孟武伯(1)问:“ 子路仁乎?” 子曰:“不知也”。又问。 子曰:“由(2)也,千乘之国(3),可使治其赋(4)也,不知其仁也”。
“求(5)也何如?” 子曰:“求也,千室之邑(6),百乘之家(7),可使为之宰(8)也,不知其仁也。”
“赤(9)也何如?” 子曰:“赤也,束带(10)立于朝(11),可使与宾客(12)言也,不知其仁也” 。
《论语》公冶长第五-8
(1)孟武伯:魯の大夫、孟懿子の子。
(2)由:孔子の弟子。姓は仲、名は由。字は子路。
(3)千乘之国:兵車を千台持っている規模の諸侯の国。
(4)赋:兵
(5)求:孔子の弟子。冉有、名は求。字は子有。
(6)千室之邑:数千戸程度の町
(7)百乘之家:兵車を100台くらい持っている卿大夫の家
(8)宰:卿大夫の家の長官
(9)赤:孔子の弟子。姓は公西、名は赤、字は子華。
(10)束带:礼服に締める帯。朝廷で礼服を着用すること。
(11)朝:朝廷
(12)宾客:外国の賓客
素読文:
孟武伯問う:「子路は仁なるか。」子曰わく:「知らざるなり。」又問う。子曰わく:「由や、千乗の国、其賦を治めしむべきなり。其仁を知らざるなり。」
「求や何如。」子曰わく:「求や、千室の邑、百乗の家、之が宰たらしむべきなり。其仁を知らざるなり。」
「赤や何如。」子曰わく:「赤や、束帯して朝に立ち、賓客と言わしむべきなり。其仁を知らざるなり。」
解釈:
孟武伯が問う「子路は仁者でしょうか?」孔子曰く「子路が仁者かどうかはわからない」再び問う。孔子曰く「子路は、千乗の国の軍を治めることはできよう。しかし仁者かどうかはわからない。」
「では子有は仁者でしょうか?」「子有は千戸の邑(町)の代官や百乗の家の宰相を務めることができよう。しかし仁者かどうかはわからない。」
「では子華は仁者でしょうか?」「子華は式服を着け、宮廷で外国の賓客と話し合うことはできよう。しかし仁者かどうかはわからない。」
論語の中で孔子はしばしば人物評を口にしています。この節では子路、子有、子華の3人の弟子が仁者であるかどうかを問われ、答えています。3人の弟子の順位をつけるとすれば、子路:千乗の国の総裁。子有:百乗の町の総裁。子華:朝廷の官吏。ということでしょうか?しかし3人とも仁者であるかどうかはわからない、と答えています。当然3人とも孔子の高弟なので仁者であると考えても良いでしょう。
人には仕事の向き不向きがありそれぞれに能力を発揮する職位がある。しかし仁者かどうかを決定するのはその人の職位によるものではない。孔子はこういうことを孟武伯に伝えたかったのではないでしょうか?