兄弟から悪く言われるのは、よほど悪徳の人かと思います。普通は多少の不孝行者であっても、悪くは言わないものです。したがって親類縁者の褒め言葉は多少割り引かれるものです。それでも閔子騫は他人から見ても孝行者だったのでしょう。

孔子の四絶

jué(1)(2)(3)(4)

《论语》子罕第九-4

(1)意:自分勝手な心、独善
(2)必:無理強い
(3)固:固執、見識が狭く頑固なこと
(4)我:我欲、利己

素読文:
つ:く、ひつく、く、し。

解釈:
子は四つのしないことがある:独善、無理強い、固執、利己の四つである。

下村湖人は四絶を意:憶断、必:執着、固:固陋、我:他と対立すること、と解釈しています。

中国的交通事情

 中国に住んでいて未だに慣れないのが交通事情だ。車は絶対に止まらない。青信号でも道路横断は要注意。日本にいたときの感覚でいると危ない目に会う。

信号無視は当たり前。反対車線を走ってくる車もある。
確かに事故は多いようだ。しかしこれだけ無秩序な交通ルールだともっとひどい事故がそこいらじゅうで発生しているはずだが、そうでもない。

日本では皆が交通ルールに従って運転していると言う前提があるので、信号無視などすればたちまち交通事故が発生する。

中国では相手が何をするか分からないと言う前提で運転をしているのであろう。思ったほどは事故が多くはない。
信号やセンターラインはたんなる「参考」程度、という認識で運転していればそれほど交通事故が発生しないのであろう。

国外から出張に来る友人は車に乗っている間中緊張している。中には車の外を見ない様にしているという友人もいる。

中国的交通事情も早く世界水準に達してほしいものだ。
オリンピックが終わったばかりの北京では中国的交通事情は少しは改善されたのだろうか?


このコラムは、2008年9月1日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第49号に掲載した記事です。

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以を視、由を観、安を察する

yuē:“shìsuǒguānsuǒyóuchásuǒānrényānsōuzāirényānsōuzāi!”

《论语》为政第二-10

素読文:
いわく:“もちうるところところやすんずるところさっすれば、ひといずくんぞかくさんや、ひといずくんぞかくさんや。”

解釈:
人の値打ちを見るときには、何をするか、なぜそれをするのか、そしてどの程度で満足するのかを見れば、その人の人となりは隠せるものではない。

稲盛和夫氏はKDDIを創業するときに「動機善なりや」「私心なかりしか」と自らに問うたと言われています。つまりKDDI創業の由る所、安んずる所を明確にしようとしたのでしょう。