子曰:君子成人之美,不成人之恶。小人反是。
《论语》颜渊第十二-16
素読文:
子曰く:“君子は人の美を成し、人の悪を成なさず。小人は是に反す。”
解釈:
君子は人の良い点を称賛し助長するが、欠点につては触れない様にしている。しかし小人はこれと反対である。
美点凝視。部下育成の鉄則です。
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子曰:君子成人之美,不成人之恶。小人反是。
《论语》颜渊第十二-16
素読文:
子曰く:“君子は人の美を成し、人の悪を成なさず。小人は是に反す。”
解釈:
君子は人の良い点を称賛し助長するが、欠点につては触れない様にしている。しかし小人はこれと反対である。
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季氏(1)将伐颛臾(2),冉有(3)、季路(4)见于孔子曰:“季氏将有事于颛臾。”
孔子曰:“求,无乃尔是过欤。夫颛臾,昔者先王以为东蒙主,且在邦域之中矣,是社稷之臣也,何以伐为。”
冉有曰:“夫子欲之,吾二臣者,皆不欲也。”
孔子曰:“求,周任有言曰:陈力就列,不能者止。危而不持,颠而不扶,则将焉用彼相矣。且尔言过矣,虎兕出于柙,龟玉毁于椟中,是谁之过欤?
冉有曰:“今夫颛臾 ,固而近于费。今不取,后世必为子孙忧。
孔子曰:“求,君子疾夫舍曰欲之,而必为之辞。丘也闻 ,有国有家者,不患寡而患不均,不患贫而患不安。盖均无贫,和无寡,安无倾。夫如是,故远人不服 ,则修文德以来之。既来之,则安之。今由与求也,相夫子 。
远人不服,而不能来也。邦分崩离析,而不能守也,而谋动干戈于邦内。吾恐季孙之忧,不在颛臾,而在萧墙之内也。
《论语》季氏第十六-1
(1)季氏;魯国の大夫・季孙
(2)颛臾:魯国の属国
(3)冉有:姓は冉、名は求。字は子有。
(4)季路;姓は仲、名は由。字は子路。
素読文:
季氏、将に顓臾を伐たんとす。冉有・季路、孔子に見えて曰く、季氏将に顓臾に事有らんとす。孔子曰く、求、乃ち爾是れ過てること無きか。夫れ顓臾は、昔者先王以て東蒙の主と為せり。且つ邦域の中に在り。是れ社稷の臣なり。何ぞ伐つことを以て為さん。冉有曰く、夫子之を欲す。吾二臣の者は、皆欲せざるなり。
孔子曰く、求、周任言える有り。曰く、力を陳べて列に就き、能わざれば止むと。危うくして持せず、顛えりて扶けずんば、則ち将た焉んぞ彼の相を用いん。且つ爾の言過てり。虎兕柙より出で、亀玉櫝中に毀れなば、是れ誰の過ちぞ。冉有曰く、今夫の顓臾は固くして費に近し。今取らずんば、後世い必ず子孫の憂いと為らん。
孔子曰く、求、君子は夫の之を欲すと曰うを舎きて、必ず之が辞を為すを疾む。丘や聞く、国を有ち家を有つ者は、寡きを患えずして均しからざるを患う。貧しきを患ずして安からざるを患うと。蓋し均しければ貧しきこと無く、和すれば寡きこと無く、安ければ傾くこと無し。夫れ是くのごとし。故に遠人服せざれば、則ち文徳を修めて以て之を来たす。既に之を来たせば、則ち之を安んず。今由と求や、夫子を相け、遠人服せずして、而も来たすこと能わず。邦文崩離析して、而も守ること能わざるなり。而して干戈を邦内に動かさんと謀る。吾季孫の憂いは、顓臾に在らずして、蕭牆の内に在らんことを恐るるなり。
解釈:
李氏が魯国の顓臾を攻めようとしていた。李氏に支えていた冉有と季路は孔子に相談した。
孔子曰く;求(季路)よ、それはお前達が間違っているのではないか?颛臾は、昔周王が東蒙に開いた国だ。今は魯の支配下となっている。したがって魯の臣下だ。同じ魯の臣下である李氏が勝手に攻めるわけにはいかないだろう。
冉有曰く:君主は颛臾を責めたがっております。我らは二人とも賛成はしてないのですが。
孔子曰く:求よ、昔周任という人があった。力を尽くして任務にあたり、結果を出せなければその地位を辞する。危うきを助けず、倒れたものを助けなければ、任官できない、と周任は言っておる。求よ、お前の言うことは間違いだ。もし虎や野牛が檻から逃げたら、それは誰の責任だ?亀甲や宝石が箱の中で壊れていたら、それは誰の責任だ?
冉有曰く:顓臾は守りが固く費(李氏の領土)の近くです。今顓臾を取っておかないと後世の不安材料となります。
孔子曰く:求よ、君子は自分の本心を語らず、言葉を飾ることを避けるものだ。私はこういう話を聞いたことがある。国を治める者は、領内の人々が貧しいことを憂えず、人々の格差を憂う。貧しさを憂うのではなく安心できないことを憂う。富の格差がなく和すれば貧しいことはなく、和すれば人が減ることもない。遠方の人が帰服しないのであれば、文徳を高めれば自ずと人々は帰服する。既に領土にいる人々には、安心して暮らせるようにする。今冉有と季路が季孫を助け、遠方の人々を帰服させることができず、国内を分裂させ、戦争を引き起こそうとしている。私には季孫の憂は顓臾ではなく、国内にあるように見える。
子曰:乡原(1),德之贼(2)也。
《论语》阳货第十七-13
(1)乡愿:田舎のえせ君子。指導に表裏があり言行が不一致。
(2)德之贼:徳を害する者。
素読文:
子曰く、郷原は徳の賊なり。
解釈:
孔子曰く:“田舎のえせ君子には真の道徳を害する者がいるものだ。
『乡愿』を田舎のえせ君子と訳しましたが、都会のえせ君子も同様に『徳之賊』だと思います。
君子不以绀緅饰(1),红紫不以为亵服(2)。当暑,袗絺绤(3),必表而出之(4)。缁衣(5)羔裘(6),素衣麑(7)裘,黄衣狐裘。亵裘长,短右袂(8)。必有寝衣(9),长一身有半。狐貉之厚以居(10)。去丧,无所不佩。非帷裳(11),必杀之(12)。羔裘玄冠(13),不以吊(14)。吉月(15),必朝服而朝。
《论语》乡党篇第十-6
(1)绀緅饰:衣服の端につける绀(赤色)緅(紫色)の飾り布
(2)亵服:普段着
(3)袗絺绤:葛布の単衣の着物。粗末な着物
(4)必表而出:必ず下着を着てその上に絺绤を着る(諸説あるが着衣の仕方)
(5)缁衣:黒い衣服
(6)羔裘:子羊の毛皮で作った衣服。黒羊の毛皮を使う。
(7)素衣麑:子鹿の毛皮で作った衣服。こちらは白色。
(8)短右袂:働きやすくするために右袖を短くすること。
(9)寝衣:寝巻き
(10)狐貉之厚以居:家にいるときは狐、貉の厚い毛皮を着る。
(11)帷裳:公式の場で着る裳
(12)必杀之:余分な布を裁断した衣服。
(13)羔裘玄冠:凶事に使う黒子羊の皮で作った冠。
(14)不以吊:弔事に使わない。
(15)吉月:每月初一(新月の日)
素読文:
君子は紺緅を以て飾らず。紅紫は以て褻服と為さず。暑に当たっては袗の絺綌、必ず表して之を出だす。緇衣には羔裘、素衣には麑裘、黄衣には狐裘。褻裘は長く、右の袂を短かくす。必ず寝衣有り。長さ一身有半。狐貉の厚き以て居る。喪を去けば佩びざる所無し。帷裳に非ざれば、必ず之を殺す。羔裘玄冠しては以て弔せず。吉月には必ず朝服して朝す。
解釈:
君子は衣服にもこまかな注意を払うものだ。紺色や淡紅色は喪服の飾りだから、それを他の場合の襟の飾りには用いない。また平常服に赤や紫のようなはでな色を用いられることもない。暑い時には単衣のかたびらを着るが、下着なしに着ることはない。黒衣の下には黒羊の皮衣、白服の下には白鹿の皮衣、黄衣の下には狐の皮衣を用いる。平常服の皮衣は温かいように長目に仕立てるが、働きよいように右の袂を短くする。寝衣は必ず別にし、長さは身長の一倍半である。家居には、狐や狢の毛皮を用いて暖かにする。喪の時以外は玉その他の装身具をきちんと身につける。官服・祭服のほかは簡略にして布地を節約する。黒羊の皮衣や黒の冠で弔問することはない。毎月朔日には礼服を着て参賀する。
着衣に関する君子のの心得です。孔子がこういうスタイルだったのでしょう。
「寝衣」を寝巻きと注釈しておきましたが、身長の1.5倍とあるので、掛け布団のことかもしれません。
子张曰:“士见危致命,见得思义,祭思敬,丧思哀,其可已矣。”
《论语》子张第十九-1
素読文:
子張曰く:“士は危うきを見ては命を致し、得るを見ては義を思い、祭には敬を思い、喪には哀を思う。其れ可なるのみ。”
解釈:
子張曰く:“士たる者は危機に面しては命をかけてあたり、利を得る局面では義に適うか考え、祭事にあたっては敬虔深く、喪には哀悼の念を抱くかねばならない。”
这是君子之所为。君子の心得です。
孔子曰:“不知命,无以为君子也;不知礼,无以立也;不知言,无以知人也。”
《论语》尧曰第二十-3
素読文:
子曰く、命を知らざれば、以て君子と為す無きなり。礼を知らざれば、以て立つ無きなり。言を知らざれば、以て人を知る無きなり。
解釈:
孔子曰く:“天命を知らずして君子たる資格はない。礼を知らずして世に立つことはできない。言葉の真意を理解しないで人を知ることはできない。”
子张问于孔子曰:“何如斯可以从政矣?”
子曰:“尊五美,摒四恶,斯可以从政矣。”
子张曰:“何谓五美?”
子曰:“君子惠而不费,劳而不怨,欲而不贪,泰而不骄,威而不猛。”
子张曰:“何谓惠而不费?”
子曰:“因民之所利而利之,斯不亦惠而不费乎。择可劳而劳之,又谁怨。欲仁而得仁,又焉贪。君子无众寡,无小大,无敢慢,斯不亦泰而不骄乎。君子正其衣冠,尊其瞻视,俨然人望而畏之,斯不亦威而不猛乎。”
子张曰:“何?”
子zǐ 曰yuē :“不bù 教jiào 而ér 杀shā 谓wèi 之zhī 虐nüè ;不bù 戒jiè 视shì 成chéng 谓wèi 之zhī 暴bào ;慢màn 令lìng 致zhì 期qī 谓wèi 之zhī 贼zéi ;犹yóu 之zhī 与yǔ 人rén 也yě ,出chū 纳nà 之zhī 吝lìn 谓wèi 之zhī 有yǒu 司sī 。”
《论语》尧曰第二十-2
素読文:
子
子
子
子
子
子
子
子
解釈:
子張は孔子に尋ねた“いかにしたら政
孔子曰く“五美を尊び四悪を退けて政を行うべし”
子張曰く“五美とはなんでしょうか?”
孔子曰く“君子の五美とは、恵して費やせず、労して恨まず、欲して貪らず、泰にして驕らず、威ありて猛からずの五つだ”
子張曰く“惠を費やさずとはどういう意味でしょう?”
孔子曰く“人々に自らの生業で生活を立たせる。人々に生活の糧を与えるのではない。これが恵して費やせずだ。
人々に意味のある使役を与えれば恨まれることはない。これが労して怨まず。
仁を求め仁を得るような者が、貪るようなことはない。これが欲して貪らず。
君子は相手の人数や事の大小に捉われず慢心することはない。これが泰にして驕らず。
君子は衣服を正し、容姿を尊ぶ。人々はそれを厳かに見、畏敬する。威厳はあるが猛々しくない。これが威ありて猛からず。”
子張曰く“四悪とはなんでしょうか?”
孔子曰く“人々に何も教えずに罪あるものを殺す事。これを虐という。原因を見ずただ成果だけを求める事。これを暴という。命令をみだりに出して、期限だけを厳しくする。これを賊という。金を出し惜しみする。これを有司(小役人)という。
陈
chén 子zǐ 禽qín (1)谓wèi 子zǐ 贡gòng 曰yuē :“子zǐ 为wéi 恭gōng (2)也yě ,仲zhòng 尼ní (3)岂qǐ 贤xiàn 于yú 子zǐ 乎hū ?”
子zǐ 贡gòng 曰yuē :“君jūn 子zǐ 一yì 言yán 以yǐ 为wéi 智zhì ,一yì 言yán 以yǐ 为wéi 不bú 智zhì ,言yán 不bù 可kě 不bú 慎shèn 也yě 。夫fū 子zǐ 之zhī 不bù 可kě 及jí 也yě ,犹yóu 天tiān 之zhī 不bù 可kě 阶jiē (4)而ér 升shēng 也yě 。夫fū 子zǐ 之zhī 得dé 邦bāng 家jiā (5)者zhě ,所suǒ 谓wèi 立lì 之zhī 斯sī 立lì ,道dào 之zhī 斯sī 行xíng ,绥suí 之zhī 斯sī 来lái ,动dòng 之zhī 斯sī 和hé ,其qí 生shēng 也yě 荣róng ,其qí 死sǐ 也yě 哀ā 。如rú 之zhī 何hé 其qí 可kě 及jí 也yě ?”《论语》子张第十九-25
(1)陈子禽:姓は陳、名は亢
(2)为恭:謙遜する。
(3)仲尼:孔子の字
(4)阶:梯子をかけること。
(5)邦家:諸侯が治める国。諸侯となって国を治めること。
素読文:
陳
子
解釈:
陳子禽が子貢に曰く:“あなたは謙遜しすぎです。孔子と言えどもあなた以上とは思えません。”
子貢曰く:“君子は一言で知者と言われ、一言で愚者とも言われる。言葉は慎むべきだ。我々が孔子に及ばないのは、梯子で天に登れないのと同じだ。孔子が国を治めたら、民に礼を教えれば礼に従い、民を導けば従い、やすんずれば民は集まり、導けば民は安心する。孔子が生きている間国は栄え、亡くなれば民は悲しむだろう。これに及ぶ者があるだろうか?”
多分陳子禽は孔子とは面識がなかったのでしょう。陳子禽は子貢を褒めたつもりでしょうが、子貢にしてみれば、師匠を貶されたような気持ちになったのでしょう。
「言葉を慎め」と陳子禽を叱り飛ばしています。
子
zǐ 贡gòng 曰yuē :“君jūn 子zǐ 之zhī 过guò 也yě ,如rú 日rì 月yuè 之zhī 食shí (1)焉yān 。过guò 也yě ,人rén 皆jiē 见jiàn 之zhī ;更gēng 也yě ,人rén 皆jiē 仰yǎng 之zhī 。”《论语》子张第十九-21
(1)如日月之食:日食や月食のようなものだ。誰の目にも明らか。
素読文:
子
解釈:
子貢曰く;“君子の過ちというのは日食や月食と同じだ。過てば誰の目にも明らか。過ちを正しても誰の目にも明らかだ”
君子の過ちは民衆が見ている、過ちを正せば民衆は見直す。
論語には他にも「過ち」に対する言葉があります。
子曰:“君子不重則不威。學則不固。主忠信。無友不如己者。過則勿憚改。”(学而第1−8)
子曰:“過而不改。是謂過矣。”(衛霊公第15-29)
為政者は君子であってほしいものですが、なかなかそうはいかないようです。
子
zǐ 贡gòng 曰yuē :“纣zhòu (1)之zhī 不bú 善shàn ,不bù 如rú 是shì 之zhī 甚shèn 也yě 。是shì 以yǐ 君jūn 子zǐ 恶wù 居jū 下xià 流liú (2),天tiān 下xià 之zhī 恶wù 皆jiē 归guī 焉yān 。”《论语》子张第十九-20
(1)纣:殷代最後の王。後に放蕩、暴政の暴君と言われる。
(2)下流:窪地で水が集まる場所。転じて道徳的に不利な地位を意味する。
素読文:
子
解釈:
子貢曰く:暴君と言われる殷の紂王の悪行も実際はさほどでもなかったらしい。それが後世暴君のように言われるのは、道徳的に不善な環境にいたからだろう。だから君子はそのような場所にいることを憎むのだ。
本当の君主であれば、時代や周囲の環境に流されることなく、不道徳な世の中を改善するのではないでしょうか。子貢の紂王に対する評価は少し甘いように感じます。