コラム」カテゴリーアーカイブ

改善指導

 ある工場(バスを生産する中国企業)の改善指導が先週終了した。半年余りかけ精益生産項目(リーン・プロダクション・プロジェクト)を指導した。

内陸部にある工場を初めて訪問した時は、寒い寒いを連発していたが、最終回は蒸し風呂のような暑さにばて気味となった(笑)

この工場の経営者からは、精益生産を工場に根付かせるため、プロジェクトチーム(精益生産項目と言う部署を新設していた)を指導して欲しいと依頼を受けた。

実はこの工場の親会社を無料診断で訪問したことがあり、いきなりリーン・プロダクションに取り組めるレベルにないと推定していた。まずはリーン・プロダクションの基本となる5Sの指導から始める事とした。それと平行して、生産現場の作業改善の指導をした。

指導していると、色々な問題点が見えて来て、実はリーン・プロダクションなどと言っているレベルではない事が分かって来る(苦笑)
製品企画から量産に移るまでの、仕組みがきちんと機能する様にする必要がある。更に品質保証システムも脆弱生が見えてくる。

などなど課題が沢山ある工場だ。その分成長機会が沢山ある。
組織改革が必要と判断したが、経営者に「外科手術」を受ける勇気を与えられなかった。

5Sと作業改善の指導をしながら、開発、品証のメンバーの意識を上げる事とし本格的な外科手術は次回のプロジェクトでやろうと言う事で指導をして来た。

こちらの指導がなかなか理解出来ないようで、進歩はかなり遅かった。
しかし最終回の進歩がずば抜けて高かった。今までの分が一気にメンバーの腑に落ちて、オセロの四隅を取ったように、一気に変わった。

どうもこの工場のメンバーは、視覚的に指導するのが合っていた様だ。
ビデオカメラを使った指導を始めたら、一気に理解が深まった様だ。ある作業のビデオを見せて「この作業員を楽にしてやれ」と言ったら、次の日には作業用の治具が出来ていた。現場で指導するより、ビデオ映像の方が効果が高いなんて思っていなかった(笑)
効果があるからには、これからはもっとビデオ改善を取り入れて行く事にした。

この指導先は、最終回の指導以降も改善が継続している。
遅咲きだったが、指導したメンバーが力を発揮する様になって来た。

先週末には、残業をしても一日に3台しか作れなかったのが、定時だけで3.5台作れる様になったと、報告があった。最終回には、目標を定時だけで4台に設定して来た。多分今週中には達成するだろう。

実は指導のあと、経営者、メンバーと一緒に食事会をした。
この席で一月に2,000台作れる様になったら、見に来るからと、約束して来た。一日8台だから今の目標の倍だ。


このコラムは、2013年7月15日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第318号に掲載した記事に加筆しました。

生産性改善

 20世紀当初、フレデリック・テイラーが「科学的管理」を提唱し作業の標準化がなされる。要素作業を定義して作業を標準化し、作業時間を定義した。ギルブレイスのサーブリック法はこの頃に開発されている。
つまり科学的管理は「いかに作るか」を定義した。

その後ウェスタン・エレクトリック社ホーソン工場で作業効率向上の実験が行われた。この実験に参加したエルトン・メイヨーは生産性の改善は作業環境に依存せず、作業者の心理的要因に依存することを発見している。

これらの研究が役に立ったのは、単純労働であろう。知識労働に同様な手法を用いても生産性は改善しないだろう。従来の科学的管理は作業動作に注目しており、動作を伴わない知識労働には無力だ。

知識労働の最善の改善は「止めること」だ。
もちろん全て止めてしまうわけではない。作業の目的、得たい結果、必要性を理解し、必要ないことをやめる。

例えば、参考資料を探し、コピーを取って、分類別のファイルに格納する、と言う作業があったとする。この作業の目的は、参考資料を閲覧可能にする、と言うことになるだろう。であるならば参考資料はネットで探し、共有ディスクに格納するだけでいい。コピーは止める。分類別のファイルは作らない、検索機能で代用。当然書棚も必要なくなる。

上記の作業で知的作業と言えるのは、参考資料を読んで新しい事を考える時間だけだ。知的作業の改善は、価値を創造する仕事に集中することだ。


このコラムは、2020年11月23日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1062号に掲載した記事に加筆しました。

改善の効果

 先週は、生産改善の指導をさせていただいているお客様で第三期最終回の訪問指導に伺った。

前回訪問時に、アドバイスした改善点、自主的に取り組んだ改善点の発表を聞くと、改善効果は総額23万元/年となった。この金額は、純粋に改善コストダウン分だけであり、改善の結果スペース削減、不良の減少などの効果は加算されていない。

今回の改善事例発表には、現場の班長、作業員からの提案も2件含まれていた。
今指導しているメンバーが、班長や作業員の改善指導が出来る様になって来たという事だ。

問題を改善出来る能力。
問題を発見して改善出来る能力。
改善が継続される習慣。
という3ステップの最終章まで到達したと言う、達成感を感じた。

メンバーたちは余り実感していないかもしれないが、経営幹部の方から「2年前と比較して、明らかに改善の着眼点に変化が見られる」と評価を受けた。

こういう評価が、メンバーの改善意欲を更にひき出し、より高い挑戦に取り組むことになる。


このコラムは、2013年2月4日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第295号に掲載した記事に加筆しました。

余白が新しいモノを産む

 「余白が新しいモノを産む」私が尊敬する友人・原田遼太郎氏の言葉だ。彼は中国で学生を巻き込んで、元ハンセン氏病患者の隔離村支援を実践してきた人だ。彼の活動はこのメルマガでも何度が紹介した。

「世界を変える」
「モチベーションの高め方」
「高離職率組織の運営」

彼がいう「余白」というのは組織の「余白」のことだ。組織をキチッと定義し、運営をすると組織の活力が失われる。というの彼の言葉の真意だと思う。(オンラインでスピーチした内容なので真意を確かめるチャンスがなかった)

例えば企業の組織で考えてみよう。マーケティング部門が商品企画を考える。開発部門がその企画を製品に落とし込む。生産技術部門は製品の生産工程を作り上げる。製造部門が製品を生産。営業部門が顧客に販売し対価を得る。その他の間接部門も協力して企業活動を行う。

組織とはこの様な形のものだと考える。
このとき組織の境界線をキチッと引いてしまうと画期的なものが生まれない。

それぞれの役割が決まっており互いに干渉しない「硬い組織」よりも決まった役割を逸脱しても互いに議論し合う組織「余白のある組織」の方が活性度が高いはずだ。

世の中の官僚組織と、自由闊達なベンチャー組織を比較してみれば理解できるだろう。

 余白とは境界線にある緩衝地帯の様なものだろう。
地政学的な緩衝地帯は相互に干渉しない領域を指すと思うが、活性化した組織の余白は相互に積極的干渉し合う領域だ。


このコラムは、2022年4月4日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1275号に掲載した記事に加筆しました。

メモの効用

 最近やたらとメモをする様になった。林も「物忘れの年頃になったか」と人は言うが、私は元々記憶のために大事な大脳を使っていない。大脳は創造のために使うものだと心得ている。アイディアのネタは補助記憶装置であるメモに記憶させる。紙のメモだったりEvernoteだったりする。

何故最近メモが増えたかと言うと、いろんなアイディアが泉の如く湧き出て来るからだ。と言いたいところだが、せっかく浮かんだアイディアを忘れない様にメモしている。基本的には人の記憶容量は一定だろう。幼稚園の頃一緒に遊んだ友達のこと、小学校の頃少年向け週刊誌が創刊されたこと、中学の頃友人と考えたギャグのことなどなど。実にくだらないことが大事な大脳を占拠しており、これからも増え続けるのが許せない(笑)
従って些事は外部補助記憶装置に格納することになる。

紙のメモは短期記憶用。キャッシュメモリの様に使う。
クラウド上のメモは手元にノートや筆記用具がなくても使えるし、検索で探すのが楽で良い。


このコラムは、2022年4月8日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第1277号に掲載した記事です。

製品の質を高める

 工業製品と言うのは、全ての製品が同じ品質になる様にモノ造りをする。
一方、工芸製品は職人のクラフトマンシップに依存し、世界無二の製品を造る。
一般的に、工芸製品は嗜好生が高く、工業製品より高価な価格となる。

例えばセイコーは、1964年にクオーツ時計を小型化し、東京オリンピックの競技用に使える様にした。小型化と言っても、壁掛け時計ほどの大きさだ。しかし当時としては、画期的な小型化だ。その後も製品改良を進め、正確無比な時を刻む腕時計が、庶民でも買える様になった。こういう物が工業製品だ。

一方スイスの時計メーカは、機械部品の組み合わせで正確な時を刻む機械式時計を造り続けた。こういう製品を工芸製品と呼ぶことにする。職人が一つずつ手造りをする。量産は出来ない。従って希少価値が有り、高級品として販売され、少数のマニアマーケットにおいて高額で売れる。

工業製品は、機能と品質がどんどん上がり、価格は下がる。
工芸製品は、高い「質」が一部のマニアに支持され、価格は下がらない。
工業製品と工芸製品は、こういう関係に有る。

この違いは「品質」と「質」に有ると考えている。
「品質」も「質」も英語に直せばQualityだ。
その違いは「品」にある。品質とはQualityの和訳であるが、「品」が付く事により、物の質という印象を与える。不良が少ない、寿命が長いなど物そのものの質を表すことになる。

一方「質」の方は「品」が付いておらず、物から離れた質を表す。
つまり物よりは、顧客(使用者)の価値感にフォーカスした言葉と定義している。これは私の勝手な定義であり、一般的ではないかもしれないが、このコラムではそう考えて読んでいただきたい。

メーカーズマークと言うバーボンウィスキーは、ボトルキャップを1本ずつ手作業で封蝋している。当然手作業なので、コストがかかる、1本ずつ形が違う。工業製品としては、品質が統一されてないことになる。しかし封蝋の形で、封蝋作業者の名前を当てるマニアがいると言う。つまりこのマニア達にとっては「封蝋の形が違う」と言う事が価値につながる。本来ウィスキーは工業製品だが、工芸製品的要素を付加することにより、独自の「質」を持たせることになる。こういう部分は、コスト削減してはいけない。むしろコストをかけるべきなのだ。

玩具も同様だ。プラスチック成型で造り、印刷で色付けされた人形は工業製品。同じプラスチック成型で造っても、職人がぼかし塗装をする、筆で一体ごとに色入れをすると、マニア向けのフィギュアとなり、上市価格が倍となる。

この様に嗜好性の高い商品の場合は、顧客の価値感にコストをかける事により価格が上がる。

こういう議論は、部品を生産している工場には無関係だろうか?
ここで「嗜好性」を「利便性」に置き換えてみたらどうだろう。
製品の品質が高い事は当たり前。それに「利便性」と言う質を追加する。
部品を生産し、顧客に供給する業者ではなく、部品を生産供給することにより、顧客の生産を支える業者と言う立ち位置をとる。

この様なポジションを取ることができれば、あなたの工場は、顧客にとって代替え不可能なパートナーと位置づけられるはずだ。顧客の生産支援パートナーとて、どんな質を提供出来るのか考えてみる価値があると思うが、いかがだろうか?


このコラムは、2014年9月29日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第381号に掲載した記事に加筆しました。

【中国生産現場から品質改善・経営革新】は毎週月・水・金曜日に配信している無料メールマガジンです。ご興味がおありの方はこちら↓から配信登録出来ます。

宇宙船を工場に もう1つ世界を創る

 国際宇宙ステーション(ISS)に9月、1台のハイテク機器が届けられた。
無重力空間で動く世界初の3D(3次元)プリンター。開発したメード・イン・スペース(米カリフォルニア州)は2010年創業、社員25人のベンチャー企業だ。

 宇宙で必要な物資をロケットで運ぶ従来手法では費用も時間もかかる。ならば宇宙で作れば良いというのが開発の動機。3Dプリンターがあればあとは設計図を送るだけですむ。「10年後に人類が宇宙で暮らすようになっているか?答えはイエスだ」。最高戦略責任者(CSO)のマイク・チェン(29)は真顔
だ。

全文はこちら

(日本経済新聞電子版より)

 「使う場所で作る」非常に啓示に富んだ考え方だ。運搬をなくし、その場で必要なモノを必要な数だけ作る。究極のJITだ。

自動車工場にタイヤのミニプラントを作り、タクトタイムに会わせ4本ずつタイヤを作る。
製品組み立てラインの最終工程の横で梱包材料を生産し、その場で梱包する。

普通に考えると「そんなバカな」となる。タイヤも梱包材料も、まとめて造るからコストが下がる、と考えのが常識だからだ。しかしその常識が成り立っている前提が変わってしまえば、常識は常識ではなくなる。

例えば、発泡スチロールの梱包材料を生産するためには、大きな成形機と金型が必要だ。とても組み立てラインの横になど置けない。だから梱包材料メーカで生産したモノを、せっせと運ぶことになる。これが常識だ。
しかし、緩衝材料を梱包箱に流し込むだけで製品を固定することができれば、成形機も金型も要らなくなり、空気を運ぶような梱包材料の運搬も不要となる。

宇宙船の中で、修理やメンテナンスの部品を造る。と言う事は非常識だった。だから必要な部品は、予め備蓄しておくか、後から届けるのが常識となる。その常識の前提は、旋盤などの重量のある加工機械を宇宙まで運ぶ事が困難だからだ。無重力でも使える3Dプリンターが登場すれば、その前提は崩れ、常識が常識ではなくなる。

しかも、3Dプリンターが有れば、修理部品、保養部品の製造ばかりでなく、新しい装置を製造する事も可能になる。

日経新聞の記事によると、こういう発想を現実化したマイク・チェンと言う若者は、シリコンバレーにあるシンギュラリティ大学で勉強したそうだ。
シンギュラリティ大学は、大学といっても学位や博士号があるわけではない。世界中から優秀な人材を集め、貧困や環境、エネルギーなど世界的な課題を解決する狙いで08年に設立された。

こういう組織が、常識を覆し、新しい技術で世界を切り拓いて行く人材を育成する。
私も、宇宙開発などの世界的な課題でなくとも、工場の中にある身近な課題を解決する仲間が集まる組織を作りたいと、常々思っている。


このコラムは、2014年10月6日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第382号に掲載した記事に加筆しました。

シンギュラリティ

 シンギュラリティとは計算機が人間の能力を超える時点と理解していた。
それは2045年、まもなくやってくる。私もその時まで生きている可能性がある。

シンギュラリティを最初に提唱したレイ・カーツワイルは、$1,000で手に入るコンピュータの性能が全人類の脳の計算性能を上回る時点としている。

理化学研究所らは、17億3000万個の神経細胞が10兆4000億個のシナプスで結合された神経回路のシミュレーションを行い、生物学的には1秒間に相当することを、京(10.5ペタflops)は40分かかって計算した。10兆4000億個のシナプスというのは、ちょうど人の脳の神経回路1%程の規模に相当し、小型霊長類であるサルの全脳の規模に達しているとのこと。

カールワイルの定義では全人類(60億人)の計算能力といっているので、10.5ペタflops×(40分×60秒)÷60億=4.2ギガflopsこの程度ならば現在の市販PCの処理能力でも足りるのではなかろうか。

平木敬は別の定義をしている。人間の脳の処理能力はゼタ(100万ペタ)FLOPS級。シンギュラリティーとは、自らを改良し続ける人工知能が生まれること。

2045年には多くの仕事が機械化されており人は働かなくなる。しかもAIが人の代わりに考えてくれる。AIはAIによって進化し続ける。こういう世の中に生きることは人類にとって楽しいのだろうか?


このコラムは、2019年11月18日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第903号に掲載した記事に加筆しました。

データを看える化

 工程内不良率のデータをきちんと収集しているが、何のために収集しているのか不明という事例を良く見る。

工場全体の工程内不良率が毎日集計されており、翌日にはそのデータが出てくる。データは各ラインから上った生産ロット毎の工程内不良率をエクセルで集計している。ピボットテーブルまで使った高度な集計処理をしている。

しかし出てきたデータはただの数字の羅列で、ここからは何を言いたいのか、データを収集した意図が見えてこない。

まずはデータを看える化する。
工程内不良率を折線グラフにするだけでも相当に違う。
更にこのデータから何をしたいのか、その意図に従ってデータを加工する。データを加工すると言ってもデータそのものを加工するわけではない。データの見せ方を加工するという意味だ。

工程内不良の発生要因によって層別をする。
例えば部材ロット、生産ライン別にデータを層別し、各要因の工程不良率に対する影響度を分散分析により評価する。
この分析により部材のロットが工程不良に与える影響が支配的であり、生産ラインの違いは誤差と判断できれば、工程内不良をp管理図でモニターしていれば、部材の品質改善に役立てる事ができる。

工程内不良を低減しようとして部材を全数検査した後生産投入した。しかし工程内不良率は上がってしまった。
この様な場合に、事前に工程内不良の支配的要因が何かを把握していなければ、部材の検査・選別方法が悪いのか、工程内不良の支配的要因が部材以外にあるのかを判断する事ができない。

品質管理には統計的手法が威力を発揮する。
中国語の良いテキストは見た事が無いが、日本語ならば良いテキストはある。
これは日系企業にとって有利な条件だと思う。あなたの工場でもこの優位性を活用してみてはいかがだろうか。


このコラムは、2009年7月27日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第108号に掲載した記事です。

【中国生産現場から品質改善・経営革新】は毎週月・水・金曜日に配信している無料メールマガジンです。ご興味がおありの方はこちら↓から配信登録出来ます。
【中国生産現場から品質改善・経営革新】

孔子

指導法

 論語にこういう一節がある。

子曰:“中人以上、可以語上也。中人以下、不可以語上也。”

《論語》第六雍也-十九

読み下し文にすると、子曰く、中人ちゅうじん以上には、以てかみぐべきなり。中人以下には、以て上を語ぐべからざるなり。

簡単に言えば相手のレベルに合わせて指導すべきだということだ。
部下の指導時に、いきなり難しいことを教えても消化不良になるだけ。逆に簡単なことをくどく説いても相手のモチベーションは下がる。
個人的には、相手のレベルより少し高いヒントを与え、考えてもらうようにするのがいいと思っている。「教わった」というより「自分で考えついた」と感じる方が身に付くだろう。
この一節は教える側の心得であるが、逆に考えることもできる。教えを請いたければ、その教えを受けるレベルまで成長しなければならない、ということだ。

孔子はこうも言っている。

子曰:“生而知之者上也。学而知之者次也。困而学之又其次也。困而不学。民斯爲下矣。”

《論語》第十六李氏-九

子曰く、生まれながらにして之を知る者は上なり。学びて之を知る者は次なり。くるしみて之これを学ぶは又其の次なり。困みて学ばざるは、民にして斯を下と為なす。

生まれながらにして知っている者が上。
学んで知る者が中。
困難に出会って学ぶ者は下。
困難に出会っても学ばない者は下の下。

上にはなれないかも知れないが、中でいたいモノだ。指導者の立場にあっても、学び続けることが必要だ。


このコラムは、2017年11月24日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第593号に掲載した記事です。

【中国生産現場から品質改善・経営革新】は毎週月・水・金曜日に配信している無料メールマガジンです。ご興味がおありの方はこちら↓から配信登録出来ます。
【中国生産現場から品質改善・経営革新】