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雍の詩

sānjiā(1)zhěyōng(2)chè(3)yuē:“xiàng(4)wéigōng(5)tiān(6)(7)(8)sānjiāzhītáng。”

《论语》八佾篇第三-2

(1)三家:魯の家老の、孟孫氏・叔孫氏・季孫氏を指す
(2)雍:『詩経』周頌の「雍」の詩
(3)彻:祭祀が済んで供物をさげること
(4)相:助ける
(5)辟公:諸侯
(6)穆穆:威儀正しく奥ゆかしい
(7)奚:どうして~しようか(いや~しない)反語の意
(8)取:用いる

素読文:

さんしゃようもってっす。いわく、たすくるは辟公へきこうてん穆穆ぼくぼくたりと。なんさんどうらん。

解釈:
孟孫氏、叔孫氏、季孫氏の者が、雍の詩を歌って供物を下げた
孔子曰く:“雍の詩は、諸侯が祭りを助け、天子はその座にあって威厳を正しているという意味だ。諸侯三家の祭りなどで歌えるようなものではない。”

孔子はとりわけ祭事に関して厳格だったようです。

義を見てなさざるは勇無きなり

yuē:“fēiguǐ(1)érzhīchǎn(2)jiàn(3)wéiyǒng(4)。”

《论语》为政篇第二-24

(1)鬼:先祖の霊
(2)谄:へつらう
(3)义:正義
(4)勇:勇気



素読文:

いわく、あらずしてこれまつるは、へつらうなり。みてさざるは、ゆうきなり。

解釈:

自分の祖先でもない霊を祀るのは諂いだ。なすべき正義を見て行動しないのは勇気なきなり。

力がない市井の庶民が義を見て為さぬのは保身行動の場合もあるでしょう。しかし為政者としては義をみれば為さねばなりません。

孔子

指導法

 論語にこういう一節がある。

子曰:“中人以上、可以語上也。中人以下、不可以語上也。”

《論語》第六雍也-十九

読み下し文にすると、子曰く、中人ちゅうじん以上には、以てかみぐべきなり。中人以下には、以て上を語ぐべからざるなり。

簡単に言えば相手のレベルに合わせて指導すべきだということだ。
部下の指導時に、いきなり難しいことを教えても消化不良になるだけ。逆に簡単なことをくどく説いても相手のモチベーションは下がる。
個人的には、相手のレベルより少し高いヒントを与え、考えてもらうようにするのがいいと思っている。「教わった」というより「自分で考えついた」と感じる方が身に付くだろう。
この一節は教える側の心得であるが、逆に考えることもできる。教えを請いたければ、その教えを受けるレベルまで成長しなければならない、ということだ。

孔子はこうも言っている。

子曰:“生而知之者上也。学而知之者次也。困而学之又其次也。困而不学。民斯爲下矣。”

《論語》第十六李氏-九

子曰く、生まれながらにして之を知る者は上なり。学びて之を知る者は次なり。くるしみて之これを学ぶは又其の次なり。困みて学ばざるは、民にして斯を下と為なす。

生まれながらにして知っている者が上。
学んで知る者が中。
困難に出会って学ぶ者は下。
困難に出会っても学ばない者は下の下。

上にはなれないかも知れないが、中でいたいモノだ。指導者の立場にあっても、学び続けることが必要だ。


このコラムは、2017年11月24日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第593号に掲載した記事です。

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前例

 「前例」という言葉は保守的な組織と革新的な組織を見分ける試薬だ。
「前例」という言葉を歓迎するのは保守的な組織。「前例」と聞いてがっかりするのが革新的な組織。

法曹界は判例という「前例」が判断基準となる。
銀行の様な硬い企業や、同じ企業内でも総務部の様な部門はどちらかというと「前例」が珍重される。
一方ベンチャー企業や、同じ企業内でも開発部門では「前例」を忌避する。

同じ人でも年齢を重ねるほど「前例」に頼る様になる。これを長年の積み重ねによる「知恵」と考えるか、年齢とともに保守的になったと考えるべきか。

古典に学ぶという姿勢も、前例主義と言えるかも知れない。
中国古典の論語にこんな一節がある。

「子曰く、学びて思わざればすなわくらし、思いて学ばざれば則ちあやうし。」

(為政第二-15)

学んだことを思考しなければ知識を生かせない。考えるだけで先人の知恵を学ばねばあやうい。という意味だ。

つまり学ぶのは「前例」であり、学んだ上で「革新」を考える。というのが孔子の教えだ。
こういう「前例」が2500年前からある。先人の知恵は学ぶべしだ。


このコラムは、2018年10月26日に配信したメールマガジン【中国生産現場から品質改善・経営革新】第737号に掲載した記事です。

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家庭も治世なり

huò(1)wèikǒngyuē:“(2)wèizhèng?”
yuē:“《shū(3)yúnxiàowéixiàoyǒuxiōngshīyǒuzhèngshìwéizhèngwéiwéizhèng?”

《论语》为政第二-21

(1)或:ある人
(2)奚:なぜ
(3)书:《書経》

素読文:

あるひとこういていわく:“なんまつりごとさざる。”
いわく:“しょう、こうなるかなこう兄弟けいていゆうに、有政ゆうせいほどこすと。れもまつりごとすなり。なんまつりごとすことをさん。”

解釈:
ある人が孔子に尋ねた“あなたは、なぜ政治に携わらないのでしょう?”
孔子曰く“《書経》に孝についてこうある。「親に孝行、兄妹に親密であれば自ずと政に及んでおる」こう考えれば家庭内にも政治がある。強いて国政に携わることもあるまい”

孔子は国政に携わりたかったのだろうと思います。しかし諸侯が相互の力学的バランスを考え、孔子を宰相として迎えなかったのではないでしょうか?

季康子治世を問う

kāng(1)wèn:“使shǐmínjìngzhōngquànzhī(2)?”
yuē:“línzhīzhuāngjìngxiàozhōngshànérjiáonéngquàn。”

《论语》为政第二-20

(1)季康子:魯の国の大夫
(2)如之何:どうしたらよいか

素読文:

こうう:“たみをして敬忠けいちゅうにしてもっすすましむるには、これ如何いかんせん。”
いわく:“これのぞむにそうもってすればすなわけいす。こうなればすなわちゅうなり。ぜんあげのうおしうれば、すなわすすむ。”

解釈:
大夫・季康子が孔子に尋ねる:“民をして敬意と忠誠の心を抱かせ、自発的に励む様にするにはどの様にしたらよいか”
孔子曰く:“民に対して尊重な態度で臨めば、民は敬意を払う。年上の者に孝行し、目下の者に慈愛の心を持てば、民は忠心を持つ。善行の者を登用し、能力の足りない者を教え導けば、民は励む”

残念ながら2500年前の教えを理解できない者が現代社会で指導的立場にある様です。

哀公治世を問う

āigōngwènyuē:“wéi(1)mín(2)? ”
kǒngduìyuē(3):“(4)zhí(5)cuò(6)zhū(7)wǎng(8)mínwǎngcuòzhūzhímín。”

《论语》为政篇第二-19

(1)何为:どうすれば
(2)服:服従
(3)对曰:答えて曰く(目上の人に用いる)
(4)举:抜擢する
(5)直:正直者
(6)错:上に置く
(7)诸:これを〜に
(8)枉:曲がった者。不正直、邪な人

素読文:
哀公あいこううていわく、なにさばすなわたみふくせん。こうこたえていわく、なおきをげてこれまがれるにけば、すなわたみふくせん。まがれるをげてこれなおきにけば、すなわたみふくせず。

解釈:
哀公が孔子に尋ねた「どうすれば民を治めることができるだろうか」
孔子曰く「正しい人を採用して曲がった人々の上におけば、民は服するでしょう。逆に曲がった人を正しい人の上におけば、民は服しません」

哀公は孔子の出身地魯国の君主です。孔子が魯に戻ったのちに哀公に仕えた様です。哀公は若くして没した君主のおくりなです。

禄を求るには

zhāng(1)xuégān(2)yuē:“duōshènyánguǎyóuduōjiànquè(3)dàishènxíngguǎhuǐyánguǎyóu(4)xíngguǎhuǐzàizhōng(5)。”

《论语》为政第二-18

(1)子张:孔子の弟子。姓はせんそん、名は師、あざなは子張。
(2)干禄:士官し俸禄を求めること。
(3)阙:取り除く、はぶく。
(4)尤:人に咎められること。
(5)在其中:求めずとも得られる。

素読文:
ちょうろくもとむることをまなぶ。いわく:“おおきてうたがわしきをき、つつしみてあまりをえば、すなわとがすくなし。おおあやうきをき、つつしみてあまりおこなえば、すなわすくなし。げんとがすくなく、おこないにすくなければ、ろくり。

解釈:
子張は士官のしかたを学びたがった。孔子曰く“多くの意見を聞き、疑わしいものは避け、謹んでその他の確実なことを言っておれば、悔いはないだろう。多くを見て、危ないことは避け、自信のあることだけを言っておれば、悔いはないだろう。発言に咎めなく行いに悔い少なければ、禄を得ることはできるだろう。”

孔子は高名すぎて、どこからも士官の声がかかりませんでした。
子張は優秀ではあった様ですが、孔子の弟子たちの間では評価が低かった様です。
孔子より48歳年下であり、その他の弟子たちから軽んじられていたのかもしれません。

君子の心得
五美と四悪
賢者を尊び、衆を容れる
聞は達に如かず
聞は達に如かず
恭寛信敏惠ならば仁
ともに仁を為す 曾子の子張に対する評価も高くはない
難きを為す 子游は子張に対し「然しかれども未いまだ仁じんならず」と言い切っています。

異端は害あるのみ

yuē:“gōng(1)duān(2)hài。”

《论语》为政第二-16

(1)攻:学ぶ
(2)异端:異端の教え。老荘思想のことを指すと思われる

素読文:
いわく:“たんおさむるは、がいあるのみ。”

解釈:
子曰く:“異端の学問を学んでも害があるだけだ。”

今も昔も他派の学説を退けるというのは変わりがない様です。

温故知新

yuē:“wēnérzhīxīnwéishī。”

《论语》为政第二-11

素読文:

いわく、ふるきをたずねてあたらしきをれば、もっるべし。

解釈:

孔子曰く:“過去から学び新しい知見を得る、そのような姿勢を持てば師たりうる。”

新しい技術や学問に目が行きがちですが、それらは古い知見に支えられたものです。新しいものに飛びつくだけでなく、古い知見を基礎として持っていなければならない、と解釈しました。