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ブレインストーミング

 先週末は品質道場で「新QC七つ道具」を勉強した。
少人数で実習を取り入れながらやっている。知識だけではなく、即応用の能力を磨いていただいている。

ところで新QC七つ道具は一般的には、以下の7つをいう。

  • 親和図法
  • 連関図法
  • 系統図法
  • マトリックス図法
  • アローダイアグラム
  • PDPC法
  • マトリックスデータ解析法
  • 問題の原因分析や対策立案などに威力を発揮する手法が取り揃っている。
    品質道場では、マトリックスデータ解析法の代わりにブレインストーミングを入れている。

    マトリックスデータ解析法とは多変量解析の一つであり、顧客アンケート結果から顧客要求の傾向を掴む、などの応用に使える。しかし工場の改善活動などに関わる人たちに活用する機会は少ない。より汎用性が高く、活用できる場面が多いブレインストーミングを覚えた方が良いと考えている。

    ブレインストーミングは、学校教育にも活用されている。ホームルームの時間にブレインストーミングを活用している高校があるそうだ。また企業内での企画会議で、ブレインストーミングをすると良いアイディアが出るだけでなく、チームの結束が高まる、仕事が楽しくなるなどの効果がある。

    面白法人「カヤック」という変わった企業の創業者・柳澤大輔氏は社内でブレインストーミングを活用していると言っておられた。

    参考:「カヤックが社員に約束できること」」

    初めてQCC活動をするメンバーを集め、自工程や他の工程の改善課題をブレインストーミングであげると、あっという間に5、60個の改善課題が出てくる。「言えない問題」「言ってはいけない問題」が一気に噴出してくる(笑)
    工程の組長さんたちの関係が悪化するのではなかろうかと心配したが、無用の心配だった。逆に組長さんたちがお互いの苦労を理解し合い、助け合う機運が生まれた。
    ブレインストーミングにはルールがある。正しく運用すればこうなるはずだ。
    正しく運用しないと「話し合い」は「言い合い」になってしまう。


    このコラムは、2017年8月11日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第548号に掲載した記事に加筆修正しました。

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有意義な会議とは

 1986年11月21日、伊豆七島の大島三原山が噴火した。島内には1万3千人が閉じ込められている。街に迫りだした溶岩が海中に流入したら一大水蒸気爆発が起こり、1万3千人が吹き飛ばされてしまう。日本国最大級の危機的状況が発生していた。

この状況下で、当時の担当省庁である国土庁と関係省庁の役人が緊急会議を開催していた。夕刻から始まった会議はなかなか結論に至らなかった。
その会議の議題はなんと、
[議題1]災害対策本部の名称(をどうするか)
[議題2](災害発生年次は)元号を使うか、西暦にするか
だったそうだ。

これは笑い話ではない。
日経ビジネスオンラインのコラム「ムダゼロ会議術」に出ていた。

しかし私たちは、この事例を笑っていられるのだろうか?
国最大の会議である国会で、ゴシップネタばかり追求し重要案件を議論しない。
採決に入れば、野党は議論が不十分だという。ゴシップネタに終始しただけでなく国会をボイコットしていた人たちが言える言葉ではないだろう。

この話題を取り上げたのは、私たち自身の会議を見直す機会と思ったからだ。政治家やマスコミの批判をするのが本意ではない。

災害発生時の会議の最優先目的は、被災者の生命財産の保護にあるはずだ。そのために現状を把握し、対策を検討。被災者救援の実施計画が会議のアウトプットだ。

社内で行われる会議が、なんとなく開催され定刻で終了。議事録担当者が何を書いたらいいかわからない、なんて会議が横行していないだろうか?

ある企業で行われている改善活動に参加したことがある。
最後にまとめをして終了となった。
経営者からコメントを求められ、素晴らしい改善活動をしていると感じたが、本当に効果が出ているか?という厳しいコメントをした。

活動中メンバーから問題点が指摘され、幾つも改善テーマが見つかっている。
しかし最後の総括会議で、それぞれの改善テーマを誰がいつまでに取り組むかを決めていない。当日あげられた改善テーマは、参加者のノートに埋もれてしまう。せっかく素晴らしい活動をしているのに成果は得られない。

有意義な会議とは、具体的なアクションプランがアウトプットされる会議だ。


このコラムは、2018年7月4日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第688号に掲載した記事を修正・加筆しました。

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続・現場力の継承

 第86号で「現場力の継承」を工場でどう工夫するかという問いかけをした。

作業指導書とか作業標準で作業方法は継承することは可能だ。

しかし作業指導書や標準書などで本当の現場力は継承できない。本当の現場力は作業方法などの方法論ではないはずだ。その作業方法を生み出す品質第一のココロ、継続改善のココロが本当の現場力だと思う。

また作業標準や規準書を後生大事に継承したのでは,進歩から取り残される。標準化をするということは、その時点で最善の方法にいったん固定することだ。従って時がたつにつれ、世の中の進歩から取り残されてしまう。標準化をするということは相対的な退歩だと考えねばなるまい。

(注)標準化が悪いといっているわけではないことをお断りしておく。標準化をしたその日から、標準の改定を検討しなければならない。

現場力を継承する方法として「コトづくり」を提案したい。

以前指導した工場で段取り換え短縮の改善に取り組んだ事がある。実際に1時間半かかっていた段取り換えは30分以下で完了できるようになった。これを手順書化してやれば、新しく入ってきた作業員でも同じように段取り換えをする事が出来るだろう。

しかしそれでは不十分だ。
段取り換え短縮の改善プロジェクトに参加した作業員達は,どう改善するかという目的意識によって色々工夫したはずだ。この意識をきちんと伝承しなければ、現状維持が精一杯である。むしろ段取り換え時間は徐々に長くなっていってしまうだろう。

そこで「段取り換えコンテスト」を年に1回とか2回開催することを提案した。段取り換えをする作業員が、段取り替えの手順を競う。最も良い方法で作業できた作業者が優勝の栄誉を得る。またその様子をビデオに撮影し新人作業員の教育資料として使う。こうすれば優勝者の誇りにもなる。

このようにただ手順を標準書に残して伝えるのではなく、目的意識や改善に向ける熱意を「段取り換えコンテスト」という「コト」を作って伝承するのだ。

日本にもモノ造りの技能を伝承するための「技能コンテスト」や「技能オリンピック」という「コト」がある。これをあなたの工場に応用可能な形に置き換えてみよう。

読者様からはこんな投稿をいただいた.

さて今週の「現場力の継承」ですが、林様のおっしゃるように現場力は、マニュアルや作業標準で継承できる、ものづくりのノウハウとは違います。マニュアルで伝えられるのは、いわば「停まっている技術」です。現場力とは、外部環境や要求に応じて技術をブラッシュアップしていく力、改善力です。
まさに情熱、プライド、こだわりといったものに乗って伝わるものです。

では情熱やプライド(誇り)といったものは、どのようにして形成されるか?
一つ目は、限られたジャンルであってもNo.1を目指すことではないかと思う。例えば品質ではなく、コストでNo.1を目指すとする。品質は二の次なのだから簡単なように思えるが、そうではない。品質を下限ギリギリまで下げれば、下限を下回る不良が増えて、結局コストを圧迫したり、市場クレームで出費がかさんだりして、コストNo.1は達成できない。どんなジャンルであってもNo.1であることは、容易でなく、常に切磋琢磨していなくてはその地位は維持できない。

そしてもうひとつは、自分の作ったものの、一つ先が見えるようにすることではないか。アッセンブリメーカであれば、完成した姿、使われる姿が見えやすいので、モチベーションは上がりやすい。しかし部品メーカとなると、作業者レベルでは、目の前のものが何になるのかまったく?で、モノづくりしていることが多々ある。僕はサプライヤーの経営者、従業員に、完成して据付の済んだ彼らの努力の集積(製品)の写真を見せたが、一様に皆目を輝かせ、良い顔をしていた。これは重要なことだと思う。
しかし、中国のカネのためだけに仕事している労働者が、そんなこと理解するか?と反論する人がいると思う。「カネのためだけに働く」と言う意識の低さと、これはある意味別次元だと僕は思う。それは自分の息子や娘を慈しむ目であるような気がする。このような感情は、断じて「労働に対する意識」とは、比例も反比例もしない。まさに誰もが持っている感情ではないだろうか。

Z様。いつもご投稿ありがとうございます。
私の思いと非常に近いご意見と感じた。

中国の若者は「カネの為だけに働く」という人が良くおられる。これはある面で真実であるが、一部の中国人のことしか捉えていないと思っている。特に最近の若い人たちは、自分のスキルアップ、キャリアアップに高いモチベーションを持っている。そのキャリアアップの先にたくさんお金を稼いでよい暮らしがしたいというのはあるが、目前にあるのは自己成長意欲だと考えている。


このコラムは、2009年3月6日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第87号に掲載した記事を修正・加筆しました。

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現場力の継承

 第83号の「究極のモノ造り」で伊勢神宮の遷宮の話を紹介した。
伊勢神宮の遷宮時に使う和釘を、新潟・三条の加治屋さんが再現した、というお話だ。

伊勢神宮が20年に一度遷宮をする理由は、モノ造りの技術を次世代に伝えるためだ。
多分遷宮工事にかかわることは、大変名誉なことだっただろう。
大工、鍛冶屋など代々の棟梁は遷宮の工事を任されることにより、次世代にその技術を伝える。遷宮がモノ造りの技術を次世代に伝えるための仕組みになっていた。親方から弟子に代々受け継がれるモノ造りの技術は、遷宮により確かめられるわけだ。

ヨーロッパやエジプトの遺跡は「そのモノ」が現代にも伝わっているが、日本は「様式」を伝える文化といって良いだろう。

このような古来から伝わるモノ造りの技術だけではなく、今私たちの工場にある現場力も5年後・10年後に代々伝えてゆかなければならない。しかもそのままではなく改善して伝承をしてゆかねば、時代から取り残される。

中国の工場では作業者・技能者に5年・10年と勤務してくれることは期待できない。では作業標準・マニュアル類で現場力は伝承できるだろうか?
これらは最低条件ではあるが、十分ではないと考えている。
現場力は、モノ造りへの情熱という器に乗せて次々と伝承してゆくものだと思っている。

工場の現場力をどう伝承してゆくか、読者様も考えてみていただきたい。
私のアイディアは例によって「金曜日版」で発表します。


このコラムは、2009年3月2日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第86号に掲載した記事を修正・加筆しました。

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モノ造りのホコリ

 ある中国企業の生産現場で指導をしていて大変驚いた事がある。
製品がひっくり返らない様に組み込む金属製の「重石」が大変に汚れている。「泥だらけ」という表現はちょっと言い過ぎかも知れないが、土ぼこりや蜘蛛の巣で汚れている。素手で触るのがためらわれるほどだ。

きれいにしてから組み込んだほうが良いだろうと製造部門のリーダに指摘をすると、ユーザには見えないところにあるのでかまわないという。外観には気を使っているが目に付かないところには余分なコストをかけない、という考えかただ。

また金属シャーシに取り付けたタブが加工ミスで曲がってしまっている。ペンチでぐいと位置強制して使うという。これもまたユーザの目には触れない場所だ。さすがにこれは不良としてリジェクトさせた。

別のラインでは、量販店から製品の仕様変更依頼(内部部品の交換)で返却された商品の改造作業をしていた。驚くことに返却されたボロボロの化粧箱に再梱包をしている。量販店が化粧箱交換のコストアップを納得しなかったので、破損の激しいものだけ交換するように白箱を100個だけ用意してあるという。これは現場のリーダを責めてもかわいそうだが、こんなモノを店頭に陳列すれば売れないばかりではなく、自社のブランドにまで傷が付きそうだ。

コストを重要視する考え方を間違っているというつもりはない。
しかしこの工場は床や作業台にネジが散乱していても平気な工場だ。ブランドに関わるコストを敏感に削減しているのに、部品の遺失コストには無頓着だ。

こういうモノ造りをしていれば、仕事や自分達が生産した製品に対する現場のホコリはなくなってしまうだろう。モノ造りにホコリを持っていない現場に高品質・低コストのモノ造りができるはずがない。更にこういうモノ造りを続けていれば、最も重要な顧客の信用やブランド力がどんどん低下してゆくだろう。

知り合いの縫製工場の経営者は、安物の仕事は請けないと言い切っていた。安物なりの縫い方を作業員にさせてしまえば、本来の品質を維持できなくなる。高級なモノは目に見えないところにもコストをしっかりかけてあるものだ。

その考え方ををモノ造りのホコリとして作業員にきちんと伝える必要がある。これは一介のコンサルが現場で指導できる話ではない。
この工場に対しては現場指導よりも、経営者指導が必要だ。


このコラムは、2009年6月15日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第102号に掲載した記事を修正・加筆しました。

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究極のモノ造り

 メールマガジン82号で「究極のモノ造り」の事例をご紹介した。

この記事に対してZ様からメッセージをいただいた。

 「究極のものづくり」の例って、正直中々浮かびません。ただひとつ言えることは、技術者は自分の分野で「究極を語ってはならない」と言うことです。
「究極」とは、もうそこまでと言うことです。自身がそれを語りだしたら、もう限界が見えてきた、成長できなくなってしまうということではないでしょうか。究極を語ることが許されるとしたら、それは第一線を退かれた大先輩だけではないでしょうか。「究極」とは、追い、求め続けるもの、目指し続けるものです。と、また屁理屈を言ってすみせん。

Z様,いつもご投稿ありがとうございます.

Z様のご意見は屁理屈ではない。
私は「究極を目指すモノ造り」こそ「究極のモノ造り」だと思っている。

こんな例を紹介したい。

伊勢神宮の建て替えに使われた和釘は、木材の中に節があってもそれをよけて中に進むそうである。こういう和釘が1300年も前から使われている。こういう和釘は「究極のモノ」と言っても差し支えはないだろう。

私が考えている「究極のモノ造り」は、こういう技術を代々1300年も伝えるということだ。

実はこの和釘を作ってきた伊勢の船大工は、途絶えてしまっている。現代にこの和釘を蘇らせたのは、新潟・三条の鍛冶屋さんだ。彼らは「三条鍛冶道場」を作ってこのモノ造りの技術を次の1000年後に伝えようとしている。

82号でお伝えした、新しい市場を創出する、新しい付加価値を創造するのも「究極のモノ造り」であるが、この和釘のように古い日本のモノ造りの技術を代々伝えて行くのも「究極のモノ造り」と言えるだろう。

たかが釘。設計技術的にはローテクかもしれないが、モノ造り技術的にはハイテクだ。こういう技術こそ、日本国内で守ってゆかなければならない技術だと思う。

こちら「究極のモノ造り」もご参照いただきたい。


このコラムは、2009年2月13日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第83号に掲載した記事を修正・加筆しました。

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目前に新幹線、恐怖の風圧体験研修 労組「見せしめだ」

目前に新幹線、恐怖の風圧体験研修 労組「見せしめだ」

 JR西日本が新幹線のトンネル内に社員を座らせて、最高時速300キロの車両の通過を間近で体感させる研修をしている。ボルトの締め付けの重要性など安全意識の徹底が目的だという。一部の労働組合は危険だとして、研修の中止を求めている。

 JR西によると、研修は2016年2月から小倉―博多間や広島―新岩国間のトンネル内で月1回ほど実施している。上りと下りの線路の間にある深さと幅がそれぞれ約1メートルの通路内に車両検査担当の社員が並んでうずくまり、間近を通過する新幹線の風圧やスピードを体感する。ヘルメットと防護眼鏡を着け、通常業務で通路に立ち入る保線の担当社員が付き添って安全に配慮しているという。

 この研修は15年8月に福岡県内のトンネルで新幹線からアルミ製のカバーが落下し、衝撃で乗客1人が負傷した事故を受けて始まった。カバーを固定するボルトの締め付けが不十分だったことなどが原因とみられている。

(以下略)
全文

(朝日新聞電子版より)

 「風圧体感研修」実施の発端となったトンネル内でのアルミ製カバー脱落事故に関してこのメルマガで以前取り上げた。

「新幹線緊急停車、1人けが 時速285キロ、部品落ち停電」

労働組合の意見はもっともらしく聞こえる。
しかし保線担当の組合員は毎日線路内を点検して歩いているはずだ。こちらの作業は危険だとは考えないのだろうか?

実は40年ほど前、北陸トンネル13.87kmを歩いたことがある。トンネル内には一定間隔で大人二人程が入れる退避場所が設けられている。トンネル壁に窪みをつけた様な場所で列車をやり過ごす。至近距離を特急列車が通り過ぎる時は思わず息を止めてしまう。万が一怪我でもしようものなら、業者として線路内への立ち入り禁止を食らう。相当緊張する。

車両検査部門の職員に作業に対する緊張感を持たせるためには効果的だろう。
しかしJR労働組合とは別の理由により、この様な研修が本当に有効かどうか疑問に思う。

アルミカバー脱落の原因を車両検査作業員の安全意識の欠落だとすれば、研修体験で作業に対する緊張感を持つことができるかも知れない。しかしこの研修で作業不良がなくなるとは思えない。
体験研修だけで安全意識を継続的に高めておくことは難しいだろう。定期的に研修を繰り返せば、慣れてしまい効果はなくなる。

本当の対策は、安全意識とか緊張感など属人的な要素に頼らずとも効果がある方法にしなければならない。ボルトの閉め付け不足を防止する作業方法なり、ポカ避け治工具などによって対策をする事が必要だ。


このコラムは、2018年10月22日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第735号に掲載した記事を修正・加筆しました。

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TMP

 このメルマガで「TMP」について書いたことが何度かある。ご記憶の方もあるだろう。念のため再度説明すると「TPM」とはTPM(トータル・プロダクティブ・メインテナンス)のことではない。トータル丸パクリを略して「TMP」と言っている。

他人様のやっていることを丸パクリしよう、と肯定的に使っている。人真似はよくないという風潮があるが、まずは他所でうまく行っている方法をそのまま真似てみる。やって見た上で、自分たちに合うように改善すればよい。
何もしないうちから、できない理由を並べ立てても何も進歩はない。まず真似て、独自のモノを作り上げればよい。そんな考えが「TMP」だ。

今読んでいる文章術の本にこんな言葉が出てきた。
「一箇所から盗めば盗作。いろいろなところから盗めば情報収集」
著者のワインバーグ氏は、石ころをたくさん集めて壁を作るようにして文章を作れと言っている。それでは文章の創作ではなく、文章の盗作ではないか、という読者の疑念に対し先手を打った言葉だ。

参考:「ワインバーグの文章読本」

一冊の書籍、一編の詩歌から石ころ(言葉)を集めて文章創作をすれば盗作。
多くの書籍、多くの詩歌から石ころ(言葉)を集めるのは情報収集である、という主張だ。
ちなみに上記のワインバーグ氏の文章は、ちゃんと出所を記してあるので、盗作ではなく引用だ。

「TMP」に抵抗がある方のために我々業界には都合の良い言葉がある。「ベストプラクティス」と言えば耳障りは良い。しかしやることは「TMP」と同じだ。

全く同じ言葉を使っても文章を書くことができる。盗作かどうかは類似点の全体に対する割合により判断されるのだろう。

マネジメント手法は、そのまま真似しても組織の特性が違えば機能しない事が多いはずだ。それでも丸パクリをしろと言っているのは、あれこれ考えるよりまずやって見てうまくゆかないところを改善せよ、という意味だ。


このコラムは、2018年5月28日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第672号に掲載した記事に加筆しました。

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質より量

 武井壮の大人の学校という講義をたまたまyoutubeで見た。

ほとんどTVを見ないので、恥ずかしながら武井壮という方を知らなかった。半ズボンで登壇した姿を見て、見るのをやめようかと逡巡しているすきに、「水は飲みたいと思えば飲める。しかしホームランは打ちたいと思っても打てない」という言葉にヤラレ、最後まで見た(笑)

打ちたい時にホームランが打てない理由は「見えていないからだ」という。
しかし一流の打者は、ボールをしっかり見ているはずだ。あの川上哲治などは、ボールが止まって見えると言っていた。
武井氏が言っているのは、ボールは見えていても、自分の体がどのように動き、バットのヘッドがどのような軌跡をたどっているか見ていないという。

確かに、見えていない体を使い、見えていないバットヘッドの軌跡を制御して時速100km以上で飛んでくるボールにジャストミートすることは困難だろう。
打ちたい時にホームランを打つためには、体を見ていなくてもイメージ通りに動かせるように、バットの先端を見ていなくても思い通りの軌跡を描くように鍛錬する必要がある。

我々も不良が発生する瞬間を見ることができれば、不良発生の原因は簡単にわかるだろう。不良発生の瞬間が見えないので、仮説を立て検証し原因を推定する事になる。仮説検証の能力を鍛錬しなければならない。

さてここからが本日の主題だ。
武井氏は、社会的価値は質(クオリティ)ではなく量(クォンティティ)だと言っている。彼はアスリートの立場として、社会的価値は質より量だという。選手がいくら高いクオリティ(運動能力、瞬時の判断力など)を持っていても、社会的価値は上がらない。そのスポーツを見る観客のクォンティティ(人数)が社会的価値を決定する。
観客動員数が多ければ興行収入が大きくなり、また広告効果などの付帯価値も上がるという事だ。

ここで比較している質と量は、供給者側の質と消費者側の量である。こう理解すれば「質より量」という現代社会にマッチしないキャッチコピーはいきなり当たり前になる(笑)

我々製造業も同じだ。供給と消費のバランスが変わり、同一規格大量生産品の社会的価値が下がった。そして消費者の欲求に応える多品種少量生産品しか売れなくなっている。
一見すると「量より質」、つまりたくさん粗悪品を作るより質の良いものを少量作った方が価値が高い、と解釈できる。

製造業にとって「質」が良いのは当たり前の前提、その上で顧客の需要という「量」が重要となる。
スポーツと同じく製造業も、生産者の質よりも消費者の量が社会的価値を決定する、という事だ。
当然製品の質と量(顧客需要)には相関関係がある。質が悪ければ量は減る。しかし質が良くても量が上がるとは言えない。という片側相関関係だ。
簡単に言ってしまえば、製造業が作っている製品の社会的価値は生産者ではなく、顧客である消費者が決定しているという事だ。製造業以外でも同様だ。

「質より量」心に留め置きたい。


このコラムは、2018年6月1日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第674号に掲載した記事に加筆しました。

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システムより理念

 最近続けて,若い中国人が経営する工場を3社訪問した.業種はさまざまだが,彼らには共通する点があった.
創業してがむしゃらに仕事をしてきた.そして事業が軌道に乗り,会社は大きくなってきた.しかしどうも管理がうまくできていないように感じる.だから日本式の管理方法や「システム」を勉強したいと思っている.

彼らとの会話の中で,盛んに『系統』(システム)と言う言葉が出てくる.
たぶんISO9001や中国人の経営コンサルタントの影響で『系統』とか『系統化』と言う言葉が,経営者の間で最重要点として認識されているのだろう.

TPS(トヨタ生産システム)等は,中国のコンサル会社,経営学書がこぞって取り上げており,ちょっと勉強熱心な経営者は全員知っているようだ.

しかし経営システムとは,会社ごとに違うものである.
例えば,TPSを真似しようとしても,会社や生産現場の風土が出来上がってなければ,導入は逆効果になる場合もありうる.

まずは,自分の会社をどういう会社にしたいのか,と言う理念があり,それを実現する方法として経営システムが出来上がるはずだ.

彼らが羨望する,日本式経営システムとか生産システムというのは,「幻」なのではないかと思っている.元々日本の企業は,「システム化」が下手だ.経営のシステム化,組織のシステム化というのは,元々米国企業のお家芸だろう.

日本的経営システムとは,現場の泥臭い努力の集大成であり,現場の努力が経営に報われるようにするための仕組みなのだと思っている.
本家米国のシステム的アプローチとは真逆だ.

したがって,日本的経営システムの形を真似しても意味のないことだ.
自分が経営する会社がどうあって欲しいか,そこに働く従業員がどうあって欲しいか.そういう経営理念がまずある.その上でシステムが意味を成す.

私が尊敬するT社長はこう言っている.
「三年後の夢.二年後の希望.一年後の実行」
私としては,もう少し長期にし(対数目盛りで)「五年後の夢,二年後の希望,一年後の実行」と言いたいところだ(笑)これが理念を経営計画に落とし込んでゆくことそのものだ.

そしてこれをもっと長期にする.
100年後,貴方の会社はどうなっていたいですか?
100年後には会社は貴方の手を離れているはずだ.そのとき貴方の会社がどうあって欲しいかを考えるのだ.

貴方の曾孫に富を与える会社であって欲しいのか?
社会に何かを貢献する会社であって欲しいのか?
従業員を幸福にする会社であって欲しいのか?

まず100年後の夢・理念があり,それから経営システムが出来るのだと思う.

私が会った中国の若い経営者たちは,経営システムと管理手法を学べば,会社経営が磐石になると考えていたようだ.ちょうど,チルチル,ミチルが青い鳥を探しに旅に出たように,彼らはシステム,手法を外に求める.しかし本当は彼らの心の中に答えはある.

100年後の会社がどうあって欲しいか,という話を,中国の若者にすると理解できずに引かれると思っていた.
しかし意外なことに,すごく感動したと言われる.

同行した助手に,アレは御世辞だよな?と確認すると,そうだと素気ない返事(笑)
しかし,帰宅後,その若者たちから長文のメールが携帯電話に届いた.

30代の若者でも100年もすれば,もうこの世にはいない.その時に自分の会社が,自分の曾孫に富を与える会社であって欲しいとは考えないようだ.

こういう若者たちが立派な経営者に育てば,中国はきっとすばらしい国になるはずだ.その過程で私がほんの少しでも貢献できれば大変光栄だ.


このコラムは、2008年11月8日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第178号に掲載した記事に加筆しました。

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