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バスケットシューズ

 スポーツ用品大手ナイキの「大失態」が米メディアをにぎわせている。米大学バスケットボール界のスーパースターが20日の試合で、履いていた同社製シューズが壊れたため膝を痛めて負傷退場。全米に衝撃を与えた影響で同社の株価が急落し、ロイター通信は21日の時価総額への影響を約14億6千万ドル(約1621億円)とまで算出した。

 負傷したのは男子の全米大学体育協会(NCAA)1部デューク大のエースで、プロのNBAで抜群の人気を誇るレブロン・ジェームズ選手の再来との呼び声も高いザイオン・ウィリアムソン選手。有名校との黄金カードで、靴底がはがれたために足を滑らせて転倒した。

(共同通信)

 バスケットの試合中にシューズの靴底が剥がれ、転倒。選手が怪我をした、というニュースだ。記事ではナイキの株価が急落したとあるが、2月27日には終値で86.17USDを付け2月の高値を更新している。

事故の翌日の終値は83.95USD前日の終値84.84USDから1.1%下落したが、27日の終値で2.6%上げている。市場は報道より冷静の様だ。

ナイキは過去にタイ工場で若年労働者を雇用し不祥事を起こしている。
おかげで当時顧客から中国工場の安全衛生管理監査を受ける事となった(苦笑)
その監査で工場玄関に掲げた「女工募集」の横断幕が、男女雇用均等の精神に反していると指摘を受けた(苦笑)

すでに10年ほど前になるが、スポーツシューズはナイキだろうがNBだろうが1足60元程度だった。もちろん中国製の偽物だ(笑)
エアークッションがついたナイキもどきのランニングシューズを使っていた。エアークッションに穴があきエアーが抜けた。そして程なく靴底がパックリと剥がれた。ランニングマシンで躓いた程度で怪我などしなかったが、相当恥ずかしかった(笑)

スポーツシューズメーカの大方は、すでに中国での生産を撤退しているだろう。ニュースの当該シューズはベトナム生産ということだ。

ネットの情報を見ると、怪我をした選手よりナイキに同情的な論調だ。

  • トップ選手なのに1万5千円程度のシューズを履いていた。
  • 身長、体重ともに大きな選手なので靴に負荷がかかりすぎた。
  • 三週間も同じ靴を履くなんて非常識。

どうも私の常識とは別世界の様だ。バスケットシューズを履く選手の体格が大きいことは想定範囲だろう。もしプロユースに使って欲しくないのならば、それなりに機能・性能を加減して設計し、その様に宣伝すべきではなかろうか。もちろん「アマチュア仕様」などとうたって宣伝することはない。逆に高機能モデルに「プロ仕様」と宣伝すれば良いだけだ。
こうしておけば、プロ選手がヤワな靴を選ばなくなるし、マニアがプロ仕様を喜んで買うのではなかろうか?


このコラムは、2019年3月6日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第793号に掲載した記事です。

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旅客機滑走路逸脱事故

 4月23日に山形空港で名古屋行きフジドリームエアラインズ(FDA)386便が離陸時に滑走路を逸脱した事故があった。

運輸安全委員会の事故調査は、2020年9月時点で調査中のままだ。

「滑走路逸脱のFDA機、車輪操作装置に不具合 山形空港」

 山形空港で4月、フジドリームエアラインズ(FDA)の旅客機が離陸走行中に滑走路を逸脱した重大インシデントで、国の運輸安全委員会は28日、旅客機の車輪を操作するステアリング装置の一部に不具合が見つかったと明らかにした。

 FDAの聞き取りでも、機長は「機体が左にそれたので戻そうとしたが、(車輪を操作する)フットペダルを踏んでも戻らなかった」などと話していた。原因を特定するため、運輸安全委は飛行データや機体を詳細に調べるという。

 インシデントがあったのは4月23日夕。名古屋行きのエンブラエル175型機(乗客・乗員計64人)が離陸走行中、全長2千メートルの滑走路の途中で左にそれて草地で止まった。けが人はいなかった。運輸安全委によると、直後の初期調査でステアリングの不具合が見つかったという。

朝日新聞 DIGITALより)

事故機はエンブラエル社製ERJ175。エンブラエル社(ブラジル)はあまり耳にしないが、エアバス、ボーイングに次ぐ世界第3位の航空機メーカだ。カナダのボンバルディアより売り上げ規模が大きいらしい。

実はERJ175より一回り小さいERJ145を、広西省出張時にしばしば利用した。左1列、右2列という変則的な座席レイアウト。搭乗ドアがタラップになっており、ボーディングブリッジには接続できず沖スポからの搭乗。ひょいと離陸する軽やかさなど印象のある機体だ。

事故機は2016年6月製造、2019年1月に「重整備」が行われている。おそらく何も問題はなかったのだろう。

記事にある「旅客機の車輪を操作するステアリング装置」とは航行中方向舵を操作するフットペダルだ。地上でタキシングする際には前輪の向きを変える役割を持つ。

ここまでの情報で大胆にも「素人考え」で事故原因を推測してみた(笑)

事故機は駐機位置から誘導をを通って滑走路までタクシング出来た。従って離陸開始までは前輪操舵機能には問題がなかったはずだ。離陸後はフットペダルは方向舵の制御に使う。離陸後のタイミングで、手動または自動で前輪/方向舵の制御が切り替わるはずだ。

離陸開始後から離陸前にこの切り替わりが発生すれば、前輪の方向を制御しようとフットペダルを操作しても、虚しく方向舵の角度が変化するだけとなる。

従って今回の事故は、前輪/方向舵の切り替えに何らかの人為ミスまたは故障があったと推定してみた。

多分新聞記事になった時点(5月28日)で、事故調査官はすでに答えを知っているだろう。本当の事故原因はわからないし、今後公表されないかも知れない。それでも、原因を考えてみるのは「頭の体操」だけではない。以下の様な効果がある。
今回の事例では「モード切り替え」「タイミング」をキーワードと考えることが出来る。

  • モード切り替えができない。
  • 予期せぬタイミングでモード切り替えが発生する。

という潜在要因の引き出しが増えるはずだ。
これは自社の製品設計、工程設計の時の潜在不具合要因となる。
同様に問題原因解析時に挙げることができる問題要因が豊富になる。


このコラムは、2019年6月5日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第832号に掲載した記事に追記しました。

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人工知能は万能か?

 3月9日付の朝日新聞に興味深い記事が出ていた。
「AIが男女格差を広げる?」

IBMのAIコンピュータ・ワトソンの開発者・村上明子氏は、AIを使って人材採用システムを開発したが、女性の応募者を低く評価することが分かったという。
適用しようとした米国の企業は男性中心の職場が多い。その様な状況をAIにディープラーニングさせれば、男性尊重、女性軽視となるだろう。結局、この人材採用システムは運用されることはなかった。

日本では、大学医学部入試に関連して男女不平等がいまだに根深く残っていることが明らかとなってしまった。その様な社会が吐き出すビッグデータからAIが学び取ることは、不平等社会・格差社会の拡大再生産となりかねない。

従来の計算機支援は、コンピュータの思考過程はプログラムという形で開発者が制御し、可視化が可能だった。しかしディープラーニングによる計算機支援はAIがどの様な思考過程を経たのかブラックボックスだ。

「標準」「規則」に盲目的に従うことも同様だ。
標準や規則はそれを制定した時には、最高の方法であり合理性を備えていた。しかしその時点で最高の方法が、今でも最高であるとは限らない。「標準」「規則」に縛られることと、過去のデータを解析して得た人工知能は同じ構造の問題ではなかろうか。


このコラムは、2019年3月13日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第796号に掲載した記事です。

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責任と裁量

 仕事の責任を果たすためにはそれに見合った裁量が必要である、という考え方は合理的な様に思える。部長の責任を果たすためには部長の裁量が必要、と言い換えれば当然の様に思える。

逆に新卒社員が事業戦略を考えるのに忙しいといって、コピー作業を断る事はできないだろう。

しかし「仕事」とは本来その様なものなのだろうか?

能力がある者に裁量が与えられ、仕事を完結させる責任を持つ、という考え方は、固定化された階層組織的考え方だ。大企業、官僚組織などはこの様な考え方をしなければ組織を維持できないのかもしれない。

しかし勢いのあるベンチャー企業は、逆の考え方をしているのではなかろうか?
逆の考え方とは、能力がある者が裁量を獲得し、仕事を完結させる責任を持つ。

裁量は上から与えられるモノではなく、自分から獲得するモノであり、責任を果たすのは義務ではなく自らの喜びである。


このコラムは、2019年2月18日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第786号に掲載した記事です。

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中国でのビジネスは“潮時”

 ダイアモンドオンラインに「中国でのビジネスは“潮時”引き際でも悶絶する日系企業」と言う特集コラムがあった。
長文なので引用をしないが、ご興味がある方はご覧いただきたい。

「中国でのビジネスは“潮時”引き際でも悶絶する日系企業」

ローコスト生産国ではなくなった中国で生産を継続する意義がなくなった工場が、中国を撤退する際に、多くの困難に出会っていると言う。法人格を持たない来料加工だった頃は、工場設備などが地方政府の財産と見なされ、設備の引き上げに苦労させられた、と言う話を良く耳にした。

このコラムでは、工場をたたむ時に従業員に支払う経済補償金問題について、「撤退は中国人従業員の暴挙・暴動と背中合わせ」と触れている。つまり法定の経済補償金額に「色づけ」する金額の多少により、従業員が暴徒となる、と言っている。

対策として、法律家のアドバイスを紹介している。

  1. 日本企業のような民主的解決は避ける。
  2. 計画・時期・金額は秘密裏に決める。
  3. 一度、案を示したらそれを曲げない。
  4. 提示から合意まで一気呵成に行う。
  5. 従業員を団結させずできるだけ分散させる。

もし今済々と中国工場を経営している経営者がこのアドバイスを聞いたらどう感じるか大変興味がある。

この様な考えでは、撤退時に従業員から突き上げを食らうだろう。
工場を閉鎖する、しないに関わらず、従業員がいつかは退職する事は、初めから分かっている。それのための資金を内部留保として積み立てておくのが、普通の感覚だ。

上記5項のアドバイスには、従業員を信じる姿勢が欠落している。
会社経営は、経営者と従業員の信頼関係の上に成り立つ。経営者は、仕事を通して従業員が成長し、仕合せになる事を目的とする。従業員はそれに応えて能力を上げ、業績に貢献する。この様な信頼関係の下で経営をすれば、従業員は、常日頃から経営者に対して感謝の気持ちを持つはずだ。

経営の成果は、従業員の感謝の気持ちに比例する。

ローコスト生産国中国で「中国人を使ってやる」と言う上から目線の経営では、世界の市場に変わった中国で「顧客(中国人)にモノを売る」と言う変化に対応出来ず、撤退することになる。

中国でのビジネスには確かに「潮時」が来ている。
それは、ホンモノだけが残って行くと言う流れだ。残ったモノの価値は上がる。


このコラムは、2014年3月17日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第353号に掲載した記事です。

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知っている事、知らない事、知らない事すら知らない事

 先週のメルマガにこんな事を書いた。
「チャンスを逃したと知っている人はまだいい、次のチャンスのために準備すれば良いのだ。しかしチャンスを逃した事すら知らない人は、改善することは難しい。」

これを書いた時に、世の中には「知っている事」と「知らない事」があり、更に「知らない事すら知らない事」がある事に気がついた。言葉遊びの様で恐縮だが、「知らない事を知っている人」は調べることができる。しかし「知らない事を知らない人」は調べる事すら出来ない。

例えば、日本国内で使用する電源プラグコードは全て電気用品安全法と言う法規に適合していなければならない事を知っていれば、電気用品安全法適合マーク(PSEマーク)が入った電源プラグコードを購入することができる。しかし電源プラグコードが電気用品安全法の適用を受ける事を知らないと、安全規格に適合していれば大丈夫と考えてしまう。

以前日本の大手電気メーカが、自社製品にPSEマークのない電源プラグコードを添付して販売してしまったことがある。このプラグコードはUL/CSA安全規格に適合しており、問題ないと判断してしまったのだろう。

ミスを犯した人間の上司は、当然確認義務があったはずだが、部下が知らない事を知らなかったため、チェックが出来なかった。

後半は私の想像だが、部下が知らない事を知らなかったために「安規は大丈夫か(PSEマークはあるか)?」と確認したが、部下は「ハイ。(UL/CSA)規格適合品です」と答えたのだろう。

本当は括弧の部分が重要なのだが、相手が知っていると油断している場合は、この様な事が発生しそうだ。

新人の場合は、知らない事を知っているので問題は起きない。
中堅の部下、中途採用の経験者などは「知らない前提」で対応した方が安全だろう。
ミスはミスを犯した者の責任と考えている上司にはこういう発想は出来ない。


このコラムは、2014年3月24日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第354号に掲載した記事です。

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過去は道しるべにはならない

 ジャック・ウェルチは「過去は道しるべにはならない」と言っている.

参考書籍:「ウェルチ―リーダーシップ・31の秘訣」

過ぎ去ってしまった事はもう変える事は出来ない.正しかろうと,間違っていようと,もうどうにもならない.過去から学ぶ事はあるが,大して役には立たない.それよりも,明日を変えるために今日を懸命に生きる事が大切だ.

朝日新聞の電子版に,「第8回中国人の日本語作文コンクール」で最優秀賞を取った湖北大学外国語学院日本語学科4年の李欣晨さんの,文章が出ていた.ちょっと長いが,全文を引用する.

 幼い頃から夜空に対して特別な感情を抱いている。私の心に焼き付いているのは、夜空の下で昔の物語を話してくれた、穏やかで優しい顔つきの祖父である。物語の細部はもうはっきり覚えていないが、主人公が苦難辛苦の後、ついに幸せを手に入れた、と結末を語る時の祖父の口元に浮かぶかすかなほほ笑みはまだ記憶に新しい。

 月日が流れ、幼い私も成長するにつれて様々なことが分かるようになった。祖父はもともと軍人であり、朝鮮戦争に出たことや、功績によって勲章を与えられたことも知ったのである。しかし、日ごろ優しく穏やかな祖父と、生臭い戦争とはどうしてもつながらなかった。

 中学生の時のある夏休み、腰の持病が再発した祖父を見舞いに行った。マッサージをしてあげた時、背中の目立つ傷痕が目に入ったのである。「おじいさん、背中の傷痕はずいぶんひどいね」と思わず言った。「ああ、それは戦争の時、炸裂(さくれつ)した砲弾の破片に傷つけられたんだよ」と祖父は答えた。「痛かったでしょう」と私が言うと、「ま、あの時はこれぐらいの傷は気にもしなかったよ」と祖父は言ったのである。聞きたいことがたくさん湧いてきたが、言い出せなかった。それは苦しい記憶を思い出させたくないと思ったからである。

 その後、祖父から戦争の話を聞く機会があった。さっきまでぴんぴんしていた友人が、あっという間に目の前で亡くなったことや、すぐそばで砲弾が炸裂したことや、銃弾の雨あられを冒して進んだことなどを語ってくれた。戦争の残酷さや恐ろしさが身に沁(し)みる。安心して眠ることさえできず、毎日不安と恐怖にさらされていたそうだ。いつ、どこで自分の命を失うかもわからない。それでも、祖父は戦い抜いた。そして、祖父は話の最後にこう言った。「今のような生活を過ごせるのは決して容易なことではない。大切に
すべきだ」と。祖父の一言は私の胸に深く響いた。

 世界の長い歴史において、戦争はつねに消そうにも消せない影としてある。戦争のせいで、無辜(むこ)の民は辛酸をなめ尽くし、飢餓や病魔にたえて、希望の見えない未来に臨んだ。ある雑誌でこんな話を知った。第2次世界大戦が終結して間もなく、アメリカの婦人たちがドイツ兵士の墓に花を捧げたのである。どうしてかつての敵国の兵士にそんなことをするのかと尋ねたら、「彼らも私たちのような母の子です」と答えた。別れの苦しみに耐えて、息子を戦場に送った母親たちは、前線にいる息子の安否を気遣ってやまなかった。だが、最後に待ちに待った団欒(だんらん)の代わりに、戦死の知らせが届いたのである。そういう苦痛を同じく味わった母親たちだからこそ、敵味方の分け隔てなく生命の貴重さが感じ取れるのだろう。

 中日両国間にもかつて戦争があった。そのせいか、両国民は先入観をもってお互いに悪いレッテルを張り合っている。このようなマイナスの雰囲気に直面する度に、祖父の一言が常に思い出される。「今の生活を大切にすべきだ」。ごく平凡な一言だが、そこに含まれた重みをつくづく感じさせる。人間というものは欲張りなもので、現在享受している、身の回りに溢(あふれ)れている幸せを軽んじがちである。過去の戦争で無数の人々が命を投げ出したのは、「平和な生活を過ごすために」という願いのためだったはずだ。現在、この願いは中日両国ではすでに実現されている。それなのに、過去の影に縛られて
互いに罵(ののし)り合い、頭上の明るい光に気づかないとは、なんと嘆かわしいことであろうか。それより、憂えなく、昇った朝日の光を浴びることや、家族団欒で食事することなどの日常生活の潤いに感謝すべきだ。地下で永遠の眠りにつく犠牲者が望んだのは、戦争から悪いレッテルを張り合うことではないだろう。

この作文コンクールを主催している日本僑報社から,
「中国人がいつも大声で喋るのはなんでなのか?」という作品集が出ている.


このコラムは、2013年3月18日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第301号に掲載した記事です。

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続々・道具に神が宿る

 99号の「道具に神が宿る」に対するS様のメッセージから引き続き話題を広げたいと思う。

私は日本人の勤勉さの根底に「道具に神が宿る」という精神性があると考えている。道具に感謝する、道具を大事にする気持ちが日本人の勤勉さの基本であり、工業立国を支えた精神性だと考えている。

中国の生産現場を見ると残念ながらそういう気質は感じられない。
ペンチをハンマー代わりにする.エアードライバーをリュータの代わりにしてネジ穴周りの塗装を剥がす。こんなことを平気でやる。

仕上がりだけを見ても道具に対する愛情・尊敬の念が感じられない。
私の住んでいるアパートの扉についている蝶番を止めるネジは2/3がネジ頭のプラス溝が潰れてしまっている。

同じようにNC加工機を使っても、日本のように機械に名前をつけて可愛がるという発想は世界的に見てもまれなのではないだろうか?愛情を持った扱いが、徹底的なメインテナンスや加工機を自らの工夫で進化させようという意欲につながると考えている。

欧米では「一神教」をベースとした宗教観により機械を擬人化する事が宗教的忌避となる。中国にも道具に対する愛着は長い歴史の中にあったはずだと思う。しかし現代中国は職人の腕を育てるよりは新しい加工機を買うと言う即効性重視に陥っている。

私はNC加工機などの設備も「道具」と位置づけている。定義の違いを考えると、実はS様の考えと私の考えには共通性があるのではないだろうか。

☆S様のメッセージ

ちなみに、上記のマシニング加工機などマザーマシンと呼ばれる加工機も日本は物真似から始めました。弊社の自動旋盤も、今は日本製が世界の主流ですが、50年前はスイスのトルノス社のコピーでした。
 自動車も然り。その他の家電製品類も舶来と呼んで輸入品が最高だといわれた時代もありました。でも工作機械でも自動車産業でも、コピーから創めた産業が、世界一と呼ばれるまでになった。
 そこにあるものは、職人気質ではなく、「先生に追いつきたい!」との日本人の勤勉性だったと思います。
その日本人の特性が裏目に出た産業が時計産業ではないでしょうか?
生産数量は世界一!機能だって、時を刻むという性能だって世界一です。SEIKO,CITIZEN,CASIO…これらのメーカーに勝る海外企業はありません。
でも、クォーツでもなく、時を刻む精度もそれほどでもないスイス製のほうが、今でも相変わらず高級品です。
 安くて良いものを大量に生産する。そんな「効率的モノづくり」を成熟させすぎた結果でしょうか…
今の時代は半導体産業と民生商品では携帯電話が、そんな道を歩んでいるように小生には見えます。

  • 安くするために、大量生産を続ける
  • 不良品を防ぐために、標準化された生産ライン=誰でも同じ品質=職人の排除
  • ハードウエアではなくソフトウエアで機能を構成する。=簡単なモノ造り

そんな構成の産業は、いずれ中国に持って行かれるでしょう。そうなった時に、時計産業のように高付加価値のモノづくりをどのように見出すか?
日本企業の命題は非常に大きいと思います。

「効率的モノ造り」の功罪

セイコーは世界で初のクウォーツ腕時計を商品化している。
これも物真似と揶揄されるかもしれないが、他の発明品を1/1000の大きさにするのも一つの発明だ。
 ところがS様がおっしゃるとおり、廉価品を大量生産したところに今日本が弱体化してしまった遠因がある。もちろん当時はモノが行き渡ってなく、廉価なモノを大量に要求している市場があったので、当時の考え方が間違っていたとは思わない。
 生産の効率と品質を上げどんどんコストダウンをしてモノ造りをした。その結果モノと一緒に「貧乏」も量産してしまった。

今はマーケットのあり方が変わってしまった。
規格大量生産品は作れば作るほど「貧乏」になる。
顧客が欲しがるモノを少しだけ造る時代だ。
スイスの高級時計路線はこれを頑なに守っているのではないだろうか。

コストダウンばかり考えるのではなく、顧客が価値を感じるところには思い切ってコストをかけてゆく、という発想の転換が必要だと考えている。


このコラムは、2009年6月7日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第101号に掲載した記事です。

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続・道具に神が宿る

 メルマガ99号の「道具に神が宿る」に読者様からメッセージをいただいた。

S様のメッセージ

今回の「道具に神が宿る」という理念があるから「モノを造る道具が作れる」と、つなげるのはいささかの論理の飛躍を感じますね。
「手にする道具」だからこそ道具に対しての愛着も沸くし、それを捨てるにも供養のひとつもしたくなるものです。しかし、近年のモノづくりは数値制御で成り立っている側面があります。そこには、道具にこだわった昔の職人気質は存在しません。
 当社も事業部単位で仕事をしており、その事業部のひとつに自動旋盤部門がありますが、過去のすべてがカム等のメカで構成されていたものと、近年のNC化された機械とでは、現場における機械に対する愛着がまったく違います。
旋盤のバイト研磨方法や取り付け方ひとつでまったく品質の違うものが出来上がった時代と、機外のツールセッターでセットすれば、機械がATCでツールチェンジして加工する。現場のオペレーターに求められるのは「刃物を取り付けるコツ」などではなく、NCプログラムを短時間で組める能力です。
「俺の若い頃は…」という時代です。そこには、機械装置に愛着が生まれる。道具を愛する概念は存在しません。

本当はS様からいただいたメッセージはもっと長文であり、一回ではご紹介しきれない。一部を抜き出した。

S様のおっしゃるとおり、加工機のNC化により一定レベルのモノ造り能力は「大衆化」してしまったといって良いだろう。機械を買えば一定レベルのモノは作れる。これが今の中国工場のレベルではないだろうか?
 私が申し上げたかったのは、更にその上を行くモノ造りだ。NC加工機を使っても、最後は刃具を研げる職人の腕で決まる。
 例えば砲丸投げのタマ。オリンピック砲丸投げ選手が使っているタマはほぼ100%北関東の町工場で造られたものだそうだ。TVで見たが、町工場の親方が旋盤を使って手で削りだしてる。
「ほらここでちょっと手ごたえが変わるでしょ」と言いながら旋盤のハンドルを回していた。
 オリンピックアスリートには、ただの鉄のタマから職人の手肌のぬくもりが伝わるのではないだろうか。それがアスリートの絶大なる支持を得ている理由だと思う。

 こういうモノ造りのことを皆さんにお伝えしたかった。

もちろん規格大量生産製品でこんなことはできない。一つずつ手作りできる製品だからできることだ。しかし規格大量生産品がどんどん売れる時代はもう過去のものだ。世の中にはすでにモノがあふれている。規格大量生産品は安い値段でしか売れない。大量に生産しても売れ残るのが落ちだ。
 規格品から顧客の価値観に重点を置いたモノ造りに方向転換をしなければなるまい。それにはNC加工ではなく高品質・高付加価値のモノ造りが必要だ。その基本となるものが「道具に神が宿る」という日本的精神なのではないだろうか。

どうも今回も飛躍しすぎたようだ(笑)


このコラムは、2009年6月1日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第100号に掲載した記事です。

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グローバリズムの功罪

 私が子供の頃は、日本は資源のない国なので資源を輸入して加工した製品を輸出することにより国を豊かにする、と習った。勤勉な日本国民はその教えにしたがって懸命に働き、世界の工場といわれる国になった。一方農業は食料安全保障の名の下に、農家が過剰に保護され産業化が進まなかった。

そして世界がグローバリズムに走り出した。製造業は一斉にローコスト労務費を目指して海外に工場を移設。国内の空洞化が始まる。ローコスト生産国だった中国の生活水準が上がり、高消費国になる。力を付けた中国の製造業が開発途上国市場のシェアを伸ばし始める。

そして今回の新型コロナウィルス禍によって日本の国力の脆弱化が露呈した。国内ではマスク一つ作れない状態になっているのに気付かされた。
最近のニュースではアイリスオーヤマがマスク生産に乗り出し、中国から生産設備を導入した。激しく落胆した。生産設備まで中国に頼るようではモノ造り日本の誇りはどこに行ったのだと言いたい。

マスクが作れないのは大きな問題ではないかもしれない。しかし生産設備まで中国に依存するようでは、モノ造り日本の威信は失われたといわざるを得ない。

グローバリズムといっても市場が一つになったわけではない。ボールペン1本100円では売れない国はまだまだある。10円のボールペン市場は中国にくれてやれば良い。我々が守らねばならない市場は別にある。

新型コロナ禍によって世界は自国優先主義に傾いた。本来のグローバリズムは世界の協調主義に依存しているのではないだろうか。


このコラムは、2020年5月27日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第985号に掲載した記事です。

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