投稿者「master@QmHP」のアーカイブ

子三軍を率いれば

wèiyányuānyuēyòngzhīxíngshězhīcángwéiěryǒushìyuēxíngsānjūn(1)shuí

yuēbào(2)píng(3)érhuǐzhě

línshìérhàomóuérchéngzhě

《论语》述而-第七-10

(1)三軍:大国の持つ37,500人の軍隊
(2)暴虎:暴れる虎と素手で戦うこと
(3)冯河:大河を歩いて渡る。(2)(3)共に命知らずの行動

素読文:

顔淵がんえんいていわく、これもちうればすなわおこない、これつればすなわかくる。われなんじとのみるかな。子路しろいわく、三軍さんぐんらば、すなわたれともにせん。いわく、ぼうひょうし、してものは、われともにせざるなり。かならずやことのぞみておそれ、はかりごとこのみてさんものなり。

解釈:

孔子は顔淵に“任官することがあれば仕事をするが、声がかからねば静かに過ごすだけだ。それができるのは君と私くらいのものだろう”
横で聞いていた子路が“師が大軍を任されることになったら誰と戦いますか”と聞いた。
孔子答えて曰く「暴れる虎と素手で戦ったり、大河を歩いて渡ろうとする様な蛮勇・無謀な者とは一緒に戦えない」

勇猛果敢であることは必要でしょうが、蛮勇無策では兵卒をまとめ勝利に導くことはできないでしょう。
残念ながら、孔子も顔淵も大軍を率いる機会には恵まれませんでした。

喪中の心得

shíyǒusāngzhězhīwèichángbǎo

《论语》述而篇第七-9

素読文:

あるものかたわらしょくすれば、いまかつあかざるなり。おいこくすれば、すなわうたわず。

解釈:

孔子は、喪中の人と同席して食事をされるときには、腹一ぱい食べることはなかった。孔子は、人の死を弔われた日には、歌をうたわなかった。

現代で、精進落としをおかわりして腹一杯食べる人は見たことがありません。故人が好きだった歌を歌うことはあっても、楽しげに歌を歌うことはないでしょう。

憤せざれば启せず

yuē:“fèn(1)(2)fěi(3)(4)sānfǎn(5)。”

《论语》述而篇第七-8

(1)愤:問題を解決しようと発奮する
(2)启:教える。理解させる
(3)悱:もどかしい思いをする。うまく言えず口篭る
(4)发:導く、啓発する
(5)反:応用して反応する

素読文:

いわく:“ふんせざればけいせず。せざればはっせず。一隅いちぐうあげて、三隅さんぐうもっかえさざれば、すなわふたたびせざるなり。”

解釈:

子曰く「問題を解決しようと奮闘しないものには、教えない」

ただ安直に答えを教えてもらおうと言う者に答えを教えてやっても、身につかない。
まずは理解しようと苦悶しなければならない。
答えを知るより、苦悶するプロセスが成長の礎になるはずです。

誨える


yuē:“(1)xíngshùxiū(2)shàngwèichánghuì(3)yān。”

《论语》述而篇第七-7

(1)自〜以上:〜したからには
(2)束修:干し肉を束ねた物。入門するときの謝礼。
(3)诲:教える

素読文:

いわく:“そくしゅうおこなうよりじょうは、われいまかつおしうることくんばあらず。”

解釈:

子曰く“謝礼を以って弟子入りしてきた者に、教えないということはあり得ない”

当たり前のように思えますが、孔子が「教える」と言っているレベルが当たり障りのない講義とはレベルが違うのでしょう。

我が衰え甚しきかな

yuēshènshuāijiǔmèngjiànzhōugōng

《论语》述而篇第七-5

素読文:

いわく、はなはだしいかな、わがおとろえたるや。ひさしいかな、われまたゆめしゅうこうず。

解釈:

孔子曰く:“私もずいぶん年老いたたものだ。最近は一向に周公の夢を見なくなってしまった”

孔子は若い頃はきっと、尊敬する周公の夢をしばしば見ていたのでしょう。最近は周公の夢を見なくなったのを、年齢のせいと考えているようですが、孔子が成長し周公に近づいたから夢に見なくなったのだろうと思います。

申申・夭夭

zhīyàn(1)shēnshēn(2)yāoyāo(3)

《论语》述而篇第七-4

(1)燕居:家でくつろぐこと
(2)申申如:のびのびとくつろぐ様子
(3)夭夭如:楽しそうな様子

素読文:

燕居えんきょするや、申申しんしんじょたり。夭夭如ようようじょたり。

解釈:

孔子は家にいるときは、いつものびのびとくつろぎ、楽しそうにしておられた。
凡人の印象では、孔子は家にいる時も考え事をしており、どちらかといえば沈思黙考の表情だったように思っていました。

徳・学・義・善

yuē:“zhīxiūxuézhījiǎngwénnéngshànnénggǎishìyōu。”

《论语》述而七-3

素読文:

いわく、とくおさまらざる、がくこうぜざる、きてうつあたわざる、ぜんあらたむるあたわざる、これわがうれいなり。

解釈:

孔子曰く「修徳の未熟なこと、学の不徹底なこと、正義と知ってただちに実践にうつり得ないこと、不善の行いを改めることができないこと。これらがいつも私の気がかりとなっていることだ」

学を好む弟子

āigōngwèn:“shúwéihàoxué?”
kǒngduìyuē:“yǒuyánhuízhěhàoxuéqiānèrguòxìngduǎnmìngjīnwèiwénhàoxuézhě。”

《论语》雍也第六-2

素読文:

哀公あいこうう、ていたれがくこのむとす。こうこたえいわく、顔回がんかいなるものり、がくこのむ。いかりうつさず、あやまちをふたたびせず。こう短命たんめいにしてせり。いますなわし。いまがくこのものきかざるなり。

解釈:
哀公が孔子に尋ねた:“門人中で誰が一番学問が好きかな”
孔子答えて曰く:“顔回という者があり、たいへん学問が好きでした。怒りをうつさず、過ちをくりかえさない、顔回はそれができた。しかし、不幸にして短命で亡くなり、この世を去りました。顔回なきあとには、残念ながら、ほんとうに学問が好きだといえるほどの者はおりません」

中庸の徳

yuē:“zhōngyōngzhīwéizhìmínxiǎnjiǔ。”

《论语》雍也第六-29

素読文:

いわく、“ちゅうようとくるや、それいたれるかな。たみすくなきことひさし。”

解釈:

孔子曰く「中庸こそは完全至高の徳だ。それが民の間に行なわれなくなって久しい」
中庸とは偏りのないこと。お上の政策も民の暮らしも中庸であることが至上である、と孔子は考えている様です。
現代では中庸は凡庸と捉えることが多い様に思います。

孔子、南子にまみゆ

jiànnán(1)yuèshǐ(2)zhīyuē:“suǒfǒuzhětiānyànzhītiānyànzhī。”

《论语》雍也第六-28

(1)>南子:衛霊公の婦人。品行に問題があったとされる。
(2)矢:誓う

素読文:

なんまみゆ。子路しろよろこばず。ふうこれちかいていわく、“しからざるところあらば、てんれをてん。てんこれを厭ん。”

解釈:

孔子が衛の南子にあったことを子路が嬉しく思わなかった。孔子は誓って曰く“もし自分にやましいことがあれば、天が放っておかないだろう”

衛霊光の婦人であるからには、とかくの噂があっても礼は尽くさねばならないだろう。剛直な子路が南子に挨拶したことを咎めると、孔子は「もし私の行為が間違っていれば、お前に言われるまでもなく天が罰するはずだと、軽く交わした。というシーンなのでしょう。