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小人にして仁なる者あらざる

yuē:“jūnérrénzhěyǒuwèiyǒuxiǎorénérrénzhě。”

《论语》宪问第十四-6

素読文:
子曰わく:“君子にして不仁なる者有らんか。いまだ小人にして仁なる者有らざるなり。”

解釈:
子曰く:“君子であるが仁者でない者はいるかもしれない。しかし小人は皆仁者ではない。”

仁の心があってもその行動に仁を発揮できない者はいるかもしれない。しかし仁の心がない者が仁者であることはない。という意味と理解しました。

優先席に座ってスマホに熱中して目の前の老人、妊婦に席を譲らない者は「小人」と言わざるを得ません。
目の前に老人、妊婦に「席を譲らなければ」と思いつつ行動が起こせない人も大勢いると思います。仁者であろうと思うならば行動を起こさねばなりません。

勇を好みて貧を疾む

yuē:“hàoyǒngpínluànrénérrénzhīshènluàn。”

《论语》泰伯第八-10

素読文:
わく、ゆうこのみてひんにくむはらんす。ひとにしてじんなる、これにくむこと已甚はなはだしきはらんす。

解釈:
勇を好んで貧を憎む者は世の秩序を乱す。不仁を甚だしく憎む者も世の秩序を乱すことがある。

孔子は『勇而无礼则乱』《论语 泰伯第八-2》とも言っています。『勇』は使い方を間違うと世の秩序を乱す。仁なき者を極端に糾弾する風潮も世の秩序を乱す。ということでしょうか。

『貧』をなくそうと勇を持って世の中を変えた。しかし貧富の差はむしろ拡大してしまった。
孔子は2500年後が見えていたのでしょうか。

我、力の足らざる者を見ず

yuē:“wèijiànhào(1)rénzhěrénzhěhàorénzhěshàngzhīrénzhěwéirén使shǐrénzhějiāshēnyǒunéngyòngrénwèijiànzhěgài(2)yǒuzhīwèizhījiàn。”

《论语》里仁第四-6

(1)hào:四声の「好」好む
(2)盖:あるいは

素読文:
わく:“われいまじんこのむ者、じんにくむ者を見ず。仁を好む者は、もっこれくわうるし。不仁をにくむ者は、それ仁をさん。不仁者をしてそのくわえしめず。よく一日いちじつも其ちからを仁にもちうることらんか。我未だちかららざる者を見ず。けだし之有らん。我未だ之を見ざるなり。”

解釈:
子曰く「私はこれまで、まことに仁を好む者、真に不仁を憎む者を見たことがない。真に仁を好む者は自然に仁を行なう者で、まったく申し分がない。不仁を憎む者も、つとめて仁を行なうし、また決して不仁者の悪影響をうけることがない。その日その日を仁にはげめばいいのだ。たった一日の辛抱さえできない者はいだろう。私はまだ、それさえもできないような者を見たことがない。」

仁者になるためには、小さな徳を毎日、毎日積み重ねれば良い、ということですね。

孟武伯問う

mèng(1)wèn:“ rén?” yuē:“zhī”。yòuwèn。 yuē:“yóu(2)qiānshèngzhīguó(3)使shǐzhì(4)zhīrén”。
qiú(5)?” yuē:“qiúqiānshìzhī(6)bǎishèngzhījiā(7)使shǐwéizhīzǎi(8)zhīrén。”
chì(9)?” yuē:“chìshùdài(10)cháo(11)使shǐbīn(12)yánzhīrén” 。

《论语》公冶长第五-8

(1)孟武伯:魯の大夫、もう懿子いしの子。
(2)由:孔子の弟子。姓は仲、名は由。あざなは子路。
(3)千乘之国:兵車を千台持っている規模の諸侯の国。
(4)赋:兵
(5)求:孔子の弟子。冉有ぜんゆう、名は求。字は子有。
(6)千室之邑:数千戸程度の町
(7)百乘之家:兵車を100台くらい持っている卿大夫の家
(8)宰:卿大夫の家の長官
(9)赤:孔子の弟子。姓は公西こうせい、名はせき、字は子華。
(10)束带:礼服に締める帯。朝廷で礼服を着用すること。
(11)朝:朝廷
(12)宾客:外国の賓客

素読文:
もうはくう:「子路しろじんなるか。」わく:「らざるなり。」またう。子曰わく:「ゆうや、せんじょうくにそのおさめしむべきなり。其仁を知らざるなり。」
きゅう何如いかん。」子曰わく:「求や、千室せんしつゆう百乗ひゃくじょうの家、これさいたらしむべきなり。其仁を知らざるなり。」
せきや何如。」子曰わく:「赤や、束帯そくたいしてちょうに立ち、賓客ひんかくと言わしむべきなり。其仁を知らざるなり。」

解釈:
孟武伯が問う「子路は仁者でしょうか?」孔子曰く「子路が仁者かどうかはわからない」再び問う。孔子曰く「子路は、千乗の国の軍を治めることはできよう。しかし仁者かどうかはわからない。」
「では子有は仁者でしょうか?」「子有は千戸の邑(町)の代官や百乗の家の宰相を務めることができよう。しかし仁者かどうかはわからない。」
「では子華は仁者でしょうか?」「子華は式服を着け、宮廷で外国の賓客と話し合うことはできよう。しかし仁者かどうかはわからない。」

論語の中で孔子はしばしば人物評を口にしています。この節では子路、子有、子華の3人の弟子が仁者であるかどうかを問われ、答えています。3人の弟子の順位をつけるとすれば、子路:千乗の国の総裁。子有:百乗の町の総裁。子華:朝廷の官吏。ということでしょうか?しかし3人とも仁者であるかどうかはわからない、と答えています。当然3人とも孔子の高弟なので仁者であると考えても良いでしょう。

人には仕事の向き不向きがありそれぞれに能力を発揮する職位がある。しかし仁者かどうかを決定するのはその人の職位によるものではない。孔子はこういうことを孟武伯に伝えたかったのではないでしょうか?

芸に游ぶ

yuē:“zhìdào(1)rényóu(2)。”

《论语》述而第七-6

(1)德:道を心の中に貫徹し失うことがないこと。
(2)艺:身分あるものに必要とされた6種類の基本教養。礼(礼節)・楽(音楽)・射(弓道)・御(馬術)・書(文字)・数(数学)の六芸。

素読文:
子曰わく、みちこころざし、とくり、じんり、げいあそぶ。

解釈:
人としての道に志し、徳を守り、仁を行いの元として、六芸を学ぶことに喜びを見出したい。
「芸に游ぶ」を息抜きに芸事を楽しむ、と解釈するよりは、自らの教養を高めることに喜びを見出す、と解釈する方が論語らしいと感じます。

任重くして道遠し

zēng(1)yuē:“shìhóng(2)rènzhòngérdàoyuǎnrénwéirènzhòngérhòuyuǎn。”

《论语》泰伯第八-7

(1)曾子:孔子の弟子。姓はそう、名はしんあざな子輿しよ。顔回・曾子・子思・孟子を合わせて「四聖」と呼ぶ
(2)弘毅:度量が大きく、意志の強いこと。

素読文:
そうわく:“もっこうならざるべからず。にん重くして道遠し。仁もっおのにんす。またおもからずや。死してのちむ。またとおからずや。

解釈:
「士」(志高く生きようという者)であるからには、器が大きくつよくなければならない。任務は重くその道は遠い。仁を持って己の任務とすることは、なんと重いことだ。死ぬまでのその任務は続く、なんと遠い道のりだ。

孔子は「仁は遠からず」とも言っています。しかし仁を発揮して生きることは、重いく遠い道だ。と理解しました。

余談ですが、我が恩師のお名前は「弘毅」です。論語を読んでいて、懐かしい恩師のお名前に出会い、改めて恩師の薫陶に感謝の念を抱いております。

貧賤に留まる覚悟

yuē:“guìshìrénzhīsuǒdàozhīchùpínjiànshìrénzhīsuǒdàozhījūnrénchéngmíngjūnzhōngshízhījiān(1)wéirénzào(2)shìdiānpèi(3)shì 。”

《论语》里仁第四-5

(1)终食之间:食事を済ますだけの時間。わずかな時間。
(2)造次:とっさの時。
(3)颠沛:危急の時。

素読文:
子曰わく:“とみたっときとは、これ人のほっする所なり。その道をもってせざれば、これるともらざるなり。ひんせんとは、是人のにくむ所なり。その道を以ってせざれば、これるとも去らざるなり。君子は仁を去りて、いずくにか名をさん。君子は終食しゅうしょくかんも仁にたがうこと無く、造次ぞうじにもかならここおいてし、顚沛てんぱいにもかならここおいてす。”

解釈:
人は富や地位が欲しいものだ。しかし道に外れた行いでそれを得たのであれば、富や地位を享受すべきではない。人は貧困や卑賤を厭うものだ。しかし道を誤ってそうなったのでなければ、無理にそこから逃れようとすることはない。君子たるもの仁を忘れて君子の名に値せず。君子は束の間も仁に背かぬ様に心がけるべきだ。それどころかとっさの時、危急の時にも仁の道を外れてはならない。

下村湖人は『终食之间』を箸の上げ下ろしの間と解釈しています。一瞬たりとも仁の心を忘れない、という心が伝わる解釈だと思います。

仁に親しむ

yuē:“xìaochūjǐnérxìnfànàizhòngérqīnrénxíngyǒuxuéwén。”

《论语》学而第一-6

素読文:
子曰わく:“ていりてはすなわこうでてはすなわていつつしみてしんあり、ひろしゅうあいしてじんしたしみ、おこないてりょくらば、すなわもっぶんまなべ。”

解釈:
年少時は家庭にあり父母に孝を尽くし、世間に出ては年長者に従順であることが大切である。言動を慎み、信義を守り、広く衆人を愛し、仁徳のある人と親しむのが良い。そして余力があれば、古典を学ぶことを志すのが良い。

弟子を弟子でしと解釈するとそのあとの意味がわからなくなります。弟子ていしと読み、年少者と考えるのが良さそうです。文とは、詩、書、礼、楽などの中国古典のことを指す様です。

子罕に利をいう

hǎnyánmìngrén

《论语》子罕第九-1

素読文:
まれめいじんとをう。

解釈:
孔子はめったに利益の問題にはふれられなかった。たまたまふれられると、必ず天命とか仁と結びつけて話された。

与を「〜および」と解釈すると、
孔子はめったに利益と天命と仁について語らなかった。
となります。しかし論語の中には『仁』に関する記述が多くあります。

また与を「賛同、肯定」と解釈している例もあります。この場合は、
孔子はめったに利益について語らなかったが、天命や仁を賛同した。
という解釈になります。

与を「〜と結びつけて」と解釈するのが一番しっくりします。

三月仁に違わず

yuēhuíxīnsānyuè(1)wéirényuè(2)zhìyānér

《论语》雍也第六-7

(1)三月:長い時間
(2)日月:短い時間

素読文:
子曰わく:“かいや、その三月さんげつ仁にたがわず。そのすなわち日に月にいたるのみ。”
解釈:
顔回は長らく仁徳を保つことができる。しかしその他の者たちは短い間、仁徳を発揮するのみだ。

孔子は顔回(顔淵)を高くかっていました。その他の弟子たちに対してお前たちも顔回のように仁徳を発揮せよ、とハッパをかけている場面と考えることができそうです。

しかし下村湖人はこれを、「顔回よ、三月の間、心が仁の原理を離れなければ、その他の衆徳は日に月に進んでくるものだ。」と解釈しています。
仁徳から離れずにいることができれば、その他のことは短期間に習得できるものだ、と顔回に語っている場面になります。