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巧言令色・足恭を恥ず

yuē:“qiǎoyán(1)lìng(2)gōngzuǒqiūmíng(4)chǐzhīqiūchǐzhīyuànéryǒurénzuǒqiūmíngchǐzhīqiūchǐzhī” 。

《论语》公冶长第五-25

(1)巧言:巧みな言葉
(2)令色:上辺だけ取り繕った表情
(3)足恭:度を越した恭しさ
(4)左丘明:姓は左丘、名が明。春秋時代、魯国の史学者。

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素読文:

いわく、巧言こうげんれいしょくすうきょうなるは、きゅうめいこれず。きゅうまたこれず。うらみをかくしてひとともとするは、きゅうめいこれず。きゅうこれず。

解釈:

巧言令色少なし仁と孔子は言っています。
本章では巧言令色・足恭は恥ずべき態度だと言っています。更にそういう人を友とすることも恥であると切り捨てています。

正直vs親切

yuē:“shúwèi(1)wēishēnggāo(2)zhí(3)huòxiān(4)yānzhūlínérzhī。”

《论语》公冶长第五-24

(1)孰谓:誰が〜と言うか
(2)微生高:魯の人。姓は微生、名は高。正直者として有名。
(3)直:正直な人
(4)酰:酢

素読文:

いわく:“たれせいこうちょくなりとうや。あるひとけいう。これとなりいてこれえたり。”

解釈:

孔子曰く:“誰が微生高を正直者などと言っているのか?彼は酢を借りにきた者に、隣からもらって与えたのだ。”

酢を借りにきた者に「今はないから隣で借りろ」とだけ言うより、自分で隣に借りに行ってやる方が親切だと思うのですが。

愚はおよぶべからざるなり

yuē:“nìng(1)bāngyǒudào(2)zhìbāngdào(3)zhì。”

《论语》公冶长篇第五-21

(1)宁武子:衛の大夫。姓は宁、名は、武はおくりな。暗愚な成公に仕えたが、よく助けた。
(2)邦有道:国が秩序よく治っている
(3)无有道:国の秩序が乱れている

素読文:

いわく:“ねい武子ぶしは、くにみちればすなわくにみちければすなわなり。およぶべきなり。およぶべからざるなり。

解釈:

子曰く:“寧武子は国が治まっているときは、その手腕を認められ知者と言われたが、国が乱れている時は、愚者と言われた。知者としての振る舞いは真似できるが、愚者の役割を引き受けるのは難しかろう”

愚者として振る舞うことにより君主の悪政を庇った、と言うことなのでしょうか。
本当の知者ならば、君主の悪政を諌め善政に導くべきだと考えるのは理想論に偏りすぎでしょうか。

二度考えれば十分

wén(1)sānérhòuxíngwénzhīyuē:“zài。”

《论语》公冶长篇第五-20

(1)季文子:魯の国の家老。姓は季孫、名はこう、文子はそのおくりな。宣公・成公・襄公の三君のときの宰相

素読文:
ぶんたびおもいてしかのちおこなう。これきていわく、“ふたたびせばなり。”

解釈:
季文子は何事も三たび考えてから行なった。孔子はそれを聞いていわれた。“二度考えたら十分だ”

何事も熟考の上、行動することが必要ですが、孔子は考えるのは二度までにしておけ、と言っています。三度考えている間に、状況が変わってしまうこともあるでしょう。
二度考えて答えが違っていれば、三度目を考える必要がありそうですが。

臧文仲

yuēzāngwénzhòng(1)(2)cài(3)shānjiézǎozhuózhì

《论语》公冶长第五-18

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(1)臧文仲:魯の大夫。姓は臧孫、名は辰、あざなは仲、文はおくりな。魯の大夫。孔子の出生より六十六年前に死去。当時、知者として知られた。
(2)居:おさめる
(3)蔡:占いに用いる大きな亀の甲。天子が用いるものであり、大夫の臧文仲には分不相応。

素読文:
いわく:“ぞうぶんちゅうさいき、せつやまにし、せつそうす。何如いかんならんや。”

解釈:

孔子曰く“臧文仲は、諸侯でもないのに、国の吉凶を占う蔡をもっている。しかもそれを置くせつには山の形をきざみ、せつには水草の模様を描いているが、それは天子の廟の装飾だ。世間では彼を知者だといっているが、こんな身のほど知らずが、なんで知者といえよう”

孔子は「蔡」を所有している臧文仲を分不相応と批判しています。
臧文仲は自らの領地の安寧を願って占いをしていたのでしょう。

晏平仲人と交わりて敬す

yuē:“yànpíngzhòng(1)shànrénjiāojiǔérjìngzhī。”

《论语》公冶长第五-17

(1)晏平仲あんぺいちゅう:姓は晏。名はえい。字は仲。平はおくりな。斉の霊公・荘公・景公の三君に仕えた名宰相。

素読文:
いわく:“あんぺいちゅうよくひとまじわる。ひさしくしてこれけいす。”

解釈:
孔子曰く:“晏平あんぺいちゅうは交際の道をよく心得ている人だ。どんなに長く交際している人に対してもなれて敬意を失うことがない”

子産を謂う

wèichǎnyǒujūnzhīdàoyānxínggōngshìshàngjìngyǎngmínhuì使shǐmín

《论语》公冶长第五-16

素読文:
子産しさんう、くんみちり。おのれおこなうやきょうかみつかうるやけいたみやしなうやけいたみ使つかうや

解釈:
子、子産を評して曰く:“君子の道は四つの道をよく守っている。子産は第一に恭謙である。第二に上に仕えて敬慎である。第三に民に対して慈恵を旨としている。そして第四に民の使役が公正である”

子産という名前でも、孔子の弟子ではありません。

人の欲せざるを成すなかれ

gòngyuē:“rénzhījiāzhūjiāzhūrén。”
yuē:“(1)fēiěrsuǒ。”

《论语》公冶长第五-12

(1)赐:子貢の名

素読文:
こういわく:“われひとこれわれくわうることをほっせざるや、われまたこれひとくわうることからんとほっす。
いわく:“や、なんじおよところあらざるなり。”

解釈:
子貢曰く:“自分が人からされたくないことは、自分もまた人に対してしない様にします。”
それに対し孔子は“よ、それはまだまだおまえにできることではない”

私も子供の頃母親に「人にされたくないことはしてはならない」と何度も言われました。
子貢は自分から「人からされたくないことはしない」と言っているのに、師匠の孔子はお間にはまだ無理だ。と言い放されています。孔子が「これこれの方法で精進せよ」とアドバイスするとは思えませんが、お前には無理だと切り捨てられています。口先だけでなくどの様にするのか考えろ、という教えなのでしょうか。

無所取材

yuē:“dàoxíngchénghǎicóngzhěyóu?”
子路zǐlùwénzhī
yuē:“yóuhàoyǒngguòsuǒcái 。”

《论语》公冶长第五-7

素読文:
いわく:“みちおこなわれず、いかだりてうみうかばん。われしたがものゆうなるか。”
子路しろこれきてよろこぶ。
いわく:“ゆうゆうこのむことわれすぎたり。ざいところし。”

解釈:
孔子曰く:“私が教える『道』によよる治世をを受け入れる為政者は現れない。いっそ筏にでも乗って『道』を広めてみようか。一緒に行くのは子路か”
子路はこれを聞いて喜ぶ。
孔子は続けて曰く:“子路は勇敢であることは私より優れているが、治世の人材としては取り柄がない。”

流石の子路も、師匠にこういわれては落ち込んだのではないでしょうか?

朽木彫るべからず、糞土塗るべからず

zǎizhòuqǐn
yuē:“xiǔdiāofènzhīqiángzhū。”
yuē:“shǐréntīngyánérxìnxíngjīnréntīngyánérguānxínggǎishì。”

《论语》公冶长第五-10

素読文:
さいひるぬ。いわく、朽木きゅうぼくるべからず。糞土ふんどしょうは、るべからず。いてかなんめん。わく、はじわれひとけるや、げんきておこないをしんぜり。いまわれひとけるや、げんきておこないをる。いてかれをあらたむ。

解釈:
宰予が昼間寝ていた。それを見て孔子は“朽ちた木は彫刻できない、糞土壁は上塗りしても意味がない。自分は今まで人は言葉通りの行いをするものだと信じていた。お前の言動を見ていると、言葉どおりの行動をするとは限らないこと知った。これからは改めねばなるまい。

これは強烈な叱責です。居眠りするなと叱られるより、師匠が弟子に対して、自分自身の行動を改めると言っています。弟子は厳しい叱責と感じるでしょう。