子曰:君子耻其言而过其行。
《论语》宪问第十四-27
素読文:
子曰く:“君子は其の言の其の行ないに過ぐるを恥ず。”
解釈:
子曰く:“君子は口ばかりで行動しないのを恥ず。”
孔子は為政-13で“先行其言,而后从之”行動が先で言葉は後だ、と言ってます。行動が言葉以下であれば、何をか言わんやです。
子曰:君子耻其言而过其行。
《论语》宪问第十四-27
素読文:
子曰く:“君子は其の言の其の行ないに過ぐるを恥ず。”
解釈:
子曰く:“君子は口ばかりで行動しないのを恥ず。”
孔子は為政-13で“先行其言,而后从之”行動が先で言葉は後だ、と言ってます。行動が言葉以下であれば、何をか言わんやです。
棘子成(1)曰:“君子质而已矣,何以文为?”
子贡曰:“惜乎,夫子(2)之说君子也,驷不及舌(3)。文犹质也,质犹文也,虎豹之鞹(4),犹犬羊之鞹。”《论语》颜渊第十二-8
(1)棘子成:衛国の大夫
(2) 夫子:大夫以上の人に対する尊称
(3)驷不及舌:一度口に出したことは取り返しがつかない。舌から出た言葉は驷(四頭立ての馬車)でも追いつかない。
(4)鞟:鞣し革
素読文:
棘子成曰く、君子は質のみ。何ぞ文を以て為さんと。子貢曰く、惜しいかな、夫子の君子を説くや。駟も舌に及ばず。文は猶お質のごとく、質は猶お文のごときなり。虎豹の鞟は猶お犬羊の鞟のごとし。
解釈:
衛国の大夫・棘子成曰く「君子として重要なのは内面的な質である。外面的な見かけや作法は重要ではない」
これを聞いた子貢は「残念ながら、あなたの意見には同意しかねる。内面は外見に表われ、外見は内面に影響する。虎や豹の毛皮も鞣してしまえば犬や羊の毛皮と同じになってしまう」と諫めた。
礼儀作法の「型」を極めれば、その人の内面が磨かれる。武道の「型」を極めれば何事も恐れぬ胆力を得る。
逆も然り。
子曰:“不在其位,不谋其政。”曾子曰:“君子思不出其位。”
《论语》宪问第十四-26
素読文:
子曰く:“其の位に在らざれば、其の政を謀らず。”
曾子曰く:“君子は思うこと其の位より出でず。”
解釈:
子曰く:“その地位にないものは、その職務について口を出すべきではない。”
曾子曰く:“君子は自らの本分を超えたことを考えない。”
仕事上の処世術では「自分の職位より一つ二つ上の立場から考えて行動せよ」と言います。しかしこれは自分より上位職の行動に口を挟むということではありません。
司马牛(1)忧曰:“人皆有兄弟,我独亡。”
子夏曰:“商(2)闻之矣,死生有命,富贵在天。君子敬而无失,与人恭而有礼,四海之内,皆兄弟也。君子何患乎无兄弟也。”《论语》颜渊第十二-5
(1)司马牛:孔子の弟子。姓は司馬。名は耕または犁。字は子牛。かつて孔子を殺そうとした桓魋の弟。
(2)商:子夏の名
素読文:
司馬牛憂えて曰く:“人は皆兄弟有り、我に独り亡し。”
子夏曰く:“商之を聞く。死生命有り。富貴天に在り。君子敬して失なう無く、人と与わるに恭しくして礼有らば、四海の内、皆兄弟なり。君子何ぞ兄弟無きを患えんや。”
解釈:
司馬牛が憂えて言う「誰にも兄弟があるのに、私だけにはない」
子夏が慰めて言う「私は死生や富貴は天命だときいている。君子として、敬する気持ちを忘れず、恭しく礼を尽くせば、四海のいたるところに兄弟は見出せるではないか。君子たるもの肉親の兄弟に縁のうすいのを憂う必要があろうか」
実の兄が孔子を殺そうとしたことを負い目に思っていた司馬牛に対して、子夏は血の繋がりだけが兄弟ではない。同じ志を持つものも兄弟として接すれば良いのだと慰めたのでしょう。
司马牛问君子,
子曰:“君子不忧不惧。”
曰:“不忧不惧,斯谓之君子已乎”。
子曰:“内省不疚,夫何忧何惧。”《论语》颜渊篇第十二-4
素読文:
司馬牛君子を問う。
子曰わく:“君子は憂えず惧れず。”
曰わく:“憂えず惧れず、斯に之を君子と謂うか。”
子曰わく:“内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何をか惧れん。”
解釈:
司馬牛が孔子に君子とは何かを問う。
孔子曰く、君子はくよくよ悩まず、何事も惧れない。
司馬牛が重ねて問う、くよくよ悩まず、何事も惧れなければ、君子と言えるでしょうか。
孔子曰く、自己を省みて疚しいことがなければ、何を憂い何を惧れることがあろうか。
君子たる者心に疚しいところがないので、何事も憂えず、何事も惧れない、ということでしょう。
子曰:“论笃(1)是欤。君子者乎。色庄(2)者乎。”
《论语》先进第十一-21
(1)论笃:議論が丁寧で行き届いている。
(2)色庄:重々しく装う
素読文:
子曰わく:“論の篤きに是与せば、君子者か、色荘者か。”
解釈:
孔子曰く「議論がしっかりしているだけでは、君子であるか、見かけだけかわからない。」
君子ならば論篤である必要がありますが、論篤だから君子であるとは限りません。ホラ吹き、ペテン師は皆君子になってしまいます。
子曰:“先进(1)于礼乐,野人(2)也;后进(3)于礼乐,君 子(4)也。如用之,则吾从先进。”
《论语》先进第十一-1
(1)先进:周代初期の先輩。先に礼楽を学び後に官吏になった人という解釈もある。
(2)野人:素朴な人、地方在住の平民。
(3)后进:周代末の後輩。先に官吏となり後に礼楽を学んだ人という解釈もある。
(4)君子:統治者、教養人。
素読文:
子曰く、先進の礼楽に於けるや、野人なり。後進の礼楽に於けるや、君子なり。如し之を用うれば、則ち吾は先進に従わん。
解釈:
昔の礼楽を修めた人は素朴、今の礼楽を修めた人は教養ある上流人。自分が礼楽を学ぶならば、昔の人に従いたい。
先に礼楽を学び官吏になった者と、官吏になったのちに礼楽を学んだ者があるならば、前者に従いたい。この解釈では、後者は礼楽は為政者として箔をつけるために学んだことになります。
子欲居九夷(1),或曰:“陋(2),如之何?”子
zǐ 曰yuē :君jūn 子zǐ 居jū 之zhī ,何hé 陋lòu 之zhī 有yǒu !”《论语》子罕第九-14
(1)九夷:中国古代の東方の少数民族
(2)陋:未開のところ
素読文:
子
解釈:
孔子は九夷に居を移したいという。ある者は九夷は未開の野蛮なところですと諌める。君子が行けば未開のままではなかろうと君子は言う。
文明のひらけた都会であっても徳のある人ばかりではない。未開の地で道を説けば理想の社会ができる、孔子はそう考えたのでしょうか。
太
tài 宰zǎi (1)问wèn 于yú 子zǐ 贡gòng 曰yuē :“夫fū 子zǐ 圣shèng 者zhě 欤yú ?何hé 其qí 多duō 能néng 也yě 。”子
zǐ 贡gòng 曰yuē :“固gù (2)天tiān 纵zòng (3)之zhī 将jiāng 圣shèng ,又yòu 多duō 能néng 也yě 。 ”子
zǐ 闻wén 之zhī 曰yuē :“太tài 宰zǎi 知zhī 我wǒ 乎hū 。吾wú 少shào 也yě 贱jiàn ,故gù 多duō 能néng 鄙bǐ 事shì (4)。君jūn 子zǐ 多duō 乎hū 哉zāi ?不bù 多duō 也yě 。”牢
láo (5)曰yuē :“子zǐ 云yún ,吾wú 不bú 试shì ,故gù 艺yì 。”《论语》子罕第九-6
(1)太宰:官吏の名称
(2)固:まことに
(3)纵:ほしいままに許す
(4)鄙事:卑賤な事柄
(5)牢:孔子の弟子。司馬遷・史記の「仲尼弟子列伝」には見当たらない
素読文:
太宰
子
子
牢
解釈:
太宰が子貢に問うて言う「孔子こそ聖者と呼ぶべきでしょう。実に多能だ」
子貢が答えて言う「まさに天より許された方であり聖者と呼ぶべき方でしょう。その上多能です」
孔子はそれを聞き言う「太宰は私のことをよく理解されている。幼い頃から貧しかったので、つまらぬことに多能である。しかし君子たる者、多能であれば良いのだろうか。多能であれば君子である、とは言えないだろう」
孔子の弟子・牢はこう言っている。「孔子は世に用いられなかったので、多芸になったとおっしゃっていた。」
最後の一節は中国では《論語》子罕第九-7としています。
孔子は魯国の下級官吏に任官しますが、その後弟子とともに諸国を遊説するも、どこからも任官の要請はありませんでした。そのため一国の雑事にとらわれることなく、儒教の昇華と弟子の育成に専念できたのでしょう。
曾
zēng 子zǐ 有yǒu 疾jí ,孟mèng 敬jìng 子zǐ (1)问wèn (2)之zhī 。曾zēng 子zǐ 言yán 曰yuē :“鸟niǎo 之zhī 将jiāng 死sǐ ,其qí 鸣míng 也yě 哀āi 。人rén 之zhī 将jiāng 死sǐ ,其qí 言yán 也yě 善shàn 。君jūn 子zǐ 所suǒ 贵guì 乎hū 道dào 者zhě 三sān :动dòng 容róng 貌mào (3),斯sī 远yuǎn 暴bào 慢màn (4)矣yǐ ;正zhèng 颜yán 色sè (5),斯sī 近jìn 信xìn 矣yǐ ;出chū 辞cí 气qì (6),斯sī 远yuǎn 鄙bǐ 倍bèi (7)矣yǐ 。笾biān 豆dòu 之zhī 事shì (8),则zé 有yǒu 司sī (9)存cún 。”《论语》泰伯第八-4
(1)孟敬子:魯の国の大夫、仲孫氏で名は捷しょう、武伯の子。
(2)问:探望。見舞いに行く。
(3)动容貌:心の中の感情を容貌に表す。
(4)暴慢:粗暴、ほしいままに振る舞う。
(5)正颜色:顔つきを厳粛にする。
(6)出辞气:言葉遣い。
(7)鄙倍:粗野で理に背く。
(8)笾豆之事:笾豆は祭祀に使う道具。祭祀に関わること。
(9)有司:祭祀に関わる官吏。
素読文:
曾
解釈:
曾子が病床にあった時、孟敬子が見舞いに行った。
曾子曰わく:“鳥は死ぬ前に哀しげに鳴き、人は死ぬ前に善言を言う。君子が尊ぶべきことが三つある。心中を容貌にあらわし、粗暴にならないこと。顔つきを正して信に近づくこと。言葉遣いを正して粗野で理にかなわぬことを言わないこと。祭祀に関わることは官吏が執り行うので君子が口を出すことではない。”