論語」タグアーカイブ

和而礼節

yǒu(1)yuē:“zhīyòng(2)wéiguìxiānwángzhīdàowéiměixiǎoyóuzhīyǒusuǒxíngzhīérjiézhīxíng。”

《论语》学而篇第一-12

(1)有子:姓はゆう、名はじゃくあざなは子有。
(2)用:施行する。

素読文:
ゆういわく:“れいようたっとしとす。先王せんおうみちも、これしょうだいこれるも、おこなわれざるところり。りてするも、れいもっこれせっせざれば、おこなうべからざるなり。”

解釈:
有子曰く:“礼は和を尊いものとしなければならない。古代の王も和を美徳とした。しかし大事も小事も和だけではうまくゆかね。和を知って和するも、礼をもって節度を保つべきだ。

孔子は、君子は和而不同であるべきだと言っています。有子は『和而礼節』を追加しています。

学のある人とは

xiàyuē:“xiánxián(1)(2)shìnéngjiéshìjūnnéngzhìshēnpéngyǒujiāoyánéryǒuxìnsuīyuēwèixuéwèizhīxué。”

《论语》学而第一-7

(1)贤贤:賢者を尊重する。
(2)色:換える、もしくは軽視する。

素読文:
子夏しかいわく、“けんけんとしていろえ、父母ふぼつかえてはちからつくし、きみつかえいたし、朋友ほうゆうまじわり、いてしんらば、いままなばずといういえも、われかならこれまなびたりといわん。”

解釈:
子夏曰く:“美女を慕うより賢者を慕い、父母には一生懸命尽くし、命がけで君主に仕える、友人と交わっては信義に違わない。そんな人は世間で無学と言われようが、私は識者だと考える。”

真の識者とは高学歴者・知識人ではなく、父母に尽くし、君主を命がけで支え、友人との付き合いに信義を忘れない。
こういう人を「学」のある人だと、孔子の弟子たちは考えていたのでしょう。

三省

zēng(1)yuē:“sānxǐng(2)shēnwèirénmóuérzhōngpéngyǒujiāoérxìnchuán(3)?”

《论语》学而第一-4

(1)曾子:孔子の弟子。姓はそう、名はしんあざな子輿しよ
(2)三省:三点を反省をする

素読文:

そういわく:“われたびかえりみる。ひとためはかりてちゅうならざるか。朋友ほうゆうまじわりてしんならざるか。ならわざるをつたうるか。”

解釈:

毎日自分は三つのことを反省する。一:今日1日人のために全力で働いたか。二:友人との交流に信義を尽くしたか。三:生半可に学んだことを人に伝えていないか。

『三省』は生半可な覚悟ではできません。

三省堂書店は論語のこの一節から「不忠」「不信」「不習」の三つを省みるという創業者の思いがこもっているそうです。

自問

yuē:“yuēzhīzhīzhězhī。”

《论语》卫灵公第十五-16

素読文:

いわく:“これ如何いかんせん、これ如何いかんせんといわざるものは、われこれ如何いかんともすることきのみ。”

解釈:

孔子曰く:“どうしたら良いかと常に自ら問わぬ様な人に、私はどうしたら良いかわからない。”

どうしたら良いか自ら考えずに、上司、先輩にどうしたら良いかと問う人も同罪です。

北辰の如く

yuē:“wéizhèngběichén(1)suǒérzhòngxīng(2)gǒngzhī。”

《论语》为政第二-1

(1)北辰:北極星
(2)众星:多くの星々

素読文:

いわく:“まつりごとすにとくもってするは、たとえば北辰ほくしんところて、しゅうせいこれむかうがごとし。”

解釈:

孔子曰く:“政治は徳をもって行うべきだ。そうすれば北極星を中心に星々が回る様に、民は従う。”

女子と小人は扱い難い

yuē:“wéixiǎorénwéinányǎngjìnzhīxùnyuǎnzhīyuàn。”

《论语》阳货第十七-25

素読文:
いわく:“ただじょしょうじんとは、やしながたしとす。これちかづくればすなわふ孫そんなり。これとおざくればすなわうらむ。”

解釈:
子曰く:“女子と小人は扱いにくい。近づけると付け上がるし、遠ざけると恨む”

女子も小人扱いです。孔子には女性の弟子はいなかった様です。

道を聞かば死すとも可なり

yuē:“zhāowéndào。”

《论语》里仁第四-6

素読文:
いわく:“あしたみちかば、ゆうべすともなり。”

解釈:
朝に真理を悟れば、夕べに死んでも構わない。
『道』とは人智を超えた全宇宙の真理とでもいえばいいでしょうか。
この節を逆に解釈すると、私のような凡人は一生かかっても『道』を聞くことはできず、死ぬことができない、となってしまいます。

父母在せば

yuē:“zàiyuǎnyóuyóuyǒufāng(1)。”

《论语》里仁第四-19

(1)方:方向、行き先

素読文:

いわく、父母ふぼいませば、とおあそばず。あそぶにかならほうり。

解釈:

孔子曰く:“父母が健在のうちは遠くには行かない。出かける時には必ず行先を明らかにする。”

現代では孔子の教えを守ることは難しいでしょう。
年少の頃は、町内の公園より遠いところに行ったことはありません。
しかし大学入学と同時に親元を離れ、以来ずっと離れたところで暮らしていました。
この言葉は、孔子が少年に語った言葉ではないはずです。
離れていても、言葉は交わせる。帰ろうと思えばすぐに帰れる。孔子が生きていた時代には不可能だったことです。

三年改むる無しは孝

yuēzàiguānzhìguānxíngsānniángǎizhīdàowèixiào

《论语》学而第一-11

素読文:

いわく:“ちちいませばこころざしちちぼっすればおこないをる。三年さんねんちちみちあらたむることなきは、こううべし。”

解釈:
父親が在世中はその志をよく理解し、父亡き後はそのしきたりを継ぐ。三年間そのしきたりを改めず喪に服せば孝行者と言えるだろう。

中国語の論語の書籍を見ると「父在观其志」の「其」は子のことだとあります。つまり父親が健在の間は、子があれこれ意思決定するのではなく父親の志を見るのみである、という解釈のようです。

三年改めざるは孝

yuē:“sānniángǎizhīdàowèixiào。”

《论语》里仁第四-20

素読文:
いわく、三年さんねんちちみちあらたむることきは、こううべし。

解釈:
この節は、学而第一-11と同じです。