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行為、動機、到達点

yuē:“shìsuǒguānsuǒyóuchásuǒānrényānsōuzāirényānsōuzāi!”

《论语》为政第二-10

素読文:

いわく:“もちうるところところやすんずるところさっすれば、ひといずくんぞかくさんや!ひといずくんぞかくさんや!”

解釈:

孔子曰く:“人の値打ちはその人の行動、その理由、満足する到達点を見れば明らかになる”

逆の言い方をすれば、口ばかりの人、行いの動機が不純な人、中途半端な所で辞めてしまう人は見ればすぐにわかる、ということでしょう。

是を持って孝と為さんや

xiàwènxiàoyuē:“nán(1)yǒushì(2)láoyǒujiǔshíxiānshēng(3)zhuàn(4)céngshìwéixiào?”

《论语》为政篇第二-8

(1)色难:色は顔色のこと。父母の顔色から想いを理解して仕えるのは難しい。
(2)弟子:年少者
(3)先生:年長者
(4)馔:食事をすすめる

素読文:
子夏しかこうう。
いわく:“いろかたし。ことれば、ていろうふくし、しゅあれば、先生せんせいせんす。すなわここもっこうさんや。”

解釈:
子夏が孝を問うた。
孔子曰く:“仕えるときの態度が大切だ。仕事があれば年少者が率先して手伝う。酒食はまず年長者に飲食してもらう。形だけでなく孝の気持ちを込めなければならない。”

孝とは

yóuwènxiàoyuē:“jīnzhīxiàozhěshìwèinéngyǎngzhìquǎnjiēnéngyǒuyǎngjìngbié。”

《论语》为政第二-7

素読文:

ゆうこうう。いわく:“いまこうは、やしなうをう。けんいたるまで、みなやしなうことり。けいせずんばなにもっわかたんや。”

解釈:

子游が孝とは何かを孔子に問うた。
孔子曰く:“最近では、親を養うことが孝だと言われている。しかし犬や馬でも養っている。これを孝とは言わぬ。尊敬の念がなければ孝とは言えない。”

礼を持ってす

mèng(1)wènxiàoyuē:“wéi(2)。”

fánchí(3),gàozhīyuē:“mèngsūnwènxiàoduìyuē‘无wéi。’”

fánchíyuē:“wèi?”yuē:“shēngshìzhīzàngzhīzhī。”

《论语》为政第二-5

(1)孟懿子:魯の家老。孟孫氏。懿はおくりな(死後に贈る称号)
(2)违:礼を踏み外すこと
(3)樊迟御:樊迟(孔子の弟子。姓は樊、名はしゅ、字あざなは子迟)が御者をする。

素読文:
もう懿子いしこうう。いわく:“たがうことかれ、と。”
はんぎょたり。これつげいわく:“孟孫もうそんこうわれう。われこたえていわく、たがうことかれ、と。はんいわく:“なんいいぞや”と。いわく:“きてはこれつかうるにれいもってし、してはこれほうむるにれいもってし、これまつるにれいもってす、と。”

解釈:
孟懿子が『孝』とは何かを尋ねた。
帰るときに、孔子は御者をしている弟子の樊遅に、孟懿子が孝の道を私にたずねたので、私は「はずれないようにしなさい」と教えたと話して聞かせた。樊遅はどういう意味かと尋ねた。
「はずれない」とは親が生きているうちは礼を尽くし、死しては礼を持って葬り、礼を持って祀ることだ。つまり「礼を外さずになさい」という意味だ。

従心を目指して

yuē:“shíyòuérzhìxuésānshíérshíérhuòshíérzhītiānmìngliùshíérěrshùnshíércóngxīnsuǒ(1)(2)。”

《论语》为政第二-4

(1)踰:踏み外す。
(2)矩:道理、規範

素読文:
いわく、われじゅうゆうにしてがくこころざす。三十さんじゅうにしてつ。じゅうにしてまどわず。じゅうにして天命てんめいる。六十ろくじゅうにしてみみしたがう。七十しちじゅうにしてこころほっするところしたがいて、のりえず。

解釈:
孔子曰く:“我は15歳で学問に志した。30歳で自分の立ち位置を定めた。40歳で進む道に惑いはなくなった。50歳で天命を知ることができた。60歳で人から言われたことに反駁することは無くなった。70歳にして思い通りに行動しても世のことわりに反することは無くなった。

論語の中でも日本人にもポピュラーな一節だと思います。
日本では6歳で小学校に上がりますが、15歳で学問に志すと言っています。中国古代では15歳で『小学』に入り18歳で『大学』に入るとあります。「十有五にして学に志す」と言うのは高校生レベルの「学」のようです。

論語のこの節が元になり、節目の年齢に名前がついています。
がく(15歳)、りつ(30歳)、わく(40歳)、めい(50歳)、じゅん(60歳)、じゅうしん(70歳)

残念ながら80歳以上には名前がありません。孔子が生きていた頃には80歳まで生きる人は居なかったのでしょう。

徳を持って導き、礼を持って斉うる

yuē:“dǎozhīzhèngzhīxíng(1)mínmiǎnérchǐdǎozhīzhīyǒuchǐqiě”。

《论语》为政第二-3

(1)格:きたると読む時は「なついて来る」と訳す。ただしと読む時は「正しくなる」と訳す。いたると読む時は「善に至る」と訳す。

素読文:
いわく:“これみちびくにまつりごともってし、これととのうるにけいもってすれば、たみまぬかれてはじし。これみちびくにとくもってし、これととのうるにれいもってすれば、はじりてかつただし。”

解釈:
孔子曰く:“法律だけで民を導き、刑罰で秩序を維持しようとすると、民は法の網目を避けそれを恥じることもない。徳を持って民を導き、礼によって秩序を整えれば、民は恥を知り正しい行いをする。”

世界中が孔子の教えを守れば私たちの世界は平和で豊かになるはずです。
残念ながら、指導者に徳も礼もない国があり、争いごとが絶えません。

思い邪念なし

yuē:“shīsānbǎi(1)yán(2)zhīyuēxié。”

《论语》为政第二章-2

(1)诗三百:全305篇からなる中国最古の詩篇。儒教の経典である経書の一つに数えられる。
(2)蔽:覆い尽くす。(詩経全体を)まとめると

素読文:
いわく:“三百さんびゃく一言いちげんもっこれおおえば、いわく、おもよこしまし。”

解釈:
孔子曰く:“詩経約三百編を一言で言うなら「思い邪念なし」だ”

知るを知るとし、知らざるを知らずとする

yuē:“yóu(1)huì(2)zhīzhīzhīzhīwéizhīzhīzhīwéizhīshìzhī。”

《论语》为政第二-17

(1)由:姓はちゅう、名はゆうあざな子路しろ
(2)诲:教え諭すこと

素読文:
いわく:“ゆうなんじこれるをおしえんか。これるをこれるとし、らざるをずとす。るなり。”

解釈:
孔子曰く:“由や、お前に知るを教えよう。知ることを知るとし、知らざることを知らざるとする。これが知るということだ”

ソクラテスは「無知の知」と言っています。洋の東西を問わず古の哲人は同じようなことを考えていたようです。

温・良・恭・倹・譲

qín(1)wèngòngyuē:“zhìshìbāng(2)wénzhèngqiúzhī(3)zhī(4)?”
gòngyuē:“wēnliánggōngjiǎnràngzhīzhīqiúzhīzhūrénzhīqiúzhī。”

《论语》学而第一-10

(1)子禽:姓は陳、名はこう。子禽はあざな。子貢の弟子
(2)是邦:どの国でも
(3)求之與:孔子の方から求めたのか
(4)抑與之與:それとも君主たちから持ちかけられたのか

素読文:
きんこういていわく、“ふうくにいたるや、かならまつりごとく。これもとめたるか、抑々そもそもこれあたえたるか。”
こういわく、“ふうおんりょうきょうけんじょうもっこれたり。ふうこれもとむるや、ひとこれもとむるにことなるか。”

解釈:
子禽は子貢に尋ねた“孔子先生はどこの国に行かれても、必ずその国のまつりごとについて尋ねられますが、それは先方から問われるのでしょうか?それとも孔子先生から話されるのでしょうか?”
子貢はこう答えた。先生は温・良・恭・倹・譲の徳を備えられているので自然にそう言う質問を受けるのだと思う。
先生は政に関わることを望んでおられるが、他の人とは違って権力や官位を得ることに興味を持っておられるのではない。

役職や地位にこだわれば、正しい政はできないと孔子は考えていたのでしょう。

義礼親

yǒuyuē:“xìnjìnyángōngjìnyuǎnchǐyīnshīqīnzōng。”

《论语》学而第一-13

素読文:
ゆういわく:“しんちかければ、げんむべきなり。きょうれいちかければ、じょくとおざかる。ることしんうしなわざれば、またたっとぶべきなり。”

解釈:
有子曰く:“約束が義に叶っておれば、それは実行されるだろう。恭しく振る舞うことが礼に叶っていれば、恥辱を受けることはない。親しくする人を間違わねば、その人を尊敬できる。”

人との交わりは義礼親が大切ということでしょう。