中国文化・中国語」カテゴリーアーカイブ

顔淵死す(孔子の思い)

yányuānyuē:“tiānsàngtiānsàng。”

《论语》先进第十一-9

素読文:
顔淵がんえんす。いわく:“ああてんわれほろぼせり。てんわれほろぼせり。”

解釈:
顔淵が死に孔子は嘆き悲しんだ。「ああ、天は我を滅ぼせり。天は我を滅ぼせり」
孔子は顔淵の知性を高く評価し、弟子の中で最も愛していました。30歳年下の顔淵に先立たれた孔子の悲しみは深いものだったでしょう。

三年学びて谷に至らず

yuē:“sānniánxuézhì(1)。”

《论语》泰伯第八-12

(1)谷:俸禄

素読文:

いわく、三年さんねんまなびてこくいたらざるは、やすからざるなり。

解釈:

三年学問をしても、俸禄を得ようとしない者は得難い人物だ。

漆彫開は仕官を勧められて断ったことを、孔子は評価している。《論語》公冶长第五-6
孔子自身が長い間どこの諸侯にも仕えず、弟子の指導をしている。これらの章ではそうした孔子の姿勢が表れているのだろうか。

漆雕开

使shǐdiāokāi(1)shìduìyuēzhīwèinéngxìnyuè

《论语》公冶长第五-6

(1)漆雕开:孔子の弟子。姓は漆雕、名は开。あざなは子開。

素読文:
漆彫開しつちょうかいをしてつかえしむ。こたえていわく、われこれいましんずることあたわず、よろこぶ。

解釈:
孔子が漆彫開に仕官を勧めた。漆彫開答えて曰く「私はまだ任を全うする自信がありません」
孔子はそれを聞いて喜んだ。

早く仕官して禄を得たい、と考えるのは人情でしょう。しかし漆彫開は禄を得ることより、職責を果たすことを重視した。その姿勢を孔子は喜んだのでしょう。

論語で漆彫開が出てくるのはこの章だけです。
孔子を喜ばせる答えをしていますが、顔淵、子路、子貢などの常連組と比べる
と影が薄いようです。

夫何远之有

tángzhīhuāpiānfǎnérěrshìshìyuǎnér
yuē:“wèizhīyuǎnzhīyǒu。”

《论语》子罕篇第九-31

素読文:

唐棣とうていはなへんとしてはんせり。なんじおもわざらんや。しつとおければなり。
いわく:“いまれをおもわざるかな。なんとおきことからん。”

解釈:

前半は、昔の流行はやりうたか何かでしょう。
下村湖人はこれを
「ゆすらうめの木花咲きゃ招く、ひらりひらりと色よくまねく。
招きゃこの胸こがれるばかり、道が遠くて行かりゃせぬ。」
と訳しています。(「論語物語」)

孔子は、行き詰まって悩んでいる冉求をこう言って慰めたそうです。
歌は恋しくても遠くて会いにゆけないと言っているが、本当に恋しければ道が遠いのも障害にはならない。
倒れる前に自分の力が足りないのを嘆くものではない。

もっと求道心を持てと言いたかったのでしょう。

鬼神に仕うるを問う

wènshì(1)guǐshén
yuē:“wèinéngshìrényānnéngshìguǐ。”
yuē:“gǎnwèn。”
yuē:“wèizhīshēngyānzhī。”

《论语》先进篇第十一-12

(1)事:仕える。奉仕する。

素読文:

季路きろしんつかうることをう。
いわく、いまひとつかうることあたわず、いずくんぞつかえん。
いわく、えてう。
いわく、いませいらず、いずくんぞらん。

解釈:

季路(子路)は、鬼神に仕えることを尋ねた。
孔子曰く:人に仕えることも分からないのに、鬼神に使えることが理解できようか?
季路重ねて問う:では死とは何でしょうか?
孔子曰く:生が分からないのに死が分かる道理がない。

難しいことを考える前に、目の前のことを理解せよ。
という教えでしょうか。

佞者を憎む

使shǐgāo(1)wéi(2)zǎiyuē:“zéi(3)rénzhī。”
yuē:“yǒumínrényānyǒushè(4)yānshūránhòuwéixué。”
yuē:“shìènìngzhě(5)。”

《论语》先进第十一-25

(1)子羔:孔子の門人。姓はこう、名はさい。子羔はあざな
(2)费:李氏の領地。
(3)贼:損なう、ダメにする。
(4)社稷:土地の神(社)と五穀の神(稷)を祀る場所。国家の意味。
(5)佞者:口達者な者

素読文:

子路しろこうをしてさいらしむ。いわく:“ひとそこなわん。”
子路しろいわく:“民人みんじんり、しゃしょくり。なんかならずしもしょみて、しかのちがくさん。”
いわく:“ゆえ佞者ねいしゃにくむ。”

解釈:

子路は子羔を費国の役人に推挙した。孔子曰く「子羔にとって重すぎ、彼を損なうのではないか?」
子路曰く「費には人民があり、祀るべき土地の神と五穀の神があります。書物から学ぶだけではなく、子羔は実践の中で学ぶことができるはずです」
子曰く「だから口だけ達者な者を憎むのだ」

孔子はまだ経験の少ない子羔にとって費国の役人は荷が重いと思っているのでしょう。
子羔を心配する孔子に、子貢は書物から学ぶだけが学問ではない、実践から学ぶことができるはずだと言って、孔子にピシャリと佞者と言われてしまいます。

老者を安んじ、朋友を信じ、若者を懐けん

yányuānshì(1)yuē:“yáněrzhì。”
yuē:“yuànchēqīngqiú(2)péngyǒugòngzhīérhàn。”
yányuānyuē:“yuànshànshīláo。”
yuē:“yuànwénzhīzhì。”
yuē:“lǎozhěānzhīpéngyǒuxìnzhīshàozhě怀huáizhī。”

《论语》公冶长第五-26

(1)侍:傍に立ってかしずく
(2)衣轻裘:上着や軽い毛皮の衣服

素読文:

顔淵がんえん季路きろす。いわく:“なんおのおのなんじこころざしわざる。”
子路しろいわく:“ねがわくはしゃ軽裘けいきゅうを、朋友ほうゆうともにし、これやぶりてうらからん。”
顔淵がんえんいわく:“ねがわくはぜんほこることく、ろうほどこすことからん。”
子路しろいわく:“ねがわくはこころざしかん。”
いわく:“老者ろうしゃこれやすんじ、朋友ほうゆうこれしんじ、少者しょうしゃこれなつけん。”

解釈:

孔子が季路(子路)と顔淵に向かって志を問うた。
季路は仲間と物を分け合い、それを破損しても怒らない様にしたい、と答える。
顔淵は良い点を誇ることなく、労を衒うことなく自分がなすべきことをやりたい、と答える。
季路に問われた孔子は、老人の心を安らかにし、朋友とは信を持って交わり、年少者には親しまれたい、とだけ答えた。

下村湖人は「論語物語」の中で次の様に解説しています。
孔子の言葉は季路にはあまり響かなかった様だが、顔淵は自分の考えに自己中心的な面が残っているのに対し、孔子の考えが他者中心であることを知り、自分の足りなさを恥じた。

英霊公孔子に陣を問う

wèilínggōngwènzhèn(1)kǒngkǒngduìyuē:“dòuzhīshì(2)chángwénzhījūnzhīshìwèizhīxuémíngsuìxíng。”

《论语》卫灵公第十五-1

(1)阵:戦闘時の軍陣
(2)俎豆之事:祭事における祭具の並べ方などの決まり

素読文:

えい霊公れいこうじんこうう。
こうこたえて曰いわく、とうことは、すなわかつこれけり。軍旅ぐんりょことは、いまこれまなばざるなりと。
明日めいじつついる。
解釈:

衛の霊公は孔子に戦陣について問う。
孔子答えて曰く:“祭事のことならば精通しておりますが、軍旅のことは学んだことがありません”
翌日には衛の国から逃れた。

孔子は霊公とその息子との争いに関わるのを避けて衛の国をさります。
その後孔子と弟子たちは諸国を彷徨い、食糧にすら困窮する。この時の孔子と弟子たちのやりとりが「窮して濫れず」です。

瑚琏

gòngwènyuē:“?”
yuē:“。”
yuē:“?”
yuē:“liǎn(1)。”

《论语》公冶长第五-4

(1)瑚琏:宗廟の祭壇に供える供物を盛る器。豪華な装飾がしてあり、器の中では貴重なものとされている。

素読文:
こういていわく:“何如いかん。”
いわく:“なんじなり。
いわく:“なんぞや。”
いわく:“れんなり。”

解釈:
孔子は君子は器であってはならないと言っています。「君子は器にあらず」一応器の中でも格調の高い瑚琏だと言ってくれたのは良いかもしれませんが、お前は器だと言われた子貢は落ち込んだでしょう。下村湖人の「論語物語」では落胆する子貢と、目に涙を浮かべる孔子が描かれています。
孔子も弟子に「お前は器だ」というのが辛かったと下村湖人は描いています。

往を告げて来を知る

gòngyuē:“pínérchǎn(1)érjiāo?”
yuē:“wèiruòpínérérhàozhě。”
gòngyuē:“shīyúnqiēcuōzhuó(2)zhīwèi?”
yuē:“shǐyánshīgàozhūwǎng(3)érzhīlái(4)zhě。”

《论语》学而第一–15

(1)谄:媚び諂うこと
(2)如切如磋,如琢如磨:詩経の一説。切る、磨く、削る、彫る、それぞれにそれぞれの方法がある。
(3)往:過去
(4)来:未来

素読文:
こういわく、まずしくしてへつらうことく、みておごることきは、何如いかん
いわく、なり。いままずしくしてたのしみ、とみれいこのものかざるなり。
こういわく、う、「せっするがごとく、するがごとく、たくするがごとく、するがごとし」と。これうか。
いわく、や、はじめてともうべきのみ。これおうげて、らいものなり。

解釈:
子貢が孔子に尋ねる「貧しくても人に諂わない、富んでも驕らない、こういう人物はいかがでしょう。」
孔子曰く「良い心がけだ。しかし貧しくとも楽しみ、富んでも礼節を知る者には及ばない。」
子貢曰く「詩経にある『せっするがごとく、するがごとく、たくするがごとく、するがごとし』とはこのことですね。」
孔子曰く「賜(子貢)よ、お前は共に詩を読むに値する者だ。一つを知れば、次を理解する力がある。

孔子は子貢をべた褒めですが、下村湖人は「論語物語」で子貢を名誉欲の強い人物として描いています。