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人の欲せざるを成すなかれ

gòngyuē:“rénzhījiāzhūjiāzhūrén。”
yuē:“(1)fēiěrsuǒ。”

《论语》公冶长第五-12

(1)赐:子貢の名

素読文:
こういわく:“われひとこれわれくわうることをほっせざるや、われまたこれひとくわうることからんとほっす。
いわく:“や、なんじおよところあらざるなり。”

解釈:
子貢曰く:“自分が人からされたくないことは、自分もまた人に対してしない様にします。”
それに対し孔子は“よ、それはまだまだおまえにできることではない”

私も子供の頃母親に「人にされたくないことはしてはならない」と何度も言われました。
子貢は自分から「人からされたくないことはしない」と言っているのに、師匠の孔子はお間にはまだ無理だ。と言い放されています。孔子が「これこれの方法で精進せよ」とアドバイスするとは思えませんが、お前には無理だと切り捨てられています。口先だけでなくどの様にするのか考えろ、という教えなのでしょうか。

無所取材

yuē:“dàoxíngchénghǎicóngzhěyóu?”
子路zǐlùwénzhī
yuē:“yóuhàoyǒngguòsuǒcái 。”

《论语》公冶长第五-7

素読文:
いわく:“みちおこなわれず、いかだりてうみうかばん。われしたがものゆうなるか。”
子路しろこれきてよろこぶ。
いわく:“ゆうゆうこのむことわれすぎたり。ざいところし。”

解釈:
孔子曰く:“私が教える『道』によよる治世をを受け入れる為政者は現れない。いっそ筏にでも乗って『道』を広めてみようか。一緒に行くのは子路か”
子路はこれを聞いて喜ぶ。
孔子は続けて曰く:“子路は勇敢であることは私より優れているが、治世の人材としては取り柄がない。”

流石の子路も、師匠にこういわれては落ち込んだのではないでしょうか?

朽木彫るべからず、糞土塗るべからず

zǎizhòuqǐn
yuē:“xiǔdiāofènzhīqiángzhū。”
yuē:“shǐréntīngyánérxìnxíngjīnréntīngyánérguānxínggǎishì。”

《论语》公冶长第五-10

素読文:
さいひるぬ。いわく、朽木きゅうぼくるべからず。糞土ふんどしょうは、るべからず。いてかなんめん。わく、はじわれひとけるや、げんきておこないをしんぜり。いまわれひとけるや、げんきておこないをる。いてかれをあらたむ。

解釈:
宰予が昼間寝ていた。それを見て孔子は“朽ちた木は彫刻できない、糞土壁は上塗りしても意味がない。自分は今まで人は言葉通りの行いをするものだと信じていた。お前の言動を見ていると、言葉どおりの行動をするとは限らないこと知った。これからは改めねばなるまい。

これは強烈な叱責です。居眠りするなと叱られるより、師匠が弟子に対して、自分自身の行動を改めると言っています。弟子は厳しい叱責と感じるでしょう。

慾深きは剛者ならず

yuē:“wèijiàngāngzhě(1)。”huòduìyuē:“shēnchéng(2)。”yuē:“chéngyāngāng。”

《论语》公冶长第五-11

(1)刚者:意志が強く、困難に屈しない者
(2)申枨:姓は申、名は棖。字は子周

素読文:

いわく、われいま剛者ごうしゃみず。あるひとこたえいわく、申棖しんとうあり。いわく、とうよくあり。いずくんぞごうなるをん。

解釈:

孔子曰く“私はまだ剛者というほどの人物に会ったことがない”
するとある人がいった。“申棖しんとうがいるではありませんか”
孔子曰く“とうは慾が深い。あんなに慾が深くては剛者にはなれない”

慾がなければ人は成長しない。孔子が戒めたのは我欲でしょうか。

公冶長を謂う

wèigōngcháng(1)(2)suīzàiléixiè(3)zhīzhōngfēizuìzhī。”
wèinánróng(4) ,“bāngyǒudàofèibāngdàomiǎnxíngxiōngzhīzhī”。

《论语》公冶长第五-1

(1)公冶長:孔子の門人。姓は公冶、名は長、字あざなは子長。
(2)妻:嫁にやる。
(3)缧绁:罪人縛る縄。牢屋に投獄されること。
(4)南容:姓はなんきゅう、名はかつ(括)、またとうあざなは子容。孔子の弟子

素読文:

こうちょうう、めあわすべきなり。縲絏るいせつうちりといえども、つみあらざるなりと。もっこれめあわす。
南容なんようう、くにみちればはいせられず。くにみちきも刑戮けいりくよりまぬかると。あにもっこれめあわす。

解釈:

孔子は公冶長を娘と娶せるべき男だ、投獄されたと言えど無実だったのだ。と評して婿にした。
孔子は南容を評して、治世時には用いられ、乱世時にも投獄される様なことはないと評価し兄の娘を嫁がせた。

日本も中国も昔は、結婚相手の決定は本人ではなく親世代の意向で決定した様です。

帰らんか、帰らんか

zàichényuē:“guīguīdǎngzhīxiǎo(1)kuángjiǎn(2)fěirán(3)chéngzhāngzhīsuǒcái(4)zhī。”

《论语》公冶长第五-22

(1)吾党之小子:故郷(魯国)の弟子たち
(2)狂简:野心的だが行動は単純。
(3)斐然:文学的な表現
(4)裁:裁断して衣服にする。

素読文:
ちんりていわく:“かえらんか、かえらんか。とうしょうきょうかんにして、ぜんとしてしょうす。これさいする所以ゆえんらず。”

解釈:
孔子が諸国を旅し陳にいる時、魯国に帰ることを決断する。孔子曰く:“国に残してきた弟子たちを指導しよう。彼らは志は大きく、知識学問を語ることができる。しかし生地は作れてもまだ衣服にすることができていない。帰って彼らを指導しよう。”

孔子は諸国を旅しその国々の政治に携わろうと考えていたのでしょう。しかし諸侯の心情の浅ましさを知り、彼らを助けるより魯国に残してきた弟子たちの指導に専念しようと決断しました。

実学の論語

gòngyuēzhīwénzhāng(1)érwénzhīyánxìng(2)tiāndào(3)érwén

《论语》公冶长第五-13

(1)文章:詩、書、礼、楽などの孔子の教え。
(2)性:人間性。
(3)天道:天命。天の定め、宇宙の法則。

素読文:
こういわく:“ふう文章ぶんしょうは、くべきなり。ふうせい天道てんどうとをうは、くべからざるなり。”

解釈:
子貢曰く「孔子の詩、書、礼、楽など日常の実践に関する教えは聞くことができるが、人間の本質や宇宙の原理など原理的な教えはなかなか聞くことができない」

孔子は、抽象的、哲学的なことを説くのではなく、あくまで実践に立脚した教えだったということでしょうか。

下村湖人は「論語物語」の中で「孔子は人生観、世界観を滅多に口にされることはない、孔子の深さは無限だから、我々がそれを聞いても理解できないだろう。」と子貢に言わせています。

安岡正篤氏は「論語の活学」という本を書かれています。

孔子の教えは哲学的な思索ではなく、実践のための手引きである、とこの節で言っているのだと思います。

学びと実践

yǒuwénwèizhīnéngxíngwéikǒngyòuwén

《论语》公冶长第五-14

素読文:
子路しろくことて、いまこれおこなうことあたわずんば、くことるをおそる。

解釈:
子路は名言、善言を聞いてもそれを行動に移さねば、新たな名言、善言を聞くことを恐れた。

下村湖人の「論語物語」ではこの節は孔子の息子・伯魚と若い弟子・陳亢に対し「元来教えを聞きたがる心は、己の軽薄さを示すだけだ」と教える場面の言葉として書いています。

一方で孔子は自ら問いを立てぬものは教えようがない、とも言っています。

書籍やネットからの情報を大量にインプットして、頭でっかちとなり皆が「評論家」になってしまい、弁は立つが行動しない人ばかりになっては世の中は変わらない。孔子が若い弟子に説いた言葉は、私たち現代人にも警句となっています。

漆雕开

使shǐdiāokāi(1)shìduìyuēzhīwèinéngxìnyuè

《论语》公冶长第五-6

(1)漆雕开:孔子の弟子。姓は漆雕、名は开。あざなは子開。

素読文:
漆彫開しつちょうかいをしてつかえしむ。こたえていわく、われこれいましんずることあたわず、よろこぶ。

解釈:
孔子が漆彫開に仕官を勧めた。漆彫開答えて曰く「私はまだ任を全うする自信がありません」
孔子はそれを聞いて喜んだ。

早く仕官して禄を得たい、と考えるのは人情でしょう。しかし漆彫開は禄を得ることより、職責を果たすことを重視した。その姿勢を孔子は喜んだのでしょう。

論語で漆彫開が出てくるのはこの章だけです。
孔子を喜ばせる答えをしていますが、顔淵、子路、子貢などの常連組と比べる
と影が薄いようです。

老者を安んじ、朋友を信じ、若者を懐けん

yányuānshì(1)yuē:“yáněrzhì。”
yuē:“yuànchēqīngqiú(2)péngyǒugòngzhīérhàn。”
yányuānyuē:“yuànshànshīláo。”
yuē:“yuànwénzhīzhì。”
yuē:“lǎozhěānzhīpéngyǒuxìnzhīshàozhě怀huáizhī。”

《论语》公冶长第五-26

(1)侍:傍に立ってかしずく
(2)衣轻裘:上着や軽い毛皮の衣服

素読文:

顔淵がんえん季路きろす。いわく:“なんおのおのなんじこころざしわざる。”
子路しろいわく:“ねがわくはしゃ軽裘けいきゅうを、朋友ほうゆうともにし、これやぶりてうらからん。”
顔淵がんえんいわく:“ねがわくはぜんほこることく、ろうほどこすことからん。”
子路しろいわく:“ねがわくはこころざしかん。”
いわく:“老者ろうしゃこれやすんじ、朋友ほうゆうこれしんじ、少者しょうしゃこれなつけん。”

解釈:

孔子が季路(子路)と顔淵に向かって志を問うた。
季路は仲間と物を分け合い、それを破損しても怒らない様にしたい、と答える。
顔淵は良い点を誇ることなく、労を衒うことなく自分がなすべきことをやりたい、と答える。
季路に問われた孔子は、老人の心を安らかにし、朋友とは信を持って交わり、年少者には親しまれたい、とだけ答えた。

下村湖人は「論語物語」の中で次の様に解説しています。
孔子の言葉は季路にはあまり響かなかった様だが、顔淵は自分の考えに自己中心的な面が残っているのに対し、孔子の考えが他者中心であることを知り、自分の足りなさを恥じた。