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君子は上達、小人は下達

yuē:“jūnshàng(1)xiǎorénxià(2)。”

《论语》宪问第十四-23

(1)上达:深遠な問題を理解できる。
(2)下达:つまらぬこと、身近な問題に通じる。

素読文:
わく:“くんじょうたつし、しょうじんたつす。”

解釈:
子曰く:“君子は上へ上へと進み、小人は下へ下へと進む”

君子たらんと欲するものは、常に己を高めようと精進しなければならない。小人の如く下世話な世事に関わっている暇はない。

君子は泰にして驕らず

yuē:“jūntài(1)érjiāo(2)xiǎorénjiāoértài。”

《论语》子路第十三-26

(1)泰:落ち着きがある。余裕がある。
(2)骄:驕り高ぶる。威張る。

素読文:
わく:“くんたいにしてきょうならず。しょうじんきょうにしてたいならず。

解釈:
子曰く:“君子は泰然としており驕らない。小人は驕り高ぶるが、泰然としたところがない。”

日本では「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」と言います。
充実した稲穂はその重みで垂れ下がる。中身がスカスカの稲穂はまっすぐ空に向かって立っています。

君子に仕えるか、小人に仕えるか

yuē:“jūnshì(1)érnányuè(2)yuèzhīdàoyuè使shǐrénzhī(3)xiǎorénnánshìéryuèyuèzhīsuīdàoyuè使shǐrénqiúbèiyān。”

《论语》子路第十三-25

(1)易事:仕事を共にする。
(2)说:yuèと同じ意味。よろこばせる。
(3)器:才能

素読文:
子曰わく:“君子はつかやすくしてよろこばせがたきなり。これよろこばすにみちもってせざれば、よろこばざるなり。そのひと使つかうにおよびてや、これにす。しょうじんつかがたくしてよろこばせやすきなり。これよろこばすにみちもってせずといえども、よろこぶなり。ひと使つかうにおよびてや、そなわるをもとむ。”

解釈:
子曰く:“君子は仕えやすいが、機嫌はとりにくい。機嫌をとろうとしても、こちらが道にかなっていないと悦ばない。しかし人を使う時には、それぞれの器量に応じて使う。小人は、仕えにくいが機嫌はとりやすい。こちらが道にかなわなくても、機嫌をとろうと思えばわけなくできる。しかし人を使う時には、すべてに完全を求めて無理な要求をする。”

君子たるもの部下の力量を見極め、適切な者に仕事を任せなければなりません。
部下の力量を見誤り、無理な仕事を任せる。そして失敗すれば部下の責任として切り捨てる。こういう人が小人です。

士たる者は如何に振る舞うべきか

gòngwènyuēwèizhīshì(1)
yuēxíngyǒuchǐ使shǐfāngjūnmìngwèishì
yuēgǎnwèn
yuēzōngchēngxiàoyānxiāngdǎngchēngyān
yuēgǎnwèn其次qícì
yuēyánxìnxíngguǒ(2)kēngkēng(3)ránxiǎorénzāiwéi
yuējīnzhīcóngzhèngzhě
yuēdòushāozhīrén(4)suàn

《论语》子路第十三-20

(1)士:周代の身分制度では士は貴族層の最下層。
(2)果:果断,坚决。断固として
(3)硁硁:石を叩く音、ここでは頭が硬い人を指す。
(4)斗筲之人:筲は竹で作った水桶。ここでは器量の小さい人物を指す。

素読文:
こう問いて曰わく:“何如いかなればこれうべきか。”
子曰わく:“おのれおこなうにはじり。ほう使つかいして君命くんめいはずかしめざるを、士とうべし。”
曰わく:“あえの次を問う。”
曰わく:“宗族そうぞくこうしょうし、きょうとうていを称す。”
曰わく:“敢て其の次を問う。”
曰わく:“言うことかならしんおこなうこと必ず硜硜然こうこうぜんとして小人なるかな。そもそももって次とすべし。”
曰わく:“今のまつりごとしたがう者は何如いかん。”
子曰わく:“ああそうひとなんかぞうるにらんや。”

解釈:
子貢問いて曰く「士たる者どのように振る舞うべきでしょうか?」
孔子曰く「己の行動について恥を知り、外に出ては君主を辱めない。このような人物であれば士といってよかろう。」
子貢曰く「その下はいかがでしょうか?」
孔子曰く「親族から孝行者と褒められ、近隣の者から年長者を敬うと評判されるような者だろう。」
子貢曰く「さらにその下は?」
孔子曰く「口に出したことは必ず守る。行動は断固として成し遂げる。このような者は頭が固く小人と言えるが、その次くらいの価値はある。」
子貢曰く「まつりごとに携わる者はいかがでしょうか?」
孔子曰く「ああ、だめ。小さなますほどの器量しかなく、勘定に入れるほどでもない。」

いつの世も為政者の評価は低いものですね(笑)

樊遅 農を学ばんと請う

fánchí(1)qǐngxuéjià(2)
yuē:“lǎonóng
qǐngxuéwéi(3)
yuē:“lǎo。”
fánchíchū
yuē:“xiǎorénzāifánshànghàomíngǎnjìngshànghàomíngǎnshànghàoxìnmíngǎnyòngqíngshìfāngzhīmínqiǎng(4)érzhìyānyòngjià。”

《论语》子路第十三-4

(1)樊迟:孔子の弟子。姓ははん、名はしゅあざなは子遅
(2)稼:穀物を植える
(3)圃:畑
(4)襁:子供を背負うカゴ

素読文:
はんまなばんとう。
子曰わく:“われ老農ろうのうかず。
つくることをまなばんとう。
曰わく:“吾はろうに如かず。
樊遅ず。
子曰わく:“しょうじんなるかなはんしゅや。かみれいこのめば、すなわたみあえけいせざるし。かみこのめば、すなわたみあえふくせざるし。かみしんこのめば、すなわたみあえじょうもちいざるし。くのごとくならば、すなわほうたみの子を襁負きょうふしていたらん。いずくんぞもちいん。

解釈:
樊遅は穀物栽培について教えを請うた。
子曰く「私は穀物農家にはかなわない」
樊遅は野菜の栽培について教えを請うた。
子曰く「私は野菜農家にはかなわない」
樊遅は退出する。
孔子曰く「樊遅は小人だ。上に立つ者が礼を重んずれば、民は上に立つ者を敬する。上に立つ者が義を重んじれば、民は上に立つ者に服する。上に立つ者が信を重んすれば、民は情を重んずる。もしそうなれば、民は四方から子を背負って集まってくるだろう。為政者に農業の知識など必要ない。

国を治める者にとって重要なのは、殖産興業の知識や技術よりも「礼」「義」「信」だ、ということです。

君子の徳、小人の徳

kāng(1)wènzhèngkǒngyuē:“shādào(2)jiùyǒudào(3)?”

kǒngduìyuē:“wéizhèngyānyòngshāshànérmínshànjūnzhīfēngxiǎorénzhīcǎocǎoshàngzhīfēngyǎn”。

《论语》颜渊第十二-19

(1)季康子:国の三人の家老の一人。姓は季孫、名は肥、康はおくりな
(2)无道:道徳に外れた者。無法者。
(3)有道:道徳のある者。道を守る者。

素読文:
こうまつりごとこういてわく、どうころして、もっ有道ゆうどうかば、何如いかん。孔子こたえて曰わく、まつりごとすに、いずくんぞさつもちいん。ぜんほっすればたみぜんなり。君子のとくかぜなり、しょうじんとくくさなり。草これに風をくわうればかならす。

解釈:
季康子は孔子に政治について尋ねた。“無道な者を殺し、有道な者を助ける政策はいかがか”
孔子答えて曰く。“政治を行うのに人を殺す必要などない。あなたが善を望めば、民は自ずと善に向かう。君子の徳は風、小人の徳は草なり。風が吹けば草はその方向になびくものだ。”

親は子供が不道徳なことをすれば叱ります。しかし親が不道徳であれば、子供は親の行いを真似ます。最も良い躾けは、親自らが道徳を守ることでしょう。為政者(君子)と小人(民)の間でも同じことです。
君子の徳は風、小人の徳は草、言い得て妙です。人の上に立つ者は、他人に良い影響を与える風とならねばなりません。

君子は人を助け、小人は人を妬む

yuējūnchéngrénzhīměichéngrénzhīèxiǎorénfǎnshì

《论语》颜渊第十二章-16

素読文:
子曰わく:“君子は人のし、人のあくさず。小人はこれはんす。”

解釈:
君子は人の美点を賞賛し助長するが、人の欠点には触れない。小人はその逆である。

君子は自ら自己の美点を伸ばし、欠点を抑えようとしているので、他人に対しても同じ態度でいられる。
しかし小人は他人の美点を妬む心があり、他人の欠点をあげつらう傾向を持つ。
君子は基準を自己の中に持っているが、小人は自己の基準がないために他人と比較をして妬んだり優越感を持ったりするのでしょう。

坦として蕩蕩

yuējūntǎndàngdàng(1)xiǎoréncháng(2)

《论语》述而第七-36

(1)坦荡荡:心おだやかにゆったりしている。
(2)长戚戚:心に憂いがあり煩悶する。

素読文:
わく:“君子はたんとして蕩蕩とうとうたり。小人はとこしなえに戚戚せきせきたり。”

解釈:
君子は問題や悩み事に心を乱されることはない。問題や悩みは課題に過ぎない。課題は解決すれば良いだけだ。
小人は問題や悩み事に心をとらわれてしまうので、問題や悩みは解決できない。いつまでも煩悶は無くならない。

君子の儒、小人の儒

wèixià(1)yuē:“(2)wéijūn(3)wéixiǎorén。”

《论语》雍也第六-13

(1)子夏:孔門十哲の一人。姓はぼくあざなは子夏
(2)女:汝
(3)儒:学問のある者

素読文:
子夏しかいてわく:“なんじ、君子のじゅれ、小人のじゅかれ。”

解釈:
君子の儒とは、天下国家への貢献、他者への貢献を志すことであり、小人の儒とは、己の満足のためであり、他者への貢献とはならない。

君子は義に喩る

yuē:“jūn(1)(2)xiǎorén(3)。”

《论语》里仁第四-16

(1)喻:理解する。敏感である。
(2)义:正義。道理。
(3)利:利益。損得。

素読文:
子曰わく:“君子はさとり、小人はさとる。”

解釈:
子曰く:“君子は物事を道理に照らして判断する、小人は物事を損得に照らして判断する。”

稲盛和夫氏がKDDIを創業する際に「動機善なりや、私心なかりしか」と自らに問うたそうです。孔子のいう「義」「利」と稲盛氏の「善」「私心」は相通じるものがあるように感じます。