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好きは上手、楽しむは最強

yuē:“zhīzhīzhěhàozhīzhěhàozhīzhězhīzhě。”

《论语》雍也第六-20

素読文:
いわく:“これものこれこのものかず。これこのものこれたのしむものかず。”

解釈:
之れを知る者は之れを好む者に及ばず、之れを好む者は之れを楽しむ者に及ばない。

「之れ」とは何か「学問」とか「音曲」などが思い浮かびますが、「真理」とか「原理」と解釈すると、孔子の言葉に深みが増します。

蕭墻内の憂

 shì(1)jiāngzhuān(2)rǎnyǒu(3)(4)jiànkǒngyuē:“shìjiāngyǒushìzhuān。”
 kǒngyuē:“qiúnǎiěrshìguòzhuānzhěxiānwángwéidōngméngzhǔqiězàibāngzhīzhōngshìshèzhīchénwéi。”
 rǎnyǒuyuē:“zhīèrchénzhějiē。”
 kǒngyuē:“qiúzhōurényǒu yányuēchénjiùliènéngzhězhǐwēiérchídiānérjiāngyānyòngxiàngqiěěryánguòchūxiáguīhuǐzhōngshìshuízhīguò
 rǎnyǒuyuē:“jīnzhuānérjìnjīnhòushìwéisūnyōu
 kǒngyuē:“qiújūnshěyuēzhīérwéizhīqiūwényǒuguóyǒujiāzhěhuànguǎérhuànjūnhuànpínérhuànāngàijūnpínguǎānqīngshìyuǎnrénxiūwénláizhīláizhīānzhījīnyóuqiúxiàng
yuǎnrénérnéngláibāngfēnbēngérnéngshǒuérmóudònggānbāngnèikǒngsūnzhīyōuzàizhuānérzàixiāoqiángzhīnèi

《论语》季氏第十六-1

(1)季氏;魯国の大夫・季孙
(2)颛臾:魯国の属国
(3)冉有:姓はぜん、名は求。あざなは子有。
(4)季路;姓はちゅう、名はゆうあざなは子路。

素読文:
季氏きしまさせんたんとす。冉有ぜんゆう季路きろこうまみえていわく、季氏きしまさせんことらんとす。こういわく、きゅうすなわなんじあやまてることきか。せんは、昔者むかし先王せんおうもっ東蒙とうもうしゅせり。邦域ほういきうちり。しゃしょくしんなり。なんつことをもっさん。冉有ぜんゆういわく、ふうこれほっす。われ二臣にしんものは、みなほっせざるなり。
こういわく、きゅうしゅうじんえるり。いわく、ちからべてれつき、あたわざればむと。あやうくしてせず、くつがえりてたすけずんば、すなわいずくんぞしょうもちいん。なんじげんあやまてり。虎兕こじこうよりで、ぎょくとくちゅうやぶれなば、たれあやまちぞ。冉有ぜんゆういわく、いませんかたくしてちかし。いまらずんば、後世こうせかならそんうれいとらん。
こういわく、きゅうくんこれほっすとうをきて、かならこれすをにくむ。きゅうく、くにたもいえたもものは、すくなきをうれえずしてひとしからざるをうれう。まずしきをうれえずしてやすからざるをうれうと。けだひとしければまずしきことく、すればすくなきことく、やすければかたむくことし。くのごとし。ゆえ遠人えんじんふくせざれば、すなわ文徳ぶんとくおさめてもっこれたす。すでこれたせば、すなわこれやすんず。いまゆうきゅうや、ふうたすけ、遠人えんじんふくせずして、しかたすことあたわず。くに文崩ぶんほうせきして、しかまもることあたわざるなり。しこうしてかん邦内ほうないうごかさんとはかる。われそんうれいは、せんらずして、蕭牆しょうしょううちらんことをおそるるなり。

解釈:
李氏が魯国の顓臾を攻めようとしていた。李氏に支えていた冉有と季路は孔子に相談した。
孔子曰く;求(季路)よ、それはお前達が間違っているのではないか?颛臾は、昔周王が東蒙に開いた国だ。今は魯の支配下となっている。したがって魯の臣下だ。同じ魯の臣下である李氏が勝手に攻めるわけにはいかないだろう。
冉有曰く:君主は颛臾を責めたがっております。我らは二人とも賛成はしてないのですが。
孔子曰く:求よ、昔周任という人があった。力を尽くして任務にあたり、結果を出せなければその地位を辞する。危うきを助けず、倒れたものを助けなければ、任官できない、と周任は言っておる。求よ、お前の言うことは間違いだ。もし虎や野牛が檻から逃げたら、それは誰の責任だ?亀甲や宝石が箱の中で壊れていたら、それは誰の責任だ?
冉有曰く:顓臾は守りが固く費(李氏の領土)の近くです。今顓臾を取っておかないと後世の不安材料となります。
孔子曰く:求よ、君子は自分の本心を語らず、言葉を飾ることを避けるものだ。私はこういう話を聞いたことがある。国を治める者は、領内の人々が貧しいことを憂えず、人々の格差を憂う。貧しさを憂うのではなく安心できないことを憂う。富の格差がなく和すれば貧しいことはなく、和すれば人が減ることもない。遠方の人が帰服しないのであれば、文徳を高めれば自ずと人々は帰服する。既に領土にいる人々には、安心して暮らせるようにする。今冉有と季路が季孫を助け、遠方の人々を帰服させることができず、国内を分裂させ、戦争を引き起こそうとしている。私には季孫の憂は顓臾ではなく、国内にあるように見える。

隠者を諭す

cóngérhòuzhàngrénzhàngdiào(1)wènyuējiànzhàngrényuēqínfēn(2)shúwéizhízhàngéryúngǒngérzhǐ宿shāwéishǔ(3)ér(4)zhījiànèryān
míngxínggàoyuēyǐnzhě使shǐfǎnjiànzhīzhìxíngyuēshìzhǎngyòuzhījiéfèijūnchénzhīzhīfèizhījiéshēnérluànlúnjūnzhīshìxíngdàozhīxíngzhīzhī

《论语》微子第十八-7

(1)蓧:古代農作に使われた竹籠。
(2)四体不勤,五谷不分:手足はひ弱で、五穀の区別もつかない。
(3)黍:キビ。
(4)食:人に食べさせる

素読文:
子路しろしたがいておくる。じょうじんつえもっかごになうにう。子路しろいていわく、ふうたるか。じょうじんいわく、たいつとめず、こくわかたず、たれをかふうすと。つえててくさぎる。子路しろきょうしてつ。子路しろとどめて宿しゅくせしめ、にわとりころしょつくりてこれくらわしめ、二子にしまみえしむ。
明日めいじつ子路しろきてもっぐ。いわく、隠者いんじゃなりと。子路しろをしてかえりてこれせしむ。いたればすなわれり。子路しろいわく、つかえざればし。ちょうようせつはいすべからざるなり。君臣くんしんは、これ如何いかんこれはいせん。いさぎよくせんとほっして大倫たいりんみだる。くんつかうるや、おこなうなり。みちおこなわれざるは、すでこれれり。

解釈:
子路は孔子と共に旅をしていたが遅れた。杖を持ち竹籠を担いだ老人に出会い尋ねた。「子、夫子を見ませんでしたか?」「子と言われるが、あなたは見たところ百姓のようではなく、五穀の見分けもできないようだが、子とはどんな人だ?」といい杖を立てて草を刈り始めた。子路は拱手の礼で立っていた。老人は子路を家に招き、泊まらせ、鶏を絞め黍飯を炊いてもてなした。そして自分の息子二人を子路に会わせた。
翌日子路は孔子に追いついて、その話をした。
隠者だろう。孔子は言い、引き返して老人に会うように命じた。
引き返してみると老人はもういなかった。子路は二人の息子にこんな話をした。
「出仕する心がないのは義とはいえまい。長幼の序を重んじるならば君臣の義を捨てて良いことにはなるまい。義が通らぬからと言って、己の身を潔くすれば大義を乱す。君子が出仕するのは君臣の義を行うためであり、道が行われないこともあるのは覚悟の上です」

現代においてもサラリーマンとして出仕する者も、企業家になる者も「道」から外れたことを我慢せねばならないことがたくさんあります。それでも隠者として暮らすのではなく、世に出て「道」のために働けと孔子は説いているのでしょう。
そんな孔子でありながら、孔子を迎え入れる国がなかったというのはなんとも残念なことです。

徳の賊

yuēxiāngyuàn(1)zhīzéi(2)

《论语》阳货第十七-13

(1)乡愿:田舎のえせ君子。指導に表裏があり言行が不一致。
(2)德之贼:徳を害する者。

素読文:
いわく、郷原きょうげんとくぞくなり。

解釈:
孔子曰く:“田舎のえせ君子には真の道徳を害する者がいるものだ。

『乡愿』を田舎のえせ君子と訳しましたが、都会のえせ君子も同様に『徳之賊』だと思います。

 君子の着衣

jūngànzōushì(1)hóngwéixiè(2)dāngshǔzhěnzhǐ(3)biǎoérchūzhī(4)(5)gāoqiú(6)(7)qiúhuángqiúxièqiúchángduǎnyòumèi(8)yǒuqǐn(9)chángshēnyòubànzhīhòu(10)sāngsuǒpèifēiwéishang(11)shāizhī(12)gāoqiúxuánguàn(13)diào(14)yuè(15)cháoércháo

《论语》乡党篇第十-6

(1)绀緅饰:衣服の端につける绀(赤色)緅(紫色)の飾り布
(2)亵服:普段着
(3)袗絺绤:葛布の単衣の着物。粗末な着物
(4)必表而出:必ず下着を着てその上に絺绤を着る(諸説あるが着衣の仕方)
(5)缁衣:黒い衣服
(6)羔裘:子羊の毛皮で作った衣服。黒羊の毛皮を使う。
(7)素衣麑:子鹿の毛皮で作った衣服。こちらは白色。
(8)短右袂:働きやすくするために右袖を短くすること。
(9)寝衣:寝巻き
(10)狐貉之厚以居:家にいるときは狐、むじなの厚い毛皮を着る。
(11)帷裳:公式の場で着る
(12)必杀之:余分な布を裁断した衣服。
(13)羔裘玄冠:凶事に使う黒子羊の皮で作った冠。
(14)不以吊:弔事に使わない。
(15)吉月:每月初一(新月の日)

素読文:

くんかんしゅうもっかざらず。こうもっ褻服せつふくさず。しょたってはひとえげきかならひょうしてこれだす。緇衣しいにはこうきゅう素衣そいにはげいきゅうこうにはきゅうせつきゅうながく、みぎたもとみじかくす。かならしんり。なが一身有半いっしんゆうはんかくあつもっる。のぞけばびざるところし。しょうあらざれば、かならこれさいす。こうきゅう玄冠げんかんしてはもっちょうせず。吉月きつげつにはかならちょうふくしてちょうす。

解釈:
君子は衣服にもこまかな注意を払うものだ。紺色や淡紅色は喪服の飾りだから、それを他の場合の襟の飾りには用いない。また平常服に赤や紫のようなはでな色を用いられることもない。暑い時には単衣のかたびらを着るが、下着なしに着ることはない。黒衣の下には黒羊の皮衣、白服の下には白鹿の皮衣、黄衣の下には狐の皮衣を用いる。平常服の皮衣は温かいように長目に仕立てるが、働きよいように右のたもとを短くする。寝衣は必ず別にし、長さは身長の一倍半である。家居には、狐やむじなの毛皮を用いて暖かにする。喪の時以外は玉その他の装身具をきちんと身につける。官服・祭服のほかは簡略にして布地を節約する。黒羊の皮衣や黒の冠で弔問することはない。毎月朔日ついたちには礼服を着て参賀する。

着衣に関する君子のの心得です。孔子がこういうスタイルだったのでしょう。
「寝衣」を寝巻きと注釈しておきましたが、身長の1.5倍とあるので、掛け布団のことかもしれません。

君子の心得

zhāngyuē:“shìjiànwēizhìmìngjiànjìngsāngāi。”

《论语》子张第十九-1

素読文:
ちょういわく:“あやうきをてはいのちいたし、るをてはおもい、まつりにはけいおもい、にはあいおもう。なるのみ。”

解釈:
子張曰く:“士たる者は危機に面しては命をかけてあたり、利を得る局面では義に適うか考え、祭事にあたっては敬虔深く、喪には哀悼の念を抱くかねばならない。”

这是君子之所为。君子の心得です。

命・礼・言を知る

kǒngyuē:“zhīmìngwéijūnzhīzhīyánzhīrén。”

《论语》尧曰第二十-3

素読文:
いわく、めいらざれば、もっくんきなり。れいらざれば、もっきなり。げんらざれば、もっひときなり。

解釈:
孔子曰く:“天命を知らずして君子たる資格はない。礼を知らずして世に立つことはできない。言葉の真意を理解しないで人を知ることはできない。”

五美と四悪

zhāngwènkǒngyuē:“cóngzhèng?”
yuē:“zūnměibǐngècóngzhèng。”
zhāngyuē:“wèiměi?”
yuē:“jūnhuìérfèiláoéryuànértāntàiérjiāowēiérměng。”
zhāngyuē:“wèihuìérfèi?”
yuē:“yīnmínzhīsuǒérzhīhuìérfèiláoérláozhīyòushuíyuànrénérrényòuyāntānjūnzhòngguǎxiǎogǎnmàntàiérjiāojūnzhèng衣冠yīguānzūnzhānshìyǎnránrénwàngérwèizhīwēiérměng。”
zhāngyuē:“wèiè?”
yuē:“jiàoérshāwèizhīnüèjièshìchéngwèizhībàomànlìngzhìwèizhīzéiyóuzhīrénchūzhīlìnwèizhīyǒu。”

《论语》尧曰第二十-2

素読文:
ちょうこういていわく、何如いかなればもっまつりごとしたがうべきか。
いわく、五美ごびたっとび、あくしりぞくれば、ここもっまつりごとしたがうべし。
ちょういわく、なにをか五美ごびう。
いわく、くんけいしてついやさず。ろうしてうらまず。ほっしてむさぼらず。たいにしておごらず。ありてたけからず。
ちょういわく、なにをかけいしてついやさずとう。
いわく、たみするところりてこれす。けいしてついやさざるにあらずや。ろうすべきをえらびてこれろうす。またたれをかうらまん。じんほっしてじんたり。またいずくんぞむさぼらん。くんしゅうく、しょうだいく、えてあなどし。たいにしておごらざるにあらずや。くんかんただしくし、せんたっとくす。儼然げんぜんとしてひとのぞみてこれおそる。ありてたけからざるにあらずや。
ちょういわく、なにをかあくう。
いわく、おしえずしてころす、これぎゃくう。いましめずしてるをる、これぼうう。れいみだりにしていたす、これぞくう。これひとしくひとあたうるなり。出納すいとうやぶさかなる、これゆうう。

解釈:
子張は孔子に尋ねた“いかにしたらまつりごとがうまくゆきますか?”
孔子曰く“五美を尊び四悪を退けて政を行うべし”
子張曰く“五美とはなんでしょうか?”
孔子曰く“君子の五美とは、恵して費やせず、労して恨まず、欲して貪らず、泰にして驕らず、威ありて猛からずの五つだ”
子張曰く“惠を費やさずとはどういう意味でしょう?”
孔子曰く“人々に自らの生業で生活を立たせる。人々に生活の糧を与えるのではない。これが恵して費やせずだ。
人々に意味のある使役を与えれば恨まれることはない。これが労して怨まず。
仁を求め仁を得るような者が、貪るようなことはない。これが欲して貪らず。
君子は相手の人数や事の大小に捉われず慢心することはない。これが泰にして驕らず。
君子は衣服を正し、容姿を尊ぶ。人々はそれを厳かに見、畏敬する。威厳はあるが猛々しくない。これが威ありて猛からず。”
子張曰く“四悪とはなんでしょうか?”
孔子曰く“人々に何も教えずに罪あるものを殺す事。これを虐という。原因を見ずただ成果だけを求める事。これを暴という。命令をみだりに出して、期限だけを厳しくする。これを賊という。金を出し惜しみする。これを有司(小役人)という。

天の階して升るべからざるが如し

chénqín(1)wèigòngyuē:“wéigōng(2)zhòng(3)xiàn?”
gòngyuē:“jūnyánwéizhìyánwéizhìyánshènzhīyóutiānzhījiē(4)érshēngzhībāngjiā(5)zhěsuǒwèizhīdàozhīxíngsuízhīláidòngzhīshēngróngāzhī?”

《论语》子张第十九-25

(1)陈子禽:姓は陳、名はこう。子禽はあざな子貢の弟子。
(2)为恭:謙遜する。
(3)仲尼:孔子のあざな
(4)阶:梯子をかけること。
(5)邦家:諸侯が治める国。諸侯となって国を治めること。

素読文:
ちんきんこういていわく:“きょうすなり。ちゅうよりもまさらんや。”
こういわく:“くん一言いちげんもっし、一言いちげんもっ不知ふちす。げんつつしまざるべからざるなり。ふうおよぶべからざるや、てんかいしてのぼるべからざるがごときなり。ふうほうんには、所謂いわゆるこれつればここち、これみちびけばここき、これやすんずればここきたり、これうごかせばここやわらぐ。くるやさかえ、するやかなしむ。これ如何いかんおよぶべけんや。”

解釈:
陳子禽が子貢に曰く:“あなたは謙遜しすぎです。孔子と言えどもあなた以上とは思えません。”
子貢曰く:“君子は一言で知者と言われ、一言で愚者とも言われる。言葉は慎むべきだ。我々が孔子に及ばないのは、梯子で天に登れないのと同じだ。孔子が国を治めたら、民に礼を教えれば礼に従い、民を導けば従い、やすんずれば民は集まり、導けば民は安心する。孔子が生きている間国は栄え、亡くなれば民は悲しむだろう。これに及ぶ者があるだろうか?”

多分陳子禽は孔子とは面識がなかったのでしょう。陳子禽は子貢を褒めたつもりでしょうが、子貢にしてみれば、師匠を貶されたような気持ちになったのでしょう。
「言葉を慎め」と陳子禽を叱り飛ばしています。

君子は日食・月食

gòngyuē:“jūnzhīguòyuèzhīshí(1)yānguòrénjiējiànzhīgēngrénjiēyǎngzhī。”

《论语》子张第十九-21

(1)如日月之食:日食や月食のようなものだ。誰の目にも明らか。

素読文:
こういわく:”くんあやまちや、日月じつげつしょくのごとし。あやまつやひとみなこれる。あらたむるやひとみなこれあおぐ。”

解釈:
子貢曰く;“君子の過ちというのは日食や月食と同じだ。過てば誰の目にも明らか。過ちを正しても誰の目にも明らかだ”

君子の過ちは民衆が見ている、過ちを正せば民衆は見直す。
論語には他にも「過ち」に対する言葉があります。

子曰:“君子不重則不威。學則不固。主忠信。無友不如己者。過則勿憚改。”(学而第1−8
子曰:“過而不改。是謂過矣。”(衛霊公第15-29)

為政者は君子であってほしいものですが、なかなかそうはいかないようです。