論語」タグアーカイブ

孔子、南子にまみゆ

jiànnán(1)yuèshǐ(2)zhīyuē:“suǒfǒuzhětiānyànzhītiānyànzhī。”

《论语》雍也第六-28

(1)>南子:衛霊公の婦人。品行に問題があったとされる。
(2)矢:誓う

素読文:

なんまみゆ。子路しろよろこばず。ふうこれちかいていわく、“しからざるところあらば、てんれをてん。てんこれを厭ん。”

解釈:

孔子が衛の南子にあったことを子路が嬉しく思わなかった。孔子は誓って曰く“もし自分にやましいことがあれば、天が放っておかないだろう”

衛霊光の婦人であるからには、とかくの噂があっても礼は尽くさねばならないだろう。剛直な子路が南子に挨拶したことを咎めると、孔子は「もし私の行為が間違っていれば、お前に言われるまでもなく天が罰するはずだと、軽く交わした。というシーンなのでしょう。

觚ならず

yuē:“(1)zāizāi”。

《论语》雍也第六-25

(1)觚:かどのある酒杯。容量は当時の二升(約0.4リットル)であったという。

素読文:

いわく“ならず。ならんや、ならんや。”

解釈:

觚は普段使いの酒器ではなく、祭礼などに使うものだったのでしょう。孔子は祭礼に角のない酒器が使われているのを見て嘆いた、ということでしょうか。
論語には「形式」を重んじる言葉がいくつか出てきます。過度に型式を重んじると、進歩が阻害されると、凡人は愚考しております。

学びの道とは

yuē:“jūnxuéwényuēzhīpàn。”

《论语》雍也篇第六-25

素読文:

いわく、“くんひろぶんまなび、これやくするにれいもってせば、またもっそむかざるべきか。”

解釈:

子曰く“君子はひろく書籍を学んで知見をゆたかにするだけでなく、礼に従って実践しその知見を自分のものになければならない。それを実践できてはじめて学問の道にそむかないといえる。”

多くの書籍を読んでいても、書籍から得た知識を実践できなければ識者とは言えない、ということでしょう。

君子は騙せるか

zǎiwènyuē:“rénzhěsuīgàozhīyuējǐngyǒurén yāncóngzhī?”
yuē:“wéiránjūnshìxiànwǎng。”

《论语》雍也篇第六-24

素読文:

さいいていわく、仁者じんしゃこれげてせいひとりとうといえども、これしたがわん。
いわく、なんれぞしからんや。くんかしむきなり。おとしいからざるなり。あざむきなり。からざるなり。

解釈:

宰我が「仁者は、もしも井戸の中に人がおちたと言えば、すぐに井戸に飛び込んで助けるでしょうか」と孔子に尋ねた。
孔子曰く「どうしてそんなことをするだろうか。君子はだまされて井戸まで行くかもしれない。しかし、陥れることはできない。人情に訴えてあざむくことはできても、正しい判断力は失わないだろう」

知とは何か

fánchíwènzhìyuē:“mínzhījìngguǐshénéryuǎnzhīwèizhì。”
wènrényuē:“rénzhěxiānnánérhòuhuòwèirén。”

《论语》雍也篇第六-22

Created By 音読さん

素読文:

はんう。
いわく、たみつとめ、しんけいしてこれとおざく。し。
じんう。いわく、仁者じんしゃかたきをさきにしてるをのちにす。じんし。

解釈:
樊遅が孔子に“知”とは何かを問う。
孔子は「正義を務め、神仏に対しては敬意は持つが、一定の距離を持つのを知という」と答えた。
樊遅はさらに“仁”とは何かを問う。
孔子は「仁者は困難なことを先にし、理を得るのを後にする」

知者は変化の法則を求め、仁者は変わらぬ真理を求める

yuē:“zhìzhěshuǐrénzhěshānzhìzhědòngrénzhějìngzhìzhěrénzhě寿shòu

《论语》雍也篇第六-21

素読文:

いわく、しゃみずたのしみ、仁者じんしゃやまたのしむ。しゃうごき、仁者じんしゃしずかなり。しゃたのしみ、仁者じんしゃ寿いのちながし。

解釈:

子曰く:“知者は水に歓びを見出し、仁者は山に歓びを見出す。知者は活動的であり、仁者は静寂である。知者は変化を楽しみ、仁者は永遠のなかに安住する”

知者は変化を追求し、仁者は変わらぬものを好む、という解釈でしょうか。

正直であれ

yuē:“rénzhīshēngzhíwǎng(1)zhīshēngxìngérmiǎn。”

《论语》雍也篇六-19

Create by 音読さん

(1)罔:ない

素読文:

いわく、“ひとくるやなおし。これみしてくるや、さいわいにしてまぬかる。”

解釈:

孔子曰く“人間とは、本来、正直に生れついている。それを無視して生きていられるのは、たまたま天罰を免れているに過ぎないのだ”

正直であれ。さもなくばいつかは天罰が降る。と言う意味でしょう。

文質彬彬

yuē:“zhì(1)shèngwén(2)(3)wénshèngzhìshǐ(4)wénzhìbīnbīn(5)ránhòujūn。”

《论语》雍也篇第六-16

Created By 音読さん

(1)质:生まれつきの資質
(2)文:教養による形式的な美しさ
(3)野:田舎臭い
(4)史:文書を管理する役人(形式的で心がない)
(5)彬彬:見た目も内容も整っていること

素読文:

いわく、“しつぶんてばすなわなり。ぶんしつてばすなわなり。文質ぶんしつ彬彬ひんぴんとして、しかのちくんなり。”

解釈:

孔子曰く“気立が良くても、教養がなければ野人。教養があっても、気立が良くなければ実務者以上にはなれぬ。教養と気立が揃って君子となる。”

人の通る道

yuē:“shuínéngchūyóuyóudào。”

《论语》雍也篇第六-15

Create by 音読さん

素読文:
いわく、たれづるにらざらん。なんみちることきや。

解釈:

孔子曰く:“外に出るのに戸口を通らないものはない。しかし、どうして人々は、人間が世に出るのに必ず通らなければならないこの道を通ろうとしないだろう”

孔子は処世の道を守らない愚者を嘆いたのでしょう。もちろん農民など教育を受けていない貧民のことではないでしょう。それなりの地位にある者が正しい「道」を歩んでいない、と嘆いています。現代でも、政治家、大企業の経営者など人の道を踏み外している者を数えたら切りがありません。

世渡りは口先と見た目

yuē:“yǒuzhùtuó(1)zhīnìng(2)éryǒusòngzhāo(3)zhīměinánmiǎnjīnzhīshì。”

《论语》雍也第六-14

Created By 音読さん

(1)祝鮀:衛の大夫。名は鮀、あざなは子魚。祝は、宗廟の祭祀の官。霊公に仕え、雄弁であったといわれている。
(2)佞:弁舌がたくみである。「おもねる」の意ではない。
(3)宋朝:宋の公子、名はちょう。美男子であったという。

素読文:

いわく、しゅくねいらずして、そうちょうるは、かたいかないままぬかれんこと。

解釈:

孔子曰く:“祝鮀の様に弁が立ち、宋朝の様に美男でないとこの世には務まらないらしい”
孔子は、口先のうまい者、見た目が良い者でなければ治世は務まらないと嘆いたのでしょう。
いつの世も「本質」は評価されずとも、世の中を渡っていける人がいる様です。