中国文化・中国語」カテゴリーアーカイブ

伯夷叔齐は賢人なり

rǎnyǒuyuē:“wèiwèijūn
gòngyuēnuòjiāngwènzhīyuēshūrén
yuēzhīxiánrén
yuēyuàn
yuēqiúrénérrényòuyuànchūyuē:“wèi。”

《论语》述而篇第七-15

素読文:

冉有ぜんゆういわく、ふうえいきみたすけんか。こういわく、だくわれまさこれわんとす。りていわく、はくしゅくせい何人なんぴとぞや。いわく、いにしえ賢人けんじんなり。いわく、うらみたるか。いわく、じんもとめてじんたり。またなにをかうらみん。いでいわく、ふうたすけざるなり。

解釈:

冉有ぜんゆう曰く“師(孔子)はえいの君を援けられるだろうか”
子貢曰く“私が師にたずねてみよう”
子貢は孔子の部屋へゆきずねた。
はくしゅく斉せいはどういう人でしょう」
孔子曰く「古代の賢人だ」
子貢「二人は自分たちのやったことを、あとでくやんだのでしょうか」
孔子曰く「仁を求めて仁を行なうことができたのだから、なんのくやむところがあろう」
子貢は孔子の部屋から戻り、冉有にいった「師は衛の君を援けないだろう」

食を忘れて楽を聞く

zàiwénsháo(1)sānyuèzhīròuwèiyuē:“wéiyuèzhīzhì。”

《论语》述而篇第七-13

(1)韶:舜が作ったといわれる古典音楽。

素読文:

せいりてしょうく。三月さんげつにくあじらず。いわく、“はからざりき、がくつくることのここいたらんとは。”

解釈:

孔子はせいに滞在中、しょうをきかれた。そして三月の間それを楽しんで、肉の味もわからないほどだった。
孔子曰く“これほどすばらしい音楽があろうとは、思いもかけなかった”

慎むべきは斎、戦、疾

zhīsuǒshènzhāi(1)zhàn

《论语》述而篇第七-12

(1)齐:物忌み、祭祀の前に斎戒沐浴し、心を整えること。

素読文:

つつしところは、さいせんしつ

解釈:

孔子が慎んで対処したのは、斎戒さいかいと、戦争と、病気の場合であった。
幸にして、現代の日本ではあまり気にしなくてよさそうですが、隣国では『战』『疾』に不安がありそうです。

我が好むところに従う

yuē:“érqiúsuīzhíbiānzhīshì(1)wéizhīqiúcóngsuǒhào 。”

《论语》述而篇第七-11

(1)执鞭之士:行列の先頭の露払い役、卑しい仕事の例え

素読文:

いわく、とみにしてもとくんば、執鞭しつべんいえども、われこれさん。もとべからずんば、このところしたがわん。

解釈:

子曰く:“もし富が、人として進んで求むべきものならば、私はそれを得るために、喜んで行列の露払いでもやろう。だが、それが求むべきものでないなら、私は自分の好む道に従って人生を過ごしたい”

仕事に富貧貴賎はない、与えられた仕事ならば、露払いでもやる。しかしそれが求める仕事でなければ、自分で好む仕事をしたい。孔子は弟子と共に、仕官すべき君主を探す旅に出ますが、結局孔子の眼鏡に叶う君主は見つけられなかったということでしょう。

子三軍を率いれば

wèiyányuānyuēyòngzhīxíngshězhīcángwéiěryǒushìyuēxíngsānjūn(1)shuí

yuēbào(2)píng(3)érhuǐzhě

línshìérhàomóuérchéngzhě

《论语》述而-第七-10

(1)三軍:大国の持つ37,500人の軍隊
(2)暴虎:暴れる虎と素手で戦うこと
(3)冯河:大河を歩いて渡る。(2)(3)共に命知らずの行動

素読文:

顔淵がんえんいていわく、これもちうればすなわおこない、これつればすなわかくる。われなんじとのみるかな。子路しろいわく、三軍さんぐんらば、すなわたれともにせん。いわく、ぼうひょうし、してものは、われともにせざるなり。かならずやことのぞみておそれ、はかりごとこのみてさんものなり。

解釈:

孔子は顔淵に“任官することがあれば仕事をするが、声がかからねば静かに過ごすだけだ。それができるのは君と私くらいのものだろう”
横で聞いていた子路が“師が大軍を任されることになったら誰と戦いますか”と聞いた。
孔子答えて曰く「暴れる虎と素手で戦ったり、大河を歩いて渡ろうとする様な蛮勇・無謀な者とは一緒に戦えない」

勇猛果敢であることは必要でしょうが、蛮勇無策では兵卒をまとめ勝利に導くことはできないでしょう。
残念ながら、孔子も顔淵も大軍を率いる機会には恵まれませんでした。

喪中の心得

shíyǒusāngzhězhīwèichángbǎo

《论语》述而篇第七-9

素読文:

あるものかたわらしょくすれば、いまかつあかざるなり。おいこくすれば、すなわうたわず。

解釈:

孔子は、喪中の人と同席して食事をされるときには、腹一ぱい食べることはなかった。孔子は、人の死を弔われた日には、歌をうたわなかった。

現代で、精進落としをおかわりして腹一杯食べる人は見たことがありません。故人が好きだった歌を歌うことはあっても、楽しげに歌を歌うことはないでしょう。

憤せざれば启せず

yuē:“fèn(1)(2)fěi(3)(4)sānfǎn(5)。”

《论语》述而篇第七-8

(1)愤:問題を解決しようと発奮する
(2)启:教える。理解させる
(3)悱:もどかしい思いをする。うまく言えず口篭る
(4)发:導く、啓発する
(5)反:応用して反応する

素読文:

いわく:“ふんせざればけいせず。せざればはっせず。一隅いちぐうあげて、三隅さんぐうもっかえさざれば、すなわふたたびせざるなり。”

解釈:

子曰く「問題を解決しようと奮闘しないものには、教えない」

ただ安直に答えを教えてもらおうと言う者に答えを教えてやっても、身につかない。
まずは理解しようと苦悶しなければならない。
答えを知るより、苦悶するプロセスが成長の礎になるはずです。

誨える


yuē:“(1)xíngshùxiū(2)shàngwèichánghuì(3)yān。”

《论语》述而篇第七-7

(1)自〜以上:〜したからには
(2)束修:干し肉を束ねた物。入門するときの謝礼。
(3)诲:教える

素読文:

いわく:“そくしゅうおこなうよりじょうは、われいまかつおしうることくんばあらず。”

解釈:

子曰く“謝礼を以って弟子入りしてきた者に、教えないということはあり得ない”

当たり前のように思えますが、孔子が「教える」と言っているレベルが当たり障りのない講義とはレベルが違うのでしょう。

我が衰え甚しきかな

yuēshènshuāijiǔmèngjiànzhōugōng

《论语》述而篇第七-5

素読文:

いわく、はなはだしいかな、わがおとろえたるや。ひさしいかな、われまたゆめしゅうこうず。

解釈:

孔子曰く:“私もずいぶん年老いたたものだ。最近は一向に周公の夢を見なくなってしまった”

孔子は若い頃はきっと、尊敬する周公の夢をしばしば見ていたのでしょう。最近は周公の夢を見なくなったのを、年齢のせいと考えているようですが、孔子が成長し周公に近づいたから夢に見なくなったのだろうと思います。

申申・夭夭

zhīyàn(1)shēnshēn(2)yāoyāo(3)

《论语》述而篇第七-4

(1)燕居:家でくつろぐこと
(2)申申如:のびのびとくつろぐ様子
(3)夭夭如:楽しそうな様子

素読文:

燕居えんきょするや、申申しんしんじょたり。夭夭如ようようじょたり。

解釈:

孔子は家にいるときは、いつものびのびとくつろぎ、楽しそうにしておられた。
凡人の印象では、孔子は家にいる時も考え事をしており、どちらかといえば沈思黙考の表情だったように思っていました。