子曰:“由(1)也,汝闻六言(2)六蔽(3)矣乎?”
对曰:“未也。”
“居,吾语汝。好(4)仁不好学,其蔽也愚;好智不好学,其蔽也荡;好信不好学,其蔽也贼;好直不好学,其蔽也绞;好勇不好学,其蔽也乱;好刚不好学,其蔽也狂。”《论语》阳货篇第十七-8
(2)六言:六つの美徳。仁・知・信・直・勇・剛。
(3)六蔽:六つの弊害。
(4)好:好ではなく好(好む)。
素読文:
子曰わく:“由や、汝六言六蔽を聞けるか。”
対えて曰わく:“未だし。”
”居れ、吾汝に語らん。仁を好みて学を好まざれば、其蔽や愚。知を好みて学を好まざれば、其蔽や蕩。信を好みて学を好まざれば、其蔽や賊。直を好みて学を好まざれば、其蔽や絞。勇を好みて学を好まざれば、其蔽や乱。剛を好みて学を好まざれば、其蔽や狂なり。”
解釈:
子曰く:“由よ、お前は六つの善言に六つの弊害があるということを聞いたことがあるか”
子路がこたえた。“まだ聞いたことがございません”
子曰く:“では、かけなさい。話して聞かそう。仁を好んで学問を好まないと、愚かな博愛主義に陥りがちとなる。知を好んで学問を好まないと、野放図な妄想に陥りがちなものだ。信を好んで学問を好まないと、周りに害をなしがちとなる。直を好んで学問を好まないと、杓子定規となりがちとなる。勇を好んで学問を好まないと、血気にはやって秩序をみだしがちとなる。剛を好んで学問を好まないと、理非をわきまえない狂気じみた振る舞いをしがちとなる。”
人にとって六言「仁・知・信・直・勇・剛」は美徳だが、それを裏付ける「学」がなければ、却って害となる。ここで言う「学」とは学歴とか知識のことではなく「物事を深く考える」ということだろうと思います。
恭寛信敏惠ならば仁
子张问仁于孔子,孔子曰:“能行五者于天下,为仁矣。”
“请问之。”曰:“恭、宽、信、敏、惠。恭则不侮,宽则得众,信则人任焉,敏则有功,惠则足以使人。”《论语》阳货第十七-6
素読文:
子張仁を孔子に問う。孔子曰わく;“能く五者を天下に行なうを仁と為す。之を請問う。曰わく:“恭・寛・信・敏・恵なり。恭なれば則ち侮られず、寛なれば則ち衆を得う、信なれば則ち人任じ、敏なれば則ち功有り、恵なれば則ち以て人を使うに足る。”
解釈:
子張仁を孔子に問う。孔子曰く:“五つの徳で天下を治めることができたら、仁といえるだろう”
子張はその五つの徳についての説明を求めた。孔子曰く:“恭・寛・信・敏・恵の五つがそれだ。他に恭しく接すれば人に侮られない。他に対して寛大であれば衆望があつまる。信をもって人と交われば人が信頼する。仕事に敏活であれば功績があがる。恵み深ければ人を働かせることができる”
以前『剛毅木訥は仁に近し』とご紹介しました。
子張には『恭寛信敏惠』の五つが揃えば仁と言える、と孔子は言っています。
『剛毅木訥』は人の性格や振る舞いの性質、『恭寛信敏惠』は人の行動の指針、と解釈すればよいでしょうか。
ともに仁を為す
曾子(1)曰:堂堂乎张也,难与并为仁矣。
《论语》子张第十九-16
素読文:
曾子曰わく、堂堂たるかな張や。与に並びて仁を為し難し。
解釈:
曾子曰く:“子張は堂々たる態度だが、ともに仁の道を歩める人物ではない”
子游は、子張はまだ仁者には至っていないと評しています。
「難きを為す」
曾子の子張に対する評価も高くはないようです。
難きを為す
子游(1)曰:“吾友张(2)也,为难能也,然而未仁。”
《论语》子张第十九-15
(2)张:孔子の弟子、子張のこと。姓は顓孫、名は師。孔門十哲には入っていないが論語にはしばしば登場する。
素読文:
子游曰わく:“吾が友張や、能くし難きを為す。然れども未だ仁ならず。”
解釈:
子游曰く:“我が友子張は、困難な事をやり遂げることができるが、まだ仁者とは言えない。”
議論のありそうな言葉です。
人に出来ない能力(例えば金儲けの商才)があるからといっても仁者であるとは言えません。
でも、朝エレベータで一緒になった名前も知らぬ隣人に「おはようございます」と声をかけることは「難きこと」であり仁の第一歩と言えるかもしれません。
殷の三仁
微子(1)去之,箕子(2)为之奴,比干(3)谏而死。孔子曰:“殷有三仁焉。”
《论语》微子第十八-1
(2)箕子:紂王の叔父。紂王の暴政を諫言するも、捕らえられ奴隷となる。
(3)比干:紂王の叔父。紂王の暴政を諫言するも、紂王の怒りを買い殺される。
素読文:
微子は之を去り、箕子は之が奴と為り、比干は諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁有り。
解釈:
微子、箕子、比干は殷王・紂王の暴政を諌めたが、紂王は暴政を改めることはなかった。微子は国を去り隠棲した。箕子は捕らえられ奴隷となった。比干は処刑された。孔子はこれら三人を「殷の三仁」と讃えた。
『仁』という言葉を「思いやり」と解釈することがままあります。『殷の三仁』を説明するときに「思いやり」という言葉では足りないように思います。
続・管仲仁者なりしか
子贡曰:“管仲非仁者与。桓公杀公子纠,不能死,又相之。”
子曰:“管仲相桓公,霸诸侯,一匡天下,民到于今受其赐。微(1)管仲,吾其被发左衽(2)矣。岂若匹夫匹妇之为谅(3)也。自经(4)于沟渎,而莫之知也(5)。”《论语》宪问第十四-17
(2)被发左衽:髪を振り乱し、左前に着物を着る。夷狄の風習に染まること。
(3)谅:つまらぬことを守って取るに足らない信頼を得ること。
(4)自经:首を吊って自殺すること。
(5)渎:溝渠。排水路。
素読文:
子貢曰わく:“管仲は仁者に非ざるか。桓公、公子糾を殺すに、死する能わず。又之を相く。”
子曰わく:“管仲桓公を相けて、諸侯に覇たらしめ、天下を一匡す。民今に到るまで其賜を受く。管仲微りせば、吾其髪を被り、衽を左にせん。豈に匹夫匹婦の諒を為すや、自ら溝瀆に経れて之を知るもの莫きがごとくならんや。”
解釈:
子貢曰く:“管仲は仁者とは言えないでしょう。桓公が公子糾を殺した時に公子糾に殉じて死ぬこともせず、主殺しの桓公に仕えてその政を補佐したではないですか。”
孔子曰く:“管仲が桓公を補佐し諸侯の覇者たらしめ天下を統一安定したからこそ、今日まで民はその恩恵を受けているのだ。もし管仲がいなければ夷狄の侵略を受け、我々は夷狄の風俗に染まり髪を振り乱し、着物を左前に着ていただろう。匹夫匹婦がつまらぬ義理人情にこだわり首をくくってドブの中で死んでいくのとは違うのだ。”
《宪问第十四-16》の続きです。
子貢も子路と同様に、公子糾に仕えていた管仲が、公子糾を殺した桓公に仕えたことを非難しています。
しかし孔子は、管仲が誰に仕えていようが天下統一安定の実績を評価しています。そのため外敵である夷狄から中華を守ることができた。主と共に殉死する、主殺しに対して離反する、このような行為は巷の凡人達がつまらな義理人情にこだわり心中するようなものだと一刀両断しています。それより天下国家を考えて行動せよ、ということでしょう。
管仲仁者なりしか
子路曰:“桓公(1)杀公子纠(2),召忽(3)死之,管仲(4)不死”。 曰:“未仁乎?”
子曰:“桓公九合(5)诸侯,不以兵车,管仲之力也。如其仁,如其仁”。《论语》宪问篇第十四-16
(2)公子纠:桓公の庶兄(妾の子で兄)。
(3)召忽:公子糾の臣下。公子纠が殺されたため殉死した。
(4)管仲:桓公の臣下。
(5)九合:多くの人を寄せ集めること。
素読文:
子路曰わく:“桓公、公子糾を殺す。召忽は之に死し、管仲は死せず。” 曰わく:“未だ仁ならざるかと。”
子曰わく、“桓公、諸侯を九合し、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。其の仁に如かんや、其仁に如かんや。”
解釈:
子路曰く:“桓公が公子糾を殺した時、召忽は公子糾に殉じて自害したのに、管仲は生きながらえている。こういう者は仁者とは言えないのではないでしょうか。”
孔子曰く:“桓公が武力を用いず諸侯を糾合したのは管仲の力である。管仲ほどの仁者は滅多にない。
桓公が腹違いの兄・公子糾を殺した時に公子糾の臣下・召忽は自害しています。同じく公子糾の臣下であった管仲は殉死しないばかりか、主殺しの桓公に使えた。子路はこれを「仁」の心から外れる、と言っています。
しかし孔子は桓公が武力によらず諸侯連合を築き上げ夷狄から中国を守ったのは管仲の力があったからだと言っています。
「仁」とは主従の間だけではなく、もっと広く国民のためにあるものだという教えでしょう。
人にとって仁とは
子曰:民之于仁也,甚于水火。水火 ,吾见蹈(1)而死者矣,未见蹈仁而死者也。
《论语》卫灵公第十五-35
素読文:
子曰わく:“民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。水火は吾蹈みて死する者を見る。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり。
解釈:
子曰く:“人民にとって、仁は水や火よりも大切なものである。私は水や火に飛び込んで死んだものを見たことがあるが、まだ仁に飛び込んで死んだものを見たことがない”
水や火に飛び込めば、溺れ死ぬか焼け死にます。しかし仁に飛び込めば、死ぬどころかより豊かに生きる事ができるはずです。
憲恥を問う
宪(1)问耻,子曰:“邦有道,谷(2)。邦无道,谷,耻也。”
“克、伐、怨、欲(3)不行焉,可以为仁矣?”子曰:“可以为难矣,仁则吾不知也。《论语》宪问第十四-1
(2)谷:穀。俸禄。
(3)克:人に勝ちたがること。伐:自慢したがること。怨:恨むこと。欲:貪欲。
素読文:
憲、恥を問う。子曰わく:“邦、道有れば穀す。邦、道無くして穀するは、恥なり。”
克・伐・怨・欲行われざる、以て仁と為べきか。子曰わく:“以て難しと為すべし。仁は則ち吾知らざるなり。”
解釈:
憲が恥についてたずねた。子曰く:“国に道が行なわれている時、仕えて禄を食むのは恥ずべきことではない。しかし、国に道が行なわれていないのに、その禄を食むのは恥ずべきである。”
憲は重ねてたずねる。“優越心、自慢、怨恨、貪欲、こうしたものを抑制することができたら、仁といえますか?”
孔子曰く:“それができたら大したものだが、それだけで仁といえるかどうかは私にはわからない。”
下級の役人や官吏は労働に対する対価として俸禄を受け取ってもいいでしょう。
しかし、孔子は国のトップ層の職にある者(政治家、官僚として国の治世に関わる者)ならば、国に「道」なくして俸禄を受け取るのは恥である、と言い切っています。
企業経営も同じでしょう。組織内に「克伐怨欲」が蔓延っていれば「仁」より「我欲」が優勢となります。
親に篤く、故旧を忘れず
子曰:“恭而无礼则劳,慎而无礼则葸(1),勇而无礼则乱,直(2)而无礼则绞(3)。君子笃(4)于亲,则民兴于仁。故旧(5)不遗,则民不偷(6)。”
《论语》泰伯篇第八-2
(2)直:正直、率直。
(3)绞:他人に対して厳しい。
(4)笃:人情が厚い。
(5)故旧:古くからの友人。
(6)偷:人情が薄い。
素読文:
子曰わく:“恭にして礼無ければ則ち労す。慎にして礼なければ則ち葸る。勇にして礼なければ則ち乱る。直にして礼なければ則ち絞し。君子親に篤ければ、則ち民仁に興る。故旧遺れざれば、則ち民偸からず。”
解釈:
子曰く:“丁寧であっても礼にかなっていなければ気苦労になる。慎重であっても礼にかなっていなければ臆病になる。勇敢であっても礼にかなっていなければ乱となる。正直であっても礼にかなっていなければ苛酷となる。
君子が親族への情が篤ければ、民に仁の心が興る。古き者を忘れなければ、民の人情は薄くはならない。