子曰:君子坦荡荡(1),小人长戚戚(2)。
《论语》述而第七-36
(2)长戚戚:心に憂いがあり煩悶する。
素読文:
子曰わく:“君子は坦として蕩蕩たり。小人は長しなえに戚戚たり。”
解釈:
君子は問題や悩み事に心を乱されることはない。問題や悩みは課題に過ぎない。課題は解決すれば良いだけだ。
小人は問題や悩み事に心をとらわれてしまうので、問題や悩みは解決できない。いつまでも煩悶は無くならない。
君子の儒、小人の儒
子谓子夏(1)曰:“女(2)为君子儒(3),无为小人儒。”
《论语》雍也第六-13
(2)女:汝
(3)儒:学問のある者
素読文:
子、子夏に謂いて曰わく:“女、君子の儒と為れ、小人の儒と為る無かれ。”
解釈:
君子の儒とは、天下国家への貢献、他者への貢献を志すことであり、小人の儒とは、己の満足のためであり、他者への貢献とはならない。
君子は義に喩る
子曰:“君子喻(1)于义(2),小人喻于利(3)。”
《论语》里仁第四-16
(2)义:正義。道理。
(3)利:利益。損得。
素読文:
子曰わく:“君子は義に喩り、小人は利に喩る。”
解釈:
子曰く:“君子は物事を道理に照らして判断する、小人は物事を損得に照らして判断する。”
稲盛和夫氏がKDDIを創業する際に「動機善なりや、私心なかりしか」と自らに問うたそうです。孔子のいう「義」「利」と稲盛氏の「善」「私心」は相通じるものがあるように感じます。
君子は徳を懐う
子曰:君子怀(1)德,小人怀土(2);君子怀刑(3),小人怀惠(4)。
《论语》里仁篇第四-11
(2)土:郷土
(3)刑:法的罰則
(4)惠:物質的利益
素読文:
子曰わく:“君子徳を懐えば、小人は土を懐い、君子、刑を懐えば、小人は恵を懐う。”
解釈:
君子は徳を磨く、小人は土地に執着する。君子は規則を重んじる、小人は恩恵に執着する。
小人は居心地の良い土地で安楽に暮らすことを願う。
君子はどんな環境にいても徳を磨く。徳を磨くために故郷を出て修行することもあるだろう。
君子は規則を重んじるが、小人は規則をすり抜けるために『関係』を重んじる。
下村湖人の解釈は少し違っています。
「上に立つ者がつねに徳に心がけると、人民は安んじて土に親しみ、耕作にいそしむ。上に立つ者がつねに刑罰を思うと、人民はただ上からの恩恵だけに焦慮する」
つまり君子が徳を磨けばその民も栄えるが、君子が刑罰で統治しようとすると民は刑罰を逃れようとする。
外発的動機付け(罰則や報奨)を使った統治では民は幸せにはならない、ということになるでしょう。
君子周して比せず
子曰:君子周(1)而不比(2),小人比而不周。
《论语》为政第二-14
(2)比:勾结。利害関係で結託する。
素読文:
子曰わく、君子は周して比せず。小人は比して周せず。
解釈:
君子は公平な気持ちで広く人々と交わる。小人は利害関係で閥を作る。
同じように人と交流していても、その動機の違いで君子と小人に分かれる。周して比せずの君子は社会に益をもたらし、比して周せずの小人は社会に害を与える。
ちなみに渋沢栄一は周を「周うして」と読んでいます。
三年の喪
宰我(1)问:三年之丧,期已久矣。君子三年不为礼,礼必坏;三年不为乐,乐必崩。旧谷既没,新谷既升。钻燧改火,期可已矣。
子曰:食夫稻,衣夫锦,于汝安乎?
曰:安。
汝安,则为之。夫君子之居丧,食旨不甘,闻乐不乐,居处不安,故不为也。今汝安则为之。
宰我出。子曰:予之不仁也。子生三年 ,然后免于父母之怀。夫三年之丧,天下之通丧也。予也,有三年之爱于其父母乎?《论语》阳货第十七-21
素読文:
宰我問う。三年の喪は期已に久し。君子三年礼を為さざれば、礼必ず壊れん。三年楽を為さざれば、楽必ず崩れん。旧穀既に没きて、新穀既に升る。燧を鑚りて火を改む。期にして已むべし。
子曰わく、夫の稲を食い、夫の錦を衣る、汝に於て安きか。
曰わく、安し。
汝安くば則ち之を為せ。夫れ君子の喪に居るや、旨きを食えども甘からず、楽を聞けども楽しからず、居処安からず。故に為さざるなり。今汝安くば則ち之を為せ。
宰我出ず。子曰わく、予の不仁なるや。子生れて三年、然る後に父母の懐より免る。夫れ三年の喪は、天下の通喪なり。予や其父母に三年の愛有らんか。
解釈:
宰我問う:“父母の喪は三年となっているが、期間が長すぎる。もし君子が三年間も礼を修めなかったら、礼はすたれてしまう。もし三年間も楽に遠ざかったら、楽がくずれてしまう。穀物は一年で食いつくされ、新しい穀物が実る。火を擦り出す木は、四季それぞれの木が一巡して、またもとにもどる。それを考えると、父母の喪も一年で十分に思える。
子曰く:“お前は、父母が亡くなり一年たてば、うまい飯をたべ、美しい着物を着ても平気なのか?”
宰我曰く:“平気です”
子曰く:“お前がなんともなければ、好きなようにするがよかろう。だが、君子ならば、喪中にはご馳走を食べてもうまくないし、音楽を聞いても楽しくないし、どんなところにいても気がおちつかないものなのだ。だからこそ、一年で喪を切りあげるようなことをしないのだ。もしお前がなんともなければ、そうすればよい”
それで宰我はひきさがった。
子曰く:“予は不仁なり。人の子は生れて三年たってやっと父母の懐をはなれる。だから、三年間父母の喪に服するのは天下の定例になっている。いったい予は三年間の父母の愛をうけなかったとでもいうのだろうか”
宰我は合理主義者のようです。孔門十哲なのに本編では孔子から見放されたような言われ方をしています。
不仁者を遠ざける
樊迟(1)问仁,子曰:爱人;问智;子曰:知人。樊迟未达(2),子曰:举直(3)错诸枉(4),能使枉者直(5)。樊迟退,见子夏(6),曰:乡(7)也,吾见于夫子而问智,子曰:举直错诸枉,能使枉者直,何谓也?
子夏曰:富哉言乎。舜(8)有天下,选于众,举皋陶(9),不仁者远矣。汤(10)有天下,选于众,举伊尹(11),不仁者远矣。《论语》颜渊第十二-22
(2)未达:まだよく理解できなかった。
(3)举直:正直な人を登用する。
(4)错诸枉:正直な人をよこしまな人(枉)の上に置く(错)
(5)使枉者直:よこしまな人を正直者に変える。
(6)子夏:子門十哲の一人。姓は卜、名は商。字は子夏
(7)乡:さきほど。
(8)舜:中国神話に登場する君主。
(9)皋陶:舜帝の臣。法を制定し司法長官となる。皐陶が法を司るようになると悪人が減ったという。
(10)汤:湯王。殷王朝初代の王。
(11)伊尹:湯王の臣。夏の桀王を打倒。殷建国の名臣と言われる。
素読文:
樊遅仁を問う。子曰わく:人を愛す。知を問う。子曰わく:人を知る。
樊遅未だ達せず。子曰わく:直きを挙げて諸を枉れるに錯き、能く枉れる者をして直からしむ。
樊遅退き、子夏を見て曰わく:郷に吾夫子に見えて知を問うに、子曰わく、直きを挙げて諸を枉れるに錯き、能く枉れる者をして直からしむ、と。何の謂いぞや。
子夏曰わく:富めるかな言や。舜天下を有ち、衆より選んで皐陶を挙ぐれば、不仁者遠ざかる。湯天下を有ち、衆より選んで伊尹を挙ぐれば、不仁者遠ざかれり。
解釈:
樊遅が仁の意義をたずねた。子曰く:“人を愛することだ”
樊遅がさらに知の意義をたずねた。子曰く:“人を知ることだ”
樊遅はまだよく理解できなかった。子曰く:“正直な人を挙用して、よこしまな人の上におくと、よこしまな人も自然に正直になるものだ。”
樊遅は室を出て、子夏を見るとすぐ尋ねた。“さきほど、夫子に、知について尋ねました。夫子は、まっすぐな人を挙用して、まがった人の上におくと、まがった者も自然に正しくなる、といわれましたが、これはどういう意味でしょうか。”
子夏曰く;“含蓄の深いお言葉だ。昔、舜帝が天下を治めた時、衆人の中から賢人皐陶を登用し宰相に任じたら、不仁者がすがたをひそめたのだ。また殷の湯王が天下を治めた時、衆人の中から賢人伊尹を登用して宰相に任じたら、不仁者がすがたをひそめたのだ。”
国を治めるためには主君が仁,直でなければならないが、それに使える家臣も仁、直でなければ民衆を治めることはできない。国でなくても組織でも同様でしょう。
仁に生きれば餓死するも怨みなし
冉有(1)曰:夫子(2)为卫君(3)乎?子贡曰:诺,吾将问之。入,曰:伯夷(4)、叔齐(5)何人也?曰:古之贤人也。曰:怨乎?曰:求仁而得仁,又何怨。出,曰:夫子不为也。
《论语》述而第七-15
(2)夫子:孔子の尊称。
(3)卫君:衛の君主、出公
(4)伯夷:殷代末期の孤竹国の王・亜微の長男
(5)叔齐:殷代末期の孤竹国の王・亜微の三男
素読文:
冉有曰わく、夫子は衛の君を為けんか。子貢曰わく、諾。吾将に之を問わんとす、と。入りて曰わく、伯夷、叔斉は何人ぞや。曰わく、古の賢人なり。曰わく、怨みたるか。曰わく、仁を求めて仁を得たり。又何をか怨みん。出でて曰わく、夫子は為けざるなり。
解釈:
冉有が問う:“夫子は衛の君を援けられるだろうか”
子貢曰く:“よろしい。私がおたずねしてみよう”
子貢は孔子の室に入ってたずねる:“伯夷・叔斉はどういう人でしょう”
孔子曰く:“古代の賢人だ”
子貢曰く:“二人は自分たちのやったことを、あとでくやんだのでしょうか”
孔子曰く:“仁を求めて仁を行なうことができたのだから、なんのくやむところがあろう”
子貢は孔子の部屋を出て冉有に曰く:“夫子は衛の君をお援けにはならない”
この項は、長らく意味がわかりませんでした。渋沢栄一の「論語の読み方」を読んで理解できました。
冉有は当時衛に仕官していた。英霊公の後目を巡って蒯聵とその息子・輒(出公)の親子間で紛争が起きていた。冉有はこの紛争を収めることはできないかと孔子に相談したいが、直接相談せずに子貢に孔子は衛を助けてくれるだろうかと聞いた。子貢は孔子に直接衛のことを聞かず、昔王位継承争いを嫌って国を離れた伯夷・叔斉兄弟のことを訪ねている。伯夷・叔斉兄弟は人里離れたところに隠棲するが餓死してしまう。孔子はこの二人は仁者として生きることができたのだから、何も後悔はしていないだろうと答えている。それを聞いた子路は冉有に「孔子は衛の争いに口出ししないだろう」と言っている。
子路は直接問題を聞くのではなく、今起きている問題を過去の問題になぞらえて孔子に質問し、答えを得ています。さすが子門十哲の一人です。
しかし子路はこの衛の紛争に巻き込まれ殺されてしまうのです。
聞は達に如かず
子张问:士,何如斯可谓之达(1)矣?
子曰:何哉,尔所谓达者?
子张对曰:在邦必闻,在家必闻。
子曰:是闻(2)也,非达也。夫达也者,质直而好义,察言而观色,虑以下人(3),在邦必达,在家必达。夫闻也者,色取仁而行违,居之不疑,在邦必闻,在家必闻。《论语》颜渊第十二-20
(2)闻:有名望、名声が広まる。
(3)下人:对人谦恭有礼、礼儀正しく謙虚である。
素読文:
子張問う。士は何如なるを斯に之を達と謂うべきか。
子曰わく、何ぞや。爾の所謂達とは。
子張対えて曰わく、邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必らず聞こゆ。
子曰わく、是れ聞なり。達に非ざるなり。夫れ達なる者は、質直にして義を好み、言を察して色を観、慮りて以て人に下る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。夫れ聞なる者は、色仁を取りて、行いは違い、之に居りて疑わず。邦に在りても必ず聞こえ、家に在りても必ず聞こゆ。
解釈:
子張が孔子に問う“士として「達」の境地とはどういうことでしょう。”
孔子が問う“「達」とはどういうものだと思う?”
子張答えて曰く“公的にも、私的にも名声を得ることだと思います”
孔子曰く“それは「名聞」であって「達」ではない。「達」なる者は実直にして正義を愛し、人言に惑わず、顔色に騙されず、人に対して礼をわきまえ謙虚である。公的にも、私的にも熟達しているということだ。「名聞」だけの者は、表面上仁を装っておれば公私とも取り繕うことができようが、それは断じて「達」ではない”
「士」を学者、読書人、知識分子、立志の人と解釈している例がありました。本稿では、志の高い人という意味で「士」と表記しました。
陽貨と孔子
阳货(1)欲见孔子,孔子不见,馈(2)孔子豚。孔子伺其亡(3)也,而往拜之,遇诸途(4)。谓孔子曰:来,予与尔言。曰:怀其宝而迷其邦,可谓仁乎?曰:不可。好
hào 从cóng 事shì 而ér 亟qì (5)失shī 时shí ,可kě 谓wèi 智zhì 乎hū ?曰yuē :不bù 可kě 。日rì 月yuè 逝shì 矣yǐ ,岁suì 不bù 我wǒ 欤yú 。孔kǒng 子zǐ 曰yuē :诺nuò ,吾wú 将jiāng 仕shì 矣yǐ 。《论语》阳货第十七-1
(2)馈:贈る
(3)亡:不在。『伺其亡』で不在を見計らって
(4)途:途中
(5)亟:しばしば
素読文:
陽
解釈:
魯の大夫・陽貨が孔子に会おうとしたが、孔子は応じなかった。陽貨は孔子に豚肉を贈った。孔子は陽貨の留守を狙ってお礼に出かけた。折悪く帰りの途上で陽貨と出会ってしまう。
陽貨曰く:“あなたに話があるから家に来なさい”
陽貨は尋ねる:“胸中に宝を抱き、国家の混迷を傍観している者を仁者と言えるか?”
孔子:“言えません”
陽貨:“国政に従事したいと願いながら、しばしば機会を失う者を知者と言えるか?”
孔子:“言えません”
陽貨:“月日は流れ、歳は人を待ってはくれぬ”
孔子:“わかりました。いずれ仕官いたします”
孔子はいずれ仕官すると陽貨に言っていますが、陽貨に仕官しなかった。その理由は論語には出てきません。
陽貨が孔子を招聘したいと思っていた頃、陽貨は主に反旗を翻し魯の実権を握っています。孔子はこの件が気に入らなく陽貨に会おうとしなかったのではないでしょうか?