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二度考えれば十分

wén(1)sānérhòuxíngwénzhīyuē:“zài。”

《论语》公冶长篇第五-20

(1)季文子:魯の国の家老。姓は季孫、名はこう、文子はそのおくりな。宣公・成公・襄公の三君のときの宰相

素読文:
ぶんたびおもいてしかのちおこなう。これきていわく、“ふたたびせばなり。”

解釈:
季文子は何事も三たび考えてから行なった。孔子はそれを聞いていわれた。“二度考えたら十分だ”

何事も熟考の上、行動することが必要ですが、孔子は考えるのは二度までにしておけ、と言っています。三度考えている間に、状況が変わってしまうこともあるでしょう。
二度考えて答えが違っていれば、三度目を考える必要がありそうですが。

臧文仲

yuēzāngwénzhòng(1)(2)cài(3)shānjiézǎozhuózhì

《论语》公冶长第五-18

Created By 音読さん

(1)臧文仲:魯の大夫。姓は臧孫、名は辰、あざなは仲、文はおくりな。魯の大夫。孔子の出生より六十六年前に死去。当時、知者として知られた。
(2)居:おさめる
(3)蔡:占いに用いる大きな亀の甲。天子が用いるものであり、大夫の臧文仲には分不相応。

素読文:
いわく:“ぞうぶんちゅうさいき、せつやまにし、せつそうす。何如いかんならんや。”

解釈:

孔子曰く“臧文仲は、諸侯でもないのに、国の吉凶を占う蔡をもっている。しかもそれを置くせつには山の形をきざみ、せつには水草の模様を描いているが、それは天子の廟の装飾だ。世間では彼を知者だといっているが、こんな身のほど知らずが、なんで知者といえよう”

孔子は「蔡」を所有している臧文仲を分不相応と批判しています。
臧文仲は自らの領地の安寧を願って占いをしていたのでしょう。

晏平仲人と交わりて敬す

yuē:“yànpíngzhòng(1)shànrénjiāojiǔérjìngzhī。”

《论语》公冶长第五-17

(1)晏平仲あんぺいちゅう:姓は晏。名はえい。字は仲。平はおくりな。斉の霊公・荘公・景公の三君に仕えた名宰相。

素読文:
いわく:“あんぺいちゅうよくひとまじわる。ひさしくしてこれけいす。”

解釈:
孔子曰く:“晏平あんぺいちゅうは交際の道をよく心得ている人だ。どんなに長く交際している人に対してもなれて敬意を失うことがない”

人の欲せざるを成すなかれ

gòngyuē:“rénzhījiāzhūjiāzhūrén。”
yuē:“(1)fēiěrsuǒ。”

《论语》公冶长第五-12

(1)赐:子貢の名

素読文:
こういわく:“われひとこれわれくわうることをほっせざるや、われまたこれひとくわうることからんとほっす。
いわく:“や、なんじおよところあらざるなり。”

解釈:
子貢曰く:“自分が人からされたくないことは、自分もまた人に対してしない様にします。”
それに対し孔子は“よ、それはまだまだおまえにできることではない”

私も子供の頃母親に「人にされたくないことはしてはならない」と何度も言われました。
子貢は自分から「人からされたくないことはしない」と言っているのに、師匠の孔子はお間にはまだ無理だ。と言い放されています。孔子が「これこれの方法で精進せよ」とアドバイスするとは思えませんが、お前には無理だと切り捨てられています。口先だけでなくどの様にするのか考えろ、という教えなのでしょうか。

無所取材

yuē:“dàoxíngchénghǎicóngzhěyóu?”
子路zǐlùwénzhī
yuē:“yóuhàoyǒngguòsuǒcái 。”

《论语》公冶长第五-7

素読文:
いわく:“みちおこなわれず、いかだりてうみうかばん。われしたがものゆうなるか。”
子路しろこれきてよろこぶ。
いわく:“ゆうゆうこのむことわれすぎたり。ざいところし。”

解釈:
孔子曰く:“私が教える『道』によよる治世をを受け入れる為政者は現れない。いっそ筏にでも乗って『道』を広めてみようか。一緒に行くのは子路か”
子路はこれを聞いて喜ぶ。
孔子は続けて曰く:“子路は勇敢であることは私より優れているが、治世の人材としては取り柄がない。”

流石の子路も、師匠にこういわれては落ち込んだのではないでしょうか?

朽木彫るべからず、糞土塗るべからず

zǎizhòuqǐn
yuē:“xiǔdiāofènzhīqiángzhū。”
yuē:“shǐréntīngyánérxìnxíngjīnréntīngyánérguānxínggǎishì。”

《论语》公冶长第五-10

素読文:
さいひるぬ。いわく、朽木きゅうぼくるべからず。糞土ふんどしょうは、るべからず。いてかなんめん。わく、はじわれひとけるや、げんきておこないをしんぜり。いまわれひとけるや、げんきておこないをる。いてかれをあらたむ。

解釈:
宰予が昼間寝ていた。それを見て孔子は“朽ちた木は彫刻できない、糞土壁は上塗りしても意味がない。自分は今まで人は言葉通りの行いをするものだと信じていた。お前の言動を見ていると、言葉どおりの行動をするとは限らないこと知った。これからは改めねばなるまい。

これは強烈な叱責です。居眠りするなと叱られるより、師匠が弟子に対して、自分自身の行動を改めると言っています。弟子は厳しい叱責と感じるでしょう。

慾深きは剛者ならず

yuē:“wèijiàngāngzhě(1)。”huòduìyuē:“shēnchéng(2)。”yuē:“chéngyāngāng。”

《论语》公冶长第五-11

(1)刚者:意志が強く、困難に屈しない者
(2)申枨:姓は申、名は棖。字は子周

素読文:

いわく、われいま剛者ごうしゃみず。あるひとこたえいわく、申棖しんとうあり。いわく、とうよくあり。いずくんぞごうなるをん。

解釈:

孔子曰く“私はまだ剛者というほどの人物に会ったことがない”
するとある人がいった。“申棖しんとうがいるではありませんか”
孔子曰く“とうは慾が深い。あんなに慾が深くては剛者にはなれない”

慾がなければ人は成長しない。孔子が戒めたのは我欲でしょうか。

公冶長を謂う

wèigōngcháng(1)(2)suīzàiléixiè(3)zhīzhōngfēizuìzhī。”
wèinánróng(4) ,“bāngyǒudàofèibāngdàomiǎnxíngxiōngzhīzhī”。

《论语》公冶长第五-1

(1)公冶長:孔子の門人。姓は公冶、名は長、字あざなは子長。
(2)妻:嫁にやる。
(3)缧绁:罪人縛る縄。牢屋に投獄されること。
(4)南容:姓はなんきゅう、名はかつ(括)、またとうあざなは子容。孔子の弟子

素読文:

こうちょうう、めあわすべきなり。縲絏るいせつうちりといえども、つみあらざるなりと。もっこれめあわす。
南容なんようう、くにみちればはいせられず。くにみちきも刑戮けいりくよりまぬかると。あにもっこれめあわす。

解釈:

孔子は公冶長を娘と娶せるべき男だ、投獄されたと言えど無実だったのだ。と評して婿にした。
孔子は南容を評して、治世時には用いられ、乱世時にも投獄される様なことはないと評価し兄の娘を嫁がせた。

日本も中国も昔は、結婚相手の決定は本人ではなく親世代の意向で決定した様です。

控えめにすれば間違いなし

yuē:“yuē(1)shī(2)zhīzhěxiǎn(3)。”

《论语》里仁第四-24

(1)约:控えめにする。
(2)失:失敗する。
(3)鲜:少ない、ほとんどない。

素読文:

いわく:“やくもっこれうしなものすくなし。”

解釈:

孔子曰く:“控えめにして居れば間違いはない。”

高度成長期の頃は「積極性」がもてはやされ、多くの人々が背中を押されていました。
「約」は必ずしも「消極性」と同義ではないと思いますが、「世情に惑わされない」と解釈したいと思います。

古者の言

yuē:“zhěyánzhīchū(1)chǐgōngzhīdǎi(2)。”

《论语》里仁篇第四-22

(1)古者言之不出:昔の人は軽々しくものを言わなかった
(2)逮:及ぶ

素読文:

いわく:“古者いにしえげんいださざるは、およばざるをずればなり。”

解釈:

子曰く:“古人はかるがるしく物を言わなかった、それは実行がともなわないのを恥じたからだ。”

受け売り、知ったかぶりは軽率に見えるものです。情報が溢れている現代では、容易にそれらしいことを言える様になります。慎まねばなりません。